邪宗の村の中で一人 正法へ入信、 まさに「冬から春へ」と開けた境遇

第34回総会より
井桁美也子 さん

私は、今から22年前、姉の折伏によって、日蓮正宗に入信することができました。
 私は京都で生まれ育ったのですが、家は京都の西本願寺と東本願寺の間の地域にあり、私自身、幼い頃より、家にある仏像から道端の地蔵にまで手を合わせ、深く邪宗教に関わってきました。
  そして、高校を卒業した年に結婚し、奈良県の室生(むろお)村という所に嫁いだのですが、その村には〝女人高野〟として有名な、真言宗室生寺派の大本山・室生寺があり、村自体が室生寺によって成り立っている、という土地柄だったのです。嫁ぎ先も室生寺と深く関わっており、姑は室生寺で働いておりました。
  そのような村で生活するようになって五年が過ぎた平成2年3月、二人の子供を連れて里帰りした折に、姉に連れられて妙観講の京都布教所に行き、折伏を受けたのです。

私は、その時に聞かされた真言宗の害毒の話に大きなショックを受けました。
 真言宗は、お釈迦様が説いた大日経という経典の中に出てくる〝大日如来〟という架空の仏を崇(あが)め、その大日経を説いた大元であるお釈迦様を、「大日如来よりもはるかに劣る」といって蔑視(べっし)しています。
  つまり、柱である本当の仏を押し倒して、架空の仏を崇めているわけです。そのため、真言宗を信仰していると、一家の柱となる主人や長男が立たず、病気や事故で若死にしたり、身を持ち崩して行方不明になるなどして、家が絶えたり女系になるケースが極めて多い、というのです。
 それはまさに、私が室生村に行ってからの数年間で見聞きした姿そのものでした。

嫁いだ当時、私は、村に精神障害や知的障害の男の子が異様に多いことに驚きました。その後も、成人した男性が川で水死したり、てんかんの発作や病院の誤診で亡くなってしまうという出来事が頻繁(ひんぱん)に起き、姑や嫁だけが取り残されたり、跡を継ぐ者が全て死に絶えてしまった家も、けっして珍しくはなかったのです。
 当時は、それが真言宗の害毒によるものだなどとは思いもせず、あまりの不気味さに、私は「この村、お祓(はら)いしてもらった方がいいんと違う?」と言ってしまったほどです。
 かく言う私自身、第一子を身ごもった時、七ヶ月で流産していました。男の子でした。
 折伏を受けた私は、そうしたことを思い合わせ、四歳になる息子のことが心配でたまらなくなりました。息子は、室生寺が経営する保育園に通っており、そこで毎日、真言宗の本尊を拝まされ、般若心経を読まされていたのです。私は、子供達を守りたい一心で入信を決意し、御授戒を受けました。

ところが、それを知った家族の怒りは大変なものでした。
 最初は「頼むからやめてくれ」と泣き落としだった姑は、それでも私が信心をやめないとわかると、突然逆上して、持っていた箸を投げつけてきたり、舅は舅で、事あるごとにイヤミを言ってくるのです。
 初めのうちこそ黙認していた主人も、両親の猛反発に驚いたらしく、それからは私に対して、ひどい暴力を振るってくるようになりました。両親は、主人が暴力を振るうのを見ても、「危ないからあっちに行っとこう」と言って、子供を連れて別の部屋へ退避してしまい、主人の暴力を止めようともしません。
 ある時などは、息子が家に祀(まつ)ってある邪宗の本尊を拝むように強要されていたので、私がそれを阻止(そし)しようとしたところ、姑はものすごい剣幕で怒鳴り、舅は私の顔を叩き、挙げ句の果てに家から蹴(け)り出された、ということもありました。
 とにかく、舅・姑・主人に加え、親戚も保育園の先生も村の人達も、皆が真言宗の檀家ですから、誰ひとりとして私の味方になってくれる人はいません。私が講中の先輩方と連絡を取れないように、私達の部屋の電話線も引きちぎられてしまいました。
 しかし、怒鳴(どな)られ、罵倒(ばとう)され、嫌がらせや泣き落としの日々が続き、「出ていけ!」と言われても、子供達をこの恐ろしい真言宗の村に置いて出ていくことはできません。私は、嫁ぎ先に留まり、内得信仰で信心を貫いていきました。

そして、入信から五ヶ月が過ぎた頃です。京都で行なわれる支区座談会に出席させてほしい、と主人に頼んだところ、突然、主人は狂ったように暴力を振るい始めたのです。蹴られ、服を引き裂かれ、髪をつかんで部屋中を引きずり回された私は、体中が熱くなり、足腰が立たなくなってしまいました。
  その翌日、病院へ行ったところ、私を診察した医師があまりの状態に警察に通報し、そのことから離婚することとなりました。一番の気掛かりは子供達のことでした。この邪宗にまみれた村に子供達だけを残すことは絶対にできません。しかし、主人が全面的に非を認めたので、子供達は私の方で引き取ることができました。本当に有り難いことでした。

その後、実家に戻った私は、晴れて御本尊様をお受けし、先輩や同志の方達に励まされながら、会合参加、折伏、毎月の総本山参詣と、二人の子供を連れて精いっぱい信心修行に励みました。すると、その功徳で、子供達は良い保育園に入ることができ、私も良い仕事が見つかって、私達親子の生活環境は整っていきました。
その様子に、はじめは信心に反対していた母も、御本尊様の御力を知って入信しました。
 ところが父の方は、私達の信心には反対しないものの、自分が入信することは頑(がん)として拒(こば)み続けました。折に触れて仏法の話をするものの、父は全く聞く耳を持たず、時には「うるさい!」と一喝してくることもありました。
 そして、十年余りがたった平成十五年頃、父の身に異変が起きてきたのです。
 父は、物忘れが激しくなり、外に出かけると異様に帰りの遅くなることが続きました。それが単なる物忘れでないことは明白でした。

支区部長に相談したところ、部長は「お父さんを折伏しましょう」と言って、我が家に来てくださいました。すると、父は驚くほど素直に話を聞いて、促(うなが)されるままに一緒に御題目を三唱したのです。あの頑(かたく)なに拒んでいた父からは想像もできない光景でした。そして、その翌日、父は御授戒を受けることができたのです(大拍手)。
しかし、この時すでに父の頭の中は取り返しのつかない状態になっていました。病院で診察を受けたところ、アルツハイマー型認知症であることが判明したのです。
 アルツハイマー型認知症は、記憶力の低下に始まって、次第に感情がなくなり、欲望もコントロールできなくなって、高度な痴呆状態に陥(おちい)り、そのうち身内の顔すらわからなくなって、最後には全身衰弱で死亡してしまう、という恐ろしい病気です。予想していたこととはいえ、その診断が下された時は本当にショックでした。
 もう、御本尊様に助けていただく以外ありません。家族皆で精いっぱい仏道修行に励んで、父に功徳を回していこう、と話し合いました。さらに、父自身にも功徳を積んでもらえるよう、父と共に勤行し、父を連れて会合に参加し総本山にも参詣していきました。

そのような中、父は、物忘れはあるものの、とくに不自由を感じることもなく生活してくることができました。
しかし、診断から二年ほどが経った頃より、父の病状は悪化してきて、家での介護に限界を感じた私は、父を施設に預けることを考えました。
 すると、高校と専門学校を卒業して介護福祉士の仕事に就(つ)いたばかりの息子が、真っ先に反対してきたのです。息子は、「俺が世話をするから、おじいちゃんを施設に入れたらあかん。長い間働いて俺らを育ててくれたんやから、かわいそうや」と言うのです。
 まさか息子がそんなことを言ってくれるとは思ってもいませんでしたので、私は、驚くとともに本当に嬉しく思いました。それからというもの、息子は、仕事が休みの日や帰宅後は、下の世話をはじめとする父の介護を、嫌な顔ひとつせず手伝ってくれました。おかげで、私は、会合参加、折伏、登山と、安心して仏道修行に励むことができたのです。
 母子家庭となってしまったことから、十分に母親らしいこともしてあげられなかった息子が、こんなふうに私を助け支えてくれるようになるとは、ひとえに日蓮正宗の信仰をしてきたおかげであり、本当に御本尊様に守られていたのだと、ただただ有り難くてなりませんでした。

さて、父ですが、父は、昨年二月、硬膜下血腫(こうまくかけっしゅ)になっていることがわかり、緊急手術を受けました。この手術によって認知症の症状が悪化することが心配されたのですが、父は以前にもまして元気になることができました。
 また、八月、十月と、今度は立て続けに尿路感染症にかかってしまいました。その時は、意識も低下し、もうだめかもしれないと思うほどの衰弱ぶりでしたが、私が父の耳元で題目を唱え続けたところ、翌日には信じられないような回復を遂げてしまったのです。
 今は、訪問看護や訪問入浴を利用しつつ、自宅にて家族全員で父の介護をしています。ほぼ寝たきりの父ですが、使える部分はフルに動かし、寝ながらでも鍛(きた)えられるところは鍛えようとしているようです。先日も、訪問看護の看護師さんから、「お父さん元気になってきたね。力がすごく強いわ」と言われました。
 父は、アルツハイマーを発症してから九年が経つというのに、いまだに表情も豊かで、声をたてて笑うことさえあるのです。通常、このようなことはありえないそうですが、本当に父は御本尊様に守っていただいているのだ、と実感しております。

離婚当時は幼かった子供達も今ではすっかり成長して、26歳になった息子は介護の道に進み、22歳の娘は、先日、看護師の国家試験に無事合格して、この四月から病院に勤務することになり、私にとっても両親にとっても、本当に頼もしい存在となっています。
  とくに、私が入信するきっかけになった息子は、現在、折伏にも頑張っており、その功徳で、一年前に就職したばかりの病院でも仕事ぶりが認められて、病棟のリーダーに抜擢(ばってき)されたり、病院全体の責任ある仕事も任されるようになりました。息子の仕事には、父の介護を手伝ってきてくれたことが大いに役立っているようです。
  今でも息子は、仕事で疲れて帰ってきても真っ先に父のことを気に掛けて、「おじいちゃん、おじいちゃん」とかまってくれ、父の回りではいつも笑いが絶えず、父にとっても今が一番良い環境なのではないかと思います。

また、私自身も、平成19年に、縁あって、妙観講の同志である現在の主人と再婚し、さまざまな面で支えてもらえるようになりました。
  そして平成20年に、43歳という超高齢で、勇気を出して出産した男の子も、すくすくと育ち、家族の癒(いや)しとなっております。
日蓮大聖人様は、
「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」(御書八三二頁)
と仰せられています。まさにこの御金言のとおり、二十二年前に折伏を受け、意を決して入信して以来、一時は本当に 辛い思いをしましたが、今となってみれば、両親も入信することができ、子供達も健全に育って、現在の満ち足りた幸せな人生を手に入れることができたのです。全て御本尊様によって、最良の道に運ばれてきたのだと思います。
もし、この信心に入信していなかったら、もし、嫁ぎ先の反対に屈して信心を退転してしまっていたら、今の幸せは絶対にありませんでした。それを思うと、御本尊様には感謝申し上げても感謝しきれません。
この御恩に報いていくためには、折伏を行じ誓願を果たす以外にない、と心得、家族そろって折伏に励んでまいります。
なお、本日も、父を含め、家族揃って無事に登山することができました!(大拍手) これも御本尊様のおかげであります。ありがとうございました(大拍手)。