山田 節子さん
ステージ四の膀胱癌に!
顕正会で積んだ罪障を自覚
今から八年前、私は主人を亡くし、統合失調症を患った息子をかかえて、経済面、健康面に不安を抱えて生きていました。そこに、姪から「顕正会に入れば、生活もうまくいくし健康にもなる」との誘いがあり、軽い気持ちで入会しました。その頃の姪は、すっかり浅井昭衛に洗脳されていて、「一刻も早く顕正会を弘めなくてはならない。このままでは日本はもたない。地震や戦争で滅びてしまう」などと言っていました。私は、その中で、せき立てられるようにして友人を勧誘し、三人ほど入会させてしまいました。
ところが、それから五年ほど経った平成28年6月のある日、姪と娘が連れ立ってやって来ました。そして「顕正会が間違っていことに気づいたので、日蓮正宗に入信しました」というではありませんか。私は驚いてしまいました。
あれだけ「顕正会だけが正しくて、他は全部間違った宗教だ」と言い、日蓮正宗の悪口もさんざん言っていたのに、いったい、どういうことかと思ったのです。しかも私は、顕正会の教えを信じて、大事な友人達を三人までも入会させてしまいました。怒りが込み上げて、「いったい、この責任をどうしてくれるんだ!」と言ってしまいました。
ところが、それから諄々と話を聞いてみれば、二人は、私に間違った宗教を勧めてしまったことを心から後悔して、なじられるのを覚悟で謝りに来た、ということで、私は、その誠意に心を打たれました。
そして、冷静になって話を聞いたことで、よく納得でき、私も顕正会をやめて日蓮正宗に入信させていただくことにしたのです。一緒に暮らしている息子も説得して、御授戒を受けてもらいました。
それからというもの、姪の家に足しげく通っては、日蓮正宗の御本尊様に手を合わせて、正しい勤行を教えてもらいました。今度こそ日蓮大聖人様の正しい教えに付けたのだ、しっかり信心していこうと思ったのです。
こうして、御本尊様を拝んで勤行・唱題をしていくと、顕正会時代には味わったことのない感激が込み上げてきました。また、具合の悪い時にお題目を唱えていくと、すぐに治ってしまったり、念願だった家のリフォームもできるなど、有り難いことが起きてきました。 こうしたできごとに、日々、御本尊様に感謝して過ごすようになったのですが、まもなく私は、顕正会で積んでしまった罪障の重さを知ることとなったのです。
それは平成28年秋のこと、いつになく体調が悪く、血尿まで出たことから、膀胱炎が悪くなったのかと思って病院に行き、検査を受けました。
その結果、ステージ四の膀胱癌になっていることがわかったのです。医者から、レントゲン写真を見せられて「癌の根が深く、症状はかなり進んでいます」と説明を受けました。私への説明はそこまででしたが、付き添ってきた家族に対しては、すでに他の臓器にも転移していることが告げられていました。
私はすっかり動揺し、恐怖し、人生を投げ出したいほど落ち込んでしまいました。
そんな私に、姪が「うちに泊まりに来て。一緒に唱題して御本尊様に助けていただきましょう」と言ってくれました。姪の家に行くと、姪の娘も駆け付けてくれ、私は、二人に支えられて御本尊様にお題目を唱えていきました。そして、一時間、二時間と唱題を重ねる中、落ち着きを取り戻して、「そうだ、御本尊様にお願いして治していただこう」と思うようになったのです。
そして、その二日後、本部で行なわれた支区座談会に参加しました。
すると、一年間の中で支区の皆さんの身にあらわれた功徳の体験が、ダイジェストで紹介されました。ガンが治った体験や、脳梗塞・心筋梗塞から助かった体験、台風などの大きな自然災害から守られた体験など、驚くような話が次から次へと出てきました。
その発表に、私は「何と、有り難い御本尊様なのだろう!」と驚き、いちだんと勇気が湧いてきました。
さらに支区座の後、堀井幹事とお話しする中、今はとても元気にされている中林支部長も、十年以上前に、悪性リンパ腫という血液のガンでステージ四を宣告されていたこと、妙観講の先輩達は皆、どんなに重い病気になっても、ひたすら御本尊様を信じて乗り越えていることを伺いました。
その上で、私の膀胱癌は、謗法の罪障が原因となって起きていること。これを治していただくためには、顕正会に入って日蓮正宗を誹謗してしまったことを心から懺悔して唱題するとともに、その罪障を消滅するために、力いっぱい折伏していくべきことを教えていただきました。
そのお話を聞いて、私は、正しい信心につけて良かった、という気持ちだけで、かつて顕正会において大謗法を犯してきたことに対し、心からの懺悔をしていなかった、だから謗法の罪障が消えることなく、ついに業病になってしまったのだ、と思いました。
私はその日から、顕正会で作ってしまった罪障を、心の底からお詫びして勤行・唱題するようになりました。
こうして、闘病生活が始まりました。
検査入院となった病室では、時間のある限り唱題をしていきました。さらに、苦手だった折伏もしていこうと、周りの患者さんや看護師さん、担当の先生に、自分が日蓮正宗という、たった一つの正しい教えを信仰していること、この信心で癌を克服した人がたくさんいること、だから自分も助けていただくためにお題目を唱えていることなどを、真剣に話していきました。「そんなのやったって病気が治るわけない」とバカにされましたが、かまわずに折伏していきました。
さらに、ありがたくも御秘符をいただくことができました。御秘符を頂戴して、猊下様に御祈念していただく以上、自分も精いっぱいの信心をしていくことをお誓いし、心の中で、唱題しながら服させていただきました。
そして、検査も終わり、抗がん剤治療に入りました。抗がん剤治療には、とてもつらい副作用があると聞かされていました。現に、信仰の話をバカにしていた他の患者達は皆、副作用に苦しんで、起き上がれなくなったり、治療を続けられなくなったりしていました。ところが私は、といえば、信じられないほど副作用が軽く、食欲もあって、元気に過ごせていたのです。
本当に不思議でなりませんでした。そこで今度は、お見舞いに来てくれた人達に、この功徳を話して折伏していきました。その中には、顕正会時代に盛んに勧誘してしまった人もいて、「また変なことを信じて」と、またしても悪口を言われてしまいましたが、こうして少しでも罪障消滅ができるのだと思うと、嬉しくなってきました。
そして、抗がん剤治療の三クール目が終わったときのことです。
医師から「経過は良好ですよ。転移した癌が全て消え、残るは膀胱にある癌だけです」と言ってもらえたのです。
本当に有り難いことでした。
ステージ四の膀胱癌とわかった時は、本当にどうしたらよいのだろうと絶望感に押しつぶされそうなったものですが、それが嘘のように前向きな気持ちで、抗がん剤の副作用にも負けず、元気に過ごせているのです。
また私は、病気になったことで、自分の罪障の重さを自覚することがき、真剣に信心できるようになりました。一生懸命に信心しなくてはいけない理由もよくわかり、たくさん唱題して、たくさん折伏して、『暁鐘』も『慧妙』も読むようになりました。
それからも、さらに折伏を心がけ、姪に『正しい宗教のすすめ』を何十冊も買ってきてもらっては、病室の人や、お見舞いに来た人達に渡して、折伏していきました。すると、他の患者が本当に苦しんでいる中で、私だけは、元気で毎日を過ごすことができました。
やがて通院治療に変わって、昨年五月の妙観講総会にも無事に参加することができました。そして、姪達に支えられて、毎月の月例御講に参詣し、本部講習会・支区座談会へと足を運んで、信心修行に励んでいたところ、昨年十二月、病院での定期検査で、ついに「膀胱にできていた癌がきれいに無くなっています」と言われ、完治を告げられたのです。(大拍手)もう、有り難くて、有り難くて、ただただ御本尊様に感謝申し上げました。
私は、ステージ四という末期癌になりましたが、それが、自ら作った謗法の罪障によるものであること、そして、その罪障を消滅するための信心の在り方を、妙観講の中で教えられ、また同志・先輩方に支えられて、乗り越えることができたのです。
こうして私は健康を取り戻し、むしろ、前よりも元気になって、今年77歳を迎えました。元気に畑仕事をし、最近は、近くの花屋で働くようになりました。朝の八時半からお弁当を持って出かけ、夕方五時半まで働くこともあります。花を仕入れるために車を運転して市場に行くこともあり、慣れないマニュアル車を、お題目を唱えて運転しています。
まわりの人達から「元気になったね。本当にイキイキしているね」と言われますので、「御本尊様にお題目を唱えているからなのよ」と話して折伏しています。花屋に来るお客様にも「姪っ子が大石寺にお参りに連れてってくれるのが、本当に嬉しくて」と話して、折伏の糸口を作っています。
こうした実証を見て、以前、信心のことをバカにしていた人の中からも、「信心すれば良いことがあるのかもしれないね」と言い出す人が出てきました。一日も早く入信できるよう、御本尊様に祈って折伏していきたいと思います。
御本尊様の御恩を忘れずに、これからも油断なく仏道修行に励んでまいります。ありがとうございました。(大拍手)