邪教「顕正会」の恐るべき不幸の現証! そのあらゆる苦難を折伏によって超克

第40回総会より
伊東 寿子 さん

   私は、平成二十八年四月に日蓮正宗に入信しましたが、それ以前は、日蓮正宗から破門された異流義教団・顕正会に入っていました。

 といいますのは平成五年、私が大学生だった時に、同級生から勧誘されて顕正会に入会してしまったのです。顕正会の一種独特な洗脳教育に毒された私は、たちまち顕正会の活動にのめり込み、入会三日目から布教活動を始めるほどでした。

 やがて、私は大学を卒業して、幼い頃からの夢だった幼稚園教諭の仕事に就いたのですが、顕正会の活動に狂奔する中、大きなケガをして仕事ができなくなり、退職を余儀なくされてしまったのです。その後、失意のまま、ある保険会社に就職したところ、今度は、過酷な仕事と、顕正会での無理な活動がたたって、自律神経失調症を発症し、うつ状態に陥ってしまいました。

 そのような状況の中で、私は、顕正会の幹部だった主人と知り合い、結婚しました。  結婚したことで、少しは人生が上向いていくことを期待しましたが、それは、とんでもない勘違いでした。

 顕正会で幹部として活動している者は、世の中でキチンと働いていくことが困難です。いつも明け方近くまで活動していた主人は、たび重なる遅刻・欠勤によって、会社を辞めては再就職するという繰り返しでした。そのうちに、主人が就職する先は悉くブラック企業になり、良い条件を示されて入社しても収入が安定しない、という事が続くようになりました。

 そして、家計はたちまち火の車となって、借金を重ねるようになっていったのです。そんな日々が何年も続き、解決の糸口さえ見えない経済苦に、私は、ほとほと疲れ果てて、不安は不満になり、やがて怒りに変わっていきました。うつ状態も悪化の一途をたどって、私は、主人と激しく衝突するようになっていったのです。

 その凄まじさは、お互いに大声で罵り合い、胸ぐらをつかみ合って、家の壁やドアを破壊するほどの取っ組み合いのケンカをし、パトカーが出動する程でした。

 そのような状況に加え、さらに私達夫婦にとんでもない苦しみが降りかかりました。平成十七年、第二子である息子を妊娠したのですが、二十七週に入った時、妊娠中毒症になって、母子共に命の危険な状態に陥り、予定日より三カ月早い出産となりました。その結果、息子は、九五六グラムという超未熟児で、脳障害をもって産まれてきたのです。その障害のため、特に運動機能の発達が著しく遅れ、寝返りさえできず、言葉を覚えることもありませんでした。そして、二歳を過ぎた頃からは、てんかんの発作を起こして、頻繁に救急搬送されるようになったのです。

 こうして顕正会で活動すればするほど、不幸な出来事が起きてきます。この状況に、さすがに疑問を懐くようになった主人は、かつて妙観講の堀井さんから〝顕正会にいたら必ず仏罰を被ることになる〟と言われて折伏されたことを思い出し、思い切って堀井さんに電話をかけ、子供のことなどを相談したそうです。そして主人は、顕正会が血脈誹謗の異流義であることに気付き、平成二十一年、日蓮正宗に帰伏することができたのです。

 その時、主人は私にも帰伏を勧めてくれましたが、完全に顕正会に洗脳されていた私は、激しく反発して主人を罵り、話に耳を貸そうとしませんでした。それどころか、主人が妙観講で活動するのを妨害しようと、毎日、主人の携帯電話に嫌がらせ電話をかけ続けたり、「家が不幸なのは、あんたが妙観講に行ったせいだ!」などと罵(ののし)り続けました。

 このような謗法を繰り返している状態で、家庭の悩みが解決するはずがありません。障害をもちながら小学校に入学した息子が、二年生になった夏に、突然、急性脳症を発症してしまったのです。

 辛うじて命だけは助かったものの、脳にダメージを受けて全く意思表示もできなくなり、完全な寝たきり状態となってしまいました。

 以来、夫婦仲も最悪となって、私は、子供達を連れて実家に身を置くようになりました。すると今度は、中学一年になった長女が、学校が変わったことへのストレスから、不登校になり、自分の部屋に引き籠(こ)もってしまいました。

 さらに、日蓮正宗を激しく罵っていた私自身の身にも、厳しい仏罰の現証が現われたのです。平成二十七年の暮れ、ひどい倦怠感と全身に現われた黄疸に驚き、病院で検査をしたところ、自己免疫性肝炎という病にかかっていることがわかりました。

 この病気は、自分自身の身体の免疫力が暴走し、自分の肝臓を攻撃するために、倦怠感や食欲不振、黄疸などの症状が起き、進行すると肝硬変を経て肝不全になり、ついには命を落とすというもので、原因不明の難病です。

 強い薬が投与されましたが、その副作用によって、私の顔はアンパンマンのように腫れ上がり、見る影もない姿になってしまいました。それでも、薬を止めると病気が進行してしまうので、服用を続けなくてはなりません。

 

 私は、薬の副作用による倦怠感に苦しみながら、娘の不登校に対処し、息子の介護をしていきましたが、その苦しみに耐えきれなくなって、主人に「どうして、こんな辛いことばかり続くのだろう」と嘆きました。

 すると主人は、私に「日蓮正宗の話を聞いてみないか」と強く勧めてくれたのです。  そして、かつて顕正会に在籍し、脱会して妙観講に入ったAさんから話を聞くことになりました。

 この折伏を受けた結果、顕正会が大謗法の団体である所以がわかり、我が身に不幸なことばかりが起きていた本当の原因がわかった私は、平成二十八年四月十日、理境坊に参詣して子供達とともに御授戒を受けることになりました。(拍手)

 この時点でもなお、顕正会の洗脳が解けきっていなかった私は、「浅井先生に背いて大丈夫だろうか?」「顕正会を辞めたら罰が当たるのではないか」と躊躇(ちゅうちょ)する気持ちが残っていましたが、御授戒を受けた途端、その迷いは吹き飛び、本当に晴れ晴れとした心持ちになったのです。そして、「やはり日蓮正宗が正しく顕正会は間違っていたのだ。この事を、一刻も早く顕正会の仲間達に教えてあげなくてはならない」という力強い心が湧き上がってきました。

 その心のままに、私は翌日から、さっそく行動を開始しました。
  まず、私を顕正会に誘ったIさん、そして、顕正会の中でも特に親しくしていたKさんに、自分が帰伏に至った経緯を話していきました。それまで、私自身が激しく主人に反対してきた事を思えば、当然、反対され罵られるだろうと覚悟した上での折伏でした。

 ところが二人とも、「じつは、自分も顕正会に不審を懐いていた」と打ち明けてくれ、「今度こそ、正しい御本尊様を拝していけるのですね」と涙を流して、日蓮正宗に帰伏することを決意したのです。(拍手)

 この二人を折伏していた、まさに同じ時刻、我が家では驚くべき事が起きていました。   この日、私の代わりに主人が息子に付き添っていたのですが、身動きできない息子のために来てくれているマッサージ師さんが、「今日の息子さんの体には、力が入っており、いつもと全然、違いますよ」と言ったのだそうです。そして、この日を境に、なんと息子は、自分の意志で手を動かせるようになったのです。(拍手)また、顔色も格段に良くなって、顔に表情まで出るようになりました。

 さらに、それから一年が経った昨年四月に御登山した車中において、息子が、突然「ママ」とハッキリ言葉を発したのです。私も、居合わせた人達も、腰を抜かすほど驚いてしまいました。それからも、息子は、これまでの遅れを取り戻そうとしているかのように成長しています。

 私は、自らの謗法によって、息子をこのような辛い状態にしてしまった事を思うと、ただただ申し訳なく、また可愛想で、胸が締め付けられる想いになります。自ら犯してしまった謗法の罪障を、一日も早く消し果てることができるよう、御本尊様に深く懺悔申し上げています。

 話は前後しましたが、Iさん・Kさんが顕正会から帰伏したのに伴い、私達三人は、力を合わせて顕正会時代の仲間を折伏してきました。

 その結果、かつての仲間の多くが顕正会を脱会し、日蓮正宗に入信したばかりか、その人達がさらに周囲の仲間達を折伏するようになったのです。

 この私達の動きに対し、顕正会では、役職の高い幹部を派遣して引き戻し工作をし、「このままでは、あなたを顕正会から除名にします」等と脅(おど)してきましたが、誰ひとり翻(ひるがえ)る人はなく、逆に「除名していただけるのですか。それは有り難いことです」と応じ、それを聞いた幹部達は、うなだれて帰っていったのでした。

 私は脱会できた仲間達と、共々に総本山に参詣して大御本尊様にお目通りし、皆で、正法に帰依できたことを涙を流して喜び合いました。そして、月々のお講に参詣し、講中の会合に参加し、御供養に、折伏にと精いっぱい仏道修行をさせていただく中、今日までに、五十名を越す人達が顕正会を脱会して日蓮正宗に帰伏するに至りました。(大拍手)

 すると、この間、御本尊様から、本当に有り難い功徳をいただくことができたのです。
  まず、不登校になっていた長女ですが、いろいろな人達から善意の手が差し伸べられ、わずかな期間で立ち直って、高校にも入学することができました。今では、引き籠もりだった頃と打って変わって、活き活きと高校に通い、成績も良く、あらゆる事に積極的に取り組んでいます。

 また私自身は、自己免疫性肝炎と治療の副作用による酷い浮腫(むく)みと倦怠感に苦しんでいましたが、入信以来、見違えるように浮腫みが引いて、体力も回復してきました。発症時には、自己免疫性肝炎は完治しないので、一生、薬を飲み続けなくてはいけない、と言われていたのですが、昨年九月、担当医から「もう、薬は飲まなくてもいいでしょう」と言われて、完全に治癒してしまったのです。(拍手)

 さらに、八月には主人が、知り合いの紹介で、好待遇で転職することができました。そこは業績の安定した会社で、給与は月給制でキチンと支給され、普通の時間に帰宅できるので、夫婦で協力して息子の介護ができるようになりました。

 顕正会時代の、先の見えない、あの地獄のような苦しみの日々から抜け出し、ようやく、一家和楽の家庭へと変わらせていただけたのです。

 本当に、なんと尊く有り難い御本尊様なのでしょうか。
  また私は、妙観講に入講して以来、今度こそ日蓮大聖人様の教えから外れることのないように、心がけて講中の会合に参加し、『誠心』をはじめとする講中の書籍を学んできましたが、それは感動の連続でした。

 顕正会というところは、会長の浅井昭衛が会員を駒のように使い、会員の人生は顕正会のために犠牲にされる、という全体主義の組織で、個人の幸福など置いてけぼりにされていました。それだけに、ひとり一人の講員を大切にし、お年寄りや病気の人、子供を大切にして、正しい信心によって皆で幸せになっていくことを目的とする妙観講の在り方には、感動するばかりでした。

 私も、先輩方に倣(なら)って、入信してきた人達への細やかな心遣いを心がけ、御登山や会合にも、自分だけで参加するのでなく、体の不自由な人に付き添って一緒に参加するなど、皆で功徳を積むようにしてきましたが、そこに、本当に清々しい喜びがあり、このようなことは顕正会時代には、全く考えられなかったことでした。やはり、本物の信心は違うと実感する毎日です。

 顕正会の害毒が深く、まだまだ至らない信心ですが、かつての仲間に顕正会が大謗法である所以をわからせ、まずは、小田原の顕正会を壊滅させることを目標に、折伏に励んでまいります。そして、主人と、長男・長女と共に、真の幸福を享受していけるよう、頑張ってまいります。 ありがとうございました。(大拍手)