学会と訣別し大御本尊の功徳に浴す

第39回総会より
斉藤 和男さん

 皆さん、こんにちは。私は、昭和三十五年、十九歳の時に、創価学会を通じて日蓮正宗に入信し、家内と共に学会活動に励んで来ました。
  そして、三男が川崎病に罹って命が危かった時、御本尊様のお力により一命を取り留めるという大功徳を頂戴したことから、さらにいっそう学会活動にのめりこみ、聖教新聞の配達を二十六年間務め、自宅も学会の拠点として提供し、役職も、私が栃木市の副本部長、家内が支部の副婦人部長にまでなりました。

 学会が宗門に反逆した平成三年当時の私は、「学会は絶対」と信じておりましたので、栃木市の正宗寺院である信行寺の御住職に対し、法論と称して何回も怒鳴り込むという、じつに無礼な謗法行為を働きました。また、副本部長という立場から、謗法である学会葬の導師を十七回も行なってしまいました。
  しかし、その後、年月が経つうちに、日蓮正宗から破門された学会がどんどん変質していくことや、池田大作の傲慢な振る舞いをま目の当たりにして、私は学会に対して嫌気が差してきて、勤行こそ欠かさなかったものの、学会活動からすっかり距離を置くようになったのです。ただ、家内のほうは、当時の学会で盛んに言っていた「学会は御本尊直結の団体」という言葉に酔いしれ、支部副婦人部長として、相変わらず学会活動を続けていました。

 こうして自分は学会活動から離れたといっても、正法正師に帰依したわけではありませんので、それまでに犯してきた大謗法の果報から免れることはできません。やがて、我が家には様々な行き詰まりが起こってきました。
  まず、家内とは常にいさか諍いが絶えず、家の中が殺伐とした状態になり、さらには、知り合いの借金の保証人になったことから、私が経営していた鉄工所を手放さなければならなくなってしまったのです。
  また、同居していた長男は、体調を崩し、その後引きこもりとなって、家から一歩も出なくなってしまいました。
  そのように、経済的にも苦しく、さまざまな行き詰まりが生ずるなか、私は生きる張り合いをなくしておりました。

 そんな私のところに、平成二十二年の夏、見ず知らずであった妙観講の田山さんと福島さんが、学会員名簿を頼りに東京から折伏しに来てくれたのです。
  最初のうち、私は、初対面の二人に対し、創価学会で宣伝していたことを鵜呑みにして、「宗門の坊主は堕落している。法華講には行かない」などと、とんでもない暴言を吐いておりました。ところが、そんな私の態度におかまいなく、田山さんは、邪宗教と成り果てた創価学会の誤りを、資料を見せながら熱く語るのです。さらに、田山さん自身が学会を辞めて大石寺に帰伏した話、それによって得られた功徳の体験、大御本尊様の有り難さを、涙ながらに語ってくれた時、私の心は動きました。そして、私は、日蓮正宗に戻る腹を決めたのです。(大拍手)

 それを家内に話すと、家内は、まったく聞く耳を持つことなく、私を白い目で見ておりました。
  さて、私は、帰伏はしたものの、学会時代に染めこんでしまった御宗門への不信感が拭(ぬぐ)えず、いくら田山さんが家庭指導に来てくれても、なかなか素直になれないでおりました。しかし、大御本尊様への思いは断ちがたく、帰伏から一年後の平成二十三年五月、総本山で行なわれた、妙観講の総会に連れていってもらうことにしました。
  この、二十数年ぶりの登山で、大御本尊様の御開扉を受けていた時のことです。不思議なことに、それまでの心のわだかまりがスーっと消えて、素直な気持ちになり、「これまで自分が学会で犯してきた謗法の罪を消していくために、学会員の折伏に立ち上がろう」と、心の底から決意することができたのです。

 すると、下山した夜のことです、それまで何十年も全く曲がらなかった膝が普通に曲がって、ちゃんと正座ができるではありませんか。
  私はあまりの有り難さに、涙が止まりませんでした。これまで創価学会の幹部として御宗門に敵対してきた私なのに、大御本尊様はたった一回登山させていただいただけで、こんなに大きな功徳の現証を顕わしてくださったのです。
  御開扉の時に自然に湧き上がってきた折伏の決意といい、その直後の功徳の現証といい、この時私は、「大御本尊様が私に、残りの人生をどう生きていくべきかを示してくださったのだ」と思わずにはいられませんでした。

 こうして身も心も日蓮正宗の信徒、妙観講の講員となった私は、毎日二時間唱題し、知っているかぎりの学会員全員に対し、訪問と手紙によって折伏を始めました。訪問しても全く相手にされなかったり、送った手紙が受け取り拒否で返送されてきたり、ということが続きましたが、諦めずに折伏を続けていきました。
  そうしたなかの平成二十四年春、ようやく家内が脱会して帰伏することを決意し、地元の正宗寺院で勧誡を受けることができました。(大拍手)
  ところが、その直後、二十数年ぶりに登山が叶った家内は、御開扉の時、大御本尊様が真っ黒にしか見えなかった、と言うのです。
  これまで、講中の体験談で、謗法の罪障が深い人は、御本尊が真っ黒にしか見えなくなることがある、という話を聞いていましたが、今そのとおりのことが家内の身に起きたのです。

 このことにショックを受けた家内は、創価学会で積んできてしまった謗法の罪障がいかに深いかということを、多少なりとも自覚することができ、それ以来、私と一緒に、会合や総会に参加し、折伏もするようになりました。
  そして、平成二十七年三月、「日興上人御生誕七七〇年奉祝法要登山」に、夫婦で力を合わせ、栃木市在住の眷属達九名を総本山にお連れし、下山した直後のことです。
  なんと、長年引きこもっていた長男が、自分で仕事を探してきて、元気に働き出したのです。私たち夫婦の一番の悩みが解決し、本当に不思議で、有り難くてなりませんでした。

 こうして、家庭にも平和が蘇り、学会時代には考えられなかった幸せを噛みしめていた私たちですが、その後、さらに自分達の罪業の深さと、御本尊様の絶対のお力を実感することが起こってきました。
  昨年二月、家内が、仕事帰りに原付バイクを運転中、道路でうずくまっていた九十歳のおばあさんを跳ねてしまったのです。おばあさんは、命には別状がなかったものの、全身を強く打ち、三ヶ所も骨折するという重体でした。
  当初、事故の現場に来た警察官は、家内の過失だと一方的に決めつけ、いくら家内が状況を弁明しようとしても、まったく聞いてくれず、警察官を相手に家内は困り果てていました。ところが、それを見ていた見ず知らずの人が突然、「ちゃんと調べろ!」と猛烈な勢いで抗議してくれ、そのおかげで、警察官は謝ってきて、再度、実況検分が行なわれたのです。そして、最終的には、相手のおばあさんが認知症だったこともあって、事故は不起訴処分となり、一日の免停で済んでしまいました。

 しかし、問題は、それだけでは済みませんでした。家内のバイクは、自賠責以外、保険に入っていなかったため、保険会社から「最低でも一千万円の賠償金を自己負担しなければならないだろう」と言われたのです。
  一千万円などという金額は、とても今の私たちに払える状況ではなく、こうなれば、もはや御本尊様に助けていただく以外にありません。私たちは、毎日、二時間、三時間と、ひたすら御本尊様に唱題し祈りました。
  そうしたところ、相手が後期高齢者ということで、高齢者の医療システムが使えることとなり、結局、私たちが払わなければならない賠償金はゼロとなったのです。
  この間には、講中の先輩方からも適切なアドバイスや励ましをいただきましたが、本当に御本尊様の功徳の有り難さを実感せずにはいられませんでした。

 その後も、下の息子が仕事中に、一トンの荷物の下敷きとなり、あやうく命を落とすところを御本尊様に助けていただいたり、家内が糖尿病の合併症によって失明寸前だったところを、良い医者に巡り会い、レーザー治療が効いて失明を回避するという大功徳をいただきました。また、この失明の危機にあたって、家内自身が、かつての学会時代の謗法を心から御本尊様に懺悔申し上げ、必死で唱題してきた功徳は莫大で、目の治療が終わった頃には、糖尿病の数値も格段に下がり、ほぼ正常値に近い数値になってしまいました。

 さらに、私の方も、学会時代に工場の機械に中指を取られてつぶしてしまい、医者からは、もう一生この指は動かないと言われていたのですが、なんと、その指が普通に動くようになりました。  このほかにも、長男が、仕事の現場で怪我をし、そこから菌が回って、あと一日遅れたら命を落とすというギリギリの状態の中、小川御住職様に当病平癒の御祈念をしていただき、窮地を脱することができました。

 こうして、学会時代には味わったことのなかった功徳に浴した人生を、家族で享受でき、今では家内もしっかりと大御本尊様を拝めるようになりました。そして、法統相続も出来つつあります。
  本当に、本当に、日蓮大聖人のこの仏法の偉大さを噛みしめると同時に、妙観講で正しく日蓮大聖人様の仏法を教えていただくことができ、なんと自分は幸せ者かと、毎日が本当にありがたく、生きる喜びをかみしめる日々であります。
  また、それとは対照的に、いくら折伏しても、未だ帰伏できない学会時代の友達は、皆が皆、大きな罰を受けております。
  特に、副会長のN氏は、私の直属の上司だった人ですが、学会葬の導師をしている最中に倒れ、まもなく死亡してしまいました。
  同じく、学会葬が始まった当初の儀典部員で、学会葬の導師をしていた知己(ちき)の人達は、全員が死亡し、その中で生き残っているのは私だけであります。
  この他、支部長のA氏は、脳梗塞で半身不随となり、公明党の市議会議員三名も、全員が脳梗塞になり、苦悶して死亡しました。また、ガンや脳出血、くも膜下出血で亡くなる方が、この十年から二十年の間で続出し、ついに私の住む栃木県大宮地区の学会は消滅してしまいました。
  しかしながら、邪教創価学会自体は、まだまだ存続しております。

 私は、こんな老いぼれの身ではありますが、邪教創価学会が消えてなくなるまで、生きて生きて、生き抜いて、最後の最後まで折伏を精いっぱいやりきって、今生の思い出にしていきたいと思う次第です。
  本日はこの会場に、やはり学会時代に作ってしまった罪障ゆえ、脊柱管狭窄症にかかり、うまく歩くこともできなかった状況を、帰伏後に見事に克服した茂櫛さんや、同じく、杖なしでは全く歩けなかった状況を克服し、もうすぐ八十歳になるのにイキイキと折伏を行じている大島トヨさんはじめ、私の眷属が大勢、参加されております。
  私は、この同志の方々と共に、栃木市中の学会員、さらには縁ある人たちを全員折伏する思いで闘ってまいります。皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。(大拍手)
  本日は、私のつたない話を聞いていただき、ありがとうござました。(大拍手)