鈴木 雄斗さん
家庭不和から一家離散へ
人生を諦める寸前に入信
皆さん、こんにちは。
私は、今から三年前の平成二十五年六月に入信いたしました。
私の家の菩提寺は曹洞宗ですが、祖母は、日蓮宗にも深くかかわり、何十年もの間、身延の七面山にのぼったり、変な祈祷師に常におうかがいをたてては暮らしていました。今にして思えば、そうして邪宗教に深く関わってしまったためでしょう、鈴木家には不幸が絶えませんでした。
祖母は、子宮癌が全身に転移して脳にまで達し、最後は私を孫と認識することもできなくなり、話しかけても叫んだり暴れたりと、異様な姿になってしまいました。そして祖母は死ぬ間際、あまりの苦しさに「私の首を絞めて殺してくれ!」と叫んで、絶命したのです。
また父は、私が物心ついた頃から、お酒が入ると、仕事のストレスを私や母、妹にぶつけ、殴る蹴るから始まり、酒を頭からかけたり、私達が大切にしていた物を、ぐちゃぐちゃにつぶしたりしました。果ては、父に風呂場へ連れて行かれて、溺れさせられそうになったこともあります。
そんな父を誰も止めることができず、母はただ泣き崩れるだけでした。私は、絶望感と、何もできない自分の無力さにいらだち、父に対して、とうてい言葉では表現できない憎しみの気持ちを抱き、「いつか殺してやろう」と本気で思っていました。
結局、両親は私が中学生の時に離婚し、父は上京していき、私達は浜松で暮らすこととなり、一家は完全に崩壊してしまったのです。
私は、学校内でもひどいいじめや暴力に合い、家にいても外にいても自分の落ち着く居場所が全くなく、「自分はいったい何のために生きているのだろう?何でこんな苦しみを我慢して毎日生きていかなければいけないんだろう?」と、いつも思っていました。
そして、人と関わりを持ちたくない、と思い、人を信じることのできない人格になってしまいました。
社会人になってからは、それまでの不遇な人生を振り払うように、「どんな苦しみも悩みも、努力と信念で必ず変えていける!」との思いで、毎日死ぬ気で働きました。
しかし、会社内での人間関係がうまくいかず、自分勝手な行動から度々スタッフと衝突しては問題を起こし、結局、入社四年目にクビになりました。私は、絶望感と共に、努力と信念だけでは限界があるということを痛感し、逃げるように上京したのでした。
そして、今度こそ美容師として成功したいと、毎日寝る間も惜しんで、勉強に練習にと励んでいましたが、人と上手くつきあえない自分の性格が災いして、勤めてはやめる、ということを繰り返していました。
そして今から三年前、もう仕事をすることに疲れてしまい、実家に帰って、引きこもりになることを、本気で考えるようになりました。
そんな時、前々からお客様だったN班長から結婚式のヘアメイクを依頼されたのです。私はこの依頼を最後に、一切の仕事をやめてしまおうと考え、この依頼を受けました。
挙式当日、私は何も知らないまま、Nさんの結婚式が行なわれる大石寺に行きました。大石寺にいる間、「なんて心地よい場所なんだろう」と、自分の心がとても安らいだことを、今でもはっきり覚えています。
そして、私が「なぜこんな遠くまで来て結婚式をするのですか」と聞くと、Nさんは自分の一生に一度の大事な結婚式の日なのに、自分自身のことは一切お構いなしで、一生懸命に仏法のことを話してくれました。そんなNさんの姿を見て、私は、「この人の信仰している宗教には、すごい力があるのかもしれない!Nさんの言葉を信じて、自分も信仰をしてみよう!!」と直感的に思い、それから一週間後、御授戒を受けて日蓮正宗に入信しました。(拍手)
自らの身に大きな変化が
母と妹も入信し功徳を実感
入信後は、できるかぎり全ての会合に参加し、毎日の勤行も欠かさず行ない、折伏も実践していきました。
すると、その中で、仕事面、人格面、家庭面において、大きな功徳を頂戴することができたのです。
まず、仕事面では、しばらく東京に残って美容の仕事を続けることにしたのですが、毎日、必死に「今日一日を乗り越えさせてください」と唱題していくと、自分のレベルではまだ難しいと思っていた技術も、サクサクとできてしまい、お客様から大絶賛されることが度々ありました。
気づけば、仕事に向かう姿勢も、人との関わりも、以前の自分とは別人のように変わり、毎日楽しく仕事をすることができるようになったのです。
また、家庭面においては、私と同様に辛い思いを味わってきた母と妹に、共に信心をして、幸せになってもらいたいと願い、折伏していきました。母は、姑から強制的に邪宗の信仰を押し付けられていたことがトラウマとなって、大の宗教嫌いになっており、最初は、「宗教なんかすると、おばあちゃんみたいに自分を見失うよ!」と反対してきました。
私は、この信心のことをきちんと理解してもらいたいと思い、真剣にご祈念し、仏法講演会に母と妹を誘いました。
ところが、仏法講演会が近づくにつれ、私は急に体調が悪くなり、特に背中から首筋、目の奥が強烈に痛むようになりました。平井出支部長にお話すると、支部長は太田入道殿御返事の一節をあげられ「今世で作った謗法の罪障が、仏道修行の功徳によって絞り出される時に、頭と目と背中の痛みとなって現われてくるのです。ですから、それに負けずにいっそう信心に励まなくてはいけません」と教えてくださいました。
その指導を励みに、どんなにつらくても、一日二時間の唱題を講演会まで続けていきました。そして、迎えた講演会の当日、なんと母が、「あなたのことは信じているから、仏法のことをいろいろと教えてほしい!」と言ってくれ、その日のうちに、母と妹そろって、御授戒を受けることができたのです。(大拍手)
そして、まじめに仏道修行にはげむ中、母も妹も御本尊様から功徳をいただきました。
母は、浜松市で店舗兼住宅を持ち、美容室を経営しております。女手ひとつで家計をささえ、多額の住宅ローンの返済に、常に悩まされていましたが、ある時、思いがけないところから借り換えの話があり、返済額を二百万円も減らすことができ、本当に楽になった、との喜びの報告がありました。
そして、健康面でも、母は二年程前から、血圧が一八〇以上という状態がずっと続いており、どこの病院でも、全く原因が分からず、いつ頭の血管が切れるか分からない、という不安な毎日を過ごしていました。ところが、毎日の勤行唱題を根本に、お登山にも喜んで参詣し、御住職様に当病平癒の御祈念をしていただいたところ、いきなり血圧が正常値まで下がってしまったのです。また、病弱な体質も改まり、どんどん健康体になっています。
妹につきましても、あわや大事故というところを、奇跡的に助けていただくなど、否定することのできない体験を何度もしたことで、欠かさず勤行をするようになりました。
父に対する恨みが消えた!
崩壊した家族の再会が実現
一方、仏法の道理の上から『父母の恩』の大切さを教えていただいたことによって、本当に不思議なのですが、私は父に対し、あれだけ恨んでいた心から、自分を育ててくれた感謝の気持ちへと、少しずつ心が変わってきました。そして、父にもこの仏法を信心してもらいたいと、心の底から祈れるようになりました。
平成二十六年の父の日に、私は、父に花と感謝の手紙を渡しに行きました。じつは、父とまともに話すのはこの時が十年ぶりで、口から心臓が飛び出そうなくらい緊張しました。世間話をした後、信心の話をしましたが、父は、すぐに話をはぐらかして、まともに聞いてはくれませんでした。しかし、父は花と手紙をもらったことが本当にうれしかったらしく、今度は父が母に花を贈るという出来事が起きました。両親は離婚して以来、十年以上接触をすることがなかったので、とても衝撃でした。
それから数か月たち、今度は中野サンプラザで行なわれた仏法講演会に父を誘いました。熊谷部長に折伏していただき、宗教の正邪や様々な体験を話していきました。父は私がこの信仰を始めてから変わってきたということは認めるものの、父が小さい頃から祖母につれられて、嫌々身延に通っていたこともあり、「宗教なんてどれも同じだろう、自分はもう関わりたくない、お前が信じたければ勝手にやってくれ、強要するな」と、頑として受け入れようとはしませんでした。
しかし、「父を地獄に落とすわけにはいかない、何としてもこの御本尊様に手を合わせてほしい」との気持ちは、日がたつにつれ、どんどん強くなっていきました。「自分が功徳を積んでいけば、また自分の変わった姿を見せ続けていけば、父も絶対に変わってくれるはずだ」と信じ、毎月、身の回りの人を折伏し、一年で七名の方を正法に導くことができました。(拍手)
そして、毎月、父の家に通い続けました。回数を重ねていく中で、少しずつ親子の距離が縮まってきたことを感じ、チャンスを見つけては少しでも信心のことを話し、母や妹も信心によって変わったという体験を話していきました。父は、東京に来てからも全くうまくいかず、事業も失敗して、大変苦しい生活を送ってきたようです。だんだんと、私の話にも耳を傾けてくれるようになってきました。
そして、最初は父と会いたがらなかった母と妹も、皆が功徳を積んでいく中で、気持ちが変化し、平成二十七年八月、大きな願いであった家族四人揃っての再会が、十五年ぶりに実現したのです。(大拍手)
再会当日、「ずっと沈黙が続いたらどうしよう」と、内心ドキドキしていましたが、なんと会った瞬間から、父と母は手を取りあって話しはじめ、妹も笑顔で父の所にかけよって「一緒に写真とろう」と話しかけました。そんな何気ない一瞬一瞬を目の当たりにして、まるで幻をみているような感覚になりました。
そして、母が言った「やっぱり家族皆で食べるご飯が一番おいしいよね」との一言に、私は号泣してしまいました。自分以上に辛い思いをしてきた母から、そのような言葉を聞くことができて、本当に感激したのです。
父は「これからは家族のために自分ができることは何でもする」と言ってくれました。
家族で食事をすることがこんなに楽しいと感じたのは、この日が人生で初めてです。かつては、家庭不和に、びくびくおびえて食事をしていました。その日々を思うと、こんなに穏やかで幸せな瞬間が訪れたことは、まさに奇跡だと思いました。
一度は完全に崩壊した家族の間が、ただ時間の経過だけで、ここまでの状況になることなど絶対にありえません。これは紛れもなく、御本尊様の大功徳力によってお導きいただいたのだと、確信いたします。
後日、母からは、「正直なところ、お父さんには一言では言い尽くせないほど憎しみがあったけれど、そうされてきたのも自分の罪障が原因だったと分かったし、お父さんに対するあなたの接し方を見て、自分もこのままではいけないんだと気付くことができた。今までのことは全て忘れて、これから今までのことを取り戻したい。お父さんも絶対に入信させよう」との話がありました。その言葉に、私も、必ず父を入信させてあげようと、決意を新たにいたしました。
父も入信!家族がひとつに
生きる喜びを満喫する日々
そして、今年の二月の仏法講演会に再度父を連れ出そうと、浜松から、母と妹にも来てもらって、折伏に臨みました。その数日前から、私自身も再び頭が痛くなったり首が回らなくなったりする現象に襲われましたが、毎日二時間の唱題を重ねて、折伏に臨みました。
すると父は、席に着くなり、「俺もそろそろ日蓮正宗に入信しないといかんなぁ」とボソッと言ってきたのです。私は本当にビックリしました。そして、父は仏法講演会の話をじっと聞き入って、講演会が終わると、「今度、雄斗から信仰の話をされたら、そのときは入信しようと決めていた」と言うではありませんか!本当に嬉しかったです。そして、その日のうちに、父は無事に御授戒を受けることがでました!(大拍手)
父が御授戒を受ける姿を見て、今まで押さえていたものが込みあげてきて、私はお寺で号泣してしまいました。部長も班長も母も妹も、皆、目に涙を浮かべていました。父は、「これで家族が本当にひとつになれた」と言っていました。これまで父の御授戒を受ける姿を、何度思い浮かべてきたことか。今日まで積み重ねてきたことは何一つ無駄ではなかった、と思いました。
すべての不幸の原因は、邪宗謗法であり、また自分自身の中に刻み付けてしまった過去世からの罪障だということ、また、家族もその邪宗の被害者であり、恨むべきは家族ではなく邪宗謗法だったのだ、ということを痛感しました。そして、その罪障を消滅させることのできる道を教えていただけた喜びははかりしれません。
この信心に巡り会う三年前までは、父を殺そうと思っていた自分が、今では父ほど大切な存在はいないと心から思えるようになったのも、一家離散した家族が、また一つの家族に戻ることができたのも、ひとえにこの御本尊様を信仰して得られた大功徳という以外ありません。
もし、三年前、折伏してもらえていなかったら、私は今頃どうなっていたでしょう。こんな楽しい日々を過ごすことは絶対にありえなかったと思います。
今日までに、母方の祖母や叔父も含め、身寄りの親族は全員入信することができました(大拍手)。そして、本日の総会にも全員で参加することができました。(大拍手)
正しい仏法に出会えて、生きる目的を知ることができた喜びを、これからも縁ある人に伝えていき、御本尊様からいただいた御恩をしっかりお返ししていけるように、ますます、信心に励んでいきたいと思います。ありがとうございました。
(大拍手)