異流義・正信会を折伏しよう

この論文は、昭和57年当時に執筆されたものです

正信覚醒運動の変遷 5.変貌の底に潜む狙い

正信覚醒運動の変遷、それはこれまでに述べてきましたとおり、当初の、創価学会の逸脱を是正(ぜせい)していくという路線から、現在の宗門・日顕上人猊下を否定せんとの路線への変貌、といえましょう。
  『継命』第30号(55年11月15日号)には、佐々木秀明師の『現況報告』として、
  「この運動(※正信覚醒運動)の最終結着は最初に申し上げた通り、日顕管長以下執行部の退陣ということでなければならないと思います。……阿部執行部、池田・北条執行部の退陣と、新しい管長を選挙で推戴(すいたい)して、第七百遠忌を迎えましょう。さもなくば日蓮正宗はなくなってしまいます」
と述べられていますが、ここに、変質した正信覚醒運動(正信とは、もはや呼べぬでしようが)の路線・目標が明確に掲げられています。
  しかしながら、これより一年を経て、第七百御遠忌大法会も日顕上人猊下大導師のもと、恙(つつが)なく奉修され、いまや「新しい管長を選挙で推戴して七百御遠忌を」という正信会の目標も、また「七百御遠忌には決着がつき、大法会は正信会と檀徒の手で奉修しますから安心してください」等の檀徒への約束も、悉く不履行に終わってしまいました。
  その結果、全国檀徒の間には次第に深刻な不安が拡がり、各地で、檀徒の正信会離れという現象が生じています。

来たるべき大不祥事の危倶

この現実に焦りを感じたのか、『継命』第51号(56年10月15日号)一面には、とうとう、
  「日興上人が……血涙(けつるい)をもって身延を離山された御心を拝し奉る時、今の本山には既(すで)に大聖人、日興上人の御魂は住まわれずと断ずるものである」
との、恐るべき檄(げき)が掲載されました。
  そもそも『大聖人、日興上人の御魂』とは、
  「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」(御書685㌻)
との大聖人の御金言、また
  「日興が身に宛(あ)て給わるところの弘安二年の大御本尊」(聖典519㌻)
との日興上人御教示を押すれば明瞭なごとく、『大聖人、日興上人の御魂』すなわち宗旨の三秘の根源をなす弘安二年の本門戒壇の大御本尊であります。
  しかるを、『今の本山には既(すで)に大聖人、日興上人の御魂は住まわれず』というなら、それは大御本尊まします総本山の意義を根底から否定するものといわざるをえません。
  ましてや、『日興上人が……血涙をもって身延を離山された御心を拝し』等と、日興上人身延離山をからめるとき、日蓮正宗富士大石寺からの離脱!? という、あってはならぬ一大不祥事の惹起(じゃっき)が危倶(きぐ)されるのであります。
  正信会の僧侶方及び檀徒の方々は、よく教義の厳正保待を口にされますが、教義の厳正保持は法体(大御本尊と血脈)を護り、正しく伝えるためにこそ必要なのであり、もし唯授一人血脈と大御本尊から離れたならば、まったく泡沫(ほうまつ)のように無意味な論議となるばかりか、堕獄必定(だごくひつじょう)となる筈です。
  また、「心中に自受用報身如来を拝信しておれば、総本山と離れても、即身成仏の血脈は流れる」とでもいうのでしたら、過去に異流義化して分立していった堅樹派(けんじゅは)、あるいは分派独立の兆(きざし)の見えた学会五十二年の路線とも、たいした変わりはなくなってしまうでしょう。
  いずれにせよ、そうした最悪の事態が訪れぬよう、ひたすら祈る以外にありません。

〝一部の方々の野心〟とは

さて、『継命』第52号(56年11月1日号)には、正信会々長・久保川法章師の『指導』として、
  「本山の御遠忌法要を、大謗法者である池田大作と偽貫主(かんず)阿部日顕一党の土足に穢(けが)された……仏法の大怨敵となっている池田創価学会と阿部日顕らの存在するかぎり、精魂を傾けて覚醒運動を続けていかなければなりません。……この二人を徹底的に破折し、撲滅(ぼくめつ)すべく全力を尽(つく)す処(ところ)に、善知識としての意義が存在するし、我々の成仏もある」
と、以前にも増して激越(げきえつ)な調子で、覚醒運動の目的と、その完遂を促(うなが)しています。
  おそらく、この運動に携わる人達に尋ねれば、「我々は日達上人の仰せどおり闘ってきたし、日顕上人にも師弟の礼を尽くしてきたが、日顕上人は法義を曲げてまで謗法の学会をかばい、我々正信の僧俗を弾圧した。だから我々は日顕上人の退座に至るまで闘い抜くことにしたのだ」というのでしょうが、はたして事実は本当にそうでしょうか。
  私は、前に「関係者各位の証言、そして状況証拠を総合してみるとき、やはり正信覚醒運動は、当初から何らかの野心をもち、日達上人の御意にも背反していた一部の方によって推進されてきた」と述べておいたわけですが、ここで『一部の方』のもっていた『何らかの野心』がいったい何であったのか、『関係者各位の証言』にそって明らかにしていきたいと思います。
  まず、昭和54年の4月、総本山大奥において、千葉県一月寺の笠松澄道御尊師が日達上人にお目通りされた砌、談たまたま活動家(現・正信会)僧侶方のことに及び、日達上人は、
  「あの者達は、私を猊座から引きずり降ろそうとしているんだ」
と仰せられたとのことです。
  その時、笠松御尊師は「いったい、そのようなことが……」と、たいへん驚かれたそうですが、それより一ヶ月後、差出人無記名の怪文書が宗内に出廻わり、その内容が、
  「大謗法を行なった池田総講頭を名誉総講頭とする猊下の裁断も大謗法である。……大御本尊様を偽作した者を完全に処罰できぬは謗法行為。……許し難いこの謗法行為を学会に許し、今日の混乱をまねいたのは、細井日達猊下の身の罪に非ずや。……ゆえに、細井日達殿は速やかに猊下を退(しりぞ)くべし」(『暁鐘』第18号参照)
という趣旨であったことを思うとき、笠松御尊師の伺ったという日達上人お言葉が、まことに真実性をもって感ぜられるのであります。

「私が猊下になって…」!?

また、これは55年秋になってのことですが、正信会僧侶方に対する懲戒(ちょうかい)処分のあった直後、妙真寺(当時、覚醒運動のセンター)で行なわれた勉強会において、『撰時抄』に関する檀徒からの質問に対し、山口法興師が
  「それは、私が猊下になってから教えてあげよう」
との驚くべき発言をされた旨、参加していた複数の方々から聞き及んでいます。
  いったい、本気であったにせよ、なかったにせよ、こうも軽々しく「私が猊下になってから」などという言葉が、覚醒運動のセンターと称されていたところから飛び出すのですから、御遷化間際の日達上人がすでに「あの者達は、私を猊座から引きずり降ろそうとしている」と感ぜられていたとしても、まったく不思議ではありません。
  その他にも、54年の2月、私どもが日達上人より
  「学会の誤りを責めてきた僧侶の中にも、私の言うことが間違っているとか、聞くと危険だとか、陰でいろいろ言っている者がいるようです」
と伺っていること、また同7月には、理境坊住職・小川只道御尊師が
  「どうも正信覚醒運動の方向性がおかしい。やがては総本山にも矢を向けることになりそうだ。もし、あのメンバーに入っているのなら、今のうちに脱けておきなさい」
との御指南を賜(たま)わっていることを考え併せてみますと、やはり私は、笠松御尊師の記憶されている日達上人お言葉が、たしかにあったものと信ずるのであります。
  それにしても、「私が猊下になってから云々」などとは、なんと恐ろしい感覚でしょう。名聞名利の執情(しゅうじょう)を離れ、純粋に師にお仕えしていくところにこそ、仏道修行がある筈でありまして、こうした言葉を思いつくこと自体、日蓮正宗を信仰する者としては考えられぬ発想であります。
  また、山口法興師は右発言と同時期、やはり妙真寺において、十五、六名の壮年檀徒の方々の前で、
  「裁判には必ず我々が勝つのであるから、本山に謝(あやま)る必要などない。我々が勝った暁(あかつき)には、日蓮正宗に貢献したものとして、(僧階を)三階級特進しなくては割が合わない」
などと発言され、居合わせた方々を唖然(あぜん)とさせたそうですが、まったく、あまりの内容に開いた口が塞(ふさ)がらぬ想いです。
  ここまでみてきますと、覚醒運動を当初から推進してきた〝センター〟なるものの実態、そして『一部の方』の懐(いだ)いていた『何らかの野心』がいかなるものであったのかは、あまりにも明白で、これ以上の説明は必要としません。
  また、こうした『一部の方』ほどではなくとも、これに追随(ついずい)して覚醒運動を進めてこられた僧侶方の中には、日達上人の御弟子でありながら、「もう日達上人には浮世(うきよ)の義理は果たしたから」(これは日達上人御存生中における某師の発言)とか、「我々は日達上人の代の頃から、すでに猊下の言うことなど聞いていませんでしたよ」などと発言された方がおられることも確認していますが、まことに無念で、悲しくなってまいります。
  檀徒の方々の多くは、今でも、正信会の全僧侶方が日達上人をお慕(した)いし、日達上人の仰せどおり闘ってきたものと、純粋に信じているのでしょうに……。

覚醒運動の悲劇、浮き彫り

いずれにせよ、ここに正信覚醒運動の変遷してきた経緯、否々、というよりもむしろ、これを推進してきた一部の方々が当初より懐いていた狙い、そして、それに引きずられて今日のごとき泥沼状態にまで立ち至ってしまった覚醒運動の悲劇が、浮き彫りにされる想いであります。
  そして、こうした経緯を振り返ってみますと、正信会で引き起こした『管長の地位不存在裁判』とても、実際に血脈相承があったか、なかったかというような、信仰上の問題などではなく、ある方々にとっては自己の野心達成のための手段であり、また他の方々にとっては、自らの運動の障害となる御法主上人を退けんとの闘争手段、あるいは自らが受けた懲戒処分を無効にせんがための保身の手段である、と考えざるをえません。
  この、まるで政治的ともいえる黒い闘争に引き込まれた檀徒の方々の中からは、すでに正信会を去って従来の法華講に移った者、本山からも寺院からも離れて一人だけで信心をはじめた者、ついには大御本尊をも疑って退転していった者等が続出しておりますが、もはや裁判の結果がどうあれ、こうして、尊い大聖人の仏法と純真なる人々につけた深い傷は、容易には拭(ぬぐ)えないでありましょう。
  また、現在も続いている正信覚醒運動(というよりも正信会活動といった方が妥当でしょうが)を、一日も早く停止せしめ、正常なる路線に戻さなければ、さらに多数の犠牲者と一大不祥事を生ずることが危倶されます。
  そして何よりも、これ以上、宗祖日蓮大聖人の未曽有の大法を下げしめたならば、大聖人はいかばかり御悲しみになられることか、それを心より恐れるものであります。