創価学会のここが間違っている

学会はニセ本尊造りの常習犯

お守り御本尊まで拡大して彫刻

現在、創価学会では自前のニセ本尊を発行していますが、その言い訳として、「日蓮正宗宗門から破門されて御本尊が戴(いただ)けなくなってしまったため、やむなく自前でニセ本尊を造(つく)らざるをえなくなったのだ。だから悪いのは宗門だ」等という、手前勝手な主張をしています。  

しかし、学会のニセ本尊造りは今に始まったことではなく、今日の調査では、遅くとも昭和四十八年十二月の時点で、すでにニセ本尊(板本尊)が造られて、東京・信濃町の文化会館七階に安置されていたことが判明しています。 その後、昭和五十二年までに、次々とニセ本尊(板本尊)が造られ、各地の学会施設に安置されていきました。 要するに、池田創価学会はニセ本尊造りの常習犯だったのです。

学会では、これらの事実を隠蔽(いんぺい)すべく、「すべて日達上人の許可を得て、痛んできた紙幅(しふく)の常住(じょうじゅう)御本尊を、板御本尊として御謹刻したもの」などと言っていますが、当時、日達上人は
「こちらが許可していない分(の板本尊)は取り上げて、注意をしました」(『大日蓮』昭和五十四年七月号) と仰せられ、七体のニセ本尊(当時、判明しただけでも、七体の板本尊が勝手に模造されていた)を総本山で取り上げたのです。  

その時は学会側が陳謝したため、宗門として大慈悲をもって見守ることとなりましたが、それから十五年を経(へ)た平成五年、学会はまたぞろニセ本尊造りに手を染(そ)めました。 かつて、ニセの板本尊を造ったことのある極悪人共ですから、紙幅のニセ本尊を造ることについて、あらためて何のためらいを感じることもなかったでしょう。 もはや、度(ど)し難(がた)い、大謗法団体であります。  
さて、ここで、学会が造ったニセ板本尊のうち、無茶苦茶な一例を紹介しておきましょう。

写真は、昭和五十一年十月、池田大作(当時・三代会長)が自ら出向いて、東北総合研修所内の牧口記念館に安置してきたニセ板本尊ですが、なんと、これは、昭和二十六年五月三日、六十四世日昇上人から池田大作個人が賜(たま)わった御守り御本尊(もちろん紙幅)を、勝手に写真に撮(と)って拡大し、板本尊に造り変えたものだったのです。

そもそも御守り御本尊とは、日蓮大聖人が  「先日のまぼ(守)り暫時(ざんじ)も身をはなさずたもち給(たま)へ」 (御書六八五頁) と仰せのように、我が身に携帯して御守護申し上げる御本尊であり、安置して皆に拝(おが)ませるべき御本尊ではありません。ましてや、拡大した上に、板本尊に変造するとは……。  

池田大作は、このニセ本尊を安置した理由について、  「東北を厳然と守りたい。なかなか(自分が)おじゃまできないので、この研修所に御安置しておきたい。そういう意味で、小さい御本尊を東北創価学会の続くかぎり、この記念館にご安置申し上げて、皆さん方を守りたい、とお待ちしました」(昭和五十一年十月二十七日) と述べています。要するに、自分の身代わりにこのニセ本尊を安置して、厳然と東北を守る、というのですから、池田は、自分と御本尊とを対等と見なしていた、ということであります。  

学会員さん、これでも池田センセーに誤りはなかった、などというのですか。