まだ創価学会にとどまっている方、聞いてください!

 学会を辞めて、本当によかった!

創価学会を辞め・真正の本尊を信仰した方の功徳の体験はコチラ
創価学会・ニセ本尊を拝み続けている方の罰の現証はコチラ

 今回の創価学会問題が勃発して、すでに十四年。多くの学会脱会者が、学会員時代に積んでしまった罪障と真っ向から向き合い、これを乗り越えて、考えられぬほどの大功徳を頂戴しています。
  医師も見放した悪性のがんから生還した人、くも膜下出血と脳内出血を同時に起こしながら、見事に社会復帰した人、サプライズで倒産の危機を乗り越えた人、この大不況下、学会員だったころより収入が倍増した人など、ここに挙げた体験は、どれも否定することのできない、日蓮正宗の信仰に具わる大功徳の実証です。
  学会員のあなた、自分が直面している悩み苦しみから目をそらして、学会は正しいのだから、いつか幸せになる∞学会を離れたら、もっと不幸になる≠ニ、必死になって思い込もうとしていませんか?
  自分をごまかさずに、まずはこの体験談特集をお読みください!

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脱会した法華講員の声を聞いてもらえますか。

門戒壇の大御本尊こそ、功徳の源
  日蓮正宗の信心を離れて真の功徳無し


和地さん 気がつけば、収入は学会時代の倍に
 茨城県に住む和地良一さんは、平成三年三月三日に創価学会を脱会、法華講員になりましたが、脱会当時は創価学会からすさまじい嫌がらせを受けた、といいます。
  土浦市で整骨院を開業している和地さんですが、脱会したとたん、「和地整骨院には絶対に行ってはいけない。学会員が皆で行かないようにすれば、奴は生活ができなくなるはずだ」「和地整骨院を兵糧(ひょうろう)攻めにしてやれ」などという指導や檄(げき)が学会内に飛び交い、様々な妨害を受けたのです。
  しかし、「これは法難の一分であり、これを乗り越えれば、学会時代に積んだ重い罪業を消していけるのだ」と発心。ひるむことなく学会員を折伏していった結果、大功徳を頂戴(ちょうだい)することができました。
  和地さんの整骨院は、元々は場所的にも不便な裏通りにありました。
  それが、学会員の折伏を進めていくうちに、スーパーマーケットのすぐ近くに、整骨院に格好の物件が見つかり、また、従来の建物を好条件で買いたいという人が現われたため、平成六年三月に現在地へ移転。
  以来、和地さんの整骨院は、地域の方々から厚い信頼を受け、同業者が苦戦する中で、和地さんのところだけは、患者さんが常に途絶えません。
  平成十三年からは、長男も共に仕事に従事するようになった和地さんの整骨院。気が付けば、脱会前と比較して、収入は二倍以上になっている、といいます。
  それに、和地さんは以前より、心房細動という心臓の病気(平成十四年十一月に逝去〈せいきょ〉した高円宮殿下と同じ病気)をもっていましたが、最近は、折伏と仕事の忙しさにも拘(かか)わらず、全く発作が起きなくなった、といいます。
  そして、それとは対照的に、この十四年間、不慮(ふりょ)の事故死、突然の火災、不治の病等々で、身を破滅させてしまった地域の学会員を数多く見てきた、とも。
  脱会以来、数多くの知人・友人を学会から救い出し、正信に導いてきた和地さん。それらの同志と共に、この一年間だけでも二十五世帯の勧誡・御授戒を成就(じょうじゅ)しています。

平野さん 左片麻痺の危機から見事に職場復帰
 茨城県の平野勇さんは、平成十五年十二月に脱会されました。
  平野さんが脱会を決意したのは、妹さんが脳出血で倒れ、一命は取り止めたものの、左片麻痺(かたマヒ)の後遺症が強く残ってしまったことによります。
  じつは平野さんは、先に紹介した和地さんから、十年以上にわたって折伏を受け続けていたのですが、どうしても脱会する気にはなれませんでした。が、そうこうしているうちに、妹さんが倒れてしまったのです。
  それを耳にした和地さんは、「分かってもらえるのは今しかない」と平野さんを折伏。平野さんもようやく、今まで、知らず知らずのうちに重大な謗法(ほうぼう)を犯していたことに気付くことができ、一家六人で帰伏したのです。
  その後、平野さんは、毎月、歓喜に満ちて大石寺に参詣。すると、登山参詣の大功徳が厳然と現われ、平野さんの妹さんは、奇跡的にも念願の職場復帰を果たせたのです。
  平野さんご一家は、御本尊様に心から感謝申し上げると共に、折伏に励んでいます。

根本さん サプライズで倒産の危機を脱出
 埼玉県に住む根本精一さんは、昭和三十四年の入信。平成二年暮れに池田大作が総講頭を実質的に罷免(ひめん)されたことを知り、それから、一人、また一人と心ある学会員に声をかけ、平成三年七月、二十数世帯の人々と一緒に脱会しました。
  それだけに、創価学会からの圧力は強く、学会員が徒党を組み、昼となく夜となく、押し掛けてきました。
  数々の嫌がらせにも、ひるむことのない根本さんでしたが、一つだけ、大きな気がかりがありました。それは、以前に自営の工場の設備投資をしたものの、それがバブル崩壊(ほうかい)によって過剰投資となってしまい、重い負担となってのしかかってきていたことでした。
  もし、倒産などということになれば、あることないこと、針小棒大に言いふらす学会員を喜ばすだけのこと。そう思って、信心と仕事の両面で頑張ってみたものの、事業は行き詰まり、ついに倒産か、というその日、思いもかけないところから救いの手をさしのべる人も現われ、危機一髪で倒産を免(まぬが)れたのでした。
  想像もつかない出来事は、それだけではありませんでした。倒産を免れてから一年半、次のサプライズが起きます。
  根本さんの事業所は借り物だったのですが、家主の事情で立ち退(の)きを迫られ、つい気軽に判を押した書類を楯に、移転補償どころか、即刻の立ち退きを要求されてしまったのです。根本さんは脅迫(きょうはく)され、事業を妨害され、ついには訴訟まで起こされましたが、なんと、家主側は、自ら行なった妨害行為により、根本さんが提示した移転補償の三倍もの額を支払うよう、裁判所から命ぜられてしまったのです。
  サプライズはまだ続きます。移転先を捜し始めた根本さん、自宅が区画整理事業に引っ掛かっていたために、区画整理事業所に相談したところ、事業所兼住宅を建設できる地域への仮換地が認められ、しかも、自宅の査定額は予想よりも一ケタ上の額だったのです。
  こうして根本さんは、なんと、移転補償(ほしょう)費と区画整理事業からの補償だけで、何の自己負担もせず、新しい事業所兼住宅を手に入れることができたのです。
  その間、根本さん一家が御本尊様に真剣に唱題し、折伏に汗を流していたことは、いうまでもありません。

横山さん 正信に目覚め、うつ病を克服
 東京都に住む横山さんは、昭和三十四年の入信。
  平成三年のお正月、寺院に参詣した際に、御住職より脱会を勧(すす)める旨(むね)の話を伺(うかが)いましたが、その時は事の重大さに気付けぬまま、学会に籍を置いていたところ、程なく更年期障害による様々な症状が出はじめ、しまいには、自律神経失調からくる、重いうつ病になってしまいました。
  かかりつけの医師はもちろん、方々の大学病院を回っても病状はまったく改善せず、仕事はおろか、人と会うのも煩(わずら)わしくなった横山さんは、今の自分に生きてゆく資格があるのだろうか、と深く思い詰め、悶々(もんもん)としていた、といいます。
  そんな横山さんに大きな転機が訪れたのは、平成十一年の夏のことでした。
  横山さんの店に入ってこられたのは、法華講の婦人部員。自分自身の、学会脱会の経緯や体験を語り、「罪障消滅は正しい信心による以外ない」「学会を脱会する以外に健康の回復はない」と、思いやりを込めつつも、横山さんを厳しく破折したのです。
  これにより、自分の怠惰(たいだ)な信心姿勢に気付いた横山さんは、その翌日、さっそくその婦人部員に連絡を取り、晴れて勧誡を受けることができたのでした。
  それからの横山さんは、婦人部員に励まされつつ、寺院参詣を中心に信心活動を続けていった結果、体調は徐々に回復し、平成十三年の初登山に参加できるまでに。
  そして迎えた平成十四年、「三十万総登山に参加したい。奉安堂建立までに健康体を取り戻したい」と祈り続けた横山さんの願いは、四月三日の朝、一気に叶(かな)ったのです。朝目覚めると、今まで抱えていた頭のモヤモヤが一切消えて、元気な頃の自分を取り戻すことができていたのです。うつ病を克服できた瞬間でした。
  それからの横山さんは、報恩感謝の思いで折伏に励み、まずご主人さんと息子さんを脱会に導いたのを皮切りに、今までに五世帯の折伏を成就させています。


森田さん くも膜下・脳内出血から社会復帰

 平成三年に脱会された、茨城県に住む森田政江さんは、学会員だったころには様々な病気に悩まされ、とくに結節性紅斑(けっせつせいこうはん)という不治の病に関しては、いつ眼底出血を起こして失明するかわからない、という不安にさいなまれていました。
  しかし、脱会以後は一度も症状が現われず、薬を飲まなくても大丈夫なまでに回復。そればかりか最近では、風邪すらほとんどひかない健康体になった、と喜んでいます。
  その森田さんが、本当に御本尊様の御力を痛感されたのは、御主人の愼一さんが二年前に、脳内出血、くも膜下出血、頸動脈(けいどうみゃく)の血栓が同時に発症したものの、その死の淵(ふち)から奇跡的に生還し、そればかりか、運転免許の更新も普通にできるまでに社会復帰したことにです。
  平成十五年九月、釣りに出かけた愼一さんが倒れた、との連絡が政江さんのもとへ。取るものもとりあえず病院に急行すると、医師から「くも膜下出血と脳内出血が同時に起き、頸動脈(けいどうみゃく)に血栓がある。それを同時に手術しなければならないが、心臓が耐えられるかどうか……。万一成功したとしても、障害は残りますから覚悟しておいてください」との宣告が。
  八時間にも及ぶ大手術の間中、必死に唱題する政江さん。御住職に当病平癒(とうびょうへいゆ)の御祈念をお願いするとともに、御秘符も頂戴(ちょうだい)しました。
  その甲斐あって、手術は無事成功。
  その後、何度も訪れた生命の危機を、唱題で乗り越えることができたのです。
  とはいえ、医師からは、「社会復帰は無理でしょう。障害者手帳の申請と、介護保険の手続きをしておいてください」という最終宣告と、「一級一種、要介護五」という判断が下されました。
  ところが、愼一さんはそこから奇跡的な快復を遂(と)げ、一年後には自力歩行できるまでに快復。登山会に参加し、夫婦揃(そろ)って、本門戒壇の大御本尊様に報恩感謝申し上げ、二年後には、運転免許証の更新も普通にできたのでした。
  その森田夫妻さんの営む事業の方も、大不況の中で愼一さんの闘病生活というアクシデントにみまわれたものの、御本尊様の御加護としか言いようのない形で、支援者・協力者が現われて事業を継続することができ、今ではたいへん安定しているそうです。


中嶋さん スキルスがんから奇跡の生還
 東京都の中嶋達人さんは、小学生の時に、両親に連れられて御授戒を受けられ、信仰歴は、もう四十年以上になります。
  とはいっても、本当に信仰に目覚めたのは、平成六年に脱会して法華講員となってから。
  それまでは、信仰の歓喜を味わうどころか、池田教となった創価学会に疑問を抱きつつ、かといって、脱会するでもなく過ごしているうちに、平成三年以降は立て続けに交通事故に遭(あ)うなど、いつしか罰の人生を歩んでいました。
  さて、法華講員となってからは交通事故にも遭わなくなった中嶋さん。しかし、学会時代の反動で、法華講の活動には一切参加しませんでした。
  そんな中嶋さんが、知らず知らず積んできた自分の罪障の重さと、御本尊様の絶大なる功徳力を体感することになったのは、平成十四年五月、検診で胃がんが発見されてからのこと。
  医師からは「手術すれば大丈夫でしょう」と言われたものの、しかし家族には、別な言葉が伝えられていました。「もはや命は助からないので、あきらめてください。」
  というのも、中嶋さんのがんは、もっとも進行が早く、かつ生存率が低い、スキルス性だったのです。
  そうとは知らぬ中嶋さんでしたが、がんと聞いて真剣にならざるを得ず、折伏と、一日六時間以上の唱題に、真剣に取り組んでいきました。手術までには時間があったので、「三十万総登山」にも参加しました。
  そして迎えた手術前日、中嶋さんは担当医から「胃を全摘し、胆嚢(たんのう)・脾臓(ひぞう)・リンパを切除する大手術で、体力がなければ手術に耐えられない」と聞かされ、初めて自分の病状の深刻さに気付かされたのです。
  とはいえ、手術は、十時間の予定が七時間で終わり、術後も順調でした。が、もう少しで退院、というところで、新たな試練が中嶋さんを襲(おそ)いました。
  手術の際、皮膜を剥(はが)がした膵臓(すいぞう)から膵液(すいえき)が漏(も)れ、それが原因で腹腔(ふくこう)内に膿(うみ)がたまり、高熱を出してしまったのです。
  さらには、その膿が原因で大腸に穴が開いて便が漏れ出し、また、横隔膜(おうかくまく)にも穴が開いてしまいました。
  体力の回復を待って行なわれた二度目の手術で大腸が縫合(ほうごう)され、これで大丈夫、と思ったのもつかの間、さらなる試練が。今度は、漏れた膵液により、大腸を縫合した糸が溶けてしまったのです。
  しかし、中嶋さんにはもう、再々手術を受けるだけの体力はなく、あとは中嶋さんの自然治癒(ちゆ)力に任せるしかない、ということに。
  大腸に穴が開いているため、食事は一切できず、点滴が唯一の命綱。頼りにできるのは自分の生命力のみという状況下で、身動きすることすら許されない長期の入院生活は、普通ならまず、精神的に耐えられません。医師もそのことをいちばん心配しました。
  しかし中嶋さんは、御本尊様への絶対の確信と強盛な信心で、ついに、これを乗り切ったのです。
  半年間にもわたる入院生活にピリオドを打つ日、担当医は、「今回は、自然治癒力の不思議さを痛感しました。物事を前向きに捉(とら)える中嶋さんだから乗り切れたのでしょう。私なら無理です」と話し、この事例を医学界に発表する、とも話しました。
  退院後の精密検査でも、がんは発見されなかった中嶋さん。絶望の淵(ふち)から見事に生還し、今では仕事にも復帰、また家族揃(そろ)って信心に励んでいます。


鈴木さん 喀血と共に肺がんが消えた!
 東京都の鈴木清一さんは、戸田会長の折伏で入信し、学会問題が起こった直後の平成三年に脱会し、法華講員となりました。
  鈴木さんの住まいの周りは学会員だらけ。それだけに、辞めてからの学会員からの嫌がらせは、連日ものすごかったそうです。
  犯人こそ特定されていませんが、ガスの元栓を細工され、あわやガス爆発、という目にあっても、鈴木さんは正信を貫(つらぬ)きました。
  鈴木さんは、がんになりやすい体質のようで、若いころにも胃がんの手術を受けていますが、平成七年の夏には、肺にがんが見つかりました。
  がんの大きさは十円玉ほど。医者からは、「もう手術はできないから、このまま切らないで様子を見よう」と言われた鈴木さん、もうこれまでか、とも考えましたが、「一生懸命信心して、寿命のことは御本尊様にお任(まか)せしよう」と、考え直し、唱題を重ね、毎月の座談会や御講、お会式、お山に、労を惜しむことなく足を運びました。
  すると、がんの病巣(びょうそう)が次第に小さくなっていき、平成七年の暮れに大量の喀血(かっけつ)をしたため、驚いて病院に行って調べてもらうと、なんと、がんの病巣が完全に消えているではありませんか。
  医師が言うには、「喀血した際に、ガン細胞も一緒に出てしまったのだろう」とのこと。本当に考えられない現証であり、鈴木さんは、これぞまさに御仏智と、報恩感謝の唱題を、心ゆくまで行なった、とのことです。


田中さん 経済革命し、折伏で肺がんを消滅
 茨城県の田中美佐子さんは昭和四十年に入信されました。
  入信後、学会活動にのめり込んでいくものの、熱中すればするほど、子供や自分のケガなど、身の回りに次々と悪いことが。しかし、それが仏罰だとは気付かず、池田を信奉(しんぽう)して、熱心に学会活動を続けていました。
  その田中さんが、ようやく学会はおかしい≠ニ思い始めたのは平成二年のこと。
  以後、学会の活動にまったく参加しなると、苦戦していた事業がだんだん好調に。
  そして、平成三年十一月の創価学会破門、平成四年八月の池田大作の信徒除名処分があり、やはり学会は間違っていたのだ、と確信し、平成五年に脱会。法華講員となったのです。
  心機一転、毎日一時間の唱題と、学会員に対する折伏に励みだすと、会社の業績はぐんぐん上がり、銀行からの借り入れもどんどん有利な方向に変わり、自社社屋を持つまでに。
  二十年前は電話一本とトラック一台で始めた仕事が、今では資本金一千万円の株式会社になり、年間売上も二億円を数え、取引先は一流企業が占め、業績も安定。広い自宅の他に、近くの工業団地に土地も所有するに至ったのです。
  しかし、かつて池田学会の中で刻んでしまった悪業は重く、田中さんは今年の三月末、肺がんと診断されました。がん細胞はすでに三センチの大きさに育ち、リンパ節二箇所にも転移。ほぼ手遅れの三期という状態でした。
  手術は不可能ということで、いちおう、入院して抗がん剤と放射線治療を行なうことになりましたが、田中さんは、今こそ罪障消滅のために折伏に突き進もう、と決意していました。
  さっそく治療が開始されましたが、不思議なことに副作用が一切出ず、そのため、普通なら制限される外泊も自由にでき、御講にも夏季講習会にも参加し、折伏にも歩き廻りました。
  がん三期であるのに、ここまで身体が健康であることこそ信心の実証であり、折伏の武器。田中さんは、病院の中で、外で、折伏を続け、何人もの学会員を帰伏に導いたのです。
  また、この折伏の中で、学会大幹部に胸を強く突かれた田中さんは、「告知以降、これで三人の学会員に胸を突かれた。罪障消滅も進んだに違いない!」と確信。すると、その四日後、まだ放射線治療を五回残した段階で、主治医から「肺のがんが消えています」と告げられたのです。
  その後の検査で、リンパ節への転移も消えていることが確認され、不思議がる医師が再度、徹底的に検査しましたが、やはりがんは全く消えていました。
  田中さんは、信心で進行がんを克服(こくふく)したのです。


これも現実!
学会員の身に現われた現証 総集編


 日蓮大聖人は、
  「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(御書八七四頁)
  「末法の法華経の行者を軽賤する王臣・万民、始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(御書一三九七頁)
と仰せられ、正法に背く者には、必ず厳しい仏罰があることをお示しくださっています。
  これを言い換えるならば、仏罰が続出する団体は、表面上、いくら綺麗事を並べようとも、その実態は大謗法団体である、ということになりましょう。
  さて、創価学会を眺めてみますと、その機関紙である『聖教新聞』の一面には、やれ池田大作がどこそこの国から栄誉称号をもらっただの、どこそこの大学から名誉博士号を送られただのという、綺麗事≠ナ埋め尽くされていますが、その中身を見ると、悪名高き紙上座談会に代表されるように、正法たる日蓮正宗への悪口誹謗が充満しています。そして、それらを真に受けた学会員は、日蓮正宗攻撃に余念がありません。
  となれば、多くの学会員が仏罰に苦しむことになるのは必然でありますが、学会員はその現実を、けっして直視しようとはいたしません。
  そこで、本紙は今回、そんな一般学会員の目を醒ますべく、学会員の身に降りかかった仏罰の大特集を組むことといたしました。
  学会員の皆さん、この現実を、どうぞ直視してください!


経済的破綻・突然死・不治の病…
あなたの身の回りにもいませんか


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 ◇  ◇  ◇
〈四代会長・北條浩氏、風呂場で急死〉
  昭和五十六年七月、創価学会第四代会長・北條浩氏が、自宅浴室で入浴中、心筋梗塞(しんきんこうそく)を起こし、そのまま急死しました。五十八才でした。
  北條氏は、池田が三代会長であった時代に、副会長として池田の手足となって働き、「自分の入信前の宗教・日蓮正宗」と言い放ったり、宗門との決裂を謳(うた)った、悪名高き「北條報告書」を書くなど、様々な謗法をを犯した人物です。
  昭和五十四年に池田が会長を引責辞任した後、北條氏は、第四代の会長となって、池田及び創価学会が起こした数々のスキャンダルの始末を一人で背負い、尻拭(ぬぐ)いに奔走(ほんそう)しました。
  池田の腹心として、常に池田の側で仕え、「池田に一番尽くした」と評されていた北條氏――。その北條氏が五十八才の若さで急死してしまったのは、やはり、池田の謗法行為を支え、これを積極的に進めたが故の仏罰であるとしか、いいようがありません。
  ちなみに、当時の本部職員からは、「何故か、北條さんの棺(ひつぎ)は閉じたままで、遺体とお別れをさせてもらえなかった」との話が漏(も)れています。
  ◇  ◇  ◇
〈池田の次男・城久氏の不可解な死〉
  昭和五十九年十月三日、東京都内の病院で、池田大作の次男・城久氏が二十九才という若さで亡くなりました。死因は胃せん孔(胃に穴があく病気)でした。
  城久氏は、創価大学を卒業後、同大学の職員として勤務し、将来は、池田大作の後継者となる人物と目されていました。池田自身、自分に体型もよく似た城久氏を大変かわいがっていた、といいます。
  その城久氏が、なぜ、手遅れにならないかぎり死に至ることのない、胃せん孔などという病気で急死したのか――。
  じつは、それを予言したかのような記述が池田大作著『人間革命』第十巻「嶮路の章」に出ているのです。
  「(ニセ本尊を自ら作った)岡田一哲の父は胃せん孔で悶死(もんし)した。」
  池田も、ニセ板本尊を作るという大謗法を犯して、時の御法主日達上人の宸襟(しんきん)を悩まし奉った昭和五十二年から数えて、まさに七年後に、最愛の後継者を胃せん孔で悶死させてしまったのでした。
◇  ◇  ◇
〈仏罰の法統相続〉
  東京・江東区に住んでいた婦人部長のTさん一家は、家を拠点に提供するほど熱心な学会家族です。
  Tさんは、学会が御宗門から訣別した直後、会合の折りに、日顕上人に扮して会場内を歩き、罵声(ばせい)を浴びせられる役を引き受けていたそうです。
  ところがその後、Tさんはだんだん物忘れがひどくなって人との会話もできなくなり、やがて家族のことや自分のことさえわからなくなりました。
  そしてついには、自分の家に放火しようとするなど、常に監視が必要な状況になり、夫も仕事を辞め、付き添うことに。
  その後、Tさんの脳に腫瘍(しゅよう)が見つかりました。Tさんの家族は「皆で必死に唱題した結果、困難な手術が成功して一命を取り留め、症状も改善に向かった」と話すのですが――しかし、その後に生まれたTさんの孫は、いくつになっても言葉をしゃべらず、自閉症と診断されてしまいました。
◇  ◇  ◇
〈支部長が電車にはねられ即死〉
  神奈川県在住の支部長Hさんは、脱会者宅に押しかけては、強引に脱会届を撤回(てっかい)させて廻わっていました。
  そのような平成三年七月、Hさんは新橋駅ホームで、乗車しようと荷物を持ち上げた時に足元がふらつき、線路に転落。ちょうど入ってきた東海道線の通勤快速にはねられて、轢死(れきし)してしまいました。葬儀は学会葬でした。
◇  ◇  ◇
〈婦人部長が大事故で即死〉
  北九州市で婦人部長をしていたTさんは、娘さんも地区リーダーというバリバリの池田教で、脱会した人とは会っても挨拶もせず、宗門をひどく誹謗(ひぼう)していました。
  ところが平成三年十二月、Tさんは、不倫相手である男性の運転で走行中、大型トラックと正面衝突し、車は大型トラックの前輪に食い込んで大破。二人とも即死でした。
  解体作業は何十時間もかかり、遺体の損傷はかなり激しくて、Tさんは上半身、そして相手の男性は下半身しか見つからず、しばらくは身元もわからなかったほどの大事故でした。
◇  ◇  ◇
〈圏男子部長の長女が誘拐・殺害さる〉
  平成四年二月、福岡県の小学校に通う女児二人(AちゃんとYちゃん)が誘拐(ゆうかい)され、翌日、殺害されて遺体となって見つかる、という痛ましい事件が発生しました。
  二人のうち、Aちゃんは、なんと、創価学会の圏男子部長Nさんの長女だったのです。そして、もう一人のYちゃんの家は、創価学会と同じく血脈を否定して破門になった、正信会の信徒でした。
  地元新聞には、学会葬で行なわれたAちゃんの葬儀の写真と、正信会僧侶の導師で行なわれたYちゃんの葬儀の写真とが、二枚並べて掲載されていましたが、血脈否定の因果の厳しさを思い知らされる事件でした。
◇  ◇  ◇
〈会合中に死亡した支部指導員/その棺を乗せたリフトが落下〉
  長崎県で支部指導員をしていたBさんは、古くからの活動家で、「脱会する者は地獄に堕(お)ちる」等と言っては、脱会者の引き止めに躍起(やっき)になっていましたが、平成四年二月、会館での会合の途中、トイレの中で倒れて非業(ひごう)の死。
  葬儀は学会葬でしたが、その出棺(しゅっかん)の際、なんと、棺(ひつぎ)を降ろすリフトのワイヤーが切れてしまったのです。自動停止装置はあったのですが、なぜか作動せず、リフトに乗っていた親族ら六名が、棺と共に三階から落下、重軽傷を負う恐ろしい惨事となりました。
◇  ◇  ◇
〈あのダーツ男の店が全焼〉
  平成四年三月、日顕上人の似顔絵をダーツの的(まと)にしていた、京都府在住の学会指導長・Sさんの経営する工場が全焼しました。
◇  ◇  ◇
〈学会葬の帰り道で〉
  平成四年四月、福井県の圏書記長を務めていたTさんは、池田文化会館で行なわれた学会葬からの帰り道、赤の点滅信号を無視して交差点に侵入し、大型トラックと衝突。事故に巻き込まれた他の人々は軽傷で済んだのに、ひとりTさんだけが、頭の骨を折って即死してしまいました。
◇  ◇  ◇
〈暴力事件の後始末をしていた市議の死〉
  平成三年八月十五日、
京都府亀岡市の正宗寺院・本感寺で、学会員が暴力事件を起こしました。
  公明党市議のNさんは、その裁判に先頭をきって関与していましたが、事件からちょうど一年後に、心不全で急死してしまいました。
◇  ◇  ◇
〈日顕上人呪詛の会合への道中で〉
  平成五年四月、法華講員から再折伏された、函館に住む副婦人部長は、日顕上人を悪口誹謗(ひぼう)。法華講員から「尊い猊下様の悪口を言ったら、罰を受けることになるから、気をつけた方がいい」と言われても、全く聞く耳を持ちませんでした。
  その二ヶ月後、池田平和会館に行く途中、車同士が衝突して、副婦人部長の夫婦は脳挫傷で死亡。運転していた息子も重傷を負ってしまいました。
  事故を目撃した人の話によれば、事故は、車同士が立ち上がるほどの激しいものだった、とのこと。
  その日、副婦人部長の一家は、会館で行なわれた日顕上人の「絵踏み」に参加する予定だった、といいます。
◇  ◇  ◇
〈会社が倒産、行方不明となった副県長〉
  平成五年当時、福岡の副県長だったTさんは、会合等でも中心になって日顕上人誹謗(ひぼう)を行ない、また、会館に訪ねてきた会員達にも、テーブルを叩いて宗門誹謗をしていました。
  Tさんは、会社の役員をしていましたが、その後、何億という多額の架空取り引きをデッチ上げていることが発覚、会社も倒産してしまいました。
  その支払いのために、Tさんは自らの家屋敷を抵当に取られ、全ての財産も没収され、それでも、まだかなりの借財が残って、その後、行方不明になってしまいました。
◇  ◇  ◇
〈あの阪神大震災も、ニセ本尊流布の現証〉
  平成七年一月十七日未明、阪神・淡路地区を突如襲(おそ)った大地震――。震度七の激震と大規模な火災の発生によって、死者六千四百三十六名、負傷者四万名以上、破損した家屋は十一万棟にも及ぶという、戦後最大の被害となりました。
  もともと神戸近辺は、昔からまず、地震は起きない≠ニいわれてきた地域です。そのような場所で、突如、あのような大規模な地震が起きたのには、やはり大きな原因があるはずです。
  創価学会では、平成七年を「関西勝利の年」「兵庫の時代」と銘打っていました。そのせいもあってか、ニセ本尊への交換が急ピッチで進められ、震災直前の十五日と十六日には、兵庫の各会館でニセ本尊が大量に配布されました。
  このことは、同時に、それまで各会員に下附されていた日蓮正宗の御本尊が大量御不敬された(学会は正宗の御本尊を回収した後、一体も返却していません)ということでもあります。
  日蓮大聖人は、
  「謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星(すいせい)は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ」(御書七六四頁)
と仰せられていますが、まさに、大謗法であるニセ本尊が一気に充満したために、大地が大波のごとく踊った、という現証にほかなりません。
また、この地域に住んでいた会員は、といえば、
  「『四支部とも焼けてもうたんですわ』。本部長の宮本満さんは語った。(中略)文字通り壊滅(かいめつ)状態」(『聖教新聞』平成七年二月十五日付)
等の報道のとおり、家がつぶれて跡形もなくなったり、圧死や焼死で亡くなった方も非常に多かったのです。
  とくに、一番被害のひどかった長田区一帯は、学会員が一番密集していた地域でした。
◇  ◇  ◇
〈何の因果か、立宗宣言の日に〉
  福岡県のSさんは、平成七年四月二十八日、日蓮大聖人立宗宣言の日に、『聖教新聞』配達中に大型トラックにはねられて即死してしまいました。葬儀の時、祭壇にかけられていたのは、やはりニセ本尊でした。
◇  ◇  ◇
〈悲惨としか…〉
  福岡県に住む熱心な学会員・Kさん一家の中学三年になる娘さんは、平成七年十二月、十七歳の少年に出刃包丁で顔や胸を刺され、即死してしまいました。
◇  ◇  ◇
〈誤りに気付くだけでは…〉
  東京都のMさんは、学会に疑問を持っていましたが脱会できずにいました。
  Mさんの父親も学会員でしたが、平成七年にニセ本尊に替えてから、がんであることがわかり、翌平成八年一月に死亡。Mさん自身も、間もなく肝臓を悪くして入院してしまいました。
◇  ◇  ◇
〈転んだだけなのに〉
  日顕上人誹謗(ひぼう)を繰り返していた大阪府のNさんは、家族で熱心にニセ本尊を拝んでいましたが、平成八年、通勤途中に自転車で横転。それだけのことで、腰の骨にヒビが入るという全治二ヶ月の重傷を負ってしまいました。
◇  ◇  ◇
〈ヒロエ・クロウの死〉
  いわゆる「シアトル事件」の証言℃メ、シアトル在住の学会婦人部幹部ヒロエ・クロウは、平成八年三月二十四日(現地時間三月二十三日)、六十四歳という、まだまだこれからの年齢で急死してしまいました。
  死因は肺がんだ、といいますが、死のわずか二ヶ月足らず前に、日本の法廷で元気そうに証言≠オていたことを思えば、つくづく果報の厳しさを痛感させられます。
◇  ◇  ◇
〈無理心中した活動家夫婦〉
  平成八年六月、東京・板橋区で、学会員である主人が、これまた学会活動に熱心な奥さんを出刃包丁で刺し殺し、自らも後追い自殺をする、という傷ましい事件が起きました。
  このT夫妻は、店の看板に三色旗のデザインを入れたり、新聞啓蒙(けいもう)にも熱心で、亡くなる数日前にも「主人と一緒にお山(牧口記念館)≠ノ行ったの」と近所の人々に言い廻わるほどの活動家であったといいいます。
◇  ◇  ◇
〈離陸失敗の飛行機の中で…〉
  平成八年六月十三日、福岡空港で、ガルーダ・インドネシア航空機が離陸に失敗し、爆発炎上する、という事故が起きました。
  大惨事にも拘(かか)わらず、乗客・乗員のほとんどが、非常出口や機体に生じた亀裂などから脱出して無事でしたが、不幸にも三名の乗客が亡くなってしまいました。
  そのうち、Iさんは、家族と共に熱心な学会員で、とくに父親は「センセーが地獄に行くなら、自分も行く」と公言していたほどでした。
  また、Oさんは、娘さんが非常に熱心な学会員でした。
◇  ◇  ◇
〈当然の帰結〉
  大阪府のAさん一家は熱心に学会活動をしており、今回の学会問題が起きた直後、部屋に掛けてあった日顕上人の写真を焼却し、再三にわたる折伏にも全く耳を貸しませんでした。
  そのAさん、平成八年七月に、白血病に侵され入院。そのわずか十日後に死んでしまいました。四十五歳の若さでした。
  また、Aさんの娘は、子供を残し、夫以外の男性と蒸発してしまいました。
◇  ◇  ◇
〈火事の犠牲者は〉
  平成八年九月、東京・墨田区の学会員の家が夜中に火事になり、五人家族のうち、祖父と妻、中学生の長女が焼死してしまいました。
  焼死した三人のうち、とくに妻は、バリバリの活動家で地区担当員。よく学会の文化会館に行き、脱講運動も活発に行なっていました。
  ちなみに、この地域の文化会館では、以前、日顕上人を模(も)した人形と、それを殴るための「トンカチ」が置いてあり、来館者に日顕上人の人形をボコボコ叩かせていた、といいます。
◇  ◇  ◇
〈選挙大好き学会員の息子が不慮の死〉
  平成八年十月のある夜、新潟県柏崎市安田のJR信越本線安田駅付近で、貨物列車が脱線事故を起こし、信越本線は翌日の夕方まで不通に。
  これにより、本来、信越本線を走るべき青森発・大阪行きの寝台特急「日本海二号」が、信越本線と並行して走る越後線を使って迂回運転したところ、翌日未明、この特急列車が酒に酔って線路に寝ていたAさん(35)をはね、はねられたAさんは即死してしまいました。
  信越本線の脱線事故がなければ、あるいはAさんが事故に遭(あ)うことはなかったかもしれません。
  何とも不幸な巡り合わせですが、じつは、Aさんのお宅は学会員で、母親は「選挙のF取りをすると最高に歓喜する」と公言するほどの活動家。皮肉なことに、Aさんが亡くなった日は、衆議院選公示の当日でした。
◇  ◇  ◇
〈ブラジル飛行機墜落で犠牲になったSGI会員〉
  平成八年十月、サンパウロのコンゴニアス空港を飛び立った飛行機が、離陸(りりく)直後、住宅地に墜落(ついらく)・炎上するという事故が起きました。
  この事故で、乗客・乗員、そして住民の、併(あわ)せて九十八名が犠牲になったのですが、亡くなった乗客の中に、毎年、巨額の財務をしていたことで有名だった、ブラジル創価学会のメンバーがいました。
  また、墜落現場で左官の仕事をしていたF氏は、墜落した飛行機の燃料を浴びて、全身火だるまになり、助けを求めながら死亡。F氏も熱心な学会員で、地元新聞は、F氏が拝んでいたニセ本尊と共に写真入りで紹介していましたが、何ともお気の毒なかぎりです。
  これとは対照的に、ブラジルの法華講員KさんとAさんは、不思議な形で、この大事故を免れることができました。
◇  ◇  ◇
〈一家四人が焼死〉
  平成九年二月、宮城県で一家四人が焼死する火災事故がありました。犠牲になったのは、Uさん夫妻と、身体の不自由な姉と母親です。
  出火当時、地元消防団員数人が、Uさん宅から数十メートル離れた集会所におり、駆けつけたのですが、その時はすでに手遅れの状態でした。その火災事故を報道したニュースでは、学会のニセ本尊が大きく映し出されていました。
◇  ◇  ◇
〈合葬納骨事件の端緒を作った脱落僧の死〉
  いわゆる「大石寺合葬納骨事件」の端緒(たんしょ)となった、創価学会が、平成五年から六年にかけて『創価新報』等に掲載した米袋に詰められた合葬骨≠ネる写真。その写真を創価学会側に提供したのが脱落僧の岡崎雄直ですが、創価学会が、問題の写真をセンセーショナルに扱って誹謗(ひぼう)報道を開始した三年後の平成九年三月四日、岡崎は、心不全のため三十七歳という若さで急死してしまいました。
◇  ◇  ◇
〈「戦い」が済んで…〉
  平成九年三月、群馬県前橋市の公明党市議・T氏(53)が急死しました。
  T氏は、そのわずか三週間前に行なわれた市議選で当選したばかり。
  ところが、当選の翌日、T氏は、選挙中の無理がたたり、体調を崩して入院。風邪をこじらせて肺炎を併発したもので、最後は肺水症になり、命を落としてしまったのでした。
 この話には後日談があります。じつは、この時の市議選には法華講員も立候補しており、惜しくも次点となっていたのですが、学会員らは選挙期間中、この候補を当選させまいと様々に画策し、法華講員候補の落選が決まった時にはバンザイまでした、といいます。
  ところが、T氏の死去によって、次点であった法華講員候補が繰り上げ当選となったのです。
  T氏にとっても創価学会にとっても、何とも皮肉な結果となったのでした。


とても考えられない事件・事故

 誤った信仰は人格を破壊します

宗門に対する謀略報道に関与した最高幹部・脱落僧にも厳然たる現証が

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◇  ◇  ◇
〈ノイローゼから焼身自殺した壮年部幹部〉
  新潟県三条市で学会の壮年部幹部を務めていたKさんは、熱心に学会活動をしており、学会葬の導師もしていました。
  法華講員に対しても脱講運動をしたりと、そうとうの学会狂信者でしたが、平成十年四月に直腸がんの手術を受け、その後、しばらくしてからノイローゼ気味になってしまいました。
  そして、同年十一月、Kさんは眠っていた妻の首を包丁で斬(き)りつけて、妻を殺害しようとしたのです。
  妻は、血を流しながらも助けを求めて外へ出ていったのですが、その間にKさんは、家に灯油を撒(ま)いて焼身自殺を図り、自宅は全焼。その焼け跡から発見されたKさんの遺体は、炭化していました。
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〈強引な勧誘≠フ果てに〉
  東京・目黒区の支部副婦人部長のHさん(52)とその娘T子さん(21)は、共に熱心な学会員で、二人はT子さんの夫であるAを創価学会に入れようとしていました。しかし、Aが拒(こば)み続けたため、別れ話となり、T子さんは実家であるHさんのマンションに戻ってしまいました。
  その数日後の平成十年十一月のある日、Hさん宅に乗り込んだAは、口論の末に、包丁でHさんとT子さんを刺してから自殺を図り、死亡。Hさんは逃げようとしてベランダから転落し、死亡。T子さんは意識不明の重体になってしまいました。
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〈ショック!「平和会館」で職員同士の殺人未遂事件〉
  平成十一年五月十四日の白昼、東京都立川市の立川平和会館で、とんでもない事件が発生しました。
  学会女子職員の田代美恵子(女子部副本部長・当時)容疑者が、聖教新聞社職員のK(支部長・当時。前年までは男子部全国副書記長)を包丁で刺し、田代容疑者は現行犯逮捕される、という事件でした。
  田代容疑者とKは、三年ほどつき合っていたそうですが、別れ話をKから持ちかけられた田代容疑者が、「殺すしかない」と、包丁を用意し、会館内の応接室でKの左わき腹を刺した、とのこと。
  なんでも、二人が交際を始めたときには、すでにKには奥さんも(子供も)いたというのですから、本当に驚き、呆(あき)れてしまいます。
  いったい、学会員の倫理観はどうなっているのでしょうか。
  これも、日蓮大聖人の後継者である御法主上人猊下をゆえなく邪淫(じゃいん)呼ばわりしたがための、「還著於本人(げんじゃくおほんにん)」の現証でありましょう。
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〈盲腸で入院したはずが「帰らぬ人」に〉
  大阪府に住む、地区幹部をしていた婦人部のKさん(59)は、法華講員から折伏されるたび、笑いながら、日顕上人や宗門を誹謗(ひぼう)していました。ニセ本尊の販売≠ェ開始された際には、いち早く交換し、家族全員が池田センセイを尊敬する学会家族でした。
  一見、健康そうなKさんでしたが、平成十一年、盲腸で入院。手術を受けた後に、入院中の病院で脳こうそくに。さらに、どういう加減か、医師が気付くのが遅れ、緊急処置も間に合わずに死亡してしまいました。
  近所の方も、「盲腸で入院したのに、死んで帰るとは思いませんでした」と驚いていました。
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〈学会員にとって選挙は「鬼門」!?〉
  大阪府のS婦人部支部指導員(60歳代)は、折伏に来た法華講員に「組織活動はしていない」と言いながら、日顕上人と宗門に対する悪口誹謗を口にしていました。またSさんは、「センセイから離れたらあかん。早く学会に戻っておいで」と、口癖のように語っていました。
  そのSさん、平成十二年の衆議院選挙の際、枚方駅に来た神崎代表の演説を聞きに朝早くから出かけて行き、帰りは公明党のF取りに回った、その夜、自宅で心不全を起こして亡くなってしまいました。
◇  ◇  ◇
〈池田大作の噂の人≠焉r
  かつて池田大作との関係が噂された、元衆議院議員で、総合婦人部長などを歴任した多田時子は、膵臓(すいぞう)がんのために、平成十二年十二月二日、苦悶の相で亡くなりました。
  この衝撃的な出来事に、すぐには死亡を発表できなかったのか、死が公表されたのは数日後のことでした。
◇  ◇  ◇
〈親子の絆さえ忘れて〉
  平成十二年十二月十日、愛知県武豊町に住む谷川千秋容疑者(21)と妻の万里子容疑者(21)が、保護責任者遺棄致死容疑で逮捕されました。
  二人は、自分たちの長女である依織ちゃん(3)を段ボール箱に入れて放置し、食事を十分に与えず餓死させたもの。食事は一日にパン一口という日もあり、おむつもほとんど交換されていなかった、といいます。
  依織ちゃんは発見時、身長は89センチあったものの体重はたった5キロしかありませんでした。
  付近の住人の証言によると、二人とも熱心な学会員で、よく会合に出かけたり、勧誘≠ノ歩いていた、とのことです。
◇  ◇  ◇
〈これでは死んでも浮かばれぬ〉
  埼玉県のYさんは、法華講員に何度も何度も折伏されながら、聞く耳を持たず、頑固に反対してきました。
  すると、平成十二年、昼時に火事を出して、家は丸焼け。ご主人は焼死し、奥さんは、大やけどで入院してしまいました。
  その奥さんは、退院後、折伏のため訪ねた法華講員に対し、「主人は何も家のことができない人だから、私が死ぬより主人が死んでよかったわ」と、平然と言い切りました。
◇  ◇  ◇
〈「口」を武器にしてきた男の最期〉
  創価学会の副会長にして、広報室長だった西口浩氏(53)が亡くなったのは、平成十三年五月二十一日のことでした。原因は、口内にできたがんでした。
  西口氏は「池田名誉会長の懐刀(ふところがたな)」とまで言われた大物幹部であり、学会批判者を猛然と人格攻撃したり、近寄るマスコミに札束攻勢をかけるといった辣腕(らつわん)ぶりは、マスコ関係者のよく知るところでした。
  西口氏はテレビ番組にもよく登場し、学会への批判に雄弁に反撃する論客ぶりを見せていましたが、その西口氏が「口」のがんで亡くなるというのは、謗法の果報でなくして、いったい何でありましょうか。しかも、西口氏は、手術によって顎(あご)の下部を切除し、まったく別人のような風貌と成り果てていた、とのことです。
  ちなみに、この大物副会長の訃報が『聖教新聞』に掲載されることはありませんでした。しかもその葬儀は、家族だけで葬儀を済ます「家族葬」という密葬≠ナした。
  むろん、西口氏の死を、会員に知られないようにするための措置でありましょう。
◇  ◇  ◇
〈手錠をはめられ高速道路で死亡〉
  平成十三年七月、中国自動車道で、女子中学生Kさんが手錠をはめられたまま死亡、というショッキングな事件が発生しました。
  死因は、頭部と足にできた大きな傷による失血死で、Kさんは走行中の自動車から高速道路上に出た後、別の車輛に轢(ひ)かれたのが目撃されています。 
  Kさんの家は創価学会員で、Kさん自身も学会員でした。
◇  ◇  ◇
〈あの9・11テロでも〉
  平成十三年九月十一日にアメリカで起きた、あの忌まわしい同時多発テロでも、多くの学会員が犠牲になったようです。
  中でも、世界貿易センタービルに突入したアメリカン航空のボストン発ロサンゼルス行き11便には、ロサンゼルス在住の「アメリカSGI(創価学会インターナショナル)」職員Aさん(48)が搭乗していました。
  Aさんは、アメリカSGIの本部経理部長をしており、この日は出張を終え、妻子三人が待つ自宅への帰路でした。
  何とも不運でお気の毒な出来事ですが、因果を説く仏法の視点から捉(とら)えるならば、あらゆる事象は全て、因縁によって生ずるわけですから、やはりこれも、起こるべくして起きたこと、と言うしかありません。
◇  ◇  ◇
〈親子喧嘩の末に〉
  平成十三年九月、福岡県京都郡苅田町で建築業を営む上田文昌さん(56)が、自宅で息子の上田将容疑者(28)に殴り殺されました。
  行橋署の調べでは、上田将容疑者は、口論の末、父・文昌さんの顔を殴り、倒れたところを、さらに胸ぐらを掴(つか)んで、後頭部を数回、床板に打ち付けた、といいます。
  文昌さんは意識不明のまま北九州市内の病院に運ばれましたが、翌日、帰らぬ人となってしまいました。
  上田さん一家は、聖教新聞を二部購読するほど熱心な学会員でした。
◇  ◇  ◇
〈「ジコチュー」が招いた悲劇!?〉
  栃木県で、朝夕大声で勤行して、近所から顰蹙(ひんしゅく)を買っていたのは、五十代の学会員・Nさんのお宅。法華講員
が折伏に行くと、いつも怒鳴り散らしていましたが、平成十四年一月、まだ二十代の息子さんに自殺されてしまいました。
◇  ◇  ◇
〈得意の絶頂で〉
  富山県のYさん一家は、家族全員が熱心な学会員。Yさんの家は大きく、学会の会合にもよく使用されていました。
  平成十四年九月、Yさんのことが『聖教新聞』に大々的に載(の)りました。それは、創価学会の中で大功徳を受けた、という体験談記事でした。
  その記事が載った『聖教新聞』は、法華講員の家の郵便受けなどに投げ入れられ、中でも正宗寺院の郵便受けには、発行日当日と翌日の二度にわたって投げ入れられていました。
  ところがYさんは、『聖教新聞』に取り上げられた翌日、仕事先でハシゴから落ちてしまい、数日間の治療の甲斐もなく、亡くなってしまったのです。
◇  ◇  ◇
〈危険な恋愛の悲惨な結末〉
  茨城県で食堂を経営していた学会員Aさんの奥さんと、製麺所の主人の学会員が不倫関係となり、結局、Aさんの奥さんは平成十四年に自殺してしまいました。奥さんの妹さんは、その後脱会し、法華講に入講することができました。
◇  ◇  ◇
〈如是相〉
  大阪在住の学会婦人部・Kさんは、平成七年にニセ本尊を拝み始めて間もなく、顔面に大きな青アザが出現し、それと共に人前に出なくなりました。
  平成十四年、Kさんと久々に会った法華講員が近況を訪ねると、Kさんは、「いろいろなところで診てもらったけれど、原因不明。でも今は、いい医者に会えて、随分とアザも目立たなくなった」と。
  しかし、折伏が進み、Kさんの反発が強まるにつれ、最初はほとんど目立たなかったアザが見る見るうちに浮かび上がり、帰る時には、顔面の右半分に青アザがくっきりと現われてしまったのです。
  その後、街でKさんの姿を見かけることはなくなりました。
◇  ◇  ◇
〈哀れ、創価学会・公明党の広告塔≠焉r
  平成十五年八月九日、 公明党参院議員で、女優の沢たまき氏(66)が、虚血性心不全のため、参院議員宿舎二階の女性共用浴場の中で死亡しているのを、階下への水漏(も)れに気付いた宿直職員によって発見されました。発見時には、すでに死後硬直が始まっていたとのことです。
  沢氏は、創価学会芸術部の副部長などを務め、創価学会の広告塔の一人として、選挙支援や日蓮正宗攻撃などに従事していました。
  特に宗門攻撃に関しては、平成五年六月三日、沢たまき氏をはじめとする関東在住の学会員二十名が、大石寺を相手取り、「大石寺墓地は無許可営業の違法墓地である」として、損害賠償を求める裁判を起こしました(この裁判は、平成十三年十月、最高裁が沢氏らの上告を斥け、大石寺の全面勝訴が確定しています)。
  また沢氏は、平成八年の衆院選で落選後、平成十年に参院選比例代表に鞍(くら)替えして当選。以後、今度は公明党の広告塔≠ニして活躍してきました。
  ある意味、創価学会や公明党に、いいように使われてきた沢氏が、同じく、いいように使われた北條会長と同様に入浴中に急死したのは、やはり厳しい現証といえましょう。
◇  ◇  ◇
〈脱落僧の「頭目」も〉
  「C作戦」だの、「相承疑惑」だのと、学会の日顕上人誹謗に信憑(しんぴょう)性を持たせるのに最大限貢献しているのが、日蓮正宗から脱落していった脱落僧たちですが、その中心的存在であり、『聖教新聞』の誹謗(ひぼう)中傷座談会や、脱落僧グループが作る『改革時報』などに積極的に登場して、徹頭徹尾、宗門を誹謗していた大橋正淳は、平成十五年三月二日、肺こうそくのため六十五歳で死亡してしまいました。
◇  ◇  ◇
〈学会員同士の痛ましい交通事故〉
  平成十五年九月、岩手県北上市の創価学会北上会館近くの市道で、横断歩道を渡っていた市内に住むKさん(75歳・女性)が、同じく市内に住むO(63歳・女性)の車にはねられ、意識不明の重体となりましたが、被害者のKさんも、事故を起こしたOも、日蓮正宗攻撃に余念のない、バリバリの学会婦人部でした。
◇  ◇  ◇
〈謀略の最高責任者と脱落僧が「悪因悪果」を証明〉
  偽造写真を使っての日顕上人誹謗――この「偽造写真事件」の発端を作ったのは、脱落僧・椎名法昭でした。
  すなわち、椎名法昭は、自らの撮影した宴席写真を利用し、学会と共謀して偽造写真を作成、これを使って日顕上人を誹謗中傷したのです。
  そして、こうしたどす黒い、対宗門謀略の最高責任者が野崎勲だったのですが、これだけの悪業を行なった椎名や野崎が、ただで済むはずがありません。
  まず、東京高裁が偽造写真事件に不当判決を下して(本紙平成十三年一月十六日号参照)から三年後の平成十五年十二月、椎名が肺がんで急死。まだ五十一歳という若さでした。
  そして、最高裁が、東京高裁の不当判決を支持する決定を下した直後の平成十六年年三月十四日、今度は野崎が、六十一歳の若さで急死してしまったのです。この相次ぐ急死は、とても尋常(じんじょう)ではありません。
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〈身内の死よりも「池田センセー」〉
  平成十六年二月、埼玉県の独身の四十六歳の男性Tさんが、肺気腫で亡くなりましたが、熱心な学会員である身内は、「池田先生からお香典をいただいた。すごい、すごい」と、それが、何かおめでたいことででもあるかのように喜んでいた、といいます。
◇  ◇  ◇
〈子供の育て方を間違えた!?〉
  平成十六年六月、千葉県館山市で、足の不自由な老女(85)が、海岸沿いに停めた車の中に一時間も放置され、熱中症で死亡する、という痛ましい事件が発生しました。
  これは、住所不定・無職の息子(55)が、母親である老女を車内に残したまま釣りに興じている間に、老女を熱中症で死亡させてしまったものですが、この老女は熱心な学会員でした。
  息子は、「一時間ぐらいで死ぬとは思わなかった」などと供述したといいますが、自分の息子に見殺し≠ノされたも同様なこの事件、創価学会の狂った信仰にのめり込んできたことによる果報、といえましょう。



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〈わずか二歳の幼子まで道連れにして〉
  平成十六年八月、長野県で、親子三人が焼死する痛ましい事件が発生しました。
  外部から侵入した形跡はなく、火災現場からガソリンの入った容器が複数発見されており、ダイニングにはガソリンが撒(ま)かれたような跡があるところから、警察では無理心中したものとみていますが、じつは、この一家は学会員で、妻は学会の地元幹部でした。それが、まだ二才の子供まで道連れにして無理心中とは――福運が完全に尽きたのでしょう。
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〈因果は巡る〉
  平成十六年の夏、法華講員が、江東区で学会の拠点になっているNさんの家を訪ね、折伏しましたが、全く聞く耳を持ちませんでした。
  Nさんの四十五歳の妹さんが乳がんで死亡したのは、それから百日が過ぎたころのことでした。
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〈先生より一足先に…〉
  大阪府でブロック幹部をしていた婦人部のTさん(59)は、一家揃(そろ)っての池田教徒で、「池田先生について行く。日蓮正宗とは関係ない!」と宣言していました。
  元気に働いていましたが、肺がんを発病し、一年間にわたり入退院を繰り返した後、平成十六年九月に死亡してしまいました。
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〈最後は自滅した脱落僧〉
  平成十六年十月、脱落僧・立原貞道(82)が、自ら運転する軽自動車で電柱に激突し、腹などを強く打って死亡しました。
  事故現場の佐賀県佐賀郡富士町内の国道三二三号線は、片側一車線、道幅は約六メートルで、見通しのよい直線道路。現場にスリップ痕(こん)などはなかったといいいます。
  立原は、平成四年四月三十日に日蓮正宗から脱落し、池田創価学会の走狗(そうく)となり、その後、自らが住職を勤めていた佐賀県・大恩寺を創価学会に明け渡してしまい、創価学会はこれを多久婦人会館として使用するなどしていました。
  ちなみに立原は、平成十三年十二月に、やはり自ら軽自動車を運転して人身事故を起こし、小学一年生(六歳)の男の子を死亡させています。
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〈「辞めたら死ぬ」と言っていた、その本人が…〉
  脱会し、法華講員となった人に対し、「早く学会に戻ってきなさいよ。学会を辞めたら死んじゃうよ」と言っていた埼玉県在住のS指導長さん(女性)。
  ところがそのSさんが胃がんになり、平成十六年に手術をしたものの、すぐに再発し、死亡してしまいました。しかもその死相は、見た人が思わず顔を覆(おお)ってしまうほどだった、といいます。
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〈脱講運動の帰りに悲惨な事故死〉
  平成十七年二月、土浦市に住む学会員Sさん(79)が、自転車で道路を横断中、車にはねられて死亡しました。
  Sさんは、自宅近くの県道を自転車で横断しようとしたところを、右から来た乗用車に反対車線まではね飛ばされ、さらに左から来た乗用車にもはねられて、約一時間五十分後に死亡したのです。
  Sさんはこの日、法華講員宅を訪ねて日顕上人をさんざんに謗(そし)って、その家を出た直後にこの悲惨な事故に遭(あ)った、といいます。
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〈「学会は正しい」はずなのに…〉
  平成十七年四月、福島県いわき市内の磐越東線の踏切で、いわき発郡山行きの普通列車と乗用車が衝突する事故が起き、乗用車を運転していたOさん(55)が死亡、助手席に乗っていたOさんの妻も意識不明の重体となりました。
  Oさん夫妻は熱心な学会員で、事故のわずか二日前にも、折伏のために訪ねていった法華講員に対し、「池田先生と学会は正しい。悪いのは宗門だ!」と言い張り、日顕上人や僧侶の悪口をさかんに言っていました。
◇  ◇  ◇
〈いちばんのお客様=r
  千葉県に住むKさんは、平成十七年に学会に入会。ニセ本尊を拝んだところ、だんだんと言動がおかしくなり、ついには精神病に。
  法華講員となった妹さんがKさんの入院先にお見舞いに行ったところ、関係者の話から、その病院の患者のほとんどが学会員であることが判(わか)った、といいます。
◇  ◇  ◇
〈息子を地獄に引き戻したのは…〉
  横浜市のSさん。平成十七年六月、一度は法華講に入講したものの、池田狂の母親と同居していたため、母親によって池田狂に再洗脳されてしまい、ついには宗門の批判を口にするようになってしまいました。それから間もなく、三十八歳の若さで自殺してしまいました。
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〈これも自業自得〉
  新潟県に、Tさんという老学会員(女性)がいました。
  平成十四年秋から翌年の春先にかけて、Tさんは、近所の法華講員(女性)に対し、幹部なども交えてしきりに脱講運動を仕掛けてきました。
  そのTさん、平成十六年末に交通事故に遭(あ)い、両足切断という大怪我を負ってしまい、その後の治療の甲斐もなく、平成十七年八月中旬に亡くなってしまいました。近所の法華講員に脱講運動を仕掛け始めてから三年目のことでした。


 終わりに一つお断りしておきますが、本紙はけっして、人の不幸をあざ笑うために、このような特集を組んだのではありません。日蓮大聖人の
  「一切は現証には如かず。善無畏・一行が横難横死、弘法・慈覚が死去の有り様、実に正法の行者是くの如くに有るべく候や。(中略)それほどに浦山敷くもなき死去にて候ぞやと、和らかに又強く、両眼を細めに見、顔貌に色を調へて閑かに言上すべし」
(御書一一〇六頁)
との仰せに従って、現実を現実として、何ら誇張することなく示すことで、一人でも多くの学会員が一日も早く正信に目覚めることを願っての特集なのです。
  最後にもう一度申し上げます。学会員のみなさん、この現実を、どうぞ直視してください!

 

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