邪宗の害毒を打ち消した妙法の功徳

第41回総会より
岡本 知臣さん

傷つき育った家庭の中で
他者に向ける異常な攻撃性

 私は、二人兄弟の次男として生まれました。父は芸術家で、普段はもの静かなのですが、一度お酒を飲んで機嫌を損ねると、人が変わったように暴れだし、母の髪の毛を鷲掴みにして引きずり回したり、兄に対しても大変な暴力をふるっておりました。
 父から虐待を受け続けていた兄は、思春期を迎えた頃には、激しく父を憎むようになって、そのやり場のない怒りを弟である私にぶつけ、私への虐待を繰り返すようになりました。
 仕事で家に居ないことの多い両親はその実態を知らず、また、兄からは「告げ口をすれば酷い目にあわせるぞ」と脅され、私は幼少の頃から、心と身体に耐え難い苦痛を味わいながら育ったのです。
 そのように傷つき育った私は、中学生になると、地元のワル仲間とつるんでは万引きや置き引きなどの窃盗を繰り返すという、本当に酷く荒んだ青年期を過ごしました。
 さらに私は、兄や両親に対する恨みを、小動物の命を奪うことで解消するという、異常な精神状態となり、やがて心が崩壊した私は、自分の部屋をペンキで真っ黒に塗り潰し、その部屋に引き込もるようになってしまったのです。
 それからの私は、人と関わることができなくなり、気に入らない相手がいると、徹底的に見下したり、暴言を吐いたりと異常なまでに人を攻撃する人間になっていったのです。

 これは後年になってから分かったことですが、私はパーソナリティー障害という精神疾患になっていたのです。
 この病気は大変怖い精神病で、現代の医学では治せない病気のひとつです。特に私の場合、症状が重く、相手の感情を勝手に推し量って過剰に反応したり、物事を歪めて受け止めるという、妄想性の強い障害で、そのために人からの批判に対応できず、発作的に怒りが爆発して自分をコントロールできなくなってしまいます。
 一見すると健常者のようにも見えるのですが、ひとたび思いどおりにならないことが起こると、豹変して別人格が出てきてしまい、怒り狂って暴れ出し、いつまでも際限なく執拗に周りを攻撃し続けるのです。
 ちなみに、あの独裁者のヒットラーや、猟奇殺人を起こした犯人達が、私と同じこの精神疾患に陥っていたそうです。
 そんな恐ろしい病気を抱えている自分ですので、成人してからは務める先々で、必ずと言っていいほどトラブルを起こし、人間関係がいつも滅茶苦茶になっていました。
 ある時などは、つまらない事で相手を憎み、その憎しみの感情を自分で抑えられなくなってしまい、相手を自殺に追い込むまで精神的な苦痛を与えてやろうと思って、執拗に嫌がらせを繰り返したこともありました。
 まさに、一歩間違えれば、凄惨な事件を犯していてもおかしくない精神状態だったのです。
 私は、この病気のせいで定職にもつけず、いつも、どこにいても様々な事で行き詰まり、人生をまともに営むことができませんでした。
 そして、ついには世間と関わることを一切捨てて、逃げるように、誰も知り合いのいない沖縄の最果ての離れ小島に渡り、完全な世捨て人となって、自給自足のテント生活を始めたのです。
 自給自足といっても、一般的な健全なイメージとはかけ離れていて、とにかく生き物の命を奪うことに強い執着を持ち、夜の海に潜っては魚介類を仕留め、それを食べたり、密売してお金をかせぐという、異常な生活をくり返しておりました。
 そして、ついには、パーソナリティー障害に加えて鬱(うつ)状態に陥ってしまい、「もうこれ以上生きていけない…死にたい」と、何もかも諦めて廃人のようになってしまいました。

 そのような状況の中、沖縄に仕事で来ていた妙観講の足達さんから折伏を受け、生まれて初めて仏法の話を聞くこととなったのです。
 その内容は、私にとって衝撃的でした。私が幼少の頃から今に至るまで抱えている悩み苦しみの根本の原因は、すべて邪宗・謗法にあり、その原因を消していけば、今抱えているすべての問題が解決し、必ず幸せになっていける、というものでした。
 最初は全く信じられませんでしたが、道理を通して真剣に話してくれる足達さんの姿に、少しずつ襟を正して聞くようになり、邪宗教の害毒ということを聞いた時は、思い当たることだらけで、本当に恐ろしくなりました。
と言いますのも、私の家系は代々念仏信仰で、特に母方の祖父と曾祖父が浄土真宗の僧侶までしていたのです。足達さんは念仏の害毒について具体的に話してくれたのですが、まさに自分の人生、家族の生きざまは、念仏の害毒そのものでした。私は、「我が家は念仏の害毒に汚染された、呪われた家系である」と思いました。
 振り返ってみれば、これまでどんなに努力しても、もがいてみても、悪循環に陥るばかりで、生き地獄のような人生でしたが、その耐え難い苦しみを解決できる一筋の光を見た 私は、足達さんから言われるまま御授戒を受けさせていただき、その日から勤行を始めたのでした。
 すると、まず最初に気づいたのは、鬱の症状が出なくなったことでした。いつも心が重く気が沈み、後ろ向きのことしか思えなかった自分が、お題目を唱えていくと、凄く前向きな気持ちが湧いてくるのです。そして、完全に無気力で食事すらもできない状態だったのが、食欲が出てきて、また、何ヵ月もまともに睡眠が取れなかった状態が、自然に眠れるようになりました。そして、勤行を始めてから三ヶ月ほど経った頃には、鬱状態から完全に抜け出せておりました。
 また、生活の状況も次第に整っていき、人並みに働けるようになったのです。

 それからの私は、抱えていた様々な問題を、この御本尊様のお力によって一歩一歩確実に解決していき、沖縄の地で七年の歳月をかけて社会復帰を果たしました。
そして、「この御本尊様のことを両親や友人達に教えたい」との思いが出てきて、沖縄から栃木の実家に戻り、足達さん夫妻の協力のもと、両親にこの大仏法の話をしたのです。
 私が様々な問題を御本尊様のお力で乗り越え、人生を歩めるようになったこと、そして、御本尊様のおかげで死の淵から帰ってこれたことを話して、信心を勧めると、父は「そんなに辛い思いをしてきたのか…今まで自分は家族を省みてこなかった。お前がそんなに言うなら入信しよう!」と言ってくれました。(大拍手)以前の父からは想像もできないその言葉に、私はただただ嬉しく、涙が止まりませんでした。母もまた、一緒に信仰していくことを決意してくれました。

 こうして、有り難くも両親共に入信できたのですが、私の心の中にひとつだけ、どうしても解決できない大きな問題がありました。それは、母に対する異常なまでの憎悪の気持ちでした。
 その頃の私は、周囲の人達を折伏してくる中、パーソナリティー障害はひとまず落ち着き、他人に向けての恨みや怒り等の悪心は薄くなったものの、母に対してだけは、なぜか、いつも怒りが爆発してしまうのです。
 今となっては思い出すのもおぞましいのですが、本当につまらない些細なことから母に対する憎悪の念が沸々と湧いてきて、それと同時に、この場ではとても言葉に出せない猟奇的な手段で母をなぶり殺してしまう、リアルなイメージが、何度も何度も頭に浮かんできて、最終的には押さえようのない狂乱状態になってしまうのです。
 ある時などは、母を車に乗せている時に突然発作が起き、「このまま車ごと、どこかに突っ込んで死んでやろうか!お前に俺の苦しみの何が分かる!!」とわめき散らし、車を暴走させたこともありました。しかし、母を手にかける寸前で、目の前に一瞬、御本尊様のお姿が現われ、それによって正気を取り戻すことができて一線を越えずに済みました。
我に返ってみると、自ら殴り続けた車の天井はベコベコになり、ダッシュボードも破壊され、ドアを強打したことによりパワーウィンドウも壊れて窓ガラスが落ちていたほどでした。
 本当に何かに取りつかれたかのような状態で、いつか本当に母を殺してしまうのではないかと思いながら、御本尊様に泣いておすがりしていく日が続きました。そして、この状況を何とか乗り越えたい、との思いで先輩に相談し、大草講頭の個人指導を受けました。
講頭は、
「親子は過去世に敵(かたき)だった場合もある、との大聖人の仰せがあるが、そこまでお母さんを憎む気持ちが生じてくるのは、やはり過去世の因縁によるものでしょう。そのような親子の問題を解決していくには、やはり、共に折伏を実践して、過去の罪障を消していく以外に方法がないのです」
と教えてくださいました。そして、御自身が幼少の頃から親子の諍(いさか)いが絶えなかったこと、それが長年の信仰の功徳で、完全に解消できたことなど、様々な体験も挙げて、「絶対に乗り越えられるから」と、温かく励ましてくださったのです。
 私は講頭の話を伺い、自分の罪障の深さを思い知ると同時に、大聖人様の仰せを信じて、母と共に二人で力を合わせて折伏を実践していこう、と肚を決めました。

 そして、それまでは私の敵は母でしたが、その日から「私の本当の敵は邪宗謗法なんだ」と自分に言い聞かせ、母と二人で親戚や知人達を片っ端から折伏していきました。
後から聞いた話ですが、母は私と折伏に回りながらも、いつ私に殺されるか、との恐怖心と闘いながらの活動だった、と言っておりました。しかし母は、本当に辛抱強く私と共に折伏を行じていってくれました。
 また、私自身も、折伏した人達から聞こえてくる悪口や嫌がらせに対し、何度となく挫けそうになりましたが、その都度、講中の先輩方から温かく励ましていただきながら、仏法のお力を信じて、諦めずに親子で必死に折伏に励んでいきました。
 すると、以前は母と同じ空気を吸うことすら嫌悪を感じていた状態から、まるで薄紙を一枚一枚剥がすように、本当に少しずつでしたが、母に対する感情が改善していき、ついには全く悪心が起こらなくなっていました。その状態になるまでに、入信してから十四年と、年月こそ掛かりましたが、とうとう、現代の医学では絶対に治すことができないと言われていた、パーソナリティー障害を完全に克服することができたのです。(大拍手)
今では、あの頃のことがまるでウソのように、母との関係が良くなりました。また、酒乱で暴れまくっていた父も、お酒を飲まなくなり、今ではおしどり夫婦と言えるほど夫婦円満になっております。

 こうして信心を根本にしてくる中、経済面においても大きく変わってくることができました。
 私は七年前より陶芸教室を運営し、講師として働いております。独立して働くこと自体が過去の自分からは想像できないことなのですが、もともと商売に向かない気質のため、不安定な経営状況が続いておりました。
 しかし、私は、長年苦しみ続けた病を克服できたことが本当に有り難く、御恩返しは折伏と御供養である、と肚を決め、願って実践させていただきました。経済的に厳しい状況の時でも、毎月の御講登山にも参詣し、さらに北海道や横浜、あるいは浜松へと、他の寺院講中への折伏応援にも積極的に参加させていただきました。
 折伏のための仏法講演会では体験発表をさせていただくこともあるのですが、そのつど、この信仰に巡り合う以前の地獄のような毎日が思い出され、その状況から救っていただけた有り難さが込み上げてきて、御本尊様にひれ伏す思いでいっぱいになります。
 また、創価学会員に対しても、同志の皆さんと共に遠征して折伏するなど、月の三分の一以上を折伏・育成を中心とした活動に使っているため、普通に考えれば売上げが落ちてもおかしくないのですが、昨年の五月から現在に至るまで、毎月、前月を上回る記録的な売上げアップを更新し続けております。
 これによって、さらに御供養をさせていただくこともでき、本当にありがたさの極みであります。
 今では作業員を雇うこともできるようになり、時間的余裕も増え、さらに仏道修行に精を出すことができるようになりました。
 こうして、一日一日、御本尊様のありがたさを感じ、折伏と御供養を心がけて生きてくる中、さらにびっくりするような仕事が入ってきました。
 それは、誰もが知っているある有名ボーカリストが、私の陶芸教室に来て陶芸体験の取材をするというものでした。そして、その体験レポートが載った冊子が発行されるや、そのボーカリストと同じ陶芸体験がしたいとの問い合わせが殺到し、想像以上の売上げとなっていったのです。
 一時期は、パーソナリティー障害の症状に苦しみ、まともに働けないどころか、何もかも捨てて死ぬ寸前だったこの自分が、今、仏様に御奉公をさせていただけているという実感を感じながら、生きている喜びをかみしめていられることが、言葉に尽くせぬほどありがたくてありがたくてなりません。
 本来ならボロ雑巾のように汚れ、破れ、捨てられていたような人生も、この御本尊様の光に照らされ、御奉公させていただきたいとの志ひとつで、光り輝く人生に変わっていけるのだと、一分ながらも確信している次第です。

   今後も、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の御命題に向けて、微力を添え奉るべく日々に精進し、少しでも多く御奉公させていただけることを自らの最大の喜びとして、さらに精進してまいります。 ご清聴、ありがとうございました。(大拍手)