法華講員 VS 日蓮宗住職<序章>

メール10・法華講員からの総括
(平成29年10月5日 送信)

 
  数無慚無愧としか言いようのない返信を拝見しました。
  やはり、貴職はまともな議論のできない人間である、ということが際立った文面です。

 私が、論点を拡大させてウヤムヤにしないために、貴職が当初に出してきた二つの疑難に決着をつけてから、後の質問には順を追って必ず答えてあげる、と繰り返し言っているのに、貴職は「逃げ口実だ」「答えられないなら答えられない、知らないなら知らないと、正直に言え」「ごまかしているだけ」「焦点をはぐらかすのはやめなさい」「都合が悪いことから逃げるのがお家芸」「逃げるのはやめなさい、なぜ逃げるのですか」「知らないのですか」「都合が悪いのですか」「なぜ答えないのでしょうか?逃げずに答えましょう」「適当な言い逃れは見苦しいだけ」等と狂ったように言い続け、自分勝手な主張と質問を繰り返しています。

 
 もし私が、本当に適当な言い逃れをしているなら、後で返答できずに自爆するわけですから、落ち着いて待てばよいではありませんか?しかるに、この一方的な大騒ぎ・・・。
察するに、これは、貴職がまともな議論などできない異常人格者であるか、さもなくば、故意に自分の側からの質問を浴びせ続け、相手を辟易させる手口を使っているか、そのいずれか(あるいはその両方)でありましょう。

 これでは、誰であっても貴職を相手にしなくなるのは当然であり、それをもって貴職が「これまで一二〇〇人の富士門徒が逃げた」などと得意になっていた、という事情がよくわかりました。
 また、そのような貴職の挑発に乗って私が答えはじめれば、決着のない言い合いが延々と続くことになるのは、もはや明白ですので、いくら挑発されても貴職の手に乗って、新たな質問に答えるようなことはしません。

以下、貴職が、まともな法論などできない人間であることを、何点かに括って明らかにします。

 

①自説の誤りが明らかになっても絶対に認めずに誤魔化してしまう

 例えば、貴職が「有師物語聴聞抄佳跡上」を挙げて、日因上人が日有上人の名を騙って作った書である、などの妄説・謗言を吐いたことについて、私が、これはまず日有上人談の「御物語聴聞抄」という書(寛正三年=一四六二年成立)があり、それに日因上人が注釈を加えられたのが「有師物語聴聞抄佳跡上」という書(宝暦七年=一七五七年成立)であって、貴職はその二書があることを知らずに、日因上人の言葉を日有上人のものだと言ったり、あるいは言うに事欠き、日因上人が日有上人の名を騙って作った等と、支離滅裂なことを言っているに他ならない、と教えてあげた件。

 これを貴職は、「日有だろうが、日因だろうが、あなた方が信じてやまない唯受一人血脈相承者とやらがいかに曖昧な相承かを表していると言っているのです」「なんなら、今までの法華講員が日有言とした返答をここに載せましょうか?IPアドレスでも載せて」などと言って、自らの無知と誤りを絶対に認めず、議論をグシャグシャにしてしまいました。

 また、日達上人が戒壇大御本尊の仏滅讃文が二千二百二十余年であることを否定しているではないか、との貴職の疑難に対し、私が、それは貴職の読み間違いであり、日達上人は讃文の位置が違っていると指摘されたのだ、と破した件。

 これについても貴職は、絶対に自分の読み間違いを認めないばかりか、「細井さんの文を、『あれは場所を否定した文だ』と言ったのはあなたでしょうに。では、あの讃文は『どこの部』だと大石寺はあなた方信徒に説明しているのか、自分で言い出したのだから答えなさい」などと言って、別な方向へと論点を逸らし、誤魔化してしまいました。

 さらに、私が日寛上人の御文から、大御本尊の建立日付を「十月十二日」と挙げたのに対し、錯乱した貴職は、日寛上人が「二十余年」と述べられたかのごとく言い、私が、そんなことは誰も言っていないと糺した件。

 呆れたことに、貴職は「また逃げるでしょうけれど、上代の歴代やその弟子らは、二千二百三十余年とある曼荼羅を挙げている。では、最初に板マンダラに二十余年とあることを記したのは誰で、なんという書物ですか?逃げずに答えなさい 」などと、全く無関係な主張を並べ立てて、これまた誤魔化してしまいました。

 もう本当にいい加減にしてほしいものです。これらは、教義の解釈や理解の違いではなく、日本語能力の問題、否々、貴職に最低限の素直さが欠如している問題であって、貴職の誤りは誰の目にも明らかです。明らかであるのに貴職が認めまいとしているだけのことです。

 

②自らの思い込みが強く、絶対に相手の言っていることを理解しようとしない

 例えば私が、本宗における戒壇大御本尊と他の御本尊の関係を丁寧に教えても、貴職は「では板マンダラでもなくてもいいということでしょうに」などと訳のわからないことを言い続けています。

 また仏滅讃文について、私が繰り返し、「二千二百三十余年に未曾有」という文意は、あくまでも「正像二千年間に未曾有(末法に初めて出現)の曼荼羅御本尊」という意味であって、「二千二百二十余年」と認められた御本尊を捨てて「三十余年」とある御本尊でなくてはいけない、との意味ではない、と教えてあげても、貴職は、全く理解することができず、「大石寺のアナウンスであれば、板マンダラは宗祖筆、(略)それを、日道も日順も日尊も日眼も、みんな唯一無二として給仕勤行してきたのではないのですか?その弟子ら全てが『三十余年』と『書いてる!』曼荼羅だとなぜ言うのですか?」「日道さんが、戒壇本尊を相承されていながら、別の曼荼羅への信仰を求めていることになり、矛盾している」
などの意を言い続けています。

 これらは、自らの強い思い込みの上から見るために、私の言っていることが全く理解できない、という典型例です。
 相手を破折しようとするなら、まず相手の主張を理解しなくては不可能であり、これでは、議論が噛み合うはずがありません。

 

③自説の誤りが露呈したらスリカエによって批判をかわす

 この典型的な例が、貴職が「有師物語聴聞抄佳跡上」を引き、日因上人が御書を挙げて「板御本尊の事は略し遊ばされたるか」と書いているではないか、と言ってきたことに対し、私が、その「御書」というのは今日では偽書であることが明らかになっている書であり、貴職が、それを注記した日亨上人の文を見ていながら、素知らぬ顔で「御書」だとして引用してきたのはペテンである、と喝破した件。

 驚いたことに貴職は
「おいおい。またでましたね。後世の歴代優先が。いったい唯受一人歴代相承とはなんなんですか?一七四〇年相承を受けた人が引用した書を、一九二六年相承を受けた人が『偽書』だと。それで後者が優先されるのですか。血脈相承が聞いてあきれますね。ペテンはあなた方でしょうに」
などと言い逃れようとしてきました。文献学の進歩によって、かつて真書もしくは真偽未決書と扱われてきたものが、後世に偽書だったことが判明するのは、よくあることです。それと血脈相承とは何の関係もありません。
 貴職は、自分のペテン行為を暴かれ、こんな子供騙しのスリカエによって、自分の非を覆い隠そうとしたのです。まったく、これが宗教者の姿か、全日本青少年育成協会の会長を鼻にかける人の行為かと、嘆息するばかりです。

 

④自らの誤りに頬かむりすべく、強ちに悪口誹謗を重ねる

 例えば、前項の妄言に続いて貴職が
「では日因も嘘を書に残したのですから、日因も崩壊していますね。日因が崩壊しているということは、日因以降の歴代への相承も崩壊していますね。上代の歴代の矛盾を、後世が都合よく歪曲している。あなた方の歴代の書はそれを如実に顕している。ただそれだけのことです。
 唯受一人血脈相承とはなんなのですかね。上代の言よりも、後世の言が優先される。わけわかりませんね。伝言ゲームのほうがまだまともですよ」
などと誹謗を恣にしている件。

 日因上人は、その書を紹介するにあたり、未だ真偽未決の時代とはいえ、内容に不審を感じられて「測り難き者なり」すなわち理解し難い内容である、と仰せではないですか。
それが、後世になって偽書たることが明らかになった、それを日亨上人が注記された、どこにも何の問題もないではないですか。

 問題があるのは、すでに偽書と判明したことを知っていながら、素知らぬ顔で、御書だとして挙げてきた貴職の行為です。
 しかも、逆に「日因も嘘を残したのだから崩壊」「日因以降の歴代の血脈も崩壊」「歴代の矛盾を後世が都合よく歪曲」「伝言ゲームの方がまだまし」などと、勢いよく悪口を言うことで、自分の非を免れようというのですから、あまりに質が悪い。前にも言ったように、よく嫌がらせで出てきた創価学会の教宣部の連中と変わらぬ境界です。

 また、日因上人が「有師物語聴聞抄佳跡上」の中で、たまたま戒壇大御本尊の建立日付を「十月十三日」と記された件についても同様。

 貴職は、これを奇貨として、この戒壇大御本尊の初出の日付からして間違っている、初出では「十月十三日」なのに、後世には「十月十二日」になった等と誹謗してきたので、私が、これは初出ではなく、前代の日寛上人も「十月十二日」と明記されている、ゆえに日因上人の御記述は臨時の御失錯と考える他ない、と答えて、貴職の疑難を退けました。

 すると貴職は、自らの間違いを認めないまま、「で、板マンダラの初出は。誰のなんという書物ですか?」という質問へ移行したばかりか、「日付まで宗祖の命日と間違える始末。 なぜこれを問題にしないのですか?冷静に探究されてみてはいかがでしょうか。 こんな矛盾だらけの本尊やら血脈やらを信じて、結果人を騙している 」「宗祖出世の本懐のものの、建立年月日を間違えてるんですよ?『このありさま』でしょうに。大石寺歴代は、もっともまじかでこの板マンダラに給仕してきたはずではないのですかね。それが宗祖の命日と間違えたと。適当な相承でしょうに」「よくもこんな曖昧な相承を尊びて、無責任にも人を勧誘できるな 」等の謗言を並べ立ててきました。

 自分の疑難の誤りを指摘され、それを隠すために、本宗の御歴代上人への悪口罵詈を勢いよく並べる、これが貴職の常套手段であることがよくわかります。
 これまでに貴職と議論したという「富士門徒一二〇〇人」というのが誰のことかは知りませんが、仮にそれが本宗信徒であったなら、こんな手口を使う貴職には辟易して、まともな議論のできない相手と判断したことでしょう。そして、それを貴職は「逃げた」と言って、胸を張っていたのでしょうね。
 日蓮宗のお歴々は、こんな貴職を「役に立つ人材」と評価するでしょうか、それとも「宗門の恥」と感じるでしょうか?良識が問われるところです。

 

⑤非学匠は理に詰まらず

 すでに明々白々となっているので、例を挙げる必要はないと思いますが、貴職は、自分の誤りが明らかに露呈しても、絶対にそれを認めることなく、「で、これはどうだ?」「では、これは?」「関連質問だから答えなさい」等々として、次々に新たな質問や悪口を出してきます。
 こういう質の悪い者を、宗祖は
「非学匠は理に詰まらず」「すべて理におれざるなり」(諸宗問答抄)
と仰せられているのでありましょう。
 これでは、どこまで行っても議論は終わらない(決着が着いていても絶対に認めないで関連質問とやらを出し続ける)ことになります。そして、これに嫌気のさした相手が議論を打ち切れば、「逃げた、逃げた」という宣伝をする、本当に質が悪いとしか、言いようがありません。

 以上、六点に括って、貴職がまともな法論のできない人物であることを、鮮明にしてきました。

 なお、私がそのような貴職の人物を批判したことについて、貴職は
「なぜ大石寺系の人は、徐々に人間批判になっていくのですかね。 そんなことが何になるのでしょう? それもあなた達の現証ですね、そうなってしまうのも」
「またでましたね、人間否定が。私の活動をあなたにとやかく言われる筋合いはありません。少なくとも、あなた方のように誰彼構わず入信させようなどという活動ではありませんので誤解なきように」
などとムキになっておられますが、そもそも、この法論の冒頭で、こちらが聞いてもいないのに「全日本青少年育成協会長 理事長 大埜慈誠」との肩書きを挙げて法論を開始したのは貴職の方ですよ。
 ならば、その貴職のやり口が、全日本青少年育成協会長に相応しくないことが露呈したら、それを責められるのは当然の結果でしょう。何が「とやかく言われる筋合いはない」ですか。

  しかも、宗祖大聖人が『如説修行抄』に
「人法共に折伏して御覧ぜよ」
と仰せのように、邪な法を信ずる人も邪になるが故に人法共に折り伏す、という道理からしても、貴職の人物が批判されるのは当然のことではありませんか。

 ついでに言っておけば、貴職は何かというと、
「何度も言う通り、戒壇本尊が宗祖筆だと確認されたら、私はすぐに大石寺門下に入ると言っている」
「はたして宗祖の本意であるのかどうか、冷静にお調べになられてはいかがでしょうか 」
などと言って公正な学究者のようなフリをし、さらには
「宗祖と日興上人のお気持ちはいかばかりか」
「宗祖の魂を染め流した曼荼羅を、貶める醜態を自覚なさい」
などと、自分が宗祖大聖人を心から崇めているかのようなフリをしますが、私は、このような貴職の詐言は最初から信じておりません。

 何故ならば、宗祖大聖人は
「諸宗は本尊にまどえり」(開目抄)
と、諸宗の本尊雑乱を指弾せられ、さらに
「本尊とは勝れたるを用ふべし」
「問うて云はく、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし」
「法華経の教主を本尊とす、法華経の正意にはあらず」(本尊問答抄)
として、末法においては、最も勝れたる法華経の題目、すなわち南無妙法蓮華経の曼荼羅を本尊とすべきことを決せられています。
 しかるに、貴職が住職を務める薬王寺には、釈迦像から始まって、多宝仏、恵比寿神、鬼子母神、熱田大明神、大黒天、馬頭観音、聖徳太子、あげくは稲荷明神や、三目八臂の憤怒像までが安置されているとの事(薬王寺HPより)。
 この本尊雑乱ぶりは、いったい何事ですか。
 こんな出鱈目を平然と行なっている者が、宗祖大聖人を尊崇しているかのような顔をし、戒壇大御本尊が宗祖大聖人の筆だとわかったら大石寺に帰伏する、などと言ったところで、そもそも内道・外道のケジメすらついていない(仏教者でありながら稲荷やら熱田大明神やらまで祀っている)者の言なのですから、それは全て口先だけの嘘っぱちですよ。

 
 誤解のないように言っておきますが、私はここで、薬王寺の本尊雑乱について答えろ、とまで言うつもりはありません。ただ偏に、貴職の発言はあまりに欺瞞に満ちている、その貴職が宗祖大聖人の忠実な信奉者であるかのごとき発言を繰り返していることには反吐が出る、そのような欺瞞の発言はやめよ、と申し伝えておく次第であります。

 さて結局のところ、貴職はまともな法論などできない御仁であり、それがために、双方の議論は膠着状態となりました(貴職は勝手な質問を繰り返し、私はそれには乗らないわけですから、膠着状態となるのは当然です)。

 そこで私は、この状況を打開するため、これまでの双方のやり取りを、そのまま機関紙誌、及びインターネットなどを通じて公開し、広く一般の人々に知っていただくことにします。
 願わくば貴職が、その反応を見て自らの無節操に気づき、まともな法論ができるような人間に成長してほしい、と考える次第であります。

 よって、私から貴職への今後のメールは、しかる後とすることをお断りし、いったん擱筆します(もともと、返信する期日については定めがないわけですから、差し支えないはずですね)。
 貴職には、外部の方々がこれまでの記録をどう見て、どう判断するか、心して待つがよいでしょう。
以上


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