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体験発表<平成27年 第37回総会より>入信25年、人生の全ての願いが叶った!

宮城 一富士 さん

私は、九州の福岡県で理美容業を営む両親のもとに生まれました。そして、高校卒業後に上京し、美容師として修行をしていた平成二年に、山谷班長から折伏を受け入信、続いて、交際中だった主人も入信いたしました。
それからの三年あまり、毎日のように本部に通って、先輩方のもとで信心を教えていただきましたが、平成五年、家業を引き継ぐため、そして両親を折伏するために郷里の福岡に帰り、父のもとで働くようになりました。
実家に帰った私が、早々に周囲を折伏していくと、父は烈火のごとく怒ってきました。

もともと父は、位の高い神主の血筋だということが大の自慢だったため、謗法厳誡を説く日蓮大聖人の教えに強く反発してきたのです。母は母で、こちらを創価学会と同じであると思って、全く話を聞いてくれません。
あげく、両親ばかりか、お店のスタッフ達やその親まで出てきて、皆から囲まれて、散々になじられ、罵声を浴びせられてしまいました。
悔しくて、悲しくて、その頃は、家に帰ると、泣きながら御本尊様に唱題する毎日でした。
その後、父から中間市にある美容院を任されるようになったのですが、私は、美容師としての技術はあっても、店長としての才覚など全く持ち合わせていませんでしたので、スタッフの信頼を得られず、お店の売上げも伸び悩んで、たちまち暗礁に乗り上げてしまいました。

そのような中、福岡に戻って七年目の平成十二年に、難産の末に長男・光を出産しました。
ところが、生後四日目の検査で、心臓の心室に穴が空いていること、右の心房に通常はないはずのこぶがあること、弁にも歪(ゆが)みがあって血液が逆流していること、上大静脈が異常な位置に繋(つな)がっていることなど、光の心臓に数々の異常があることがわかったのです。
それを知った時には、自分の罪障の深さに号泣するばかりでした。
しかし、佐藤部長から「御本尊様を信じなさい。命の繋がった子供なのだから、夫婦でしっかり折伏していくなら、絶対に治していけるはずです」と教えていただき、子供のために、力のかぎり折伏していくことを決意しました。

その頃、講中を挙げて学会員への折伏が行なわれており、私も、主人とともに徹底的に学会員を折伏していきました。その反動は凄まじいもので、大勢の狂信的な学会員から取り囲まれて罵倒され、付きまとわれ、あげく、家にまで押しかけられて大騒ぎされるなど、さんざんな目にあわされました。
しかし日蓮大聖人様は、そのように折伏して難を受けるなら、必ず罪障を消滅できて幸せになれるということを教えられています。折伏により難にあったおかげでしょう、光は二歳の時に心臓の手術を受けたのですが、六時間半にも及ぶ難しい手術だったにもかかわらず、執刀医が「お子さんは良く頑張ってくれました。百八十の心拍数にも耐えられるパーフェクトな心臓になりましたよ」と言うほどの大成功で、それ以来、今日に至るまで、心臓には何の支障もなく順調にきております。

ところが、光には、その他にも深刻な障害があったのです。
それがわかったのは、小学校に上がる直前のことでした。 かえりみると光は、幼い頃から、とにかく変わっていました。 何かに興味を示すと、完全にその世界に入り込んで、他への注意や興味を完全に失ってしまい、それを直そうとしようものなら、大きなストレスを感じて、走り回り、暴れ出し、手がつけられなくなってしまうのです。
そんな光の様子に、戸惑い、不安を感じていたところ、知人から発達障害センターに行ってみたらどうか、と紹介されました。

そこで検査を受けた結果、アスペルガー症候群と、注意欠陥多動症、さらに、文字が読めないという学習障害が合併した、発達障害であることがわかったのです。
アスペルガー症候群とは、自閉症の一つで、特定の物事に強く執着してしまい、他の人とのコミュニケーションが取れなくなってしまうものです。
また注意欠陥多動症とは、発達障害の一つで、周囲に注意が払えなかったり、身体の動きを止めることができずに、衝動的に動き回ってしまうなど、行動の上に障害があらわれるものです。
それに加えて、学習障害で、文字が読めないときては、普通の大人に成長していくことは望めません。
私は、この検査結果にショックを受けましたが、かつて、あの重篤な心臓病を乗り越えた体験から、今度は動揺したり嘆くことはありませんでした。
私は、穂積班長が重い自閉症のお子さんを治癒できたいう体験を思い起こし、自分も穂積班長と同じように信心して、必ず光を一人前に育て上げようと決意しました。

そして、覚悟を決めて、美容室のお客様達を真剣に折伏していきました。
すると、それまでは、いくら折伏しても反発されるだけだったのが、素直に入信する人が次々と現われたばかりか、入信した人達がすみやかに功徳の体験を得て折伏に起ち上がり、にわかに眷属が増えてきたのです。そのおかげで、皆で協力しあって、総本山にも参詣できるようになりました。
一方、小学校に入学した光は、授業中に突然、教室からいなくなったり、集団行動の最中に勝手なことをしたり、給食室に入り込んで味見をしたりと、相変わらず問題ばかり起こしていました。また、周囲に注意を払えないことから、何度となく大きな事故にも遭いました。
ところが、その都度に御本尊様の御加護をいただいて、大型バスの後輪にぶつかりながら、跳ね返されてかすり傷程度で助かったり、浜辺で大波にさらわれて海中に呑み込まれながらも、お題目を唱えて奇跡的に命拾いする、という体験を重ねてきました。

そうした体験を通して御本尊様の御力を確信したのでしょう。多動症で落ち着いていることができず、勤行といえば走り回っていた光が、御本尊様の前に座って、キチンと勤行ができるようになってきたのです。
持って生まれた才能があらわれてきたのは、この頃のことでした。
小学五年の時、ある著名な画家の絵を見た光が、感じたままを詩にしたところ、絵の作者から「光くんの詩に壮大な宇宙を感じ、たいへん感動した」と評価され、それが一般紙に、紙面を大きくさいてカラーで紹介されたのを初めとして、 その後も、作った詩や描いた絵を発表すると、必ず賞を取るようになったのです。

そんなある日、会合帰りの車の中で、光が話しかけてきました。
「母ちゃん、なんで僕だけ障害とかで生まれたんだろう。父ちゃんも母ちゃんも、いろんな事が何でもできるのに、なんで僕はこんなんで生まれてきたのかなぁ」と言うのです。私は胸が締め付けられ、言葉に詰まってしまいました。
少しして私が、「思い出してみると、母ちゃんも子供の頃は光と同じだったから、もともとは障害があったと思うよ。でも、御本尊様の功徳でいろんな事ができるようになったんだよ。だから、光も一生懸命に信心していけば、何でもできるようになるよ。それに光は、御本尊様から、絵を描いたり、いろいろな物を作る才能をいただいて生まれてきたんだからね」と言うと、「うん、そうだね」と頷(うなず)いていました。

自分の障害を自覚する事すら難しいはずの子が、こんな事を言ってきたのです。私は本当に驚いてしまいました。
さらに、その二週間後、「母ちゃん、家庭教師を頼みたいんだけど、いいかな?僕、みんなより勉強遅れてるから、早くしないといけないんだよ」と言ってきたのです。
そして、その時を境に光は、奇行が改まってきたばかりか、自分に障害があることを自覚して努力するようになり、今までの遅れを取り戻すかのように、目覚ましく成長し始めたのです。

その成長ぶりに、私は、できることなら、光を身近で見守りながら仕事をしたいと思うようになりました。
その頃、私の美容室は、御本尊様の御力によって、ある画期的なシステムに巡り会い、どん底状態を脱していました。
それは、美容室を任されて三年目に導入したもので、髪を傷めることなく、パーマをかけたりカラーリングをするヘアークリニックのシステムでしたが、技術的にあまりに難しいため、他の店では導入できずにいました。それを、あえて取り入れたところ、平均客単価が六千円から一万五千円に跳ね上がり、スタッフ一人当たりの売上げも他の店の二倍になって、一気に地域一番店になってしまったのです。
さらに、二年前に父から経営権を譲られたことに伴い、収入も二倍に増えて、経済的にもすっかり安定しました。
そこで私は、この機会に、新たに店舗兼自宅を購入することにしました。

すると、ここでも御本尊様の御加護によって、周囲の協力が得られ、資金の調達も順調に運んで、市内の好立地にあった、敷地百坪、建坪五十坪という大きな物件を、何と二千万円をきる破格の値段で取得することができたのです。
そして昨年七月、念願だったマイホームを手に入れるとともに、女性にやさしいサロンをコンセプトに、ゆとりのある駐車スペースに、居心地の良い内装、座り心地の良いイスに、つい眠ってしまうシャンプー台、最新のスチーム等を備えた、私が美容師として願い、思い描いてきた理想のサロンをオープンすることができました。

また、その後、本年三月に中学を卒業した光は、造形面での才能をいかした仕事に就くため、職業訓練校の建築科を受験しました。この試験には、中学二年程度の学力が必要とされていました。
学習障害のため、とにかく文字の読み書きができず、中学一年になって、ようやく小学一年の漢字が読めるようになった光でしたが、その後の急激な成長によって、見事、この試験に合格できたのです。(大拍手)今、光は喜々として訓練校に通っています。

その後、長年、信心を嫌ってきた母の入信が叶い、あれほど猛反対していた父親も臨終のまぎわギリギリで、謗法を捨てて御本尊様に帰依することができました。(大拍手)
こうして、福岡に来て二十二年が経過し、気がつけば、主人と私の二人からスタートした折伏系統の眷属は、現在、二百五十名になりました。(大拍手)そして、今日まで来る中で、人生上の大切な願いは、悉(ことごと)く叶えていただくことができました。
ここまで導いてくださった御本尊様の御恩を、生涯、忘れることなく、同志の皆さんと力を合わせて、平成三十三年日蓮大聖人御聖誕八百年を目指して、精進してまいります。ありがとうございました。(大拍手)