生き地獄を改め、成仏の大道へ歩んだ父

第42回総会より
和井田 多美代さん 

酒乱だった父の暴力と借金
毎日が生き地獄の苦しみ


本年の五月二十四日、父が八十七歳で亡くなりました。本日は、父の入信以来から臨終を迎えるまでに戴いた功徳の体験を発表させていただきます。

 私は昭和五十三年、高校三年生の時に入信しました。入信する以前の私には、家庭不和と経済苦という大きな悩みがありました。
 私の父は大酒飲みで、飲むと酒乱となり、仕事にも行かず、母や私に考えられないほどの暴力を振るっていたのです。まだ私が母のお腹にいるとき、母は階段の上から落とされ、息が止まるかと思うほどの激痛をこらえ、裸足のまま必死で逃げ出したそうです。

 その頃、父は創価学会を通じて入信していましたが、全く勤行もせず、御本尊様を放置しておりました。母は、熱心ではないものの、学会員として活動していました。
 私が小学生の時、父はストーブに乗せてあったやかんを母に投げつけ、母は熱湯をかぶって、膝下に重度の火傷を負ってしまいました。それは、肉がはがれてしまう程の重傷で、当時同居していた母の弟が、あまりの恐ろしさに、父を殺してしまおうかと思った、とのことでした。

 また、私が中学生のころ、母は、些細なことで怒り出した父に殴られ、前歯を折られてしまったり、肩を踏みつけられて、骨にひびが入り、私が自転車に乗せて病院へ連れて行ったこともありました。

 私が高校一年生の時に妹が生まれましたが、父は働かないどころか、妹のミルク代もお酒に変えてしまい、私は、高校の授業料と生活費をかせぐため、アルバイトをする毎日でした。
   授業中に父が学校に電話をしてきて、先生から「お母さんが家を出て行ってしまい、小さい妹さんが一人だけなので、早く家に帰りなさい」と言われ、泣きながら帰ったことが何度もありましたし、二歳の妹を連れて部活の合宿に参加したこともありました。

 このような時に、当時交際中だった主人が、私を折伏してくれたのです。しかし、私は信心の話をされても、「宗教でこの状態が変わるはずがない」と思って、かたくなに断わるだけで、まったく話を聞こうともせず、嫌っていました。

 しかし、正しい仏法を嫌って、人生が良くなるはずはありません。家庭の中はますますひどい状態になっていったのです。
 父は親戚や他人の名前を使って、数多くのサラ金業者からお金を借りてしまい、借金が雪ダルマ式に増えていきました。玄関先にヤミ金業者が張り込んでいたために学校に行けなかったり、ドアに取り立ての張り紙をされ、親戚や近所にまでヤミ金業者が脅しに入り、大勢の方に迷惑をかけてしまいました。ヤミ金業者は学校帰りの私を待ち伏せ、怪しい仕事を進めてきたこともありました。

 母も私も、父に対する憎しみが増すばかりで、離婚して母子家庭で生きていこうと話し合いましたが、仕返しで何をされるかわからない、との恐怖で何もできず、いっそのこと父を殺してしまおうか、とさえ思っていました。母からは「もし、自分がお父さんを殺してしまったら、お前は親戚の家に行きなさい」と言われ、返す言葉がなかったことを覚えています。

 母はノイローゼ気味となって、二階から飛び降りようとし、それを私が必死に止めたこともありました。母も私も精神的にも肉体的にも限界にきており、もうどうすることもできない状態まで、追い詰められていたのです。

入信し指導のまま折伏実践
ついに訪れた一家和楽

 そんな中、主人が諦めずに折伏し続けてくれたおかげで、ようやく信心の話を聞くことができ、この状態が変わるなら、と思って、昭和五十三年六月、御授戒を受けて入信することができたのです。最初に折伏されてから一年半が経過していました。

初信者である私から、家の状態を聞いた大草講頭は、たいへん心配してくださり、「この宿業を打破して、両親を救うには、身の回りの人を七人折伏して、両親に正しい信心をするよう勧め、それでも聞いてもらえなかったら、さらに七人折伏してまた勧めていきましょう」と指導してくださいました。

決意した私は、同級生をどんどん折伏していき、時には男子生徒に呼び出され、「嫌がる人に信心を勧めるな」と言われましたが、「私の自由ですから」と言い切って折伏を進めました。そのように折伏を進めていくと、母が一ヶ月後に学会を辞めて入講し、父は四ヶ月後に入講することができました。

入講当初は、心配して講頭が家まで来てくださったとき、父は大変申し訳ないことに、講頭に「絞めちまうぞ!」と言って絡んだこともありました。
しかし、その後、勤行をはじめたところ、父は考えられない程、変わっていったのです。父はお酒を飲むと必ず暴力を振るっていたのですが、次第に暴力を振るわなくなり、飲んでもすぐに寝てしまうようになりました。さらに驚いたことに、それまで母や私にしてきた事を謝るようになり、仕事も一生懸命するようになってくれたのです。

さらに、その後、一緒にお登山するなかで、父は「お登山すると仕事が次々に入ってくる。すごい!」と言って、家に来る職人さんや母の兄弟を折伏するようになっていきました。

私にも御本尊様の御加護は厳然と顕われました。私は、高校での欠席が多かったため、卒業が危ぶまれましたが、先生の計らいで、卒業することができたばかりか、夜間の短期大学に推薦してもらえ、昼間働く会社の寮に入ることができました。その中でも折伏を進め、共に信心していく同志に出会うことができました。現在の伊藤みよ子幹事、浅賀洋子班長、浅賀利一幹事、本間節子さん等、その時に入信した人達です。

こうして、どんどん折伏を進めると、いろいろな妨害も起きてきましたが、それを乗り越えて、信心に励んでいったところ、御本尊様の功徳はさらに増大していきました。
入信七年目にして、父がお酒を全く飲めなくなり、長年苦しんできた経済苦の元凶をようやく断ち切ることができたのです。

以来、父は病気も乗り越えて元気に働き、我が家には、かつては考えてもみなかった一家和楽の生活が訪れました。

癌を乗り越え人格も一変
「一番の幸せ者」になった父

 それから三十年、両親は御本尊様の御加護をいただいて過ごしてきましたが、今から三年前、父が八十四歳の時、食道癌と下咽頭癌が発見されました。高齢のためリスクも大きいので手術は行なわず放射線治療を行なうこととなりました。

この時、ありがたくも総本山より御秘符を頂戴し、服させていただくと、放射線治療中にも関わらず、体調も安定してきて食欲も出てきました。
その上、医師からは、「関さんは放射線治療がよく効いていますね。宝くじに当たったみたいですね!家族や周りの環境にもとても恵まれていますね!」と、言われました。そして、癌も半分の大きさに縮小する、という功徳をいただいたのです。

こうして健康を取り戻した父は、腰の悪い母に変わって、スーパーまで買い物に行くようになり、母に対しても、日々感謝の言葉をかけていました。「買ってきたおかずはおいしくない。おまえのご飯が一番おいしいですよ。今日も一日、生きていられるのは、おまえのおかげです」と言うのです。

信心をする以前、母に暴力を振るい、罵倒するなどしていた父からは、想像もつかない言動に、母は「まるで人が変わったみたいだ。妙な気持ちだ」と、戸惑っていたものの、父が癌の治療を受けてからは、専属の看護師さんのように日々の体調管理に気を配り、献身的にサポートしていきました。

大聖人様は、
「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書三六〇頁)
と仰せですが、本当に、崩壊してしまっていた夫婦や家族の関係が蘇り、一緒に様々な困難を乗り越え、思いやり、支え合って生きられるようになったことは、御本尊様の功徳以外、何物でもありません。

そして、この御本尊様の大功徳の前に、どうしても入信できずにいた叔父が入信することができました。
この叔父は、私が小学生の時に、短い期間、我が家に住んでおり、その時、目の前で、姉である私の母が、父から凄まじい暴力を受けているのを見ただけでなく、自分の名義で勝手に借金をされた挙句、自己破産までさせられたため、本当に父を憎んでおりました。
しかし、御本尊様の功徳としか思えない不思議な形で、叔父との借金問題を解決することができ、昨年、晴れて御授戒を受ける事ができたのです。(大拍手)

叔父以外にも、以前は父を憎み、「死んでほしい」と言っていた親戚が何人もいましたが、今では、兄弟の中で、父が「一番幸せだな」と言われ、「羨ましい」とまで言われるようになりました。本当に、御本尊様の功徳なくしては、ありえないことです。

  精いっぱいの修行に励み
臨終の心構えも理解して

 こうして、御題目を唱え、折伏をし、登山参詣と、仏道修行に喜んで励んでいた父も、徐々に体力が衰えていき、今年三月、血圧低下がみられて一旦入院した後は、食事もとれなくなり、水分摂取のみで毎日を過ごすようになりました。にもかかわらず、トイレや着替えなどは普段どおりに自分で行ない、ベッドで横になる事もほとんどなく、できる限りの時間、お題目を唱えていました。

訪問看護師さんから入院を勧められたりもしましたが、コロナウィルスが流行する中で、入院してしまえば、面会もできなくなり、万一の場合には臨終を一人で迎える事になってしまうと思い、願わくばこのまま自宅で、御本尊様の前で看取らせてほしいと思いました。

また、私は一つ気掛かりな事がありました。東川支部長より「お父さんの臨終が間近に迫っているのですから、臨終の時にお題目を唱えることにより、大聖人様がお迎えにきてくださることを、お父さんにもお話ししておいた方がいいですよ」とのお話をお聞きしていたのですが、「果たして臨終の話を父が受け止められるのか」と考えると、なかなか話せずにいました。

しかし、父が臨終を迎える三日前の夜中、起きていた父に向かい、思い切って、「臨終の時にお題目を唱えれば大聖人が迎えに来てくださり、大御本尊様のところに行けるんだよ」と話すことができました。すると父は、「そうか、いつか家族も同じ場所に来れるんだな」と言って、安心した表情で合掌していました。
そして三日後の五月二十四日、臨終の日を迎えたのです。

題目三唱の直後に逝った父
御本尊の加護で成仏を獲得

 その日はウェブ座談会の日で、父は意識がはっきりしない状態でしたが、私、母、娘の大滝幸代班長、孫と一緒に参加していました。そして、座談会の最後に、大草講頭と一緒に皆でお題目三唱して、まもなく、父は大きく一度息をして臨終を迎えたのです。

私達は、驚きながらも四人で御題目を唱え、父の耳元で「大聖人様がお迎えに来てくださいますよ」と伝えました。父は最後、心からお慕いしていた講頭と共にお題目三唱し、本当に安心して逝ったのだと思います。

医学では人が亡くなると、遺体は死後硬直を起こし、時間と共に死斑が出て、皮膚はドス黒い色に変色し、腐敗臭が出る、とされていますが、仏法においては、その人が本当に成仏した場合は、死後硬直も起こらずに遺体が柔らかく、色白のきれいな肌となって、臭いひとつ出ない、と説かれています。

そして事実、父の顔は白く、半眼半口の善相でした。黒目はやや下を向き、口も僅かに開いて、いつも昼寝をしていた時と同じような表情でした。
納棺師の方が、着替えさせてくれたのですが、「おじいちゃまが自分で着替えるかのように動いてくれたので、短時間で済みました」と、肘も肩も硬直することなく、柔らかであったと言っていました。

娘も「柔らかで、色もきれいで、死斑も全く出ていなかった」と言って驚いていました。
当日、東川支部長、大滝部長、松浦幹事や支区の班長さんも駆けつけてくれたのですが、父の表情を見て「真っ白で半眼半口のきれいな善相ですね。写真を撮っておいた方がいいですよ」と言ってくださいました。

葬儀には、ありがたくも理境坊より小川正豪御尊師が埼玉県草加市まで来られて導師を務めてくださり、また多くの同志が参列してくださいました。

振り返ってみますと、父の臨終に向けて、本当に御本尊様の御加護を実感いたしました。
コロナウィルスの影響で、会合をオンライン配信していただいたことによって、父はいつも以上に多くの会合に参加させていただくことができました。本来なら寝たきりでもおかしくない父が、四月には本部講習会、定例班長会、御講にも、身を乗り出すように参加していました。

また、訪問看護で来てくれた看護師さんを折伏したり、父親なりに精いっぱい化他行にも取り組んでいました。これらの功徳によって、父は無事に成仏でき、御本尊様に帰入することができたのだ、と思います。

また、昔を思い起こしてみると、入信前の我が家は、来る日も来る日も、毎日が生き地獄のようでした。しかし、この御本尊様に巡り合い、同志・先輩に支えられ、家族で信仰を続けてくる中で、父も私達も本当に御本尊様に助けていただきました。

そして、子供・孫・ひ孫達と家族が皆でお題目を唱え、父を送り出すことができました。
このかけがえのない御恩を忘れず、御本尊様にお返しできるよう、一生涯精進してまいります。ありがとうございました。(大拍手)