御本尊の功徳で開けた新たな人生

第39回総会より
中野 克行 さん

  皆さん、こんにちは。私は、昭和二十六年に、九州・佐賀市で生まれました。私の家は、もともとは裕福な資産家だったそうですが、私が生まれた頃には、農地改革等で土地を没収され、すっかり没落していました。
  加えて、父・鉄造は、心臓に先天的な疾患をかかえ、しばしば発作を起こして苦しんでおり、治療は不可能、余命は数年と宣告されていました。
  そのような中で、父は創価学会員からの勧めを受け、昭和三十一年、私が五歳の時に、家族全員で創価学会を通じて日蓮正宗に入信いたしました。その時には、神札や仏像等の謗法物がリヤカーいっぱいに出てきたということです。

 その後、真剣に信心に励んだ父は、御本尊様の功徳で見違えるような健康体となり、九十歳になる今日まで壮健で過ごせております。
  この、生来きまじめな父に比べ、私はといえば、子供の頃から浮わついた性格で、学校の勉強にもついていくことができませんでした。
  そして十六歳の時、歌手になることを夢見て、着の身着のままで家出をして上京し、喫茶店でアルバイトをしながら、音楽のレッスンに通いはじめました。
  その頃、アルバイト仲間に創価学会員がいたことから、御本尊様を御下附されましたが、申し訳ないことに、私は勤行すらしていませんでしたので、結局、御本尊様を御安置もせず、お巻きしたままにしてしまいました。
  そんな私の夢が実現するはずもなく、やがて、歌手になることを断念した私は、仲間との共同出資で、ギャンブル喫茶やピンクサロン、フィリピン人女性を使った芸能プロダクションなどを経営するようになり、法律スレスレのところであぶく銭を稼いでは遊びに使い果たす、という荒んだ生活になっていきました。また、その間には、二度の結婚と離婚を繰り返しました。まさに根無し草のような生活でした。
  そして、友人宅を転々として放浪生活をする中、麻薬であるマリファナに手を出してしまったのです。そこから、コカイン・覚醒剤と、ほとんどの薬物に手を染めて、完全な薬物依存になるまでは、あっという間の事でした。
  薬物中毒によって、常識も分別もなくなっていく中、薬を買う金欲しさに、会社も売り飛ばし、闇カジノの雇われ店長をしたこともありました。

 こうして十年が経つうちに、周囲の仲間達は皆、薬物中毒で病院送りになったり、警察に逮捕されていきました。私は、逮捕されたり入院にこそなりませんでしたが、廃人寸前となり、薬を入手するお金もなくなり、禁断症状にのたうち回りました。
  薬が切れた時の壮絶な苦しみは、経験した者にしかわかりません。幻覚や幻聴に悩み、気の狂いそうな苦しみに、死をも覚悟したほどです。

 そんな状況にあった平成十七年、すでに創価学会と訣別して理境坊の信者になっていた父が、尋常でない私の状態を薄々察して、再三、連絡をくれるようになったのです。
  父は、私に、一刻も早く日蓮正宗に帰伏するように、そして御本尊様の御力で人生を立て直してほしい、と説得してくれました。
  しかし、当時の私は、薬物中毒による恐怖と苦しみのどん底状態で、冷静に話を聞ける状態ではありません。「もう薬はやめよう、やめなければ完全に廃人になってしまう」という気持ちはあるのですが、少しでもお金が入れば、すぐに薬に手を出し、切れると苦しみもがく、という地獄のような日々でした。
  それでも「日蓮正宗に帰伏せよ」と説得し続ける父の言葉は、私の耳から離れなくなっていき、それに伴って、昔、御下附いただいてお巻きしたままの御本尊様のことを思い出したのです。私は、薬を買おうと思って用意していたお金で、御厨子を買い、三十三年目にして、初めて御本尊様をお開きさせていただきました。(大拍手)
  そして平成十九年三月三十日、理境坊で勧戒を受けて日蓮正宗に帰伏し、妙観講に入講することとなったのです。

  こうしてお題目を唱え始めて三か月が経った時、大変な出来事が起きました。大阪で一人暮らしをしていた私の母が、自宅マンションの階段から転落し、頭蓋骨骨折で意識不明の重態に陥ってしまった、というのです。医学的にはすでに絶望的な状態でした。私は母の、あまりに悲しい境遇を思い、涙が込み上げてきました。そして、先輩方に勧められるまま、小川御住職に当病平癒の御祈念をお願いしました。すると、母は五日ほどで意識を取り戻し、回復に向かい始めたのです。
  この現証には、本当に驚いてしまいました。私は、この信心は本物だったのだ、と気付き、それ以来、自ら講中の会合に参加するようになりました。
  そして、その会合の中で、新鮮な驚きを味わったのです。それは、妙観講の人達が皆、心から願って信心に励んでいる姿を見たことです。また、会合の中で語られる体験発表は、本当に衝撃的で、そのような不可能なことが叶うのなら、この自分の薬物中毒もきっと治すことができるはず、絶対に断ってみせよう!と固く決意することができたのです。  

  以来、真剣に勤行・唱題に励む中、不思議なことに、中毒症状が少しずつ緩和され、自分ではどうにもならなかった薬物への執着が薄れてきたのです。あの恐ろしい幻覚や幻聴も、必死の唱題で凌ぐことができ、三年かかりましたが、とうとう、完全に薬物を断ち切ることができました。(大拍手)  
 それは、まさに奇跡でした。
  薬物は今や、深刻な社会問題となっています。世間では、薬物依存の恐ろしさについて警鐘が鳴らされ、中毒となった人を更生させるための、カウンセリングを始めとするさまざまな取り組みが行なわれていますが、そこから抜け出すことは容易なことではありません。
  そのような中、私は御本尊様の絶対のお力によって、薬物中毒から完全に立ち直り、社会復帰することができたのです。(大拍手)

 それからというもの、毎日、毎日が嬉しくて楽しくてなりません。こうして、変わっていく自分の姿を友人達にも語りたくなってきました。
  そして、平成二十三年から、かつて薬物でつながりのあった三十人以上の仲間達に連絡を取り、次々と折伏して、そのうち十人を入信に導くことができました。(大拍手)
  その人達も、すでに薬物依存となり、薬やギャンブルで多額の借金をするなど、人生を破綻させてしまっていましたが、この御本尊様を信仰する中で、全員が薬物と縁を切ることができ、更生することが叶ったのです。本当に御本尊様の功徳力は凄い、と思い知らされました。

 また私は、社会復帰し、タクシーの運転手として生計を立てることにしましたが、信心に励んでいく中で、格段に営業成績が上がってきました。
  そこで、私は、これまでの人生を深く反省し、残りの人生は存分に仏道修行をしたいと思い、そのために、時間の自由がきく個人タクシーを開業しようと思いました。
  ところが、これが思っていたほど簡単なことではありませんでした。
  現在の法令では、新たに個人タクシーを開業することが認められていないのです。そのため、個人タクシーを開業するには、まず組合に加入し、これまで個人タクシーをしてきた人が廃業して免許を譲ってくれるのを待たなくてはなりません。また、待っている間は無事故・無違反でなくてはならず、その上で、免許を譲ってくれる人が現われたら、資格試験を受けて合格しなくてはなりません。それを二年、三年と待っているうちに、事故を起こしたり違反をして、脱落してしまう人も珍しくないのが実状です。
  私は、そうした状況を踏まえて、平成二十五年十二月に、都内の組合に所属して、譲渡を受ける順番を待つことにしました。その組合では、私の前に、すでに五人の人が順番待ちをしていました。

 ところが、年が明けてまもなくのこと、どういう事情によるものか、私より前から順番待ちをしていた五人を飛び越えて、登録したばかりの私を指名して譲渡したい、という話がきたのです。まったく考えられない話です。
  こうなると、国土交通省の資格取得試験に合格しなくてはなりません。五月に行なわれる試験に向けて、急いで勉強に取りかかりました。
  ところが、あまりに早くチャンスが到来したため、ろくに勉強ができておらず、難しい法律用語など、さっぱり理解できません。九州にいる父からは、「このような不思議な現証は御本尊様のお導きとしか考えられない。真剣に唱題して勉強せよ。自分も御祈念しているから」と励まされました。
  そして試験当日、不思議なことが起きました。
  試験開始の合図で問題用紙を見たところ、難しい問題がたくさん出題されていました。心中に唱題して取り組んでいったところ、テキストを一度しか読んでいなかったにもかかわらず、そこに書かれていた法律の条文が、鮮明に頭に浮かんできたのです。
  それは、本当に不思議な体験でした。こんな事が起きるのか!と、御本尊様の御力に身震いする想いでした。そして、満点で合格することができたのです。(大拍手)

 その後、開業資金も申請期限ギリギリで用意することができ、平成二十六年五月三十一日、晴れて個人タクシーを開業できました。  振り返ってみれば、十年前までの私は、薬物中毒によって家族を失い、会社も手放して、廃人になる一歩手前の状態でした。  今の自分があるのは、ひとえに御本尊様の御力によるものであり、さらに御住職はじめ妙観講の諸先輩方の指導と、父の祈りによるものと、心から感謝申し上げる次第です。
  この御報恩のためにも、平成三十三年宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年に向かって、講中の指針をもとに折伏・育成に精進してまいります。ありがとうございました。(大拍手)