東京都 H さん 女性
私は、昭和六十二年に入信し、今年で十八年目になります。本日は、入信後、両親から猛烈な反対を受けたことと、それらを乗り越えてきたときに頂戴した功徳の体験を発表させていただきます。
私の実家は、祖父の代から 仙台市 内にガソリンスタンドや輸送所などを持っており、父の代には、さらに新規事業を立ち上げて、東北六県に店舗を広げたり、ビルを建てるなどして、そのまま順調にいくかに見えておりました。 しかし、今思えば、それは砂上の楼閣(ろうかく)のようなものであり、私達一家は、転落の原因を日々に積んでいることを気付かずにいたのでした。
といいますのも、実家の宗旨は禅宗で、実家の敷地には祖父の代から邪宗の社(やしろ)が祭られているほど、邪宗に深く関わってきたのです。 そしてまた、創価学会が日蓮正宗の信徒団体だった当時、両親は、近所の学会員からたびたび仏法の話を聞いたようですが、それに強く反発して、悪口を言っておりました。
私自身も、十八の時、進学のために上京してからは、都内に住む学会員のいとこから座談会に誘われるなど、たびたび信心の話をされましたが、その学会の座談会の内容というのは、山本リンダが来て、涙を流しながら「池田センセーは素晴らしい」と話す体験談や、池田の前で涙を流しながら行なう文化祭や体育祭のビデオ上映といったもので、とても信仰する気にはなれませんでした。 そして、大学の卒業を控えたある日、私は、親戚からたいへんショッキングな知らせを受けたのです。それは、「父が不渡(ふわた)り手形を出してしまい、会社が倒産して、ヤクザに追われ、身を隠さなければならなくなった」というものでした。
その時は本当に心配しましたが、それでも、私をピアニストにすることが夢だった母の希望で、音大を卒業した私はヨーロッパに留学しました。 そして、二年半の留学を終えて帰国したところ、両親は、事業も、財産も、住む家までも失ってしまっていました。 また、私自身は、東京での生活を再スタートさせたものの、ピアニストを目ざしながら自活していく道は、そうそうたやすいものではなく、高校や大学の非常勤講師をしても、マンションの家賃を払えばほとんど手元に残らない程度の収入しかありませんでした。 足りない分は、何とか母が仕送りしてくれましたが、いつも経済的に苦しく、その上、深刻な対人関係の悩みが重なって、私の生活は八方塞(ふさ)がりになってしまいました。そのような中の昭和六十二年、妙観講のSさんから折伏を受け、ようやく日蓮正宗に入信することができたのです。
両親の異常なまでの仕打ち
入信してすぐに、この信心は本物だと確信した私は、先輩方から教えられたとおり、身の回りの友人・知人、職場の同僚や両親などを次々と折伏していきました。 しかし、期待とは裏腹に、折伏した人はことごとく仏法を嫌い、ほとんどの人達が、「二度と連絡しないでくれ」と言って離れていってしまいました。
中でも、両親の反対は尋常ではなく、仏法の話をする私に対して、まるで人が違ったように、殴ったり蹴ったりしてきたのです。灰皿を思いきり投げつけられたり、棒で叩かれたり、髪を引っ張られたりしたこともあり、あげくは周りの人達に「娘は気が狂った」と言いふらされました。 そして、突然上京してきた両親は、「信仰をやめないのなら、親子の縁を切る」と言って、信仰をやめるか、または、遺産相続権を全て放棄(ほうき)するか、どちらをとるか、と迫ってきたのです。
もちろん、信心をやめることなど、できるはずもありません。私が相続を放棄することによって、少しは両親が冷静になって、話を聞けるようになってくれれば、という思いもあり、私は相続放棄の書類に署名・捺印(なついん)しました。 ところが、私が信仰をやめないと知った両親は、今度は、「御住職に直談判(じかだんぱん)をする」と言って、理境坊に乗り込んでしまったのです。その時は、小川御住職様がうまく取りなしてくださいましたが、本当に御迷惑をお掛けしてしまいました。 その後、両親は、私から折伏されるのを嫌って内緒で引っ越してしまい、一時、両親の居場所がわからなくなってしまったこともありました。
御書に「過去の謗法の罪の滅せんとて邪見の父母にせめられさせ給ふ。(中略)我が身は過去に謗法の者なりける事疑ひ給ふことなかれ。此を疑って現世の軽苦(きょうく)忍びがたくて、慈父(じふ)のせめに随ひて存の外に法華経をすつるよしあるならば、我が身地獄に堕(お)つるのみならず、悲母(ひも)も慈父も大阿鼻地獄(だいあびじごく)に墮ちてともにかなしまん事疑ひなかるべし」(御書九八一頁)
と示されていますが、私は、これが自分の親かと思うほど、狂ったように信心に反対する両親の姿を見て、自分の過去の罪業がどれほど深いものであるかを思い知り、本当に一生懸命に功徳を積んでいかなくてはいけない、と思いました。
そして、一日最低二時間の唱題を実践するとともに、毎月の御登山や会合にも積極的に参加し、さらに折伏も進めていきました。
学会員に対して折伏するようになってからは、留守番電話に、「これから行ってやる。ドアをバールでこじ開けてやるぞ」という脅迫(きょうはく)のメッセージが入っていたり、現実に、毎晩のように、家の前で学会男子部から待ち伏せされ、ビデオカメラを向けられたり、腕をひねり上げられたあげく、私が携帯していたカメラを奪われて壊(こわ)される、といったことも起きました。
しかし、一方では、たくさんの学会員の方を正宗に帰伏させることもできました。 そして、そのように一分ながらも功徳を積ませていただいてくる中、私の身の回りは大きく変化してきたのです。
予期せぬ展開で経済苦を脱却
じつは、後で知ったことなのですが、父は、ちょうど私が日蓮正宗に入信した頃から、不動産の競売物件を買い取り、それをリフォームして貸す、という賃貸業を始めており、十数年の間に、店舗を含む賃貸物件を二十数件ほど所有するようになっていたようです。
その父が、平成九年のある日、突然、私に「東京都内に物件を購入し、ピアノ教室を開いてはどうか。そのための資金援助をする」と言ってきたのです。私が入信して十年目のことでした。
私は、それまで父から尋常(じんじょう)ではない仕打ちを受けてきていましたので、一瞬、耳を疑ってしまいましたが、父の申し出に従って、都内に土地・建物を購入し、そこでピアノ教室を開きました。
しかし、ピアノ教室を開いたところで、生徒が集まって来なければ何にもなりません。とくに、不況の時代ですから、厳しい状況になることは充分に予測できました。 ところが、開業したとたん、私の教室には、諸天善神(しょてんぜんじん)の加護としか考えられないような形で生徒が集まり続け、ついには、私一人では手に負えなくなって、五年後には講師の先生に手伝ってもらって運営するようにまでなったのです。
平成十年には、妙観講の同志であった主人と結婚し、以来、いっそう信心活動に励んできました。 そうした中、父から、ここ七年程の間に何度か、「土地の開発のために資金が必要になったから、会社で所有して賃貸に出している 仙台市 内の物件を買い取ってくれないか」と言ってきました。私は、信仰以外のことは、できるだけ父の意に添(そ)うようにやっていこうと思っていましたので、申し出のあるつど、買い取りました。そして、家賃収入の管理は全て父の会社に任せておりました。もともと、父の手助けをするつもりでしたので、私としては、報酬はあてにしていなかったのです。
ところが、税理士さんの指導で、この春から、私の所有となっている2DK・4部屋と2LDK・2部屋の、計6部屋の家賃が、直接、私の方に入金されることになった、と父が知らせてきたのです。
これらの物件は、広めで、いずれも地下鉄の駅から一分以内の所にあるため、空き室が出てもすぐに埋まります。今年も、二件の引っ越しがありましたが、二件とも、待っていたかのようにすぐに次の入居者が決まりました。 また、その際の改装のことなどは、父が、「おまえには、無理を言って買ってもらったのだから」と言って、そのつど手助けをしてくれました。
数年前まで、あれほど信仰を嫌って暴力まで振るっていた父からは、考えられないことです。
あらためて、〝折伏をしたことで父母から責められるのは過去の罪業によるものであり、折伏をして難に遭(あ)えば遭うほど罪障が消滅されていく〟という大聖人様の御教えが、まさに真実であることを確信いたしました。この上は、何としても父を入信までもっていかなければ、と思っております。
そしてまた、入信当初は、経済苦、仕事の悩みなど、たくさんの悩みを抱え、本業の他にあちらこちらでアルバイトをして、やっと生活を支えていたような自分が、一分でも罪障消滅をさせていただけたおかげで、現在では、毎月、本業のピアノ教室で得られる収入の二倍以上の収入が得られるようになりました。これによって、御供養はもちろん、家族揃(そろ)っての御登山や折伏活動などにも、何の不安もなく励むことができます。
本当に、御本尊様の功徳は絶大で、感謝しても感謝しきれません。 また、これまで、自分の罪業の深さに押し潰(つぶ)されそうになった時もありましたが、講頭や先輩方が、そのつど、手を引いて導いてくださいました。そのおかげで、自分のような者でも、一分一分、功徳を積ませていただけたのだと思います。本当にありがとうございました。
今年の元朝勤行の際、私は、「猊下様の御意を安んじ奉り、広宣流布のお役に立てる御奉公を一分でもさせていただきたい」との願いを立てましたが、今後は、御報恩のため、さらなる精進を重ね、しっかりと御奉公と罪障消滅の道を歩んでまいります。ありがとうございました。(大拍手)