入信14年の大功徳、自閉症の娘を抱えた地獄の日々は今、大歓喜の人生へ

第34回総会より
穂積貴美子さん

我が家は今年で入信14年、いわゆる二度目の7年という大きな節目を迎えました。
  仏法では、百日・一年・三年・七年で果報が現われる、と言われますが、二度目の七年という節目にあたり、これまで私達家族が御本尊様から頂戴した、かけがえのない大功徳の数々について、発表させていただきます。
 私の実家は先祖代々、身延山久遠寺を熱心に信仰してきた邪宗日蓮宗の檀家で、しかも父はそのリーダー的役割をしてきました。
 その害毒によるものでしょう、私は先天的に、左胸のろっ骨が全て内側に曲がり、左胸が陥没したような奇形を持って生まれてきました。その上、全身にひどいアトピー性皮膚炎、さらには重い喘息まで持っており、私は幼少時から、胸の圧迫感と、激しい喘息の発作、アトピーによる痒(かゆ)みと痛みに苦しめられました。

そんな私の姿を見て、悲嘆にくれた両親は、それが恐ろしい邪宗であるとも知らず、ひたすら日蓮宗の本尊に手を合わせ、祈祷し続けたということです。
 その結果、事態は良くなるどころか、かえって悪化し、アトピーの痒みを抑えるために塗ったステロイド剤の副作用で、私の体力は低下し、薬を塗り重ねた皮膚はケロイド状になってしまいました。
 私は、あまりの辛さに、「どうして、こんな醜い身体に生んだのか!?生まれて来たくなかった!」と、両親に対し、怒りと憎しみを懐(いだ)くばかりでした。
 成長してからも、これらの悩みが解決することはありませんでしたが、絵の道を志した私は、そこで縁あって、やはり絵の仕事をしている現在の主人と出会い、結婚しました。
 一見、幸せな日々が訪れたかに見えたのですが、命の奥底まで染み込んだ邪宗の害毒の恐ろしさ、筆舌に尽くせない苦しみは、ここからが本当の始まりだったのです。

結婚後まもなく授かった、私の長女・佳苗は、自閉症という病気を持って生まれてきました。
 自閉症とは、生まれついての脳障害で、見たり聞いたりした事を、普通の人と同じように感じ取ったり理解することができません。そのため、言葉を覚えることも難しく、精神の成長も遅れ、普通の人間らしい会話など一生できない病気です。現代の医学では、残念ながら原因も分かっておらず、したがって治療法もありません。
 しかも娘は、同じ自閉症児の中でも非常に症状が重く、母親である私の存在も、娘にとっては道ばたの石コロと何ら変わらず、たびたび大変なパニック症状を起こしては、奇声を上げて暴れ回り、自分や相手を傷付け続ける――ということの連続でした。
 特に、夜になるとその症状が激しく起こり、夜中に娘がパニックを起こして奇声を上げるつど、近所への気づかいから私達夫婦は眠ることさえできず、次第に追い詰められ理性を失った主人は、声を出させないように娘の口を手で塞(ふさ)ぎ、このまま呼吸が止まるまで塞ぎ続けてしまうのではないか、という場面も何度もありました。
 そのような日々に疲れ果てた主人は、大量のお酒を飲むようになり、短期間で12キロも体重が減ってしまいました。

それは、いっときも心の休まることのない、地獄のような毎日でした。
  また、そのような状態で満足な仕事などできようはずがなく、私達夫婦は、経済的にも困窮していきました。
  娘が小学校に入学する年齢になった平成十年の春、娘の精神的な成長のために、と思い、無理を押して普通学級へ入学させました。
  しかし、その時の娘は、こちらの話す単語をオウム返しのように繰り返すことはできても、まったく会話もできない状態でしたので、これはかなり無茶な望みでした。
  同級生からは「こんな子をどうして学校に来させたのか」と、さっそく、いじめ、追い出しが始まり、さらに私は、毎日の小学校の送り迎えに加えて、いつ起きるかわからない娘のパニックに備えて、毎日、小学校の道具置き場で待機せざるをえませんでした。
  もう、私達夫婦は、精神的にも体力的にも限界を超えてしまっており、「ここから逃げたい。死にたい。この子がいなければ…」などと恐ろしい選択肢まで考えるようになり、完全なノイローゼ状態となっていきました。

そのような状況にあった平成10年7月、縁のあった竹井はるみ幹事から、この仏法の話を聞かされたのです。
  そして、私の背負った不幸は、正しい仏法に背き邪宗の害毒を受けてきた果報なのだから、今度はこの正しい仏法に従っていけば必ず幸せになれる、との説明と、「佳苗ちゃんの障害は絶対に直るよ!」との真剣な言葉に後押しされ、家族皆で入信することができたのです。
そして、その日以来、家族三人で御本尊様に手を合わせ、欠かさず毎日の勤行唱題を続けていったところ、入信半年目に、最初の奇跡が起こりました。佳苗が、突然、自分の感情を言葉で話し始めたのです。
この驚くべき現証を見て、私達はいっそう日々の勤行に励み、また毎月、総本山大石寺に参詣するようになりました。

総本山への登山参詣にあたっては、宿泊中に、佳苗の持つパニック症が起こり、宿坊で奇声を上げたり、寝ている人の周りをジャンプし、走り回ったりして、迷惑をかけるため、最初の一年間というもの、紹介者であった竹井幹事の一家が、毎回、日帰りで私達を総本山に連れて行ってくださいました。そのおかげで、毎月、大功徳を積ませていただき、本当に感謝しても、しきれない気持ちで一杯です。
そして、そのように信心修行に励むようになったところ、佳苗はどんどん成長し始め、言葉を使い、友達ともコミュニケーションが取れるようになっていきました。これには、佳苗をずっと診てきてくださった発育センターの先生が驚いてしまい、
「佳苗ちゃんを見ていると、たしかに仏法の力だとしか思えない。信じざるをえない」
とおっしゃって、御授戒を受けられたほどです。

また、こうした佳苗の成長に伴って、周りの人達が、本当に佳苗を大事にしてくれ、親身になって協力してくれるように変わっていきました。
 入学した当初は、佳苗を追い出しにかかっていた子が、真っ先に佳苗の一番の仲良しになり、それからの小学校生活の中では、いじめにあう事など一度としてなくなり、同級生のお母さん方や担任の先生からも、とても大切にしていただくようになったのです。
 そのような折、重い脳障害のお子さんを持ちながら、その状況を信心によって克服された、大先輩である高野充子幹事にお話を伺う機会がありました。
 どのようにして絶望的な病気を乗り越えられたのか、お聞きすると、高野幹事は、満面に笑みをたたえて、
「それは折伏ですよ。罪障消滅のために折伏をすることです。私は、親戚・知人・近所の人達を片っ端から折伏し、そのつど悪口を言われたり、村八分にされたりしましたが、その功徳で、絶望的な窮地(きゅうち)を何度も御本尊様から救っていただきました。本当に折伏する功徳は絶大ですよ」
と、本当に楽しそうに話してくださいました。

それまでの私は、折伏をすることに対して臆病でしたが、同じ原因を積めば同じ結果が得られるはず、「娘の障害が直るなら」と思って、この日から固く折伏の実践を決意しました。
 そして、両親・友人・知人・親戚・近所の創価学会員と、次々に折伏していったのです。
 この折伏への反発は凄まじく、学会男子部が、連日のように、夜遅く自宅へ嫌がらせに押しかけてきたり、また、何かと佳苗がお世話になってきた学習塾の先生においては、それまでの心温まる人格の先生とは別人のような形相(ぎょうそう)となり、「この恩知らず!今すぐ出て行きなさい!」といって絶縁されてしまいました。
 その先生から切り捨てられた時は、本当に辛くて悲しくて、涙が止まりませんでしたが、講中の先輩から
「これは、折伏をした功徳によって、自分の命の奥に刻まれている不幸の原因である罪障が、軽く小さな苦しみとして、一時に絞り出されている相(すがた)です。これで罪障が消えていきますから、必ず佳苗ちゃんは良くなりますよ!」
と励ましていただき、心を取り直して唱題していきました。

すると、その直後、またしても驚くべきことが起こりました。佳苗が突然、入信する以前の、小さかった頃の記憶を話し出したのです。
「ねぇ、ねぇ、お母さん、佳苗ちゃんね、昔、幼稚園の時、しゃべれなかったよねぇ。真っ暗で、怖くて、怖くて、一人ぼっちで、いつも泣いてたよねぇ。でも、御本尊様に南無妙法蓮華経と言うようになってから、しゃべれるようになったよね」
と。
 私は驚いて、耳を疑いました。自閉症の子供が、過去の、それも全く感情が持てないでいた頃の、苦しみの記憶を話すなど、ありえないことです。
 しかも、当時は表現できなかっただけで、じつは佳苗自身が、耐え難い苦しみを感じ続けていたことがわかりました。それまで、一番辛かったのは、主人でも私でもなく、佳苗本人だったのです。
これを知って、私の佳苗への想いはいっそう深まり、結ばれていないとばかり思っていた親子の絆(きずな)が、固く結ばれていくのを実感しました(大拍手)。

この時を境に、娘は、人としての人格を徐々に持てるようになり、さらには、無事に中学校にも進み、家から三十分程かかる通学路を、自分の意志で、一人で通うことができるようになったのです。
 一気に階段を駆け上がるような勢いで奇跡の成長を遂げた佳苗は、その後、中学校から高校へと進みました。
 かつては、普通の会話もできず、奇声を発して暴れ、自らどうしようもない苦しみに煩悶(はんもん)していた、あの佳苗の姿からは、まったく考えられない、夢のようなことです。本当に御本尊様の功徳以外、何ものでもありません。
 そして、振り返ってみれば、私自身も、毎日血だらけになるほど掻(か)きむしり、苦しんできた、あのひどいアトピー性皮膚炎が自然に治っており、さらには喘息(ぜんそく)の発作も治まって、風邪ひとつひかない健康体となっていました。
  主人においても、浴びるほど飲んでいたアルコールが全くいらなくなり、仕事の依頼が増加して、経済面でも安定しております。

この信心をすれば、精神面・健康面・経済面と、三拍子揃って満足する、と教えられてきましたが、本当にそのとおりの結果となり、御本尊様の偉大な御力の前にひれ伏す思いです。
 なお、今から三年程前のことですが、お登山した際に、佳苗が突然、「私、丑寅勤行に行ったら、普通の人になれる?」と言ってきました。
 この言葉を聞いて私は、これまで佳苗が、自分の障害のことを本当に悩んできたことを知り、胸が締(し)めつけられるような思いで、「うん、なれるよ」と答えました。
 そして、この時から佳苗は、丑寅勤行の時間になると必ず自ら起床して、家族を起こし、自分自身の志で進んで丑寅勤行に参詣するようになったのです。
 そして、その功徳は、厳然と佳苗の人生の上に現われてきました。

今から二年前、高校を卒業した佳苗は、障害者就労支援センターに就職しましたが、その仕事内容、人間関係、全てに太鼓判を押されるようになり、たまたま佳苗の仕事ぶりを目にした、ある会社から、「あの元気で明るい子に、ぜひ当社で働いてほしい」と高く評価され、支援センターに問い合わせがあったとのことです。
 これについて支援センターの方々からは、「こういう要請がありましたが、佳苗さんの存在は大きくて、センターとしても手離したくないのです」と、本当に有り難い言葉をいただきました。
 こうして本年一月、成人式を迎えた佳苗は、現在、一般企業への就職に向けて頑張っています(大拍手)。
佳苗が近い将来、私達の手を離れて、自立して生きていける日が来る――それは親として本当に嬉しいことであり、その不可能と思われた願いが、もはや、夢ではなく現実のものとなることがハッキリと見えてきました。なんと有り難いことでしょう。
 今から十四年前、折伏を受けてこの御本尊様に巡り会っていなかったなら、今日の私達家族はありませんでした。考えるのも恐ろしいことですが、無理心中以外に道はなかったものと思います。
 しかし、御本尊様と巡り会い、今までの人生を振り返ってみた時に、全てを乗り越えてくることができました(大拍手)。

私自身、業病を背負って生まれてきながら、今こうして健康に暮らせることの有り難さを噛(か)み締(し)め、また、佳苗と共に生きてくる中で、家族が共に喜び、共に涙しながら、苦難を乗り越え、かけがえのない深い絆を結ぶことができて、本当に口では言い表わすことのできない、人生の喜び、醍醐味(だいごみ)を味あわせていただきました。日蓮 大聖人様は、
「南無妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽(ゆうらく)なきなり。経に云はく『衆生所遊楽』云云。此の文あに自受法楽(じじゅほうらく)にあらずや」(御書991頁)
「南無妙法蓮華経は大歓喜の中の大歓喜なり」(御書1801頁)
と仰せですが、私は、今生のこの人生こそが、何にも代え難い最高の幸福な人生であると、今、確信をもって言うことができます。そして、私達家族をこの仏法へと導いてくれるキッカケとなった佳苗に、心から感謝しています。
また、これまで私達家族の罪障消滅を御祈念くださった御住職様、温かく見守ってくださった講中の皆様方に、衷心より御礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました(大拍手)。
今後は、御本尊様への御報恩のため、いまだ邪宗の害毒に縛られ苦しんでいる人達を、一人でも多く救ってあげられるよう、家族皆で力を合わせて折伏に精進(しょうじん)してまいります。
ありがとうございました(大拍手)。