Oさん
私は今から8年前の平成17年、三重県伊勢市において折伏を受け、日蓮正宗に入信しました。
私の祖父は長崎で被爆しており、私は被爆三世として生まれました。また祖父母や両親が、日蓮宗・金光教・神道など、いろいろな邪宗教を熱心に信仰していたため、私も幼少の頃から邪宗教に深く関わってきてしまいました。知らなかったとはいえ、私の命の中には恐ろしい邪宗教の害毒が、深く染まり込んでしまったのです。
それが一気に吹き出してきたのは、高校卒業後、18歳の時でした。
当時の私は、音楽専門学校に通ってプロのサックス奏者になることを目指していたのですが、その練習中に突然倒れて、動けなくなってしまったのです。
やがて意識は回復したものの、この日から私の精神は極めて不安定な状態となり、周囲の出来事がいつまでも頭の中をグルグルと巡って、まるで自分が自分でないような感覚が続くようになりました。
そして、周囲の人に対して異常なまでの怒りが急に込み上げてきて、周りの物を手当たり次第に壊したり、時には車のフロントガラスを蹴って割ってしまったことすらありました。
さらには、自分で自分を破壊したい衝動にかられて、薬を大量に飲んで自殺を計ることもたびたびでした。
私の心の中は、いつも空しさと抑うつ感でいっぱいで、そのせいか頭痛やめまい、食欲不振が続いて、血圧も上が八十を切るほどのひどい低血圧となり、しばしば体が痙攣して、一週間のうち五日間くらいは手足もまともに動かせない、という状態になってしまったのです。
もはや音楽の練習どころではなく、このまま私は廃人になってしまうのではないか、と思うほどの、本当に苦しくて辛い、地獄のような日々でした。
いくつかの病院に行って診察を受けた結果、私の病気は「境界性人格障害」という精神の病で、おそらくは放射能被爆によって生まれながらに脳に障害を持ち、それが原因で発症したのではないか、とのことでした。医師からは、
「残念ですが、この病気は、うつ病や統合失調症などよりも、もっと難しい病気で、治療できる薬もありませんので、はっきり言って一生、治りません。家族の方は諦めてください」
と言われてしまいました。
まさに絶望のドン底にあったその時、通っていた音楽学校で先生をしていた中西さんから折伏を受け、この仏法を知ったのです。
「今の状態を解決するためには、日蓮正宗の信仰をするしかない。この信心をすれば必ず病気は治る!」と熱心に勧められ、半信半疑ではありましたが、この地獄のような苦しみから抜け出し、音楽の道で生きていきたい、と思い、入信を決意しました。
入信したその日から、毎日、欠かさず朝晩の勤行をし、一日に最低一時間、多い日には二時間以上の唱題をし、罪障消滅と当病平癒、所願満足の御祈念に励みました。
そして、入信8ヶ月後の平成18年4月、それまで折伏し続けてきた母と妹に、重ねて「この信心でなくてはダメだ」と訴えて折伏したところ、二人とも、これまで邪宗教に騙されてきたことに気付いてくれ、揃って入信することができました。(大拍手)
特に母は、私の病気のことで本当に悩んできたのでしょう、入信後は私の病気平癒を願って、睡眠時間を削り、毎日五時間、六時間と、唱題してくれました。
さらに母は、折伏の功徳が大きいということを聞いて、携帯電話の中に登録してある全ての友人に連絡して、直接、折伏をしたばかりか、同窓会名簿を頼りに600人くらいの人に、片っ端から「正しい宗教のすすめ」の小冊子と折伏の手紙を送りました。なかなか、簡単には進みませんでしたが、その中から話を聞いてくれて、入信する人達も現われました。 こうして親子で信心に励んでいったところ、私の病気は少しずつ安定し、音楽の練習もできるようになっていきました。
そして翌・平成19年のある日、積んできた功徳が実を結ぶ日が来たのです。
といいますのは、私の音楽学校の先生である中西さんは、音楽理論を専門に教える先生で、サックスの奏者ではなかったため、私のために誰か良いサックスの先生がいないか、探してくれていたのですが、たまたま二人で大阪の楽器店に行った時に、20年ぶりに音楽関係の知人とバッタリ再会しました。
その方は、世界一のジャズ系の音楽大学出身のミュージシャンで、その場で、関西でトップクラスのサックスの先生を紹介してもらい、私はその先生に弟子入りすることができたのです。(拍手)
そして、その年の11月、その先生の後ろ盾で、外国のトップアーティストもよく出演しているジャズクラブで、念願のプロデビューを果たしました。(拍手)
こうして私の前途にはハッキリと明かりが見え始めましたが、病気の方はまだすっかり良くなったわけではなく、移動中の電車の中、駅の構内、レストランの中などで、突然、体中の力がぬけて動けなくなったり、プロとして演奏するステージの間際に、急に動けなくなるなどの症状に見舞われました。しかし、そのつど「御本尊様っ、助けてください!」と必死で唱題し、時には急遽お願いして御住職様に御祈念していただくと、不思議と症状が収まり、その場を切り抜けることができたのです。
そして、一進一退のようにも見えましたが、私の病気は薄紙を剥ぐように、少しずつ確実に快方に向かっていきました。その一方、仕事上でも、さらに御本尊様の功徳を実感するような出来事が起きました。
インターネットの世界には、ネット上で強力な影響力を持つマンモスブロガーと呼ばれる人が日本国内に何名かいるそうですが、私はたまたま、その中の一人の目にとまったのです。
その方は、私へのコメントで、「私はあなたの前に姿を現わすことは一生ないでしょう。しかし私は、あなたが成功するよう応援し続けます」と言われ、ほとんど全ての私のライブに来場してくれるようになり、ネット上のあらゆるところで毎日毎日、私のことを宣伝してくれました。
その結果、ネット上でファンが驚異的に増え、私のブログは一日で最高四十万アクセスに達するまでになり、アメブロ芸能人・有名人ブログのポピュラー部門で、ランキング第一位となったのです。(拍手)
このような中、中西さんは、「今度は関西一とか日本一ではなく、世界一のサックスの先生を見つけてあげる。全く当てはないけれど」と、私に言いました。
その約一ヶ月後のことです。たまたま中西さんと一緒に立ち寄った楽器店で、「歴代バークリー最高技能賞獲得のサックス奏者、E氏来日」と書いたチラシを見つけました。E氏は文字通り世界一の技能を持ったサックス奏者で、その方がコンサートのために来日するというのです。
中西さんは、E氏の関係者の方々に連絡を取り、「E氏のコンサートの合い間に、Oにサックスのレッスンをしていただけないか」と頼み込みましたが、ことごとく断わられました。それも当然です。世界でトップレベルの演奏家が、名もない私のために、個人的なレッスンなどしてくれるはずがありません。
でも、この機会を逃すことはできないと思い、毎日、御本尊様に真剣に御祈念し、断わられることも覚悟の上で、直接コンサート会場に行きました。
そして中西さんがプロデューサーに会ってレッスンをお願いしましたが、「その件でしたら、何度もお断わりしているはずです」と、けんもホロロに言われてしまいました。
しかし、そこにたまたまE氏本人が歩いてきたのです。私はとっさにE氏に駆け寄り、「プリーズ・レッスン・ミー」とお願いしたところ、なんと、にっこり微笑んで「オーケー」と、承諾してくれたのです。(拍手)
この光景に、プロデューサーも、「本当はお受けできないのですが、E本人がレッスンを承諾した以上、私も承諾します」と言ってくれ、英語があまりできない私のために、レッスンの際の通訳までしてくれることになりました。
こうしてE氏のレッスンを受けられたことにより、私は今まで学べなかったことを全て学ぶことができ、またE氏は私に「弟子と名乗ってよい。今後もレッスンをしてあげるよ」と言ってくださいました。(拍手)
それから十ヶ月後のことです。突然、WBA世界ボクシングタイトルマッチの主催者から連絡があり、私に世界タイトルマッチのリング上で、「君が代」をサックスで独奏してほしい、との依頼がありました。そのような大舞台で私のような駆け出しのサックス奏者が独奏することなど、考えられないことです。
主催者は、私のブログがランキングで第一位となっていたことや、プロフィールの中に〝世界一のサックス奏者・E氏の弟子〟とあったことなどから、私に依頼してこられたようです。
そして平成21年8月、約6000人の観衆の集まった世界タイトルマッチのリングで「君が代」を演奏し、大変な反響をいただきました。(拍手)
また、こうして順調な売り出しができたことで、駆け出しの私には考えられないほど、スポンサーが集まりました。
まず、アメリカの高級オーディオメーカーK社が、音響機材などを無料提供してくれるスポンサーに、またジュエリー会社I社が、私の身に付けるジュエリーアクセサリーを無料提供してくれるスポンサーに、さらにアパレルブランドN社が、 私のステージ衣装全てをデザインして無料提供してくれるスポンサーに、それぞれなってくれました。
また、高級チョコレート「ゴディバ」の原材料にも使われている、世界第一位のベルギーチョコレートのメーカーでは、私の名前を冠したチョコレートを製造販売し始め、さらにジュエリー会社I社でも、今月から新たに「ジュエルY」というブランドを作ってくれました。
わずかの間に、これほどのスポンサーが付きブランド展開できるとは、まったく御本尊様の御力以外の何ものでもありません。
あまりの有り難さに、毎日三時間の唱題をして御本尊様に感謝申し上げていったところ、ネット上における私のブログの閲覧数は、AKB48などの超有名人を抜いて、画像ランキングでも第一位となってしまいました。(拍手)
入信以来、毎日の勤行を欠かすことなく行ない、ブレることなく、一日平均二時間の唱題と折伏に励んできた功徳が、このように実を結んだのです。
さらに入信七年目にあたる昨年は、本当に大きな功徳を頂戴しました。
私のライブ映像をインターネットで見た大手メーカーからの依頼で、サックスの演奏を上級者に教える教則のDVDを出すことになったのですが、普通、こうした上級者向け教則DVDは、音楽の世界で「大御所」と呼ばれるような有名な演奏家が出すもので、私のような若手には依頼すらありません。メーカーからも、「これが実現したら、サックス奏者としては史上最年少で上級者向け教則DVDを出すことになる」と言われました。
喜びと不安の入り混じった気持ちで、教則DVDの撮影とレコーディングを終えたのですが、その後の展開に、またしても御本尊様の大きな御力が顕現しました。
なんと、そのDVDが発売されるや、Amazonの売上ランキングでベストセラー入りし、25位に入る大ヒット商品となったのです。(拍手)
これには発売したメーカーも大変驚かれ、今後は、私のライブDVDを全国発売しよう、と言ってくださっています。
振り返ってみれば、八年前の私は廃人になる寸前で、とても仕事どころではありませんでしたが、この日蓮正宗の御本尊様に巡り会って、劇的に人生が開けました。(大拍手)あの、凄まじかった病気もほとんど出なくなり、今では、一切薬も飲むことなく、通院もしなくて良くなりました。その上、望んでいた音楽の道で生きていけるようになったのです。(大拍手)
もし八年前に折伏をしてもらえず、この御本尊様に出合っていなかったら、私は今、こうして生きていたかどうかもわかりません。本当に感謝してもしきれない思いでいっぱいです。
この御恩返しをするためには折伏しかありません。私は、すべての人々にこの御本尊様の有り難さを伝えるべく、自分に縁ある人に対してはもちろんのこと、時間のある時は邪宗の神社・仏閣に行って、参拝している人達に片っ端から折伏のチラシを配って、お話しています。
そして今年は何としても十名以上の方を正法に導き、いっそう罪障消滅を計っていけるよう、しっかり唱題・折伏に励んで頑張ってまいります!
ありがとうございました。(大拍手)