顕正会の洗脳から脱し、真の幸せに目覚める!

第42回総会より
小林 太一さん 

顕正会に入会して二十年間
常軌を逸した活動に狂奔

私は昭和五十六年、十六歳の時に、同級生に誘われて顕正会の前身であった元・妙信講に入会してしまいました。
今にして思えば、日蓮正宗の教えを盗んだカルト教団でしたが、世間知らずで宗教に無知だった私には、素晴らしい教えに聞こえてしまったのです。

その後、誘われるまま会合に参加し、勧誘活動に没頭するまでに、そう時間はかかりませんでした。浅井会長を唯一無二の師匠と崇め、活動にのめり込むあまり、高校も中退してしまい、新潟県に顕正会員が増えた時には埼玉県から新潟県に転居するほどの狂信ぶりでした。

当時、一緒に住んでいた彼女とは活動をめぐって口論が絶えず、精神的に追い詰められた彼女は、とうとう自殺を図ってしまったのです。
夜遅く活動を終えてアパートに戻ると、部屋には遺書とともに、大量の睡眠薬を飲んで横たわる彼女の姿がありました。すぐに救急車を呼んで、命だけは取り留めたものの、面会謝絶の状態が続きました。

ところが私は、彼女の容態を心配するどころか、「この女性と暮らしていたら、また同じような騒ぎを起こされるのではないか」と考え、入院中の彼女の荷物を実家に送り返した挙げ句、アパートも引き払って、彼女との関係を断絶してしまったのです。よく、そのような非情な仕打ちができたものだと、当時の自分の非人間ぶりが恐ろしくなってきますが、とにかく〝顕正会の活動の足を引っ張るものは、全て邪悪な魔の働きだ〟と思い込んでいましたので、彼女を切り捨てて顕正会を選択したことで、〝また一つ魔に打ち勝った〟と優越感すら感じていたのです。

また、私の実家はアルミ加工業を営んでおり、長男である私は、本来なら家業を継ぐ立場にありました。しかし私は、〝仏弟子たる者、仕事なんぞは片手間にやるものだ〟と考え、仕事を弟に押し付けていました。そんな私に、父は、ほとほと困り果て、最終的に弟を社長にする形で家業を存続させたのでした。

さらに平成十五年になると、今度は両親の迷惑も顧みることなく、父名義の実家を顕正会の拠点にし、言うに事欠いて「この拠点は自分の私物ではない。浅井会長から預かったものである」などとして、顕正会の活動のために実家を二十四時間提供するなど、狂信ぶりに、いよいよ拍車がかかっていきました。

モンゴルにまで足を伸ばし、二回の渡航で百人を入会させたこともあり、顕正会時代の二十年間で、三百人を越す人達をこの邪教に入会させて、重い罪障を作ってしまいました。

予想外の展開で活動は終焉
浅井顕正会の実態に愕然!

 ところが、この狂った活動は、予想もしない展開で終りを告げることとなりました。
平成十九年、私が副長をしていた支隊に所属する会員が、妙観講の折伏によって脱会し、他の会員にも脱会を勧めるようになったのです。
私は、怒りで頭に血が上りましたが、一方、妙観講が、どういう組織なのか全く判りません。「もし、妙観講員が自分の所に来たら、どう対応すればいいのか?」と不安にかられました。

そこで、妙観講について幹部に聞いてみたのですが、誰一人として答えてくれません。自分で調べようにも、顕正会では、会員が顕正会批判を目にすることのないよう、インターネットの閲覧が厳重に禁止されています。
しかし、妙観講と対峙する必要に迫られていた私は、いてもたってもいられず、「破折の材料を探すのが目的であれば、許されるだろう」と自分を納得させて、インターネットで妙観講について調べていきました。

その結果、顕正会を脱会して妙観講員となった多くの先輩達と同じ道をたどることとなったのです。
ネットサイトの中でも、かつて顕正会の本部職員だった渡辺雄二さんのサイトには、浅井昭衛の発言を時系列で追って、その矛盾と欺瞞が明らかにされており、衝撃を受けました。その他のサイトでも、客観的な証拠を挙げて顕正会の誤りが指摘されており、それら数々の証拠の前に、私は顕正会の誤りを認めざるを得なくなってしまったのです。

自分が人生をかけてきた顕正会は、なんと謗法の異流義団体で、師と仰いだ浅井昭衛は稀代の大ウソつきだった――「浅井に、してやられた」と、怒りと悔しさで茫然とするばかりでした。
そして、気付いた時には妙観講本部に電話をしていました。その時、電話に出た永井部長から日を改めて折伏を受け、平成二十年一月、日蓮正宗に入信することができたのです。(大拍手)

謗法罪障に苦しんだ七年間
先輩の励ましに支えられて

 しかし、入信できたとはいえ、顕正会で受けた洗脳は非常に深く、たとえば、広宣流布以前に戒壇の大御本尊様を拝むのは不敬であり、謗法にあたる、と繰り返し教えられていた私は、入信三ヶ月後に初めて奉安堂で御開扉を受けた際、「自分はいま大変なことをしてしまっているのではないか?」との恐怖が込み上げ、申し訳ないことにガタガタ震えながら大御本尊様を拝している、という有り様でした。
それほど、顕正会に在籍して刻み付けた謗法の念慮は、命の奥まで入り込んでいたのです。

したがって、それ以後の私は、顕正会で作った罪障によって、長く苦しむことになりました。
まず、謗法の酔いから醒めてみれば、私には何も残っていませんでした。過激な活動をするために高校を中退し、友達も全て失い、仕事上の実績も何もありません。
何よりも、その状態から這い上がろうとする気力すらなく、精神的に完全に塞ぎ込んで、自殺願望まで持つようになってしまったのです。

人混みに行くと顕正会の会合を思い出してしまうため、講中の行事や会合にも、ほとんど参加できませんでした。
この精神状態が七年間続いたのですが、その間、私のもとに通い続け、励まし続けてくれたのが、やはり元顕正会員だった堀井幹事でした。幹事は「自分も、顕正会の罪障でひどい引き籠もりになってしまったけれど、妙観講で正しい信仰に励んで社会復帰できたのですよ」と話してくださり、その実体験は、私にとって大きな心の支えになりました。

そして、心の健康を取り戻しつつあった平成二十七年春、私は、意を決して本部講習会に参加しました。
そこで耳にした大草講頭の確信漲(みなぎ)る指導には、心から感動しました。その感激のまま、直後に開催された妙観講第三十七回総会に参加すると、素晴らしい体験発表を聞くことができました。そして、今まで味わったことのない大感動を覚えたのです。
「こんなに素晴らしい仏法なら、自分も真剣に行じさせていただこう!」そう決意すると、力強い生命力が涌いてきました。

正法実践の中、家族が入信
危機一髪で命を守られた父

 それからは毎日、朝夕の勤行に加え一時間以上の唱題をして罪障消滅を祈り、行事・会合には積極的に参加し、折伏も実践していきました。
そして、月々に入信者が出るようになると、極度の精神不安定がどんどん良くなっていったのです。

そこで、かつて失ったものを取り戻そうと、仏道修行に励みながら、高校の勉強をし直して高卒認定試験を受けました。その試験に合格した後は、夜間の大学に通いました。
父の会社における仕事も、責任をもって勤めていったところ、評価されて役員に登用してもらうことができました。

折伏においては、顕正会員はもちろんのこと、周囲の知人・友人、何より家族を心がけて折伏していきましたが、その中で、平成二十年に母が御授戒を受けて入信し、七年後の平成二十七年には、その母の説得もあって父と弟が相次いで入信することができました。(大拍手)

そして、その結果、大切な父の命を守っていただくことができたのです。
それは平成二十九年五月のこと、九十四歳になる父が自宅で倒れているのを母が発見しました。父は、誤嚥のために急性肺炎を起こして窒息状態に陥っており、すでに息もしていない状態でした。
発見があと数分遅れていたら、助からなかったかもしれない危険な状態で、父は救急搬送されました。本当に危機一髪でした。

しかし、辛うじて命は取り止めたものの、担当の医者の話では、高齢者の肺炎はリスクが高く、治療が上手くいくとは限らない、仮に上手くいっても、その後の生活が困難になったり、精神的にうつ状態になることが懸念される、とのことで、覚悟をしておくよう促されました。

私は、顕正会に関わったことで、父にさんざん迷惑をかけ、心配をかけてしまいました。それにもかかわらず父は、私が日蓮正宗に帰伏し社会復帰できたことを本当に喜んで、会社でも役員に取り立ててくれたばかりか、自らも御授戒を受けて入信してくれたのです。
そんな父に、何の恩返しもできないまま逝かせてしまうわけにはいきません。

私は、御本尊様にお縋(すが)りする想いで「もう少し時間を与えてください」と切実に祈っていきました。
また吉尾部長は、すぐに小川御住職に父の当病平癒の御祈念をお願いしてくださいました。

御住職の御祈念はまさに絶大でした。父は、病院に搬送された時点では意識も混濁していたのですが、翌日には普通に会話できるまでに回復したのです。順調に治療が進み、美味しそうに食事をたいらげる父を見て、私は胸をなでおろす想いで、御本尊様に心から感謝申し上げました。

新たな家族と一家和楽に
経済面でも御本尊の御加護

 こうして、御本尊様の功徳で、恩ある父を救っていただいた私でしたが、その後、大切な家族を得ることができました。
今から二年前の夏、班員である姜順姫さんから朴明姫さんという女性を紹介され折伏することになりました。朴さんは、二十五年前に来日しましたが、結婚六年で御主人を亡くし、女手ひとつで、大変な苦労をして二人の子供を育て上げた人でした。

折伏したところ、朴さんは納得して決定し、その日のうちに御授戒を受けることができました。その翌日、さっそく総本山大石寺に参詣した朴さんは、総本山の荘厳な佇まいに深く感激し、韓国に住む娘に電話してその感動を伝えました。
その後、娘、息子と順次、折伏して入信に導くことができましたが、その過程で私は、朴さんの真摯な信仰姿勢に、この人と共に生き、共に御奉公していこうと思うようになり、結婚しました。

今では、実家から歩いて三、四分の所に好条件の家を購入し、家族四人、仲良く暮らしながら、実家の父の介護も手伝い、本当に一家和楽の幸せな人生を噛みしめています。
思えば、このような幸福は、顕正会時代には、日本が滅びようとしている時に自分の幸せなど考えていられないと、真っ向から否定していたものでした。邪教の害毒で、物の見方が根底から狂っていた私でしたが、血脈正しい日蓮正宗の信仰によって、本当の幸せに目覚めることができたものと、有り難く思っております。

最後になりますが、現在、新型コロナウイルスの流行によって多くの企業で売り上げが激減し、倒産の危機に瀕しているところも増え続けています。その中で、この仏法に入信した私の一族が経営する会社は、取引先がいち早く人工呼吸器の開発に着手したことから、大量の受注があって売上が激増し、大きな利益を得るところとなっています。

こうして私は、顕正会に在籍して大謗法を犯し、一旦は人生を破綻させる寸前までいきましたが、御本尊様の大功徳力で蘇生することができ、父を救っていただき、温かい家庭まで築くことができました。経済的にも何不自由なく生活できており、本当に夢のようです。

しかし、顕正会で作ってしまった謗法の罪障は消えたわけではありません。
その罪障消滅のために、入信以来、今日まで精いっぱい折伏して、百五十人ほどの人達を入信に導くことができました。
これからも、御法主上人猊下、小川御住職に師弟相対し、犯してしまった謗法を心の底から懺悔し、罪障消滅を願って唱題と折伏に精進していく決意です。
ありがとうございました。(大拍手)