法華講員 VS 日蓮宗住職<序章>

メール2・法華講員からの破折
(平成29年9月19日 送信)

 
  前略
貴職が投げかけてこられた、戒壇の大御本尊についての二つの疑難に答えます。

①まず貴職の読み間違えから正しておきます。

 「有師物語聴聞抄佳跡 上」は、大石寺第九世日有上人の述べられた本文に、第三十一世日因上人が自らの釈を書き加えられたもの(日因私に云く、と断わった上で書付をなさったもの)であり、貴職の引かれた文は、まさに、その日因上人が「私に云く」として書かれた部分です。

 つまり、これは日有上人の述べられた文ではなく、三十一世日因上人が書かれた文であり、貴職は明らかに読み間違えをされています。

 
  次に、貴職が騒いでおられる戒壇の大御本尊建立の日付が「十月十三日」になっている、という件ですが、結論を申し上げれば、これは日因上人の臨時の御失錯でありましょう。
 すなわち、戒壇の大御本尊建立の日付については、第二十六世日寛上人の「観心本尊抄文段上」等にも
 「弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕して」
と示されているとおり、弘安二年十月十二日であることが、すでに大石寺門流では広知の事実でした。
 それを、ずっと後代の日因上人の御筆記に「十月十三日」と書かれている、ということは、凡身であるが故の、臨時の御失錯による書き間違いに他なりません。

 かかる写し間違い、単純な記憶違い等は、時に宗祖大聖人の御抄にも拝せられるところであり、これについては門家として冷静に斟酌し、特に問題にすべきことでないのは当然です。

 以上、日因上人のお書きになった文を日有上人のものと読み間違え、戒壇本尊の初出の建立日付からして矛盾がある、などと決めつけた貴職の疑難は、まことに迂闊で恥ずべきものと思いますが、いかがですか。

 いずれにしても、貴職の投げかけられた第一の疑難は、貴職の誤りであったことが誰の目にも明らかです。
 それを確認した上で、次に進むことにします。

 ②第二の疑難については、ひとえに貴職の解釈が誤っています。

 貴職の引かれた第四世日道上人の「御伝土代」に
 「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く」
とある文は、もとより「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」の御本尊を対比して「二千二百三十余年」の御本尊を簡ぶ、という文意ではありません。
 
  貴職も御承知のとおり、宗祖大聖人御図顕の曼荼羅御本尊の仏滅讚文には「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」の両様がありますが、そのうちの「二千二百三十余年」の御本尊を取って「二千二百二十余年」の御本尊を捨てる(本尊として崇めない)、などという義が、本宗には片鱗すらないことからも、明らかです。

 この「御伝土代」の文は、すでに、その項目の表題に
 「一、脇士なき一体仏を崇めるは謗法の事」
とあることからも明らかなように、「釈尊像を本尊として崇め、正像二千年間に未曾有(すなわち末法に初めて出現)の曼荼羅御本尊に背けば、無間地獄に堕ちる」との趣旨で、釈尊像を崇めることを批判されたものに他なりません。

 そのことは、表題のみならず、本文の前後を読んでみても明らかです。すなわち、小乗の釈迦・権大乗および迹門の釈迦・本門の釈迦といった、正像二千年間に立てられた本尊を挙げて、本尊にも階級があることを示し、脇士なき一体の釈迦はその中でも最も低下の釈迦であること、そして末法においては、正像二千年に未曾有の曼荼羅御本尊のみが崇める対象となることを示されています。

 つまり、ここで「二千二百三十余年に未曾有」と言われた文意は、あくまでも「正像二千年間に未曾有(末法に初めて出現)の曼荼羅御本尊」という意味であって、それ以外の意味は全くありません。

 この文意は、心静かに本文を読めば、誰にでも理解できるでありましょう。

 したがって、この文を挙げて「日道上人が、戒壇本尊を相承されていながら、別の曼荼羅への信仰を求めていることになり、矛盾している」などという貴職の解釈は、早とちりで文意を見誤ったか、邪心による曲解であります。

 以上、貴職の上げた二つの疑難が、いずれも初歩的な誤りを犯していることを指摘しました。

 率直に誤りを認められるもよし、反論をされるもよし、いずれにしても、この二つに決着を付けた上で、今度はこちらから貴職の宗旨について質問させてください。


←戻る  →次へ