仏法の道理に則った信心で不妊を解決

第37回総会より
A さん

  皆さん、こんにちは。 私は新潟で生まれ育ちましたが、平成七年、二十四歳の時にアメリカ人の主人と結婚しました。そして、今から十年ほど前の平成十五年秋、日本に帰国した際に、高校の同級生だったI班長に折伏され、入信いたしました。
 この仏法との出会いに感謝し、アメリカに戻ったところ、そこでは夫の猛烈な反対が待っていました。アメリカ人の夫は、普段とても優しい人なのですが、私が入信したことを知ると鬼のような形相となって、「自分は仏教徒と結婚した憶(おぼ)えはない!自分をとるか、宗教をとるか、決めろ」と、狂ったように私を罵倒(ばとう)してきたのです。そして、ついには今まで一度も口にしたことのない「離婚」という言葉を持ち出して、信心をやめさせようとしてきました。
  私は、周(まわ)りに頼る人もなく、こんな状況で信心を続けていけるのだろうか、と不安になりましたが、I班長を通じて、当時まだ一度も会ったことのない私に対して、大草講頭をはじめ先輩方が、本当に親身になって指導してくださり、おかげで信心を続けてくることができました。

入信から三年が経過したある日、相変わらず信心に反対していた夫に、たいへんな事実が発覚しました。なんと、夫は深刻なギャンブル依存症になっていて、多額の借金を抱えていたのです。気づいた時には、二人の資産であった土地やボート、貯金や将来の年金さえも失い、夫婦二人で十年以上まじめに働いて積み立ててきた資産が全て消えて無くなっていたばかりか、身に覚えのない、私名義のクレジットカードが何十枚も作られていて、その上、それまで勤(つと)めていた優良企業での仕事さえも失っていました。
 私は目の前が真っ暗になり、夫に
「お願いだから、私と一緒に御本尊様を拝んでほしい。私たちがここから立ち直るには、もうこれしか道はない」
と、泣きながら必死で話しました。すると、あれだけ反対していた夫が、涙を流し、その日から御本尊様に手を合わせるようになったのです。
 私は、多額の借金と無職の夫を抱え、毎日毎晩、必死で働きました。
  しかし、とうてい返済できるような金額ではなく、私たちはやむなく自己破産の申請をしました。

自らの罪業(ざいごう)の深さを思い知った私は、この状況を変えていくために、毎日二時間の唱題と、折伏を真剣にやっていこうと決意しました。
 そして、まず会社の同僚の学会員を折伏したことを皮切りに、自分の知るかぎりの学会員を一人ひとり呼び出して、「創価学会は間違っている。一緒に日蓮正宗の信心をしていきましょう」と話していきました。
 すると、学会員に囲まれてビデオで撮影されたり、夫のギャンブル依存症や破産のことを知っている会社の同僚から周囲に悪口を吹聴(ふいちょう)されたりと、いろいろな嫌がらせも受けました。
 ある時は、日本から来た離脱僧(りだつそう)が、わざわざ私の職場にまでやって来ましたが、その離脱僧は、私が妙観講だと知ると、妙観講の講員がアメリカにまでいることに驚いたらしく、何やらとても感動して、帰っていってしまいました。(笑い)
 こうして、嫌がらせにも屈せず折伏を続けてくることによって、一分でも罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)ができたのでしょう、私たち夫婦の生活は劇的に変化しました。
 無職だった夫は、優良企業に高待遇で採用され、真面目(まじめ)に働くようになって、また私自身も、かねてからの念願だった輸入仲介業の会社を設立することができ、売上げも順調に伸びて、安定した収入が得られるようになったのです。

 これにより、経済的な悩みは解決したものの、私にはもう一つの大きな悩みがありました。それは、三十五歳までに子供を持つことが夢だったのに、結婚後何年経っても子供ができない、ということでした。
漢方薬や周期療法、鍼治療、人工授精も試みましたが、結果は出ず、年齢はすでにタイムリミットを超えていました。 それでも、どうしても子供を授かりたくて、いろいろな不妊治療を続けていました。
 そのような中、今から三年ほど前のことです。日本にいる班長が、私の不妊治療のことで大草講頭に指導を受け、その内容を伝えてくれたのです。
 講頭は、
 「これは、どの治療を選択すればよいか、という方法論の問題ではなく、もっと根本的な、信心の問題です」
と指摘され、
 「子供のことは夫婦二人の業(ごう)によるものですから、奥さん一人が願ってさえいれば、御主人がどんな信心状態でも子供が授かる、と考えてはいけません。二人揃(そろ)って信仰に励んでいかなくては、どんな方法論を使ったとしても、子供を授かることはできないでしょう」
と言われた、というのです。
 それまでの主人は、御本尊様に手を合わせるようになったとはいえ、「勤行は時間がもったいない」とか「日本語が難しすぎる」などと言って、なかなか勤行を覚えようとせず、その頃ようやく、夕の勤行だけはするようになった、という状態でした。
 講頭は、願いが叶わない一番の原因として、まずこうした主人の信心を指摘され、
 「朝夕の勤行すらできていない状態で、うまくいくはずがありません。本気で願いを叶えようと思うなら、まずは夫婦揃ってしっかり勤行を行ない、そして、持てる力の範囲で折伏もしなくてはダメです」
と指導してくださったのです。

この講頭の指導は、私にとって、とても困難なことでした。というのも、私の言うことだと素直に聞けない主人に対して、勤行や折伏の大切さを先輩から直接お話してもらいたいと思っても、日本語がわからない主人に仏法の話をしてあげられるのは、私一人しかおりません。どうしたらよいかと悩んだ私は、そのことも御相談いたしました。すると、班長から伝えられた講頭の指導は、
 「言語や環境が問題なのではありません。自分が話してもダメだから、他の人から話してもらえば信心ができるようになるのではないか、と考えるのも間違っています。
 自分の過去からの業によって、その人と一緒になっているのですから、自分が本当に心を砕いて御本尊様に祈り、相手が信仰の話を聞けるようにしていくべきであり、今いる環境の中で、いかに相手を育成していくのかを真剣に悩み、努力するしかないのです。
 たとえ御主人が日本人であっても、場所が日本でも、同じことです。環境のせいにしてはいけません」
というものでした。
 この指導を伺い、私はさっそく、その日から自分の信心の姿勢を改め、主人と共に毎日の勤行ができるように努力していきました。
 その後、私たちは、不妊治療の最終ステップとも言われる体外受精の治療に臨むことになりました。

 体外受精は費用が大変高額で、特にアメリカでは一回百万円以上の費用がかかり、家を担保に借金をして治療する人も少なくありません。この経済的な負担の上、実際に治療できたとしても、四十歳を超えた私の年齢では成功率は八%程度という、厳しい状況でした。
 それでも、私の自営業の収入が急激に伸びて治療費のメドもつきましたので、何回かの治療サイクルにチャレンジすることになりました。
 治療のために、ほぼ毎月、飛行機で五時間かかるカリフォルニア州の病院に通い、その際には、ロサンゼルスの正宗寺院にも必ず参詣させていただきました。
 そして、治療を始めて三ヵ月後、妊娠判定の検査で、陽性が出たのです。生まれて初めての妊娠で、本当に嬉しく、泣いて御本尊様に御礼申し上げました。
 ところが、七週目に入ったところで、胎児の心拍が弱く、私はわらにもすがる思いで毎日六時間の唱題をしたのですが、結局、その二週間後には流産してしまいました。
 私は、どうしようもない絶望感が込み上げ、申し訳ないことに、「あんなに祈ったのになぜ?」という嘆(なげ)きの気持ちがどんどん出てきてしまいました。
 その時、班長から伝えられた竹井部長の指導は、
 「そのような結果となったことには、必ず子細(しさい)があるのだから、目先の結果に一喜一憂(いっきいちゆう)して信心を見失ってはなりません。もとより、自分がそういう事で悩まなければならない業を持っているのだから、その業を消滅させるために、どこまでも御本尊様におすがりして祈っていけば、その健気(けなげ)な信仰の姿を御本尊様が御照覧になって、必ず助けてくださる。だからあきらめてはいけません」
ということでした。
 私は、なんとしても私たち夫婦の罪障を消したいと思い、それからはどんなにネガティブな気持ちが湧いてきたとしても、とにかく一日三時間の唱題は続けていこうと決めました。
 主人も朝晩の勤行を毎日行ない、さらには自分の周りの人にこの仏法の話をするまでになって、私の信仰に大反対していた頃からは考えられないほど、信心が前進しました。

さて、この先、治療を続けるにあたり、一番の問題は、高額の治療費をどうするか、ということでした。
 ところが、不思議なことに、程なくしてその問題が解決してしまったのです。といいますのも、通常、不妊治療は保険が適用されないのですが、たまたま主人の仕事の都合で健康保険が別の会社に変わったところ、新しい保険会社では、なんと、私の行なっている治療も保険の対象になるというではありませんか。
 おかげで、治療費の自己負担が大きく減り、再度、治療を続けることも可能となりました。私は、御本尊様がもう一度チャンスをくださったのだと思い、今度こそは信心を揺るがすことなく、結果につなげるのだ、と決意しました。
 ところが、その後、夏・秋・冬と不妊治療を続けたにもかかわらず、全く妊娠の気配は表われません。私は、治療による身体的・精神的なストレスから、またしても、「どんなに祈っても、やっぱりダメなんじゃないか」と信心自体が揺らぎ、ウツ状態になりかけたりしました。しかし、そのつど、班長が励ましてくれ、先輩方からの指導を伝えてくれたのです。 竹井部長からは、
 「これまで必死で御祈念してきたのだから、御本尊様は絶対に見放しません。祈った事がすぐに叶わないように見えたとしても、それでも信じぬいていけば、必ずベストな形に導いていただけます。それを信じて、最後まで祈りきりましょう」
と力強く励ましていただきました。
 班長は、日本とアメリカでは十五時間も時差があるにもかかわらず、毎日、インターネット回線のスカイプを使って、私と一緒に唱題をしてくださいました。

年が明けて平成二十六年、私の年齢的にも、これ以上治療を続けていくことに限界を感じた私たち夫婦は、これをもって最後の治療にすることを決めました。
 そのような時、班長から、「今度こそ治療を成功させるためにも、四月に総本山で行なわれる妙観講の総会に参加しよう」とのお話がありました。
 ちょうどその頃、私たち夫婦は、最後の治療のための資金調達と、仕事と治療のスケジュールの調整に四苦八苦している状態で、決まりかけていた医療ローンの話も突然暗礁(あんしょう)に乗り上げ、四月に予定していた治療さえも経済的に危ぶまれている状況でした。
 そのような中で、「日本に行きたい」と言い出した私を、主人はキチガイ呼ばわりして大反対しました。主人は、「大石寺に行ったからといって、治療が成功するとは思えない。だいたい、日本へ行くだけのお金もないだろう」と言うのです。
 それでも、どうしても総会・総登山に行きたかった私は、「どうか行かせてください」と御本尊様に祈り、唱題を続けました。すると、総会の直前に、不思議な形でお金を貸してくれる人が現われ、さらに、仕事上では、三月度の売上げが目標を百十万円以上も上回ったりと、経済的な問題が一気に解決してしまったのです。
 反対していた主人も、ついに私の熱意を理解して、「自分は仕事の都合で行けないけれども、気をつけて行って来なさい」と、快く私を見送ってくれました。

初めて参加した昨年の総会には、新潟に住む私の母も一緒に参加することができました。総会で大感激した私は、これまでの自分の弱い信心を御本尊様に心からお詫び申し上げ、今度こそ、全てを御本尊様にお任せする、との覚悟が決まりました。
 そして、総会終了後、アメリカに戻り、翌日から最後の治療に入りました。
 すると、総会の翌月、四十四歳の誕生日のちょうどその日に、私は妊娠することができたのです。(大拍手)
 妊娠期間中は、切迫早産が危ぶまれたりしたこともありましたが、ありがたくも総本山から御秘符(ごひふ)を頂戴したおかげもあって、最後まで御本尊様に守っていただき、今年の一月七日、無事に女の子を出産いたしました。(大拍手) 
  三千八百グラムの、真っ黒な髪の毛がふさふさした、元気な赤ちゃんでした。
 これまでの夫婦の道のりは、長く、苦しいもので、まるで出口のない真っ暗なトンネルの中を歩いているように感じることもありました。しかし、私たち夫婦には「御本尊様」という光があったから、こうして辛い時期を乗り越えてくることができたのです。
 経済的な問題といい、子供のことといい、もしこの信心に巡り合っていなければ、私たちは、人生の壁を乗り越える術(すべ)がわからずに絶望し、離婚して、破滅していたと思います。
 思い返せば、ここに至るまでの過程においては、講頭をはじめ先輩方から多くの指導をいただき、それによって、自分自身の信心がどれだけ薄く、弱いものかということに気づかされ、そのつど発心(ほっしん)することができました。
 今は、遠く離れていても、肌の色や言葉が違っていても、大御本尊様の功徳は絶対で平等なのだと確信しております。
 そして本日の総会には、主人と子供と、三人で参加することができました。(大拍手)
 私達を今日まで導いてくださった講中の先輩方に感謝申し上げ、今後もいっそうの精進をここにお誓いいたします。ありがとうございました。(大拍手)