母の臨終の相で実証された 三世にわたる絶対的幸福

第34回総会より
児玉日左治 さん

私の母は、今から27年前の昭和59年8月に入信しました。
 入信前の母は、何十年にもわたって原因不明の頭痛に苦しんでおりましたが、入信して朝夕の勤行に励むうちに、ひどかった頭痛が、うそのようにまったくなくなってしまうという、大功徳をいただきました。
 それからは大変元気になり、好きな野菜作りをしたり、お米を作って理境坊に御供養させていただいたりして、喜んで信心に励んできました。
 そして、折伏にも励み、親戚や友人を折伏して入信に導いたり、平成3年に創価学会問題が起きてからは、一緒に学会員の折伏にも参加して、功徳を積ませていただきました。
 総本山にはほとんど毎月お登山し、27年間で登山した回数は、300回を超えていると思います。
 そんな母でしたが、90歳を迎える昨年の初め頃から、次第に足腰が弱くなり、御開扉も車椅子で受けることが多くなり、6月には歩行も困難になってきました。そして、食欲もなくなり、何度か入院を繰り返すようになったのです。
 そんな様子を見て、私も折伏誓願を果たし、母に功徳を回して一日でも永く延命させていただきたい、と祈るようになりました。
 
 そんな折の8月11日、病院から、母が大量に下血して集中治療室に運ばれた、との連絡を受けました。すぐに駆けつけると、医師から「大量の下血のため貧血状態になっている。心臓もかなり弱っており、かなり重篤(じゅうとく)な状況である」との説明がありました。
 さっそく、内山部長に状況を報告すると共に、ちょうど講中として、折伏闘争期間を間近に控えていましたので、私も精いっぱい、支区の折伏誓願が果たせるように、また母が延命できるように、真剣に唱題していきました。
 部長より、小川御住職様に当病平癒の御祈念をお願いしていただき、さらに、有り難くも御秘符を頂戴する手配をしていただきました。
 水も食事もまったく取れなくなっている母に、御秘符を服させることができるか、たいへん心配でしたが、母は、「冷たくておいしい」と、一気に御秘符をいただくことができました。すると、何ということでしょう、御秘符をいただいた後、母の下血はぴったり止まってしまったのです。そして、一時は血圧が五十まで下がり、危ない状況だったものが、二日後には集中治療室から一般病室に移り、少しずつ食事も取れるようになりました。
 この歴然たる現証に、私も何としても母を助けようと、できうる限り折伏や家庭指導に回り、8月の支区の折伏誓願達成までこぎつけることができました。すると、それを期に母の病状はどんどん回復し、9月4日には退院することができたのです(拍手)。
 
  こうして、母は、9月10日で90歳を迎えました。御本尊様の功徳力に支えられて、このような長寿を得ることができ、子供として、私の喜びもひとしおでした。
 その後、母は、リハビリ施設で体力の回復に努めていましたが、いかんせん、この高齢です。再び母の体は限界を迎えました。11月の11日、急に母の呼吸が停止したため、人工呼吸器をつけて延命措置をしている、との連絡が入りました。
 いよいよ来てしまったか、と思い、大変ショックを受けましたが、日蓮大聖人様が
 「一日もいきてをはせば功徳つもるべし」(御書七六一頁)
と仰せのように、何としても、たとえ一日でも長く生きて、お題目を唱え功徳を積んでほしい、と願い、職場から病院に向かう車の中で必死の思いで唱題し、御本尊様に「何としても母を延命させてください」と祈っていきました。
 病院に着くと、母は人工呼吸器をつけており、すでに意識はまったくない状態で、医師からは、「もう、このまま意識は戻らないだろう」との宣告を受けました。
 すぐに、御住職様に当病平癒の御祈念をお願いすると共に、母の耳もとで、できうるかぎり唱題をし、様子を見ました。翌日は、月例の登山でしたので、ここでしっかりと総本山に参詣させていただき、大御本尊様に母のことを御祈念させていただこうと決意いたしました。
 人工呼吸器を付けた母は、点滴でかろうじて延命している状況で、これが三日以上続いた場合は、完全に植物状態になってしまう、とのことでした。
 総本山に登山した私は、もう一度、母を救っていただくべく、必死で大御本尊様に祈りました。すると、登山から帰った翌日、なんと再び母の意識が戻ったではありませんか。
 自力で呼吸することができるようになり、人工呼吸器をはずし、次の日には、食事も取れるようになりました。そして、意識もはっきりした母は、また「南無妙法蓮華経」と一生懸命お題目を唱え始めました。
 本当に奇跡としか言いようがありません。
 またしても、御本尊様のご加護で、母を延命させていただくことができたのです。

私は、この御恩返しのためにも折伏をさせていただこう、と決意し、わたしの上司である学校長を折伏しました。母の体験などを話し、精いっぱい折伏をしていきました。
 決定(けつじょう)には至りませんでしたが、「自分はあと一年半で退職するので、退職後は何かの宗教をしたいと思っていた。また、ぜひ話を聞かせてほしい」と言われていました。
 その後、12月8日にも、母の呼吸が大変弱くなっており危篤状態である、との連絡を受けましたが、病院に駆けつけ、母の耳元でお題目を唱えてあげると、呼吸がだんだん落ちついてきて、また、食事と会話ができるところまで回復しました。

こうして母は、本当に御本尊様のご加護で、三度にわたって危篤の状態を乗り越え、延命を続けてくることができました。しかし、12月19日の午前零時頃、病院から、母の呼吸がとても弱くなっているとの連絡がありました。
  すぐに病院に駆け付け、姉の児玉光己班長と二人で、母のベッドの両端で、ゆっくりと唱題しました。
午前三時の丑寅の時刻を迎えると、呼吸が本当に弱くなっていき、少しずつ、少しずつ呼吸する間隔が長くなり、午前四時、呼吸がなくなりました。とてもとても静かで、厳(おごそ)かな臨終でした。
  日蓮大聖人様は、
  「いきてをはしき時は生の仏、今は死の仏、生死ともに仏なり。即身成仏と申す大事の法門これなり」(御書336頁)
と仰せられ、正しい仏法を信仰して、生きている間に成仏という最高の幸福を手に入れた者は、その幸福感を死んだ後にまで持っていける、これこそがこの信心をして得られる永遠の幸福なのだ、と示されています。
  そして、死んだ後にまで幸福感が続いている証拠として、亡くなった後の遺体が、いわゆる〝成仏の相〟を現ずることを明かされています。
  普通、亡くなった人の遺体は、死後数時間で死後硬直を起こしてカチカチに固くなり、また、血液が凝固(ぎょうこ)して腐敗(ふはい)するためにどす黒く変色し、体からは腐敗臭が出てくるのが普通です。
しかし、正しい仏法を信仰して成仏を遂げた人の相は、半眼半口(はんがんはんく)で眠るがごとく、また兜羅綿(とろめん)のように柔らかくて硬直を起こさず、色は生前よりもなお美しくなり、臭い一つ出ない、と説かれており、これが、亡くなった人の命が成仏という幸福境界を感じている証拠である、と示されされています。

この大聖人様の教えが真実であることを、母は身をもって実証してくれました。
母が亡くなったのは12月19日の午前4時、火葬はさまざまな事情で6日後でした。その間、母の遺体は死後硬直がまったくなく、4日たっても5日たっても、肌の色は生きていたときよりも、なおきれいになって赤みがさしており、半眼半口で大変やわらかく、足の指を触ってみたところ、生きていた時と同じように自由に動きました。
 また、遺体は、24時間暖房のきいた部屋に6日間安置することとなりましたが、ドライアイスを入れていないのに、まったく臭いがありませんでした。納棺の時、臭いが全くないのを見て、葬儀屋さんもとても驚いていました。
 これこそ、日蓮正宗の仏法が真実であるとの動かし難い証拠であり、母は、ありがたくも御本尊様の御力で即身成仏させていただけたのです(大拍手)。
 その、あまりの有り難さに、私は、母が亡くなった五日後の納棺の前の母の姿を動画で撮影いたしました。その映像を皆様にも御覧いただきたいと思います。(大画面に映写)

このように、死後五日を過ぎても、身体が生きていた時と同じように柔らかく、肌の色も変わっていない――こんなことは医学の定説では全く考えられないことです。
 私は、この事実をもって、集まった親戚や近所の人たち、職場関係の人を折伏すべく、母の入信から臨終に至るまでの体験をもって、お話させていただきました。そのような中で、今まで信心の話を嫌って、まともに聞いてくれなかった 親戚の中からも、話を聞ける人達がどんどん出てきました。これも全て母の功徳です。
 思い返せば、入信以来、一回一回唱えるお題目の功徳の大きさを母の姿からたくさん教えてもらいました。いつしか習慣のように信心するようになっていた自分が、本当に申し訳なく思った次第です。
 今回の母の闘病から臨終にかけての体験を通じ、御本尊様の偉大なお力をあらためて確信させていただきました。
 また、日々の仏道修行の積み重ねが本当に大事であること、そして、この御本尊様にめぐり合えたことがなんとありがたいことか、ということを心から実感させていただきました。
 母を成仏させてくださった御本尊様への御報恩のため、今後もしっかりと信心に励み、折伏の誓願を果たしてまいりたいと思います。
ありがとうございました(大拍手)。