奇跡!度重なる不可思議の御加護

第41回総会より
榎本 浩一さん

仕事中に絶体絶命の事故
周りも驚いた奇跡の現証

 私は、平成22年、現在の妻と、岡野参与から折伏を受けて入信しました。
 最初のうちは半信半疑で、取りあえず朝夕の勤行だけは行なっている、という状態だったのですが、そんな私の信仰が一変したのは、その年の妙観講総登山と総会に参加してからでした。
 初めて参詣した総本山大石寺は、観光地化した京都の神社・仏閣などとは比べようもないほど荘厳で清々しく、御開扉で大御本尊様を拝した時には、今までに感じたことのない大感動を覚えました。総会も聞いていたとおりで、こんなに力強く活気に満ちた集まりがあるのか!と驚きました。
 私は前向きに信心していこうと決意し、この日を境に、心を込めて勤行・唱題に励み、会合にも積極的に参加して日蓮大聖人様の教えを学び、心がけて折伏も実践していきました。すると、人生にいろいろな変化があらわれてきたのです。
  その当時、私は二十年来、輸入車を販売する仕事に携わっていました。
  京都では、高級外車を買ってくれる顧客の大半が、本願寺・大覚寺・伏見稲荷など、大きな神社・仏閣の関係者です。
 そのため、年末になると、私の机は、神社や寺からもらった神札やお守りで埋め尽くされる状態でしたが、その年の暮れから、「自分は日蓮正宗の信仰をしていますので、受け取ることはできません」と言って辞退していきました。私としては、失礼のないよう、丁重にお断わりしたのですが、すぐに会社にクレームがいき、私は会長から呼び出されて、神札・御守りを受け取るか、会社を辞めるか、と二者択一を迫られたのです。大切な得意先からのクレームとあって、会社としても必死でした。
 この一件により、私は会社を退職することとなりました。その後、しばらくは定まった職に就きませんでしたが、日々、御本尊様に唱題していく中、生涯の仕事として、小学生の頃からの夢だった庭師を志そうと思い立ったのです。

 といっても、これは、大変な挑戦でした。
庭師として働くためには、何といっても若い頃からの修行と経験が必要であり、その上で、造園施行管理技士・造園技能士・樹木医の国家資格に加え、重機の操作・運転免許、危険薬品の取り扱い資格など、多くの資格が必要となってきます。
すでに三十九歳になって、何の経験も資格もない自分でしたが、とにかく御本尊様に祈って挑戦しようと決め、毎日二時間、三時間、四時間と唱題し、精いっぱい折伏もして、造園業の仕事を探していきました。

 しかし、現実問題として、やはり年齢や経験のないことが障害となって、なかなか採用してもらえません。ついに「造園業への応募はこれで最後にしよう」と決めて、ある造園業者の面接に臨みました。
 結果は、やはり不合格だったものの、週二回程度、アルバイトで来てみないか、と誘われたのです。そこで、アルバイトとして働きはじめたところ、二週間経った時、毎日来てほしいと言われ、さらに、それから一ヵ月が経った時、「正社員として働いてはどうか」と思ってもいなかった言葉をかけられ、結局、造園業の会社で正社員として働けることとなったのです。(拍手)
 この、ありえない展開に、私は本当に驚いてしまいました。ただただ、嬉しく、有り難く、まじめに勤行してきて良かった!至らないながらも、精いっぱい仏道修行に励んできて良かった!と、心から御本尊様に御礼申し上げました。
 こうして、念願だった庭師としての仕事がスタートしました。
仕事に励むかたわら、与同罪を免れるために折伏も行じていったところ、次第に腕が上がっていき、入社して二年が経った時、私は、先輩社員を差し置いて、社長の右腕である番頭に抜擢されるに至りました。(拍手)
 さらに、その後は、さまざまな資格を取得し、誰からも絶対に受からないと言われていた造園技能士の試験にも合格して、給料もアップしていきました。(拍手)

 
 こうして日々、信心修行に励み、充実して働く中、私は、奇跡としか思えないような形で、御本尊様から命を救っていただくこととなりました。
 平成26年10月のある日、市内の運動公園で、楠の大木の剪定をしていた時のことです。
私は、落下防止の安全帯を木にかけて、下の方から枝を切り落としながら昇っていきました。そして五メートルほどの地点で、安全帯を次の枝に付け替えようと木から外した、その時、上で作業していた職人から声をかけられて顔を向け、バランスをくずしてしまったのです。とっさに目の前の枝を掴んだのですが、それは枯れ枝で簡単に折れてしまい、私は真下のコンクリートに叩きつけられるように落下した……はずでした。その瞬間、「背骨が折れたな」と思いました。

 ところが気がつくと、私は足を延ばして座っており、何の痛みもありません。すぐに立ち上がって、「ビックリしたぁ」と言う私に(笑い)、見ていた同僚の方がビックリして、その瞬間に見たことを話してくれました。それによると、私はまるでパラシュートでも付けているかのように、ゆっくり落ちていった、というではありませんか。本当に不思議な体験でした。

 さらに平成28年2月、この日は、三トンもの大きな石をクレーンで吊って設置する作業をしていました。
 このような危険を伴う作業では、少し離れて指示を出すものですが、離れた位置からでは、正確な指示ができません。京都の庭師は職人気質で、石ひとつ据えるのにも数センチの誤差も許しませんので、私も危険を顧みず、石の真下に立って「もう少し右。もう少し手前。角度を変えて」などと指示を出していました。
 ところがその時、石の重さとワイヤーの太さに計算ミスがあり、さらにはワイヤーがずれてしまった事が重なって、事故が起きました。
 ミシッ!と不気味な音がしたかと思うと、次の瞬間、ワイヤーの一本が切れ、バランスを崩した三トンの石が、私の頭上に落下してきたのです。一瞬のことで、逃げる余裕などありません。
 その現場には十人の作業員がいて、そのうち五人がその瞬間を目撃していました。皆、私が「死んだ!」と思ったそうです。
 しかし、考えられない事が起きました。たしかに石が頭上に落ちたはずなのに、私は、その石に背を向けて立っていたのです。自分でも訳が分からなくなり、「これは自分の魂が抜け出したのか?体は石の下にあるんやな?」と思いました。
 しかし現実は、かすり傷ひとつなく、三トンの石を背に立っていたのです。
 作業員達の話では、確かに私が一瞬で石の下敷きになるのを見た、ところが、その直後、私の体が石の前に出てきた、というのです。
 こうして私は、御本尊様の御加護で、またも命を助けていただきました。
 さらに昨年、台風二十一号が京都に直撃した時も、傾いている杉の大木を切り倒す緊急の作業をしていたところ、その木が倒れて、十数メートルという高さから地面に叩きつけられました。
 今回ばかりは無事では済まない状況でしたが、腰を強打したものの、全くケガもしていません。私は体の震えが止まらず、ただただ御本尊様に守っていただけたことを感謝いたしました。

 私は、この他にも、入信以来、幾度となく事故や災難に巻き込まれては、御本尊様に助けていただいてきました。
 その理由ですが、私の家は代々、真言宗の檀家をしてきました。
 真言宗では、仏教を説いた釈尊を蔑んで、「大日如来に比べれば、釈尊などは草履取りにも劣る」などと誹謗しています。そのように、教主である釈尊を押し倒す教えを根本としている真言宗の家では、一家の柱である主人・長男が事故や病気で早死にしたり、病弱であったり精神障害になってしまうことが多い、と聞いていましたが、本当にその通りで、私自身、幼い頃から何度となく危険な目に遭遇していました。そして、それは入信後も続いていたのですが、その都度に、御本尊様の功徳で守られてきたのです。
 私は、一刻も早く、この害毒を消し去らなくてはならない、と思って折伏に励みました。
その功徳だったのでしょうか、会社には「今年も榎本さんにお願いしたい」「庭を新しく作りなおしたいので、榎本さんに全てお任せしたい」と、指名での依頼が増えてきました。職人として本当に嬉しく、有り難いことです。
 庭師の仕事は、一人前になるまでに十年は掛かると言われていますが、全くの素人だった自分が、四年でここまでくることができたのは、ひとえに御本尊様の御力によるものと、感謝申し上げる日々です。(拍手)

  さらに、私の家族も御本尊様に守っていただくことができました。
私同様、真言宗の長男だった父は、心肺停止の状態で生まれ、医師の蘇生によって助かりました。そして、若くして糖尿病を患い、その合併症で狭心症になって、入退院を繰り返していましたが、平成十六年、六十四歳で心臓のバイパス手術を受け、その時に、あと十年の命と言われていました。
 私は、幼い頃から父に対しては、厳しく怖いイメージがあって、まともに話もしたことがなかったのですが、早く助けてあげたいと思い、折伏するようになりました。ところが父は、「信仰で助かるものでもない。もう少ししか生きられないのに、そんな話は聞きたくない。私に信仰の話はしないでほしい」と聞き入れてくれません。
 そのような折、実家で飼っていた犬が癌で死んだのですが、その死骸は、目をカッと見開き、舌はベロンと出て、体はカチカチに硬直する、という本当に恐ろしい姿になってしまいました。ところが翌日、平安寺様でその愛犬の塔婆供養をお願いしたところ、前日とは打って変わって、目は柔らかく閉じ、舌は引っ込み、体も柔らかくなって、足の癌まで消えてしまったのです。
 この驚くべき現証に、両親は心から御本尊様に感謝して入信し、共に仏道修行に励むようになりました。(大拍手)それは平成二十六年のことでした。
 その後も父は、何度となく大きな病魔に見舞われましたが、そのつど一生懸命にお題目を唱えて乗り越え、毎年五月には家族そろって総本山に参詣してきました。
 入信前は父と言葉を交わすことなど、ほとんどありませんでしたが、今は両親を大切に思えるようになって、親子の関係も大きく変わりました。本日も、家族全員で登山できております。(大拍手)
 この御本尊様の御恩を忘れることなく、これからも家族皆で仏道修行に励んでまいります。 ありがとうございました。(大拍手)