異流義・正信会を折伏しよう

この論文は、昭和57年当時に執筆されたものです

異流義と化した正信会の破折

正信会 成立の歴史

正信会(しょうしんかい)は、昭和五十五年から五十七年にかけて日蓮正宗から破門された元僧侶ら(当時、約二百名)と、それに従った檀徒(だんと=元学会員)によって構成される集団である。
  正信会が破門に至ったそもそもの発端は、いわゆる〝昭和五十二年路線〟と称される創価学会の第一次教義逸脱問題にあった。
  この教義逸脱問題が浮上した際、時の御法主・第六十六世日達上人のもと、全国の僧俗有志が、創価学会の逸脱・謗法を改めさせるために起ち上がった。
  その結果、創価学会は大量の脱会者を出し、ついに宗門に対して全面謝罪、昭和五十四年四月には池田大作が会長職を引責辞任するに至った。
  これを受けて、同年五月三日、日達上人は〝学会の反省・懺悔(さんげ)を認(みと)め、しばらく学会の様子を見守っていく〟旨を決定され、事態にいちおうの終止符が打たれたのである。

ところが、この日達上人の決定を不服として、それまで「正信覚醒運動」と銘(めい)打って創価学会批判を展開してきた、「活動家僧侶有志」と名乗る僧侶(当時)の一群が、宗門・日達上人に反抗の色を見せ始めた。それが、現在の正信会僧である。
  当時の彼らの機関紙には、「あくまでも学会は謗法の団体、無慙(むざん)集団であり、この期(ご)に及んで学会を責めぬ日和見(ひよりみ)主義者は大聖人の弟子にあらず。また学会を責める者を咎(とが)めることは、謗法者を庇(かば)い立てることであるから、かえって謗法になる」(要旨・『継命』第二号) 等といった、日達上人の御指南に背反する檄(げき)が載(の)り、また、これを注意すべく宗門・日達上人が彼らに宛てられた通告に対しては、ただ「拝見致しました」とだけ書いた、無礼きわまりない返書を送り付けたのである。 同年七月、日達上人の御遷化(ごせんげ)により、第六十七世日顕上人が御登座されると、彼らは、模様眺(もようなが)めもあってか、少しの間は静まっていたが、新御法主の方針が日達上人と少しも変わらぬことを知るや、いよいよ正面きって宗門・日顕上人を誹謗(ひぼう)・攻撃しはじめたのである。

日顕上人は、たいへん心を痛められ、再三にわたって彼らを説得されたが、彼らは頑(がん)として随(したが)おうとせず、彼らに従(したが)う多数の檀徒(学会から脱会して寺院信徒となった者)を巧みに煽動(せんどう)して活動を激化していった。そして、昭和五十五年七月には、他の僧俗との立場を区別して「正信会」を自称するようになった。 これでは一宗の統制と秩序がとれなくなるため、昭和五十五年九月、宗門は、やむなく、彼らを懲戒(ちょうかい)するなどして、事態を鎭(しず)めようとした。  が、それに対抗しようとして彼らは、同年末から翌五十六年初めにかけ、〝日達上人から日顕上人への相承(そうじょう)には疑義(ぎぎ)がある。日顕上人は正当な六十七世法主ではない。故に、日顕上人のなした懲戒は無効である〟等と、とんでもない言い掛かりをつけ、あろうことか、宗門・日顕上人を裁判所に訴えるという、およそ宗門人としては考えられない暴挙に出たのである。
  これは、宗祖日蓮大聖人・二祖日興上人以来、連綿(れんめん)と続く僧宝(そうぼう)の根本的意義を破失(はしつ)することに通じる、重大な謗法であり、事ここに至って、主謀者五名が昭和五十五年(西暦1980年)十月に擯斥(ひんせき=破門)に処されたのを皮切りに、以後、昭和五十七年九月に至るまでに、考えを改めない二百一名の正信会僧侶が本宗から擯斥されるところとなった。 擯斥された元僧侶らは、住職を務めていた寺院に居座(いすわ)り、また、そこに所属していた檀徒の大半も彼らに従ったのである。
  かくて、日蓮正宗宗門とは無縁の集団となった正信会は、当初のうちこそ、学会攻撃や宗門攻撃で気勢をあげていたが、平成三年(西暦1991年)に日蓮正宗が創価学会を破門すると、全く主張の根拠を失い、方向性を見失ったまま、活動は俄(にわ)かに失速。  加えて、総本山を持たず、各寺院横並びの合議制(ごうぎせい)で会を運営してきたために、意見・方針はおろか教義解釈までがバラバラで、内部に深刻な不調和を抱(かか)えつつ、正信会僧の各人はとりあえずの寺院経営に汲々(きゅうきゅう)としているのが現状である。

正信会 本尊と教義

正信会は、破門されてもなお、「日蓮正宗」を僭称(せんしょう)し、「富士門流・日蓮正宗の流れを根本として、日蓮大聖人の教えをそのままに伝えていくのが正信会である」(趣意・正信会のホームページより)と嘯(うそぶ)く。
 だが、彼らは、〝日蓮正宗の流れを根本とする〟どころか、破門以降、本宗の伝統法義に次々と異義を差し挟(はさ)み、ついに、日蓮正宗で立てる三宝の悉(ことごと)くを破るに至った。
 まず、三宝のうちの僧宝についてであるが、本宗では、大聖人より血脈相承(けちみゃくそうじょう)された二祖日興上人、さらにそれを順次に継承される三祖日目上人以来の御歴代(ごれきだい)上人方を僧宝と仰ぐ。

ところが、正信会は、破門当初に日達上人から日顕上人への継承を否定し、さらにその延長として、 「法主から法主へと伝えられる血脈相承は形式的なものであって、真実の血脈相承というのは、信の一字により、大聖人から正信の僧俗大衆に与えられるものである。したがって、代々の法主の血脈が断絶(だんぜつ)したときには、正信の大衆の中に血脈が保持されるのであり、今日においては、正信会のみに血脈が受け継がれている」 と言い出した。 この正信会の主張は、結局のところ、日興上人以下の御歴代上人方を形式的な僧宝と下し、僧俗大衆(なかんずく今日では正信会)こそが真実の僧宝である、としたのである。

次に彼らは、何としても猊座(げいざ)の権威(けんい)を失わしめんがため、血脈相承の本源である御本仏日蓮大聖人にまで遡(さかのぼ)って、 「鎌倉時代に生まれた〝人間日蓮〟は本仏ではない。〝人間日蓮〟を本仏と立てるから、弘安五年には本仏がお隠れになって、現在は本仏がおられないことになる。そこで〝今日蓮(いまにちれん)〟が必要となって、法主が本仏のごとく崇(あが)められることになるのである。これは根本が間違っており、本来の当家法門では、生身(しょうしん)の大聖人ではなく、大聖人の永遠不滅の魂魄(こんぱく)をもって本仏とするのである」 等の説を構(かま)えた。
  本宗においては、当然、生身の日蓮大聖人をそのまま御本仏と仰ぎ奉り、仏宝(ぶっぽう)とするのであるが、正信会は、この義を破失してしまったのである。

こうして仏宝の立て方を誤った正信会は、さらに仏宝と一体の関係にある法宝(ほうぼう)――大御本尊についても、 「ダイナマイト一本で吹っ飛ぶような物が、大聖人の究極の本尊であるわけがない。それは唯物(ゆいぶつ)の次元に堕(だ)した本尊観である。
 我々は、色法(しきほう)の御本尊の奥に、眼には見えない御本仏の心法(しんぽう)を拝するのであり、その仏の心法こそが常住不滅の真実の大御本尊である」 と言い出した。 この説が飛び出した当初は、正信会の中でも問題になったようであるが、しかし、一方では、徐々にこれが定説化していったのである。
 その証拠に、正信会機関紙の『継命(けいみょう)』平成七年三月一日号に、 「戒壇の大御本尊とは楠板(くすのきいた)の大曼荼羅(だいまんだら)なり、との固定解釈がいまも大手を振ってはいないか。楠板は常住不滅なりや否(いな)や」 との一文が載っている。 ただ、この時点でも、内部には反発があったらしく、その後、釈明記事を出したようであるが、平成十一年には、『継命』の記事中で創価学会による〝大御本尊否定論〟を紹介しながら、読む者を巧(たく)みに大御本尊否定に誘因(ゆういん)しようとしている。つまり、大御本尊否定へ足並みを揃(そろ)えさせようとする、執行部の意図(いと)が見え見えなのである。
 以上、述べてきたように、正信会は、日蓮正宗の名を騙(かた)りながら、法門の根本である三宝の立て方すらも本宗から大きく逸脱し、新義を構えているのである。

破折

仏宝破壊を破す  

正信会が主張する、 「鎌倉時代に生まれた〝人間日蓮〟は本仏ではない。〝人間日蓮〟を本仏と立てるから、弘安五年には本仏がお隠れになって、現在は本仏がおられないことになる。(中略)これは根本が間違っており、本来の当家法門では、生身の大聖人ではなく、大聖人の永遠不滅の魂魄をもって本仏とするのである」 等の説であるが、これは、まったく法華経の教えすら弁えていない、初学者並みの妄説である。
  大聖人は、 「我等が色心(しきしん)の二法を無常(むじょう)と説くは権教(ごんきょう)なり、常住(じょうじゅう)と説くは法華経なり」(御書1745㌻) 「凡夫の血肉の色心を本有(ほんぬ)と談ずるが故に本門と云ふなり」(御書一八一一㌻)
  すなわち、生身の他に永遠の魂魄を考えることは誤った見解であり、法華経では、生身そのものが生死(しょうじ)を繰り返しながら常住する永遠の存在である、と説くのである、と示されている。
  したがって、本宗で立てる宗祖本仏義も、こうした法華経の深理(じんり)を踏(ふ)まえ、生身のほかに永遠不滅の魂魄なるものを求めるのではなく、生身の日蓮大聖人をそのまま御本仏と仰ぎ奉るのである。
 このことは二十六世日寛上人が、『観心本尊抄』の 「正像に造り画(えが)けども未(いま)だ寿量の仏有(ましま)さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」(御書654㌻) の文を解釈して、『末法相応抄』に 「『寿量品の仏』とは即(すなわ)ち是れ文底下種の本仏、久遠元初の自受用身(じじゅゆうしん)なり。既(すで)に是れ自受用身なり、故に亦(また)『仏像』と云うなり。自受用身とは即ち是れ蓮祖聖人なるが故に『出現』と云うなり。(中略)又『仏像』の言未だ必ずしも木絵に限らず、亦生身を以て仏像と名づくるなり。(中略)若し必ず木絵と言わば出現の言恐らくは便ならず、前後の文『本化出現』云云、之れを思い合わすべし云云」(六巻抄一四一㌻) と明確に示されており、これこそが〝本来の当家法門(とうけほうもん)〟なのである。

正信会の主張は、まさに初学者並みの妄説に堕(だ)しており、正しい仏宝(ぶっぽう)の立て方を破失しているのである。 こうして、日蓮大聖人を御本仏と仰ぐ信仰を希薄(きはく)化させてきた正信会は、近年に至って、日蓮大聖人を〝聖人〟呼ばわりするにまでになってしまった。
 すなわち、彼らは、平成十三年七月から約一年間にわたって、全国各地で展示会を催(もよお)したのであるが、その名称が、なんと『日蓮聖人の世界』――。
  なるほど、大聖人の御書を拝すると、御自身を「聖人」「大人」「大聖人」となされた、異なる三通りの呼称が存しているが、 「仏世尊は実語の人なり、故に聖人・大人と号す。(中略)此等の人々に勝(すぐ)れて第一なる故に世尊をば大人とは申すぞかし」(御書529㌻) と仰せのように、いずれも仏の尊称であることと、本宗では相伝によって宗祖を久遠元初の御本仏と拝することによって、古来、「日蓮大聖人」と尊称し奉るのである。
 したがって今日、〝聖人〟という呼称は、日蓮大聖人の本仏義を解(げ)せずに、あくまでも上行菩薩に止どめる不相伝の日蓮宗等が用いているものであり、さすがに、これを用いたことについては、正信会内部からも反発が起こったようである。が、それに対する執行部の弁明は、〝大聖人と称していたら世間から受け入れられない〟というもの。 要するに、正信会は、世間に迎合して、平然と日蓮大聖人を下すところまで堕落してしまったのである。

法宝破壊を破す

次に、大御本尊を否定する妄説を破す。
  正信会は、「ダイナマイト一本で吹っ飛ぶような物が、大聖人の究極の本尊であるわけがない。それは唯物(ゆいぶつ)の次元に堕(だ)した本尊観である。我々は、色法の御本尊の奥に、眼には見えない御本仏の心法を拝するのであり、その仏の心法こそが常住不滅の真実の大御本尊である」 というが、これも、まったく法華経に説かれる法理を弁えない、習い損(そこ)ないの妄説である。
  大聖人は、「文字は是(これ)一切衆生の心法の顕(あら)はれたる質(すがた)なり。されば人のかける物を以て其の人の心根を知って相(そう)する事あり。凡(およ)そ心と色法とは不二の法にて有る間、かきたる物を以て其の人の貧福をも相するなり。然れば文字は是(これ)一切衆生の色心不二の質(すがた)なり」(御書37㌻)  
  「口決(ぐけつ)に云はく『草にも木にも成る仏なり』云云。此の意は、草木にも成り給(たま)へる寿量品の釈尊なり。(中略)一念三千の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」(御書五二三㌻) 等、要するに、御本尊の御文字は単なる形(色法)ではなく、御本仏の悟り(心法)を顕わした、色心不二の仏の御姿であり、御板であれ紙幅(しふく)であれ、そこに御本仏の悟りが文字をもって認められれば、御本尊の当体たる御本尊と顕われるのである、と御教示くださっている。

こうした法理も弁えず、大御本尊を唯物呼ばわりする正信会の妄説(もうせつ)は、身延派日蓮宗の邪義と何ら変わりがなく、その誤りは、すでに第六十五世日淳上人も、  「彼等(日蓮宗)は、また、〝日蓮正宗では御本尊を板や紙に執(とら)われているから唯物的思想だ〟といっておるが、事ここに至っては、開いた口が塞(ふさ)がらない。彼等には、草木成仏・非情成仏等、仏法の重大法門が少しもわかっていない。それでは、法華を学んだとは、とうてい、いえないことである」(『日淳上人全集』142㌻) と指摘されているのである。
  かつては本宗の中で法門を学んだはずの正信会が、何故、このような誤った法宝(ほうぼう)の立て方をしたかといえば、つまるところ、〝眼には見えない仏の心法を信じておれば、あえて大石寺に参詣して大御本尊を拝む必要はない〟と言いたいがためであり、それはまた、正信会が、大石寺から完全に離れた後も異流義宗団として存続していくための、邪(よこしま)な布石(ふせき)であった、といえよう。
 こうした根本的な狂いは、年月が経てば経つほど、教義や本尊の乱れになって表われ、いまや、紙幅の形木(かたぎ)本尊を勝手に刷(す)ったり、あるいは、紙幅の御本尊を板に模刻(もこく)した(※児玉大光ら)、という事実まで判明している。
  これでは、「正信覚醒運動」と称して、創価学会の〝本尊模刻〟等を激しく糾弾(きゅうだん)し続けてきた意味など、全くないではないか。要は、正信会は、学会と同じ穴のムジナ、信心のない者同士なのである。

僧宝破壊を破す  

正信会が異流義に転落した大元は、本師たる御法主上人に反逆し、血脈相承を否定したことにある。  まず、彼らが、日顕上人から受けた懲戒(ちょうかい)処分を無効にしようとして言い出した、「日達上人から日顕上人への継承には疑義がある。日顕上人は正当な六十七世法主ではない」等の疑難であるが、これはまったく無節操(むせっそう)な保身(ほしん)のための言い掛かりにすぎない。
 そもそも、日達上人から日顕上人への継承については、すでに、昭和五十三年四月当時、日達上人より、次期御法主を日顕上人に決められている旨、直々に伺った僧俗があり、疑う余地はないのである。
  それ故、現正信会メンバー達も、日顕上人の御登座に際しては、日顕上人を六十七世御法主と仰ぎ、認めていた。現に、その当時、ある檀徒が週刊誌上で日顕上人の継承を疑う発言をしたことに対し、彼らは、「最近、某週刊誌に某檀徒の発言といたしまして、血脈相承の問題、また恐れ多くも御法主上人猊下に及び奉る事柄を、得意になって云々している記事が目につきました。私ども指導教師といたしまして、顔から火が出るほど恥ずかしく、また、大変情けない想いをいたしました。これは、もはや檀徒でもなければ、信徒でもありません。(中略)
 御戒壇様(※大御本尊の事)・大聖人様の人法一箇の御法体(ごほったい)を血脈相承あそばす御法主、代々の上人を悉(ことごと)く大聖人と拝し奉り、その御内証(ごないしょう)・御法体を御書写あそばされたる御本尊に南無し奉るのでございます。
  これに異をはさんで、なんで信徒と申せましょう。また、なんで成仏がありましょう。師敵対、大謗法の者でございます」(昭和五十四年八月二十五日・第三回檀徒大会) とまで断定しているのである。
 しかるに、その後、一年数ヶ月が経過し、宗門から懲戒処分を受けるに及ぶや、彼らは一転して、それまで自分達も〝ある〟と認めていた日達上人から日顕上人への血脈相承を〝なかった〟ことにしてしまった。
 これは、明らかに、日顕上人猊下による懲戒処分を無効にしようとの狙(ねら)いによるものであり、自己の保身のためには白も黒にしてしまう、無節操な妄説(もうせつ)である。もはや、これは信心でもなければ仏法でもない、汚(けが)れた謗法者の御都合主義そのもの、といえよう。
 かかる妄説をもって、僧宝の座に連なる御法主上人を否定せんとした正信会は、まさしく、彼ら自身のいう〝師敵対、大謗法の者〟と成り果てたのである。
 さらに彼らは、「法主から法主へと伝えられる血脈相承は形式的なものであって、真実の血脈というのは、信の一字により、大聖人から正信の僧俗大衆に与えられるものである。今日においては、正信会にのみ血脈が受け継がれている」 としている。
 だが、これは、血脈に総別(そうべつ)の二義があることを弁えない、謬論(びゅうろん)である。
 そもそも血脈には、総じて信心によって大衆に流れる〝信心の血脈〟と、別して御一人から御一人に伝付(でんぷ)される〝唯授一人の血脈相承〟がある。そして、唯授一人の血脈相承によって御本仏日蓮大聖人の御悟りを余すことなく継承あそばされてきた御法主上人に信をとり、師弟相対するところに、僧俗大衆にもまた、血脈が流れ通ってくるのである。
 大聖人は、「既(すで)に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁(ここう)の衆生に流れかよはし給ふ。是(こ)れ智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然(しか)るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是(これ)には総別の二義あり。総別の二義少しも相(あい)そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死(りんねしょうじ)のもとゐたらん」(御書1039㌻) と仰せられ、この総別の二義を違(たが)えたならば、成仏は思いもよらず、迷いの基となる、と戒められている。されば正信会の僧俗を待ちうけているのは、堕地獄の運命と知るべきであろう。
 また、この点に狂いを生じた正信会は、次第に迷いを深くして、日顕上人に対するのみならず、伊芸益道(故人)のように、「第二十六世日寛上人の説は邪義だ」と言い出したり、「日目上人から第四世日道上人への相承はなかった」(『興風』13号・坂井法曄論文)などと言い出す者まで出てくるに至ったのである。
 こうなってしまえば、誰の目から見ても日蓮正宗とは異質の宗派だが、それもこれも、全ては総別の二義を違えたところに原因があったといえよう。
 いずれにせよ、正信会のなした相承否定は、大聖人の甚深(じんじん)の正法を万年まで護持していく僧宝の存在を断滅(だんめつ)しようとするものであり、それは仏法を滅せんとする大謗法なのである。