レシャム・アチャリ さん
皆さん、こんにちは。京都に住んでいるレシャム・アチャリです。
私は、ネパールのバグルングで生まれ、四年前の平成26年に日本にやって来ました。 そして、奈良県橿原市のネパールレストランに雇用されましたが、そこでは、安い給料で、三百六十五日、一日として休みなしに働かされました。
フェイスブックを通じて藤井あゆ子班長と知り合ったのは、その頃のことでした。そして、日蓮正宗という崇高な仏法があること、たくさんのネパール人が入信していることを知った私は、自分も信心していこうと思い、橿原市の仏覚寺様で御授戒を受けました。 それは、平成二十七年三月のことで、厳かな御授戒に感激したことを、今でもハッキリ覚えています。それ以来、私は、時間をみつけてはお寺に参詣してお題目を唱えるようになりました。「南無妙法蓮華経」と唱えいくと、力強い命が湧き上がってくるのが感じられました。
その後、ネパールから呼び寄せた妻にも御授戒を受けてもらい、夫婦そろって「どうか、男の子を授けてください」と、御本尊様に御祈念するようになりました。
すると、一昨年の始めに、妻が妊娠していることがわかりました。
そのような中、五月になって、妙観講総会に参加するため、初めて大石寺に参詣しました。そして、帰ってきた五月下旬、授かった子供が男の子だったことがわかったのです。(拍手)私は興奮して、ドクターを前に「御本尊様、ありがとうございます」と言っていました。
それからは、仕事の問題も御本尊様に御祈念していくようになりました。そして、しばらくした時のこと、レストランのオーナーがネパールに帰ることになり、その際、レストランを私に譲ってくれることになりました。ところが、その時、大家さんが「もう、ネパール料理の店はしないでほしい。店を明け渡してほしい」と言い出したため、お店は閉店。私は仕事を失ってしまいました。
そこで、独立して新たにお店をオープンすることにしたのですが、できれば、先輩達のいる理境坊・京都出張所の近くで出店したいと思っていたところ、班長が良い物件を見つけてくれました。
それは、地下鉄の北大路駅から徒歩二分、近くには大学が二つもある、賑やかな通り沿いにありました。店の広さは三十坪、二階にも三部屋あって、そこを住居にすることができます。交渉の結果、家賃を大幅に値下げしてもらった上、敷金・礼金・保証金・更新料すべてが免除となり、おまけに大家さんの方で内装の工事をして、二階の部屋にはカーペットまで敷いてくれることになりました。
こうして、平成二十八年十月、念願だったレストランをオープンすることができたのです。(拍手) 京都の、それも、こんな素晴らしい場所にお店が持てるなんて、夢のようでした。御本尊様が願いを叶えてくださったのです。
すぐに雇用した二人のスタッフを折伏して、妙清寺様で御授戒をしていただきました。そして、二階には御本尊様をお迎えして、毎朝毎晩、勤行に励むようになりました。(拍手)
すると、開店早々から、たくさんのお客様に来店していただくことができたのです。 そして、そのお客様たちが、インターネットの口コミサイトに写真や口コミを載せてくれたり、近くの大学で発行している大学新聞に紹介してくれたりしたおかげで、私のお店は広く認知され、リピーターのお客様も増えていきました。
こうして、十月、十一月、十二月と順調に売り上げを伸ばすことができ、翌二十九年のお正月は、お店のスタッフ達とそろって元朝勤行に参詣しました。
その際、折伏していたネパール人二人を連れていったところ、二人とも理境坊で御授戒を受けることができました。(拍手)元朝勤行から帰った一月二日にも一人の友達を折伏して、御授戒を受けてもらうことができました。(拍手)
ところが、一月三日から営業を開始したところ、パッタリと客足が途絶えてしまったのです。それでも御本尊様を信じて、さらに、さらにお題目を唱え、折伏をしていきました。
そうしたところ、一月後半に入って、再び盛り返すようになり、貸し切りパーティー等の予約も入って活気が蘇ったばかりか、そこに、近くの警察病院から有り難い話が飛び込んできました。病院で人間ドックを受けた人達にランチを出してほしい、というのです。これで、定期的なお客様を確保することができました。
こうして、昨年も総会を迎える時期となり、私は、お店を休みにして、スタッフ全員で参加することにし、四月後半に臨時休業を予告する貼り紙をしました。
すると、その翌日から二十名の予約が入ったり、二十五名の団体客が来店するなどして、総会当日まで、連日百名近いお客様が来られ、昨年四月は、一昨年十月のオープン以来、最高の一千六百名を超える来店客数となってしまったのです。(拍手)
三十九回総会には、店のスタッフ達の他に四人の友人達も参加して、理境坊で御授戒を受けることができました。(拍手)その功徳によるものでしょう、総会翌日の五月六日から予約の電話が入り続け、予約だけでアッという間に百名を超えてしまったのです。
御本尊様は本当に有り難い!もっともっと折伏をしていこう!と思い、今度は、向かいの自転車屋さんや、隣のラーメン屋さんを折伏していきました。
こうして信心に励んでくる中、今年は住居の問題で御本尊様から助けていただくことができました。
今年の一月、妻が、ネパールから子供二人を連れてきて、願っていた家族四人の生活が始まりました。ところが、その結果、お店二階の三部屋に、私たち家族四人に加え、二人のコックさんとその家族、合計三家族が暮らすことになって、極端に手狭になってしまったのです。 困り果てていると、大家さんから有り難い提案がありました。
お店の隣にあるパソコン教室の二階を、壁をぶち抜いてお店の二階と繋げて貸してくれる、というのです。これで、家族四人、不自由なく生活できる住居を確保することができました。
子供達の学校や保育園の問題も解決し、娘は四月から京都市立加茂川中学校の一年生に入学が決まり、一歳になる息子もお店から歩いて行ける保育園に入れることになりました。(拍手)
そして、最近わかった事ですが、二年前に、私が引き継ぐ寸前で話が解消となった奈良県のお店ですが、なぜか、現在も、他のネパール人がレストランを営業しているものの、全くお客さんが入っていないというのです。あのお店を引き継いでいたら、私も失敗してしまったことでしょう。本当に不思議なことですが、御本尊様から守られて、別の道が開けたのだと思います。
あの頃の私は、たった一人で日本にやって来て、一日として休むことなく働き続けても、わずかな給料しか手に入れることができませんでした。
それが今では、わずが三十席とはいえ自分のお店を持つことができ、忙しい日にはランチに百名のお客様が来られ、毎月の来店客数は、常に三千名を超えて、年収は、奈良にいた頃の八倍になってしまいました。(大拍手)
昔、私は、神様は何でも良いと思っていましたが、日蓮正宗の御本尊様でなければいけないという事がわかったので、今は、御本尊様だけを信じています。
そして今回、お店の成功によって、ネパールに中古の家を購入することができました。将来、その家を綺麗に工事して御本尊様をお迎えして勤行センターにし、日蓮正宗のネパール布教に役立てたいと思っています。(拍手)
ネパールには、貧しくて学校にいけない子供が多く、仕事もない人がたくさんいます。皆に御本尊様の事を教えて、皆でお題目を唱えていけば、豊かで幸せな国にしていくことができる、私はそう確信しています。この夢が実現できるように、これからも、しっかりと信心に励んでまいります。ありがとうございました。(大拍手)