師弟子の道と妙観講の在り方

『妙観講の基をなす信条・誠心(じょうしん)』の発刊

平成十五年一月に『妙観講の基(もと)をなす信条・誠心(じょうしん)』が発刊されました。 『誠心』は、妙観講がいかなる信条に基(もと)づいて構築・運営され、今日に至ったのかを明らかにしたもので、護法と広布の使命に挺身(ていしん)せんとする妙観講の“心”であります。

妙観講の在(あ)り方は、一言で言えば、日蓮正宗の伝統の師弟子の道を明らかにし、これに徹することを根本として、全てが成り立っています。しかし、それは、これまでの講中の中に不文律的に活(い)きており、体系的に成文化されていませんでしたので、外部の方々や、信仰の浅い講員には、なかなか理解されることがありませんでした。
  そのため、妙観講に対しては、いろいろな無認識な批判や憶測がなされ、それは、妙観講が止どまることなく大きくなっていくのにつれて、得体の知れないものに対する不安な心理から、いっそう拡大していったものと思われます。

しかし、それらは全て、『誠心』の「序」に指導教師・小川只道御尊師が 「批判の根拠は明確でなく、ただ皮相的な見方の上から誤解している」 と述べられているように、“群盲(ぐんもう)象を撫(な)でる”類(たぐい)の誤解に他なりません。
“群盲象を撫でる”というのは、大勢の盲目の人達が象に触る機会を与えられたところ、ある者は尻尾を握り、ある者は足に触り、ある者はお腹を撫で、ある者は鼻を掴(つか)んだ。そして、“象はヘビのような生き物だった” “いや、柱のようだった” “巨大な壁のような動物だった"等々と、てんでんバラバラな感想を持つに至る。自分の手に触れたのは、象の一部に過ぎないのですが、象の本当の姿を知らない盲目の人達は、それを象そのものだと思って誤解してしまったわけです。

それと同じことで、妙観講の真の姿や信条をわかっていないが故に、外形に現われた一つ一つの相を正しく捉えることができず、妙観講そのものを誤解してしまう――、妙観講に対する多くの批判は、そうした類のものでした。
  しかし、こうした諸々の批判や憶測は、このたび発刊された『誠心』によって払拭(ふっしょく)された、といってよいでありましょう。  
  『誠心』を読むなら、妙観講が、一貫して大聖人以来御歴代上人の御教示に則って構築・運営されてきたこと、その在り方は全て大聖人の教えに基づいていることが明らかとなり、同時に、今後の私達一人ひとりが、どのような規範によって信仰していったらよいか、が明確に判るでありましょう。 この『誠心』の内容を踏まえた上で、さらに補足説明する意味で、講中の在り方に関し、Q&Aの形で述べていくことにします。

Q1

在家主導の創価学会・僧侶主導の正信会・元は法華講の一支部だった顕正会が、悉(ことごと)く異流義化したのだから、先々、誰が異流義化しないとも限らず、安心して信心していくことができない。

A1

それは無用な杞憂(きゆう)です。  まず、この創価学会・正信会・顕正会という三つのケースについて、検証してみましょう。 

-創価学会の場合-  

創価学会は、もともと日蓮正宗を信仰する法華講中の一つでありました。 その創価学会が、戦後、戸田二代会長のもとに大折伏を展開し、爆発的に教勢を拡大しつつあった昭和二十六年末、独自の宗教法人の設立を宗門に願い出てきました。  
 本来、「宗教法人・日蓮正宗」のもとにあるべき法華講の一つ、創価学会が、日蓮正宗とは全く別の宗教法人を在家だけで組織するということは、一歩間違えば、日蓮正宗とは異質の一宗一派となりかねない危険をはらんでいます。  

そこで、宗門におかれては、「折伏した会員は信徒として各寺院に所属させる」という条件を付して、設立を認可されたのでした。 この約束によって、創価学会では、個々の会員を各々の地元寺院に所属させました。 しかし、ここで問題だったのは、個々の会員を最寄(もよ)りの寺院に所属させたものの、肝心の創価学会自体は寺院に所属せず、手続ぎの小師を持たない状態となってしまったことでした。  

巨大化したとはいえ、創価学会も、もともとは一つの法華講中であります。ならば、創価学会という講中として、決まった一つの寺院に所属し、手続ぎの小師の教導のもとに会員を指導していく、というのが、本宗の信仰の掟(おきて)を守った本来の姿であります。(『誠心』十一、十四項目参照)
  結局、創価学会は、本宗の教義から逸脱して異流義化する遥(はる)か以前、すでに組織の成り立ちの段階において、本宗の化儀を破り師弟子の道を破っていたのです。 そして創価学会は、池田大作が“人生の師”“永遠の指導者”であり、会員は全て池田の弟子である、との師弟論を立てて、会員を次第に日蓮正宗とは異質の邪義邪信へと誘導していったのでした。  

 しかし、もし創価学会が一つの寺院に所属し、池田大作の上位に手続ぎの小師を仰いで、会員の指導にあたっていたら、どうだったでしょう。  
  たとえ、池田大作が慢心を起こしたり、一部の幹部が池田を神格化しようとしたところで、その池田の上には、手続ぎの小師がおられ、さらに、その上には本師たる御法主上人がおられるのですから、池田を押し上げることは、さらに上位の師を押し上げることになって、池田本仏論のごとき邪義が成立することはありませんし、また、池田が謗法に走って、小師・本師から打ち砕かれたときには、会員の大多数は小師・本師に随い、盲目的に池田に付き随ったりしなかったでありましょう。したがって、創価学会の異流義化は、宗門の組織を破って手続ぎの師を持たなかった、そこに原因があった、といえるのであります。

-正信会の場合-

一方、後に正信会となっていった寺院では、個々の檀信徒(だんしんと)に対し、所属寺院の住職を手続ぎの師と仰いで信仰していくことを強調し、全て住職が指導するという形をとっていました。  
  この形は、在家主導の創価学会に対し、完全な僧侶主導であり、ゆえに学会のような誤りは起きないものと言われていました。  
  それなのに、約十万世帯といわれる正信会所属の檀信徒の大半は、所属寺院の住職もろとも異流義化し、大謗法の徒となってしまったのです。  
  その原因は、ひとえに師弟子の本末関係を弁(わきま)えていなかったことに尽きる、といえましょう。 『化儀抄』には、総本山の御法主上人の前では、手続ぎの小師といえども、信徒と共に弟子分の側に摂(せっ)せられることが定められています。つまり、根本はやはり本師であり、本師と小師の間には自ずと本末関係があるのです。(『誠心』八項目参照)  
  したがって、もし、小師が本師に違背(いはい)して邪師になってしまった時、信徒はどうすればよいのか、といえば、本末関係の上から、邪師となった小師を捨てて、迷わず本師につかなくてはなりません。  
  ところが、これを弁(わきま)えていなかった正信会の檀信徒は、“手続ぎの師に従っていかなければ成仏できない”として、本師たる御法主上人よりも末寺住職に従ってしまった。それが本師に背き異流義化する結果となってしまったのです。

-顕正会の場合-  

 顕正会は、もともとは今日のような在家組織ではなく、日蓮正宗の末寺に所属する「妙信講」という名称の法華講支部でした。  
  末寺住職を指導教師(手続ぎの小師)と仰ぎ、総本山の御法主上人を拝(はい)していた元「妙信講」こと顕正会が、なぜ、逸脱してしまったのでしょうか。  
  妙信講の初代講頭・浅井甚兵衛は、大正二年、東京都品川区の妙光寺にて日蓮正宗に入信しています(現在の顕正会々長の浅井昭衛は、甚兵衛の長男で、父の跡を世襲した)。
  ところが、その後の経緯を見ますと、浅井らは、気に入らないことがあったりすると、いとも簡単に幾度も所属寺院を移り変わっているのです。  

第二祖日興上人は、自分を折伏・育成してくれた初発心(しょほっしん)の師を捨てることは、五逆罪にあたり地獄に堕(お)ちる業因(ごういん)となる、と戒められ、第九世日有上人も、信徒は手続ぎの小師との師弟子の筋目を守るべきである、その筋目を違(たが)えたなら、大不信謗法となって成仏できなくなってしまう、と戒められています。(『誠心』六、七項目参照)

浅井らが、自分の都合で、初発心の師を捨て手続ぎの小師を乗り換えて、何度も所属寺院を移り変わった行為は、日興上人・日有上人の仰せによれば、五逆罪であり成仏の道に反する謗法だったのです。  
 その信仰姿勢が、自己中心のきょう慢をさらに増長させることとなり、結果として浅井らは総本山の指南にも従えなくなり、ついに日蓮正宗から破門されて異流義化する、という末路を招いたのです。

以上、創価学会・正信会・顕正会が異流義となった原因は、本宗の化儀・信条に照らして、あまりに明らかであります。
  したがって、これをよく弁(わきま)えて、どこまでも本宗の師弟子の道を固く遵守(じゅんしゅ)していくならば、たとえ難しい法門が理解できず、教義解釈の是非(ぜひ)が判らなかったとしても、異流義に陥ることなどありえないのです。 安心して信心に励んでください。

Q2

 所属寺院の移籍は、希望すれば簡単にできるものだと思うが。

A2

 移籍が認められる事由については、以下の四つがあり、移籍する人は、必ず、このうちのいずれかに概当します。(『誠心』五十項目参照)

①御法主上人の御命である場合。
②婚姻・養子縁組等の場合。
③小師が本師に違背したとき。
④退転に至らせぬため。  

そもそも、寺院御住職や講中の幹部とそりが合わない、他の寺院に気の合う人がいて誘われた、引っ越しして遠くなった――等という個人的都合で、いとも簡単に所属寺院を移ってよい、などと思ったら、たいへんな間違いです。  
  弟子の側(がわ)から師匠を変える、などということはきょう慢であり、小筋を正していませんから即身成仏の道に外(はず)れる謗法となり、初発心の師を捨てるが故に五逆罪を犯すことになります。 ですから、本宗の信仰においては、前記の①から③の場合以外、簡単に所属寺院を移ってはならないのです。

しかしながら、どうしても本人の信仰が薄弱なため、そのままそこに置いたら退転してしまう―というような人については、やむなく、指導教師が慈悲をもって他の寺院への移籍を許される、という場合があります。  
  それが④の措置(そち)であり、①~③に概当しない移籍は、すべて④に入ります。
  この④の場合、移籍を許されたとしても、やはり、小筋を貫かなかったわけですから成仏の道から後退し、初発心の師を捨てるが故に五逆罪が形成されることになります。しかし、もし移籍させずに、そのまま退転させてしまえば、その人は大謗法者となって、勝(まさ)れる大重罪となる――それを避けるために、やむなく慈悲の上から移籍を認めるのであります。 したがって、簡単に所属を変わる、などということは、ゆめゆめ考えてはならない、これは法華講の師弟子の道の基本である、と弁えておかなければなりません。  
  また、指導教師の許可さえいただくことなく、勝手に他の寺院に移籍してしまう等に至っては、宗制宗規違反であり、論外の所行であります。  
  そのようなことをして、何かの手違いで先方の寺院で受け入れられたとしても、信心の本質においては、その時点で退転であり、退転者が新たな寺院で入信して信心を最初からやり直すことにあたる、といえましょう。けっして胸を張れるようなことではありません。