法華講員 VS 日蓮宗住職<序章>

はじめに

 
  理境坊所属の法華講である妙観講では、本年(平成二十九年)の夏季合宿において、日蓮大聖人御生誕の地である千葉県下の日蓮宗寺院の実態について、研究発表を行なうことになりました。
 そして、千葉県を担当する妙観講・第五支部の有志が、訪問及び電話により、県下の全日蓮宗寺院に調査を実施したのです。
 その結果、日蓮宗では本尊が雑乱しており、釈尊像、日蓮大聖人像、曼荼羅(宗祖御真筆のコピー、住職が勝手に書いたもの等)、鬼子母神、稲荷等、まさに何でもあり、という状態であることが確認されました。
 中には「恥ずかしい話だが、自分は本尊に迷っている」という僧侶もいて、まさに「諸宗は本尊にまどえり」(御書五五四頁)という状態そのものでした。
 他宗に対する考え方についても、「他の宗教と併せて信仰しても構わない」「神棚を祀ってもいいし、キリスト教、イスラム教等も、その人の生き方だから構わない」という寺院がほとんどで、謗法厳戒の精神など欠片もない(宗教的信念が全くない)ことがわかりました。
 また、「御題目を唱えても悩みなんか解決しないよ」「おまじないじゃないんだから」「御題目を唱えても病気は治らない。治したいなら病院に行きなさい」等、自宗に力がないことを語る僧侶が多かったのにも、驚きました。
 そして、この調査結果は、九月十日の合宿において発表され、大いに参加者の刺激となったのです。

 さて、この時の調査の過程で、日蓮宗清澄寺を訪問した田畑幸男氏らは、そこにいた僧侶二名と話をしました。そのうちの一人、荻野氏は自宗の本尊の誤りを率直に認め、以来、田畑氏とのやり取りが始まったのです。
 ところが、田畑氏が何度も清澄寺に連絡するうちに、他の僧侶達もさすがに「まずい」と思ったのか、荻野氏を電話口に出さなくなり、そのまま連絡を遮断してしまったのです。
 その後、田畑氏の携帯電話に清澄寺から連絡があり、「今後は鎌倉の薬王寺が対応します」と、突然、鎌倉市にある薬王寺に振られてしまいました。

 こうして、薬王寺住職の大埜慈誠氏が登場してきたのですが、大埜氏は、自信満々で法論を挑んできました。
 そして、「私は過去に、法華講員、妙観講員、顕正会員など富士系の信徒千二百名と会ってきましたが、最初の段階で、この二つの問いに、しっかりとお答えを頂いたことがありません」といって、戒壇の大御本尊に対する二つの疑難を一方的に送ってきたのです。
田畑氏サイドでは、せっかくの機会なので、薬王寺対妙観講の正式法論として実行できればベストと考え、講中内部で調整に入りました。
 するとその直後、大埜氏は「個人で法論する」とか、「法人で法論する」とか、思いつくたびに、矢継ぎ早にメール送信してきました。
 結局、大埜氏は「あなたが負けた場合は、在家の身ですので、仕事まで失うリスクを負わないわけですよね?そんなあなたが私に『寺を背負え』というのはフェアじゃありません」と、出家の本義も忘れ、住職を職業と考えていることを吐露したのです。
 これには大いに呆れましたが、この大埜氏の要望を田畑氏側が受け容れ、法論はあくまでも個人対個人で行なうものとし、大埜氏と田畑氏との間でメールを交換する形で進めることになりました。 また、この際、大埜氏が思い付くまま何通ものメールを送ってくる傾向が見られたため、法論の取り決めとして、互いに一日一回までの送信にする、というルールを決めました。

 かくして、法華講員VS日蓮宗住職のWeb法論が始まったのです。
内容は、後に載せるメールを読んでいただけたらわかると思いますが、互いに五回のやり取りを繰り返す中で、完全に膠着状態に陥りました。
 大埜氏は、いくら破折されても絶対に自らの主張の誤りを認めません。それは教義上の解釈どころか、明らかな文献の取り違え、日本語の誤読、さらには偽書を御書と偽ったこと等々についても、絶対に自らの誤りを認めようとしないのです。そればかりか、それを逆手に取って、日蓮正宗の御先師上人方を揶揄し、誹謗し続けるのです。そして同時に、関連質問と称して、次々に新しい疑難を持ち出し、論点を拡げていくといった、不誠実・不正直な態度に終始しました。

 ここまでくると、もはや、まともな法論という次元ではありません。この人は、本尊雑乱の果報によって頭破七分しており、これ以上やり取りを継続しても無意味であろう、と判断せざるを得なくました。
 そこで、この膠着状態を打開して、大埜氏に反省を促すために、双方のメールのやり取りの全文を公開し、一般の方々からの判断もいただこう、ということになった次第です。

 以上、ここに至った背景と事情について、申し述べました。皆様には、次ページから始まる法論の記録をお読みいただき、その評価・感想をお送りくださいますよう、お願い申し上げます。


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