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体験発表<平成29年 第39回総会より>入信37年、今味わう最高の人生

杉崎 初江さん

皆さん、こんにちは。私は昭和五十三年、三十五歳の時に、友人の内山晃さんに折伏されて入信いたしました。当時の私は、いわゆるシングルマザーで、女手一つで中学生の長男を育てながら飲食店の経営をしておりました。
折伏を受けた時は「私には悩みなどない」と言い張ったのですが、紹介者から、子育てについて悩んでいるじゃないか、と指摘され、この仏法の力を確かめてみようと思って、入信を決意したのです。

それからは、先輩に勤行を教えてもらい、毎日の朝夕の勤行を欠かさず実践していきました。しばらくした時、地域のお祭があったのですが、当時、私の住んでいた千葉県野田市は非常に因習深い地域で、商店会も邪宗との深い付き合いがあり、私も、毎年、多額の寄付金を出していました。
そのことを大草講頭にお話ししたところ「それは邪宗を繁栄させることになるから、謗法行為であり、大きな不幸を招く原因となってしまいます。寄付金を集めに来ても固くお断わりしなければなりません」と、指導をいただきました。
非常に勇気が必要でしたが、私は指導されたとおり、寄付金を集めに来た商店会の会長に対して「自分は日蓮正宗の信仰をしています。地域の発展には何でも協力させていただきますが、宗教上の信念により、神社への寄付についてはお断わりさせていただきます」と、寄付行為を固辞しました。さぞや怒り出すかと思いきや、その会長は、「あなたの断わり方がはっきりしていて気に入った」と言ってくれ、以来、私の店の常連のお客様になってくれたのです。

また祭の日は、あまり売上は期待できないだろう、と思っていたところ、なんと、売上は通常の三倍にもなり、それ以降も、売上が驚くほど好調となりました。
これも、正しい御本尊様に手を合わせ、邪宗謗法との関わりを遮断した功徳と確信しました。
また、それまでの私は、慢性的な頭痛持ちで、週に何日かは寝て休まなければならないほど、症状が酷かったのです。しかし、気付いたらその頭痛もいつの間にか全く出なくなっており、以来、私は一度もあの酷かった痛みに悩まされたことはありません。
これらの初信の功徳の体験を通じ、私は、御本尊様の御力が絶対なのだという確信を一分ではありますが、つかむことができたのです。
なお、その頃の講中の本部拠点は、杉並区西荻窪のマンションの一室で、私はそこで開かれる会合に参加しては、それまでに味わったことのない歓喜を覚え、終電で野田市まで帰っていました。会合の中では、講頭から、身の周りの人たちを片っ端から折伏していかなければ幸福になれないことを教えていただき、私はそのとおりに実践していきました。  そして、熱心な立正佼成会の信者であった両親を折伏して入信させたのをはじめ、知り合いを次々に折伏していったところ、その功徳は歴然と現われたのです。
営んでいた飲食店の経営が大変順調にいくようになり、店を数店舗まで拡大できたことを始めとして、新たに、モーテル、スナック、不動産業、スタジオの経営、さらには台北にまで土産物店を出店するなど、事業がどんどん拡大していったのです。

このような考えられない展開は、まさに正しい仏法を信じ、折伏に励んだ功徳以外の何物でもありません。
そのことをしっかりと心に刻めばよかったのですが、私は何か、怖いものがなくなり、自分は何をやっても成功できるのではないか、これは自分の経営手腕が優れているからではないか、という慢心の気持ちがどんどん出てきてしまいました。そして、仕事が忙しくなるのにつれて、毎日の勤行すらできなくなり、会合からも遠ざかるようになってしまいました。
御本尊様の功徳を忘れて、うまく行くはずがありません。やがて仕事や生活に問題が起こってくると、その時はあわてて信心に励み、しかし、それが乗り越えられると、また信心が緩んで十四誹謗を犯す、という、繰り返しをしていった結果、平成三年のバブル崩壊の時に、とうとう全ての事業が回らなくなったのです。
最終的に、会社としては二億円程度の負債を抱え、個人としても一億円近い借金を持ったまま、会社は経営破綻してしまいました。
しかも、その時に、迷惑をかけた方々への返済と、会社清算のための費用に充てようと、数カ所のゴルフ場の会員権を残してあったのですが、これに目をつけた数人の暴力団関係者から命を狙われ、実際に大ケガまで負わされるという、大変危険な状態となってしまったのです。取り急ぎ講頭にご相談し、私は三重県の中西部長の所に匿っていただくことになりました。 こうして、築き上げた会社も失い、奈落の底へ落ちた私は、自らの信心の姿勢を深く反省し、一から出直すつもりで、「御本尊様、どうか助けてください」と、泣くような思いで、毎日真剣に勤行・唱題をさせていただきました。

すると、数ヶ月後、私の握っていたゴルフの会員権の価値が暴落し、紙クズ同然となったことから、私が狙われる理由もなくなってしまい、あれほど危険であった状態から解放され、千葉県松戸市に戻ってくることができました。
一方、驚いたことに、私の持っていた会社の場所が区画整理の対象になったとのことで、私の銀行預金の口座に多額のお金が振り込まれており、このお金で、迷惑をかけた方々への弁済と会社の精算、そして新しい生活を始める元手ができ、人生を再出発することができたのです。

それ以来、私は、昼夜を問わず、眠るのも忘れるほど、一生懸命働きましたが、長い間、信心をないがしろにしてきていましたので、過去からの罪障が、消えているはずはありませんでした。突然、体調が悪くなって、著しく健康を損ない、入院してしまったのですが、その時の診断では、なんと十四種類もの病気を同時に発症していたのです。それは、糖尿病から始まって、高血圧、心臓肥大、脂肪肝、脊椎間狭窄症、首の滑り症、神経因性膀胱炎、逆流性食道炎、無呼吸症候群、難聴、白内障等々、まさに病気の巣窟とも言えるほど、深刻な状況に陥っていました。

また、それまでフラフラしていた私の信心は、そのまま息子にも受け継がれており、なかなか信心を貫き通すことのできなかった息子は、結婚したものの、家庭がうまくいかず、結局は離婚となってしまいました。
そして、息子も別れた嫁も、共に同じ信心に付いている同志であるにも拘わらず、互いに恨み、憎み合うような状況で、凡夫の頭でどんなに智恵を絞っても解決できないほど荒んだ人間関係となってしまったのです。関係する誰もが心を傷めるような状況でした。

そのような中で、私にできることは、まず御本尊様に助けを乞うべく真剣に問題の解決を御祈念申し上げること、可能なかぎり全ての登山・会合に参加して、大御本尊様に祈り、深い仏法の道理を学んでいくこと、そして周囲の縁ある人たち全てに仏法を説いて、徹底的に折伏することしかありませんでした。今度こそ、人生の根本である信心を見失うことなく、しっかり貫き通して、全てを打開していくことを御本尊様に誓いました。

そして、少しでも縁ができ、知り合いになった人に対しては、必ず洩れなく折伏するよう心掛けていきました。とにかく全ての人達が折伏対象者である、と教えていただいてきたとおり、折伏の実践を重ねていきました。
家族、親戚、同僚、友人、昔の同級生達を全て折伏し、さらには近所の人たちにも積極的に声を掛けて折伏を実践しました。折伏対象者がいなくなると、公園で見知らぬ人にこちらから挨拶して知り合いになり、また、病院では待合室で待っている人や、患者さんにもどんどん声を掛けて対象者にし、さらには、買い物に行った時に、私の飼い犬を見て「かわいいね」と近づいてきた人、また私の興味のあるものと同じものを買おうとしている人にも声を掛け、タクシーの運転手さんや、家の前を通り過ぎる海外の学生さん達にも声を掛けるなどして、関わる人達を悉く折伏をしてきました。

その中で、私の家族、親戚、同僚、友人、そして、たまたま知り合った人たちの中からも、次々に入信する人が出て、現在、私の眷属は一千名を大きく突破するまでになりました。まだまだ育成が十分とは言えない、申し訳ない状態で、心が痛いところではありますが、その中で喜んで信心に励む人も数多く現われてきています。

こうして、信仰に励んでくる中で、私は凡夫の智恵では計り知れないような大功徳を頂戴できました。  第一に、十四種類もの重篤な病気に侵されていた自分ですが、ほとんどの病気の症状が改善してしまったのです。これまでは、年に三回は血糖値をコントロールするために一ヶ月くらいの入院が必要だったのですが、ここ二年ほどは入院しなくても血糖値を抑制できるようになって、血圧も安定しています。その他の病気もほとんど症状が出ることなく、毎日を快適に不自由なく過ごせているのは、奇跡的なことです。病の巣窟のようであった過去の状況からは、まったく考えられません。

理境坊松戸出張所にも毎日通い、本当に不安のない、ありがたい生活が送れています。  そして第二に、息子の離婚によって荒んでいた人間関係のこじれも、不思議な形で完全に解決し、今では息子も元嫁も、その子供達も、関係していた皆が、明るく精いっぱいの信仰に励んでいます。そして、過去のことはいったい何だったのだろうと思うほど、仲良く食事したり、同じ支区の中で助け合って折伏・育成を実行しています。

また息子は、これまでの経験を活かして、六年前に消防設備点検の会社を立ち上げましたが、当初は全く仕事がなく、先行きが見えない状況でした。しかし、不思議な形でどんどん仕事の請負を依頼されるようになり、現在では経営も安定して順調に運んでおり、多忙でありながら充実した仕事に従事することができています。

そして、最後に私が最も嬉しく、ありがたいと思っていることは、私の家族・眷属の多くが、妙観講の班長・班長補佐として、第一線で信仰に励んでいることです。自分の眷属では十一名が班長として御奉公させていただいています。
私は既に七十二歳になりますが、孫の佐藤班長には毎日のように、折伏・家庭指導等の活動に連れ回されており(笑い)、私が肩を骨折して激しい痛みでもがき苦しんでいる当日でも、容赦なく折伏に連れ回されて、厳しくも楽しい最高の毎日を過ごすことができています。

そして、私のひ孫も、毎日一緒に折伏・家庭指導に同行し、世代としては五代にわたって妙観講の講員として活動し、信心を根本とした真の一家和楽という、大功徳の人生を、日々噛みしめて生きています。

このような最高の人生を楽しむことができているのも、御本尊様、猊下様のおかげであり、私に仏法の大事を教えてくださった小川御住職、大草講頭はじめ妙観講の先輩方のおかげです。その御恩に対して、深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。(大拍手)

高齢の私はあと何年生きられるかわかりませんが、残りの人生を平成三十三年までの御命題に向かって精いっぱい闘って、御報恩を果たし、立派なネパール寺院建立を見届けたいと強く念願しております。
今後も精いっぱいの信心に励んでまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。(大拍手)