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体験発表<平成28年 第38回総会より>顕正会で破綻した人生を正法で再構築

堀井 徳俊さん

顕正会で世間から孤立
完全な引きこもり状態に

皆さん、こんにちは。
私は、高校二年の時、異流義教団である顕正会に入会してしまいました。その当時は、顕正会が日蓮正宗から破門されてカルト化した教団だ、などとは知る由もなく、私は、駆り立てられるようにして、狂信的な活動にのめり込んでいきました。
顕正会では、幹部達が「顕正会の活動のためなら、国の法律など、多少、破っても許される」等と指導し、それを鵜呑みにした会員達は「浅井会長に命がけでお応えすることが、何より大事なこと」「顕正会の活動さえやっていれば学校の成績もよくなる。くだらない勉強よりも顕正会の活動をした方がいい」などと言って、仕事や学業を軽視していました。
そして、「仕事を全くせずに活動に没頭した」「顕正会の活動に反対する親を殴った」「活動のために非合法なことをした」等々という話が「強信の見本」として称えられ、皆、競い合うように非常識なことをしていました。私も、その中に染まってしまい、高校に通うのも馬鹿らしくなって、不登校になっていきました。

これでは、当然のことながら、社会からはみ出してしまいます。おまけに、勧誘した友人などが入信を拒もうものなら、「仏敵」と称して、徹底的に人格まで攻撃しますので、人間関係も悉く破壊されてしまいます。
私は、このような顕正会の活動をしたことで、高校だけは辛うじて卒業したものの、大学進学も就職もできなかったばかりか、小学校・中学校・高校時代の友達を全て失って、完全に孤立してしまいました。
そして、精神のバランスを失い、対人恐怖症になっていき、顕正会の活動からもフェードアウトしてしまったのですが、その私に対し、顕正会の幹部から呼び出しがありました。出かけて行ってみると、幹部は、「おまえのような中途半端で不真面目な人間は、生きていても価値ないだろ!いっそのこと死んだ方がいいぞ!早く死ねよ。浅井センセーにお応えする気持ちのない人間には、今後、顕正会の活動もしてもらいたくないし、二度と顕正会の敷居はまたがせねぇ。二度と顔を見せるな。わかったら、さっさと帰れ」と一方的に捲し立ててきました。

私は、顕正会の活動ができなくなったことにより、それまで信頼してきた幹部から罵倒され、使い捨てにされてしまったのです。そして、この一件をきっかけに、顕正会の活動から本格的に離れることになりました。
その後の私は、顕正会で刻みつけてしまった大謗法の罪障が、一気に噴き出してきたかのごとく、生命力もなくなり、体調不良で全身の至る所に痛みが走るようになって、完全な引きこもりになってしまいました。
やがて、月に数回ですが、人気のない深夜にだけ家から出られるようになったものの、顔を隠せるヘルメットを被って、バイクで近所を走り回るだけの外出でした。
当時の私は、猜疑心が異常に強くなっており、誰かに襲われるのではないかと思い、上着の中に直径二センチ、長さ四十センチのずっしりと重い鉄棒を忍ばせていました。誰かが因縁をつけてきたら、即座に殴り倒そうと思い、「やられる前にやる」と、心の中で繰り返し念じていました。
一歩間違えれば犯罪者になりかねない、本当に危険な状態でした。

訪れた人生の一大転機!
妙観講に入講して正信の道へ

 ところが、このような私にも御本尊様の大慈悲は注がれており、引きこもりとなって五年が経過した平成十四年一月、人生の一大転機が訪れたのです。
それは、インターネットを検索する中で、顕正会と闘っている妙観講の存在を知ったことでした。最初は興味本位でしたが、資料を読み進める中、私は浅井昭衛から聞かされてきた事が、全て大嘘だったことを知り、大変なショックを受けました。そして、いてもたってもいられず、やはり顕正会のやり方に疑問を持っていた幼な馴染の飯田俊之さんを誘って、妙観講本部を訪問したのです。
そして、吉尾部長から折伏を受け、その日のうちに飯田さんとともに顕正会を脱会して御授戒を受け、日蓮正宗に入信させていただきました。平成十四年一月のことでした。

それからというもの、日蓮正宗の御本尊様を拝して五座三座の勤行を行なっていったところ、何とも言えない清々しい歓喜が込み上げてきたのです。日蓮正宗に入信できて本当に良かったと、何度も、何度も、御本尊様に御礼申し上げました。
そして、勧められるままに妙観講の本部講習会に参加してみました。対人恐怖症だった私にとって、たくさんの人が集まる本部講習会は、怖くて、息苦しくて、辛いはずなのに、気がつくと、大草講頭の話にクギ付けになっていました。
顕正会の浅井昭衛が、大地震が来る、大戦争が起きる、と根拠のない予言ばかりを繰り返すのに対して、大草講頭は、この信心を根本にしていけば、どのような悩み・苦しみも乗り越えて幸せになっていける、と訴えており、そのお話は、希望に満ちていて、私は、本当に大聖人の仏法を実践して幸せになっていきたいと、心から思うことができました。

また、初めての本部講習会に、教材も持たずに参加した私に対し、隣に座っていた見ず知らずの人が「一緒に見ましょう」と声をかけてくれ、有り難くて、嬉しくて、本当に素晴らしい所に来ることができたのだ、と感謝しました。
また私は、顕正会時代に、口を極めて猊下様を誹謗し重大な罪障を作ってしまいましたが、その罪障を消滅する方法についても、本部講習会の中で、講頭より明快に教えていただくことができました。すなわち、「その計り知れない罪障を消滅していくには、折伏をして悪口を言われるしかないのです」との、罪障消滅・転重軽受の原理でした。私はその話を伺い、絶対に折伏を実践しようと決意しました。
そして、飯田さんと一緒に、毎日のように顕正会の藤沢会館や横浜会館に行っては、やって来る顕正会員を端から折伏していきました。
その結果、「裏切り者!」「浅井センセーに土下座して詫びろ!」などと、ありとあらゆる悪口を浴びせられました。時には、いきり立った顕正会員から殴りかかられることもありましたが、その都度に「これで、少しでも罪障消滅させていただけた」と、飯田さんと喜びあい、さらに折伏していきました。
そして、入信してから百日が経過した頃、まわりの人から、「以前よりずっと顔色が良くなったね」と言われるようになり、振り返ってみると、たしかに気持ちに張りがあり、人と話すことが少しも怖くなくなっている事に気づきました。それどころか、毎日のように妙観講の先輩達と長電話するなど、対人恐怖症はウソのように無くなっていたのです。

人生初の定職、信頼も得て
「宅建」の資格取得に挑戦

 そして、入信して半年が経った時には、なんと、神奈川県の県会議員の秘書として雇用され、社会人の第一歩を踏み出すことになりました。
それというのは、私の同級生が、県会議員の秘書をしていたのですが、議員に秘書がもう一人必要となったことから、同級生が私を推薦してくれたのです。
そして面接を受けたところ、一度で、たいへん気に入っていただくことができました。私は、高校二年で学業を投げ出してしまったので、学歴も、職歴も、とても議員の秘書が勤まる状態ではなかったのですが、議員から「あなたは信用できる人だ。それに私は実力主義ですから、履歴書など一切不要です。その人の行動や仕事への姿勢と結果を見て判断します」と言われ、採用されてしまったのです。
二十七歳のその時まで定職についたことのなかった私にとって、本当に信じられないような話で、計り知れない御本尊様の御力を実感しました。

それからというもの、議員からは本当に大切にされ、次第に信頼されて、事務所名義のキャッシュカードの暗証番号まで教えてもらって、お金の管理も任されるようになりました。
初めての就職先で、このように本当に良い経験をさせていただき、十年間にわたって秘書として勤めてきましたが、議員が市長に当選して私設の秘書が不要となったことから、同僚の秘書と共に退職することになりました。
そして、その後は、叔父の経営する不動産会社に採用され、現在に至っています。
そのような中、今から三年前、不動産業務に必要であるから、ということで「宅地建物取引士試験」通称「宅建」の資格を取得するよう命じられました。

しかし、「宅建」といえば、さまざまな法律の知識が必要とされ、合格率十七%というもので、高校二年で学業を放棄してしまった私にとって、高すぎるハードルで、重荷でしかありませんでした。
そこで、書店で買ってきた参考書をちょっと読んでは受験する、ということを二年間繰り返してお茶を濁していました。当然ですが、結果は不合格です。
すると、業を煮やした社長から「今年中に宅建の資格を取得しないと、評価にも反映させる」と言われてしまったのです。さすがにこれはマズい!と思いました。
その時、以前の会合で聞いた講頭の指導が思い出されました。
講頭は、「私達は働いて得たお金の中から、仏様に御供養をし、会合に参加したり総本山に参詣するための交通費を捻出しています。だから、仕事は大切な法華経の修行なのです」と教えてくださったのです。
私はその指導を思い出して、「勉強が面倒だからといって、このまま宅建の資格を取得しないでいれば、評価が下がり、給与が下がって、仏道修行に支障が出てきてしまう。絶対に合格しよう」と決意しました。
しかし、時すでに遅く、腹が決まった昨年九月には、宅建の受験日が一ケ月半後に迫っていました。
一ヶ月半で、民法・建築基準法・都市計画法・借地借家法・税金・金融支援機構等々の広範囲な内容を、全て勉強する時間はありません。そもそも毎日、仕事が終わってからの勉強になりますので、十分な時間が取れるわけではありません。

班員の身にも功徳の実証
「宅建」の試験に合格!

 そこで、まず、真剣に唱題することから始めました。会合で本部に行く時の往復四時間の移動時間も、すべて唱題していきました。「祈りとして叶わざること無し」の御本尊様です。その御本尊様に真剣に祈っていくと、生命力が溢れてきました。
さらに折伏にも励んでいくと、共に信心している班員さんの身に、驚くべき功徳の現証があらわれてきたのです。
班長補佐のSさんは、揚げ物をしていたところ鍋に引火して、天井に届くほどの大きな炎が燃え上がったため、狼狽して、あろうことか、水をかけてしまいました。そんな事をしたら、炎が飛び散って大変な事になるはずだったのですが、何と火は消えてしまったのです。もし、天井に引火でもしたら、防火設備もない古い木造二階建てのアパートでしたから、全焼を免れなかったことと思います。本当に有り難い体験でした。
またKさんは、仕事上の成果が認められて役員に昇進し、大幅に昇給してしまいました。
入信間もないKさんは、甲状腺の病気に悩んでいましたが、病気の数値が劇的に下がって正常値になり、幽霊が見えるという、前々からの怪奇現象がなくなってしまいました。
Mさんは、顕正会員の親を折伏して虐げられた結果、精神的な病が良くなったばかりか、通常ではありえないような経過で生活保護がおり、安心して暮らせるようになりました。
こうした班員さん達の不思議な体験を目の当たりにする中、私は、自分も信心を根本にして絶対に合格するぞ!と闘志が湧いてきました。
そして、集中して勉強していきました。とにかく試験範囲が広いので、法律の問題として問われそうなところに的を絞って勉強していきました。

こうして、ついに試験当日がきました。問題を開くと、なんと直前に勉強していたところが、たくさん出題されているではありませんか。「しっかりと御祈念していくと、試験に出るところが自ずとわかる」と部長から聞いていましたが、このことだったのか!と驚き、嬉しくなって、夢中で回答を書き上げました。
そして試験が終わり、発表まで真剣に御祈念していきました。こうして、昨年十二月二日、無事、宅建の試験に合格することができたのです。(拍手)
本当に時間が無い中での受験だったので、合格できたのは御本尊様の功徳としかいいようがありません。また、試験に合格したことで、上司との関係も良くなって、仕事もやりやすい状態になりました。

思えば、十数年前までの私は、異流義・顕正会に関わったことで、人生が破滅する寸前の状態でした。それが、精神的にも安定して社会復帰できたばかりか、今では仕事も順調で、班員さんのお世話までさせていただいています。 本当に有り難い御本尊様に巡り合うことができ、感謝の念に絶えません。
この大恩を一生涯、忘れることなく、班員さんと共に、平成三十三年を目指して折伏・育成に励んでまいります。ありがとうございました。(大拍手)