偏頭痛が治り、自殺願望も解消、失っていた片耳の聴力も戻った

第34回総会より
勝谷貴子 さん

私は、一昨年の11月、郷里の山口から名古屋に遊びに出て来た折、いとこの木下班長から折伏を受け、入信しました。
 私は、昔から神社仏閣を見てまわるのが好きで、地元はもちろん、わざわざ京都の寺院や神社に行ったり、お守りを常に財布に入れて持ち歩くほどでした。その害毒が出たのでしょう、折伏を受けた時、話を聞いているうちに、突然、気分が悪くなり、何度もトイレに駆け込んで吐いてしまったのです。
 それが邪宗教の害毒だと言われ、半信半疑ながらこの信仰を始める決意をしました。すると、あれほど具合いの悪かったのがピッタリと治まってしまったのです。本当に不思議でした。
 その日以来、毎日の勤行に励むようになった私は、翌月には、木下班長のいる名古屋へ引っ越してきて、名古屋での会合や登山にも参加するようになりました。

そして、二度目の総本山参詣となった、昨年二月の月例登山の帰りに、大きな功徳を頂戴したのです。
じつは、私は小学生の頃からひどい頭痛もちで、頭痛から吐き気を起こして動けなくなることもしばしばでした。とくにそれが激しくなった五年生の時からは、頭痛薬のバファリンを毎日欠かすことなく飲み続け、ひどい時は、一日五回、一回に二錠、それでも効かなければ一度に五錠と、許容量をはるかに超えた量の薬を飲んでいたのです。
とにかく頭痛の兆候(ちょうこう)があると、すぐに薬を服用するのが小学生の時からの習慣となっていましたので、財布、ポーチ、カバンと、至るところに薬を入れてあったほどです。

さて、総本山から下山し、木下班長の家で食事をした時のことです。慣れない遠出と寝不足から、いつもの偏頭痛が起きてきました。
そこで、薬を飲もうとしたのですが、木下班長から、「そんなふうに薬に頼るのではなく、御本尊様を頼りなさい」と言われ、薬を飲まずに御本尊様の前に座り、唱題を始めることになりました。
ですが、徐々に頭が痛み出し、あまりの痛さに涙が出るほどです。今までは、兆候が出てきた段階で薬を飲んでいたので、本当の痛さを忘れていたのですが、久しぶりに感じる痛みは想像を絶するもので、私は、頭を押さえ、泣きながら一生懸命に唱題を続けていきました。
 すると、三十分ほど経った頃でしょうか、割れるような痛みが徐々に薄らいでくるのがわかりました。そこで、姿勢を正し、御本尊様の妙の字をしっかり見て、さらに唱題していくと、自然に涙も止まり、頭痛も収まってしまったのです。薬を飲まずに頭痛が治ったことなど、今まで一度もなかっただけに、本当に不思議でした。
 そして、この時を境に、十年以上も苦しんできた頭痛はピッタリと止んでしまったのです。そして、小学校五年生の時から毎日飲み続けてきたバファリンも飲まなくて済むようになり、薬の副作用でできていたニキビや吹き出物も治ってしまいました。
 ただただ有り難くて、私は泣いて御本尊様に御礼を申し上げました。

その後、念願かなって自宅に御本尊様をお迎えすることができました。そして、毎朝毎晩、御本尊様を拝して勤行唱題に励んでいったところ、またしても凄(すご)い功徳を頂戴したのです。
 じつは、私は、左の耳がほとんど聞こえなくなっていました。
と言うのも、今から五年ほど前、心から愛していた人を自殺という形で失ってしまい、そのショックも冷めやらぬうちに、今度は、何でも話してきた親友や友達が相次いで自殺し、さらには父方の祖父母までもが自殺していたことを両親から知らされました。「なぜ、自分の大切な人ばかり死んでしまうのか」と悩んだあげく、すっかり精神的に不安定になってしまった私は、自分自身も自殺願望に取りつかれてしまったのです。
 そして、手首や首を切ったりして、そのつど、救急車で病院に運ばれていたのですが、そんなある日、私は、一度に百錠もの精神安定剤や鎮痛剤を服用してしまいました。幸い、すぐに発見されて大事には至らなかったものの、その薬害で、左の耳がほとんど聞こえなくなってしまったのです。病院に行っても治療法はなく、半ば諦めていました。

ところが、昨年三月、理境坊名古屋出張所での春季彼岸会(ひがんえ)に参詣した時のことです。
御尊師に唱和して御題目を唱えていると、いつもより唱題が身体に染(し)みこんでくるような感覚を覚えました。さらに唱題を続けていると、今度は左耳からかすかに聞こえていた唱題の声が、どんどん大きくなっていき、唱題が終わった時には、昔のように周りの音が聞こえているではありませんか。
 驚きと感激で、その場で泣きながら御本尊様に御礼を申し上げました。こうして、左耳の聴力は完全に回復してしまったのです(大拍手)。

 有り難いできごとは、さらに重なりました。
当時の私は、木下班長のお店でアルバイトをしていたのですが、引っ越し等で出費がかさんで経済的に追い詰められ、困り果てていました。そんなある日、お客様から、ある外資系の有名IT企業が日本の販売店で店員を募集しているから応募してみてはどうか、と勧められたのです。
 大学も出ていない私なんかでは、とうてい採用されるわけがない、と思いつつ、人生経験くらいにはなるだろうと、軽い気持ちでその会社に履歴書を送付いたししました。
 ところが、書類選考を通り、さらに一次面接、二次面接と、なぜかトントン拍子に進んでしまったのです。
 そして迎えた最終面接は、なんと、英語で行なわれ、面接担当者が何を言っているのかすら、全くわかりません。相手が何を言っているのかがわからないのですから、当然、答えることもできません。とにかく心の中で唱題しながら、笑顔だけで無理矢理、面接を乗り切りました。しかも、最終面接に残っていた十二人ほどの中で、私だけが、社長の名前も言えず、本社の所在地も知らず、その会社の製品さえ持っていませんでした。
間違いなく落ちたと思ったのですが、それでも結果が出るまでに少しでも功徳を積んでいこうと思い、周りの友人を精いっぱい折伏していきました。

すると一週間後、驚いたことに採用通知が届いたのです(大拍手)。百名以上の応募者の中から、採用されたのはほんの数名だったとのことで、その中に私が入るなど、考えられないことです。本当に御本尊様の御加護以外の何物でもありません。
雇用形態も理想的で、給与も思っていたよりずっと高くて驚きました。
信心する前の私は、山口県で携帯電話の販売店の責任者をしていたのですが、その時は毎日毎日、クレーム処理や会議資料・報告書の作成、店舗のマネジメント等に追われて、サービス残業は当たり前、人間関係も悪くて、同僚からイヤミを言われたり、仕事を押しつけられたりで、まったく気の休まることがありませんでした。
ところが、入信してから就職した今の職場では、十分すぎる給料がもらえるばかりか、職場の雰囲気もとてもよく、毎日、充実して働いています。

こうしてたくさんの功徳を頂戴した私は、なんとか御本尊様の御恩に報いるべく、毎日二時間の唱題をし、本部講習会等の会合に参加して、信心について学び、職場の同僚を折伏していきました。
折伏では、自分が体験したこと、支区座で聞いて感動した体験談、本部講習会で講頭がお話してくださったことなどを相手に話し、時には講中の皆さんのお力添えをいただいて、半日かけて折伏をしました。
なかなか入信する人は現われませんでしたが、「もっともっと功徳を積んでいけば、必ず、一緒に信心できる人が出てくるのだ」と自分を励まし、一緒に信心をしてくれる人が出てくるよう祈りました。
 そして、今年一月末、大切な両親と弟を折伏しなければ、と決意し、山口の実家へ帰省しました。
 私の実家の宗旨は浄土真宗で、その害毒によるものでしょう、十数年前に祖父母が自殺し、さらには膨大な借金に苦しんでおりました。帰省した時には、その状況はさらに悪化しており、借金に追われているにもかかわらず、父は失業しており、母は、仕事と自分の母親の介護に追われて疲れきっていました。
 その状況を目の当たりにした私は、何とか家族を救い出したい一心で、信仰の素晴らしさを話しました。すると、両親は決定(けつじょう)には至らなかったのですが、弟が自ら、「やってみたい」と言い出し、その翌日には入信となったのです(大拍手)。

すると、その二日後のことです。突然、会社から、法人専任の部署への異動を告げられました。これは、私が入社以来ずっと要望していたことだったのですが、その部署は空き枠がなく、さらに専門知識が必要で、入るのが難しい部署でした。そのため、私の要望はいつも却下(きゃっか)されていたのです。
 それがなんと、弟を入信に導いた二日後に叶ったのですから、折伏の功徳は本当にすごいと思いました。
 そして、弟のことですが、弟は遠隔地で一人で信心を始めましたので、その場で一緒に勤行しながら五座・三座を教える、ということができませんでした。そこで、電話をスピーカーに切り換え、名古屋にいる私の勤行の声に合わせて、山口の弟も一緒に勤行をする、という形で教えていきました。
 その甲斐あって、弟も朝晩の勤行ができるようになり、今回の総会にも参加することができました(大拍手)。一緒に信心できる眷属ができ、本当に嬉しくてなりません。

こうして私は、入信して一年半の間に、長年苦しんできた頭痛が治り、失っていた聴力を取り戻し、さらに、本当に恵まれた仕事を得て、人生が180度、好転してしまいました。
 この信仰に出会う前の私は、まさに浄土真宗の害毒で、いつ死んでもいいと思っていました。生き続ける意味も、信じられる人も、残す物も、何もないと思っていたからです。
 けれども今は、信じられる御本尊様、励ましてくれる先輩、共に信心できる仲間がいます。入信以来、毎日毎日が驚きと感激の連続で、私はなんと素晴らしい御本尊様に巡り会ってしまったのだろう、と思うばかりです。この素晴らしい仏法に、両親や友人を一日も早く導いていきたいと思います。
 まだまだ未熟な信心ではありますが、先輩方の指導を仰いで、御本尊様の御恩に報いるべく、折伏に精進してまいります。
 ありがとうございました(大拍手)。