仏道修行に精進する中で乱れた人生が一変

第43回総会より
井原 淳一 さん

私は平成三年に日蓮正宗に入信し、今年で三十年になります。これまで御本尊様から数多くの功徳をいただきましたので、発表させていただきます。
私は、両親と妹の四人家族の中で育ちましたが、幼少の頃から、「どうしてうちはこうなんだろう?」と思うことがたくさんありました。
というのは、両親はケンカが絶えず、口では勝てない父が手を出して母を殴る、私自身も何かと父から殴られる、ということが日常茶飯事だったのです。

当時の父はギャンブル好きで、給料のほとんどをそちらに使っていたため家計は火の車だったようで、食費も切り詰めていました。私は、食卓に出るわずかなおかずを見ては、子供心に「早く稼げるようになって、自分だけでも美味しい物を思いっきり食べたい」と思う毎日でした。
私は、そのような父に対して、本気で「殺してやろうか」という思いになったことがありましたが、後で聞くと、母も同じことを思っていたようです。

そのような殺伐とした家庭で育った私は、高校を卒業して大手私鉄の鉄道会社に就職し、駅員として勤務することになりました。
当時、仕事に対して非常にいい加減だった私は、お客様とトラブルになることも多く、時には大勢の人達の目の前で、お客様に飛びかかって殴る・蹴るなどして周囲に止められ、最終的には警察沙汰になる、ということも何度もありました。

また、終電が行った後、制服姿のまま駅の近くの店でお酒を飲み、酔った勢いで駅前の自転車を片っ端から蹴り倒し、近所の人から警察に通報されたり、ある時は、朝寝坊をしてしまい、駅の照明も何も準備ができていない真っ暗な中を始発電車が出発していく、ということもありました。

このような状態でしたから、駅長や助役から認めてもらえるわけがありません。常に目を付けられて注意され、責任ある仕事は一切させてもらえませんでした。そして、一番の問題は、こうした自分の言動が社会人として非常にまずいことだ、という自覚が全くなかったことでした。

対人関係でも悩みが多く、いろいろと考えて行動してみたりしたのですが、全てが空回りするばかりで、何も解決しない、という苦痛の日々で、母に愚痴をこぼすこともしばしばでした。
 そのような時に、母が「日蓮正宗の話を聞いてみたら?」と言ってくれて、私は折伏を受けました。

じつは、母の実家では、昭和三十三年に祖母が創価学会を通じて日蓮正宗に入信しており、母も子供の時に御授戒を受けていたのですが、全く信心することなく成長し、昭和六十一年に、趣味のサークルで知り合ったK班長から折伏を受け、妙観講の講員となっていたのでした。

母と一緒に私に信心の話をしてくれた妙観講の先輩は、終始笑顔で、「信心を真面目にやっていけば、今悩んでいることは御本尊様が全て解決してくれます!」と力強く言われ、私はその確信と人柄に強く心を打たれて入信を決意しました。
この時、私を折伏してくれた先輩とは、当時支区幹事をされていた、小川御住職のお母様、小川ときさんでした。今でもあの時の光景は鮮明に覚えています。この時わかったことですが、母と一緒に先に入信していた私の妹は、もともと仏像コレクターだったため、入信の時に山のような謗法物を処分したということでした。

こうして振り返ってみると、母は日蓮正宗で御授戒を受けながら長年にわたって退転しており、妹は邪宗の仏像を集め、そして父は何かあると邪宗に祈祷を頼んでいた――我が家が苦しみだらけだったのも、そのような邪宗謗法の家庭であったが故なのだ、ということがよくわかります。

  さて、入信してからの私は、泊まり勤務の時も欠かすことなく、教えられたとおりに毎日、勤行を行なっていきました。すると、自分で意識していたわけでもないのに、自然と、仕事は真面目にやらなくてはいけないと思えるようになり、言動も改まってきて、お客様とのトラブルが無くなりました。

一方、職場の仮眠室で勤行していると、その姿を同僚に見られることも多くなり、職場では次第に「井原は宗教に染まっているから、近寄らない方がいい」と避けられるようになりました。しかし、講中の先輩から、「信心ゆえに悪口を言われるなら、自分の中の罪障が消えていくから大丈夫。悪口を言われたら、かえって悩みが解決できますよ」と励ましていただき、その後も喜んで勤行を続けていきました。

すると、入信してからちょうど百日後、一番の悩みであった対人関係上のある問題が一気に解決してしまったのです。これには本当に驚き、御本尊様のお力の凄さを実感すると共に、「この信心は本当に正しいのだ」と心から確信することができました。
その体験を得てからの私は、勤行だけでなく毎月の登山や会合参加と、母や妹と共に喜んで仏道修行に励んでいきました。ところが、家族の中で父だけは信心に猛反対し、何かと私達の信心の邪魔してきてはケンカになり、そのことが我が家の大きな悩みとなっていきました。

  ある時、母が大草講頭に個人指導をしていただく機会があり、父の事を相談したところ、講頭は、
「御主人を入信に導くために、身の周りの人を折伏して、七人入信させましょう。その上でさらに御主人を折伏し、それでもダメなら、さらに七人折伏して、御主人に話をする。そのようにすれば、御主人も必ず入信できる時が来ます」
と、確信をもって母に指導してくださった、ということでした。

この指導に発心した母は、自分の兄弟や親戚、職場の人や学生時代の友人などを、次々と折伏しました。私もまた、一日も早い父の入信を願いながら、学生時代の友人や職場の上司や同僚などを、次々と本部に連れ出し、先輩に手伝っていただきながら折伏しました。

またこの頃、講中では創価学会員への折伏を徹底的に進めていましたので、私はまだ初信者でよくわからないながらも、講中の先輩達と一緒に学会員宅を訪問して折伏していきました。
その結果、自宅には創価学会男子部が連日のように押しかけ、玄関前で大声で罵声を浴びせられたり、車に傷を付けられタイヤをパンクさせられたり、尾行される等々、数多くの嫌がらせを受けるようになりました。
しかし、「これで一分でも罪障消滅させていただけているのだ」と思うと、本当に有り難く、さらに折伏を進めていきました。

また、当時の御法主上人であられ、創価学会からの攻撃を御一身に受け続けておられた第六十七世日顕上人猊下様が、全国各地の正宗寺院へ御親教に赴かれることになった際には、猊下様をお護り申し上げるべく、私も法子会の隊員として警護の任に就かせていただきました。

そのようにして仏道修行に励みながら月日を重ね、母が十四人、私も十四人の折伏が成就した平成十二年一月のある日、私達家族にとって奇跡的な事が起こりました。突然、父が、「自分も信心をしていく」と言ってきたのです。
これには本当に驚きました。「講頭から指導していただいたとおりになった!」と感激し、あまりの嬉しさに母と一緒に泣きながら御本尊様に御報恩感謝の唱題をいたしました。

六十歳で入信した父は、その後、朝夕の勤行・唱題を欠かさずに行ない、会合にも参加し、やがて職場の同僚を本部に連れ出して折伏するまでになりました。
父はまた、自分の母親、つまり私の祖母ですが、祖母も折伏して入信させました。八十八歳で入信した祖母は、毎年、総会の時には必ず登山して、大御本尊様の御開扉を受けては「有り難いね」と涙を流していました。

そして、平成二十二年、九十八歳で臨終を迎えた時は、本当に安らかな成仏の相で、私達が感激したことは言うまでもありませんが、未入信の身内までもが、「こんなに綺麗な臨終は見たことがない」と驚いておりました。
父は現在八十二歳ですが、信心するようになってからは性格も穏やかになり、コロナ禍の現在は会合にもオンラインで参加し、講頭の指導に触れることを楽しみにしています。なおまた、唱題の時間が短くなると、孫である私の娘から「一時間の唱題、ちゃんとやるんだよ」と励まされ、頑張っています。

また、妻の母も、長年信心に反対してきましたが、三年前に死の一歩手前までいったところを、御本尊様の不思議な御加護によって入信が叶い、命を救っていただきました。現在八十六歳になりますが、いまも元気でお題目を唱えています。

このように、かつて家庭不和の見本のようだった我が家は、今、親族の中で信心する人が増え、それぞれが御本尊様の功徳を実感しながら一家和楽の毎日を送っています。やはり御本尊様を根本にして生きていく以外に、幸せな家庭、幸せな人生はないのだ、と思わずにはいられません。
 最後に、私自身も、御本尊様の功徳で大きく変わることができたことをお話したいと思います。
冒頭でも述べましたが、入信する前の私は、お客様とケンカして警察沙汰になるなど、とても社会人としては通用しない状態でした。その私が、信心してくる中で、職場の上司や先輩・同僚からの信頼を得られるようになって、労働組合の役員を十年勤め、その後は本社上司からの推薦で管理職に就いて、それも十五年務めました。

管理職に就任してからは、駅などの現場の管理にもあたってきましたが、駅では、毎日多くのお客様が利用される中、当然のように突発的な事故も起きたりします。そのような時は咄嗟の判断が要求され、こちらの対応がまずければ、お客様が命を落としてしまったり、二次的な事故につながってしまったりと、取り返しの付かないことにもなりかねません。私自身は、そうした事態に対処できるような判断力があるわけではないのですが、これまで、必死でお題目を唱えながら対処したところ、ホームから転落したお客様を救出することができたり、電車内で突然意識不明になったお客様の命を守ることができた、ということが何度もありました。
直属の上司や社長からも、「咄嗟の判断で、よくやってくれた」と評価され、東京消防庁から「消防総監賞」という栄誉ある賞をいただいたこともあります。
現在は本社勤務となり、現場の管理者や運転士・車掌を教育する立場で仕事をしておりますが、昔の私を知っている人達からは、「井原さんが、上司から相談を受けたり、部下を指導する立場になっていること自体、不思議だ」と言われたりします。入信前の自分を考えると、本当にありえないことで、御本尊様に感謝申し上げるばかりです。

この三十年の間には、仕事の忙しさから信心を崩し、本部から足が遠のき、離れてしまった時期もありました。しかし、そのような時、清水支部長や吉尾和美部長が常に心配して連絡をくださいました。とくに支部長は、会合の内容を毎回手書きで書き、そこに御自分の感想も添えて、ファックスで送ってくださいました。
私は、正直なところ、「どうしてここまでされるのだろうか」と思いましたが、御本尊様に唱題していると、「先輩方は、こんな自分のことを心配してくださっているのだ」と感じられるようになり、ある時などは、今は亡き小川ときさんが夢の中に現われて、「しっかり信心して頑張りなさい!」と叱られてしまいました。この時の夢は、今でも忘れることはありません。

やはり妙観講の先輩方は、一人ひとりのことを心配し、どこまでも同志として共に信心し功徳を積んで幸せになっていくことを、心から願ってくださるのだ、と有り難くてなりません。
まだまだ語り尽くせない数々の御恩に報いるためにも、妙観講の講員として、先輩方から示していただいた純粋で強盛な信心を受け継ぎ、講中の方針に従って最後まで御奉公させていただく決意です。
ありがとうございました。(大拍手)