恩愛の情を超え真の孝養を果たす

第41回総会より
平田 奈津子さん

ネパール布教の手伝いを
自らの縁による現地折伏も

 現在、妙観講では、ネパールおよびインド北部での折伏弘教がどんどん進み、ここ六年ほどの間に八万五千人を超える人達が入信しました。
 今現在、四人の幹部が日本からネパールに赴任して、現地の組織整備や折伏育成等に当たっていますが、大草講頭もまた、ほぼひと月おきにネパールに赴き、育成や様々な問題の対処に当たられています。私も、三年前の平成28年6月に初めて、講頭に同行してネパールに行き、それ以来、この3年間で17回、ネパールに渡航しております。
 そのような中、たまたまボーレターという小さな村の私立学校の校長先生と知り合い、平成28年8月に渡航した際、畑中幹事と共にボーレターに行って仏法の話をすることになりました。
 ボーレターという村は、ネパールの首都・カトマンズの空港から国内線に乗り継いでポカラの空港に行き、そこから車で三時間、日本では考えられないような、激しく曲がりくねった山道を縦に横に揺られながら走り続けたところにありました。さらに車も通れないヤブだらけの細い道を行った先に、グリーンバレーアカデミーという小さな学校があり、そこで校長先生をはじめ、先生方や生徒達が私達の到着を待ってくれていて、その人達に日蓮大聖人様の仏法の話をしたところ、皆が喜んでお題目を唱えていくということになりました。
 そして、その三ヵ月後、御授戒のために小川正豪御尊師にボーレター村まで同行していただき、あらためて仏法講演会を開催したところ、村の人達も合わせて六十二名が御授戒を受けることができました。
 校長先生は、御僧侶に来ていただいたことに大感激し、「次回は村人を集めておくので、ぜひ皆に仏法の話をしていただきたい」と言い、翌年の二月に訪れた時には、仏法講演会に参加した四百五十名の村人が喜んで御授戒を受け、その後、学校に仏間を作って御本尊様をお迎えすることができたのです。(大拍手)

 また、ボーレター村に行く途中のポカラという街でも、私の母がかつて日本語を教えていた縁で、ラジュ君とラム君という二人の青年を折伏したところ、そこからどんどん折伏が進んでいって、ポカラでは現在、約二百人の人達が入信し、活動拠点となる勤行センターもできました。
 私は、渡航のたびにボーレターとポカラへ足を運び、皆さんと一緒にお題目を唱え、育成をしてきましたが、そうした中、グリーンバレーアカデミーはとても小さな学校でありながら、地域の数ある学校の中で最優秀生徒が数名選ばれ、そのことで知名度が上がって入学希望者が増えたり、生徒三十人を乗せたバスが崖から転落しかかったところを間一髪で助かったりと、いくつも功徳の実証を体験し、多くの人が御本尊様のありがたさに喜んで信心しています。
 さらには、そうした噂を聞いたボーレターの隣村の学校の校長先生までが、「ぜひ、自分の村でも仏法講演会をしてほしい」と言ってきて、2年前の平成29年4月16日に、小川良到御尊師に同行していただいて、その村でも仏法講演会を開いたところ、750名の村人が御授戒を受けることができました。(大拍手)

 ところが、この御授戒が終わった翌日、ポカラに入ったところで、大変な事態が重なり起こってきました。
 一つ目は、なんと、ボーレター村と隣村で入信した人達をまとめている先生方が、些細な行き違いから反発を生じ、それがエスカレートして、信心を退転するかもしれない、という事態になってしまったのです。
 まさに魔の所為でありましょう。ボーレター村と隣村で御授戒を受けた千三百人の人達の成仏が掛かっていますので、何をさしおいても対応しなくてはなりません。私は、帰国の予定を延長して、この事態の収束に当たることにしました。
 ところが、その矢先、今度は、東京にいる姉から、突然、「父が倒れた」との連絡が入ったのです。
 新潟の実家に住んでいる父は、二十二年前、姉と私の折伏によって入信し、以来、八十歳を超える今まで元気に暮らしておりました。
 姉の話によれば、その前日、新潟から上京していた母が、一人で留守番をしている父にいくら電話をしてもつながらないので、心配になって兄のお嫁さんに見に行ってもらったところ、廊下で倒れている父を発見し、すぐに救急車で病院へ搬送した、ということでした。
 しかも、倒れてから発見されるまでに、どうやら二十時間以上も経っていたようで、この緊急事態に、母は新潟に飛んで帰り、姉のほうは新潟からの連絡を待っている、というのです。
 私は、予想もしていなかった報せに驚き、すぐにでも父のもとに飛んでいきたいとの思いにかられましたが、ネパールでの問題の対応に当たらなければならず、どうしたらよいのか、大いに動揺しました。

 そこで、私達より一足早く日本に帰国していた大草講頭に電話し、どうしたものか相談したのです。すると、すでに姉から父のことを聞いていた講頭は、
「これは、状況から考えて脳梗塞の発作であり、しかも大変危険な状態だと思われます。しかし、あなたが日本に飛んで帰ったとしても、それによってお父さんを救えるわけではありません。御書にあるように、子供の身体は親の身体を分けて作られたのですから、いわば子供の指は親の指、子供の手足は親の手足で、親子の命はつながっているのです。であれば、子供の積んだ功徳は必ず親に回っていく。自分がより大きな功徳を積むことで、それをお父さんに回してあげることが、お父さんにとって最善の結果となるのです。とくに、ボーレターで大変な問題が起こっていて、それを解決できるのは、あなたしかいないのだから、ここは、ネパールで闘いきって、その功徳をお父さんに回すべきです。必ず御本尊様が助けてくださいます」
と指導してくださいました。
 私は、その講頭の確信に満ちた指導と励ましに奮起し、腹をくくって、最後までネパールで闘いきることを決意し、根深くなっていた怨嫉問題の解決に対処していきました。
 その間、姉から、父の病状について深刻な連絡がきました。
 それによると、父の病名はやはり脳梗塞でした。脳梗塞は、倒れてから治療まで時間が経てば経つほど、命の危険性が増し、一分でも早く病院に行くことが大事だと言われているのに、発見まで二十時間以上も経っていたとなれば、ただごとでは済みません。
 入院の翌日に撮ったレントゲンでは、左脳の半分が真っ黒で、その部分の血流が詰まって完全に壊死した状態だったそうです。しかも、左脳の血管の大元である大脳動脈が閉塞していることまで判明した、というのです。
 医師によれば、「通常、この大脳動脈が閉塞した時点で、一気に脳の梗塞が広がって、死亡していてもおかしくないのに、よく生きていたものだ。それにしても、このタイプの脳梗塞は進行悪化が速いので、このまま数日から一週間で死に至る可能性が極めて高いし、万が一、命が助かったとしても、全身マヒになることは避けられない」とのことでした。
その診断結果を聞いた父の弟が事の重大さに青ざめ、ただちに親戚を集めるなど、大騒ぎになっている、というのです。

 しかし私は、御本尊様にお任せした以上は、精いっぱい父に功徳を回すしかない、との思いで、全力でネパールでの育成に当たりました。
すると、入院から三日目の四月十八日、父の意識が戻り、強い言語障害と右半身マヒが見られたものの、容体が安定してきて、命の危険から脱することができた、というではありませんか。
 そして、その翌日の十九日に再び検査をしたところ、そこで驚くべきことが起こりました。なんと、当初は真っ黒にしか写らなかった左脳に、はっきりと血管が写っており、大脳動脈もほぼ完全に再開通している、というのです!(大拍手)これには医師も大変驚いていたそうです。
 この時点で父は、普通に会話もできるようになり、右手の麻痺もなくなってきて、歩けるまでになりました。(大拍手)
 私は、ネパールから帰国した後、この一連の流れをレントゲン写真や診断書で確認し、あらためて、「本当に医学では考えられないことが起こったのだ。ネパールで精いっぱい折伏してきた功徳が、本当に父にも廻(めぐ)っていたのだ」と確信し、御本尊様のあまりの有り難さに、ただただ、ひれ伏す思いでした。
 今、それからちょうど二年が経ちましたが、父は、何の後遺症もなく、五体満足で元気に過ごしております。父も母も、御本尊様の功徳で、幸せを感じて生きているのです。私にとって、これ以上の喜びはありません。
 そして、本日の総会には、父と母、兄夫婦が揃って、参加することができました。(大拍手)
 また、私自身も、三年間、日本とネパールの往復を繰り返しておりますが、もともと心身ともに不安定になりやすく、すぐに体調を崩すほうでしたが、自分でも驚くほど丈夫で健康になり、これも御奉公の功徳以外の何ものでもないことを実感しております。
 また、共に妙観講で信仰している主人と三人の娘達も、私のネパール行きに協力してくれていますが、娘達はそれぞれ第一志望の学校に合格するなどの功徳をいただき、折伏も積極的に実践するようになりました。
 今後も、この御恩に報いるために、仏法西還の完結をめざし、人生をかけて取り組んでまいります。御清聴、ありがとうございました。(大拍手)