法華講員 VS 日蓮宗住職<序章>

メール5・日蓮宗住職からの抗弁
(平成29年9月21日 受信)

 
  貴返信拝見しました。

 携帯電話で長文では見にくいと思っての三通にしましたが、長文であろうとも一回で送ることとしましょう。

 それにしても、揚げ足とりばかりで答えになってないのですが。
戒壇本尊が宗祖作である証拠があればこんな議論もいらないのですが、それがない。
それに加え、歴史上疑義に対する根拠ある反論もできずにきてしまった。
最後は苦しい言い逃れをするしかなくなる。本当に残念なことです。
宗祖と日興上人のお気持ちはいかばかりか。
適当な揚げ足取りに終始されてしまっては、私も時間がもったいないので、明確な質問を数字を挙げて記しますので、それにお答えください。

 

①②③こんな揚げ足取りしてどんな意味があるのでしょうか。

富士宗学要集目次
「日有上人談 日因上人記  有師物語聴聞抄佳跡 上」
こうなってませんか?これを有師の言としてきたのはだれであろう大石寺ですよ。
そうなってはいながら、日因さんは最初に「おそらく」と書きはじめるわけでしょう?
だから私は「この書も三十一世になって突然出てきたので、文献学では日有の書かも疑義がだされてきたものですが、大石寺では、これが初出とするわけですね?」と言ったじゃありませんか。
揚げ足とるのやめましょうよ。時間も機会ももったいない。
私はこの書を見た時から、「日有の名を借りた、日因の創作書」だと思っていましたよ。
しかし、九世だろうと三十一世だろうと、唯受一人血脈相承などと言って、彼らの「書写曼荼羅」しか認めないほどの立場の者が、あんな重要箇所で間違えるという愚弄を問うているのですよ。


※質問一・・・それで最初の質問です。戒壇本尊初出はなんという書物で、誰の著作ですか?
これは前にも聞いてます。


※質問二・・・で、その最古の書の執筆者の時代まで、宗祖はおろか日興上人も日目、日道もだれも戒壇本尊にふれていないのは何故ですか?なんとも思いませんか?
これも前にも聞いてます。

 

 だいたいからして、九世の間違いじゃなく、三十一世のミスだからいいのですか。
三十一世だろうと、戒壇本尊を相承された唯受一人血脈者が、相承を受けた十七年後の書物で、 宗祖の命日と戒壇本尊の造立年月日を書き間違えたと。あなたはそれで納得なのですね?
あなたがそれで納得しているならばそれでいいのではないでしょうか。
血脈相承が聞いてあきれますが。

 

④一信徒である貴殿が、血脈相承者のミスであったと認めた事実は確認しました。

⑤⑥>どこからどう読んでも、「二千二百二十余年」とある御本尊と「三十余年」とある御本尊の対比ではないですか。
>頭は大丈夫ですか?

「図し給ふ御本尊に」をどう読んでるんですか?それこそ頭は大丈夫ですか?「そう書かれている本尊」以外の読み方があるのですか?
「二千二百三十余年云々と書いてある本尊に背くな」と、「日本語」で書いてるのが読めませんか?

 

※質問三・・・二十余年とある戒壇本尊を相承されていながら、「二千二百三十余年と‘書いてある!」本尊に背くなと、どうしてなっているのかを聞いているのです。

もっと言えば、あなたの文意から言えば、戒壇本尊がすでに日道の時代にあったならば、 「『仏滅後 二千二百三十余年 が間、一閻浮提の内、未曽有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云々』ではなく、

 

※質問四・・・『本門戒壇の大御本尊に背く意は罪を無間に開く云々』となるべきではないのですか?
さらにあなたは
>本宗では、「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」のいずれの仏滅讚文が示された御本尊も、皆、宗祖大聖人の御魂であると拝しており、「二十余年」と「三十余年」の御本尊が異なっているとは見ておりませんので
え?あなたの文意では、別に「本門戒壇の大御本尊」でなくてもいいということになりますよ?
歴史上、日蓮宗などが所持している宗祖曼荼羅さえ否定してきたのではないのですか?

 

※質問五・・・『「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」のいずれの仏滅讚文が示された御本尊も、皆、宗祖大聖人の御魂であると拝している』ということは、戒壇本尊以外の宗祖本尊(筆跡鑑定された百二十数遍)も、「信仰の対象として認める」ということでよろしいですね?

 

⑦>日達上人の仰せどおり、下方の部ではないところに「二千二百二十余年」とお認めですよ。「二十余年」についてではなく、その認められている位置について、なのです。
またすごいことを言いだしますね。
では、どこに書かれているのですか?

 

※質問六・・・写真を見た限り、主題の経の旁の下、宗祖花押の上、つまり下部に見えますが、どこの部に記されているのですか?
まさか、下部ではなく、右下部であるとでも言いたいのですか?
それを言う為に細井さんはあのようなコメントで批判したとか言うつもりではありませんよね?
「下部ではなく右下部だ!」と?
それにしても、貴殿はすごいお立場なのですね。
大石寺をやめられたかなりの数の方々に伺いましたが、開帳は受けられるけど、近くまで行けないので小さな字までは読めなかったと誰もが口をそろえてました。
貴殿は、二十と三十の区別がつくほどの位置まで行けるかたなのですね。
色々ご教授頂けそうで、幸いです。

 

⑧原殿御返事を挙げて日興上人の本尊観にすり替えた?
何を言っているのでしょうか?
御伝土代のあの一説は、「日興上人御伝草案」ですよ?
それをあなたが、あの一説を、「釈尊像を崇めることを批判されたもの」と言ったのでしょう?
日興上人の書物をもって論証するのは当たり前でしょうに。
「脇士のいない釈迦像」ではなく「『仏滅後 二千二百三十余年 が間、一閻浮提の内、未曽有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊』への信をと書いてあると。
しかし、同じ問ですが、二十余年とある戒壇本尊を相承されていながら、なぜ「二千二百三十余年と‘書いてある’!」本尊に背くなとなっているのかを聞いているのですよ。すべて日本語です。

 

⑨>ここで貴職が持ち出してきた、日興上人の本尊観や、後に出てくる「御本尊七箇之相承」における書写御本尊の讃文については、ここで決着させるべき貴職の二つの疑難から、また別な方向へ論点が逸れていくので、取り上げません。
いえいえ、全て戒壇本尊に通じる内容ですので逃げずにお答えください。一日一通ですし。日興上人の本尊観は、当然「富士門」の戒壇本尊を論じる上でははずせないことですが、まあそれはおいおいとしましょうか。

 

質問七・・・本尊七箇相承の「三十余年」との矛盾について。

質問八・・・熱原法難の時の曼荼羅には「日興上人」と記されていることへの矛盾について

質問九・・・熱原法難と戒壇本尊がまったく無関係であることが分かる時系列の矛盾について。

質問十・・・一応伺うのですが、戒壇本尊を宗祖作とする証拠はお持ちですか?あるならば、それを出せば解決ではありませんかね。

以上、日因さんの「ミス」については、あなたがそれで納得しているということで理解しました。

大石寺の見解でないことも分かりました、一信徒であるあなたが、血脈相承者のミスであるということですね。了解です。

大石寺がしっかりとそれに対する見解を歴史上示すべきですよね。辛いですね。

ではその他の質問についても、よろしくお願い致します。揚げ足取りはやめましょうよ。せっかくの機会ですので。

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