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体験発表<令和5年 第45回総会より>重度の自閉症を乗り越え、奇跡の人生を歩む

穂積 佳苗 さん

皆さんこんにちは。穂積佳苗です。今日は、御本尊様の大功徳によって、皆さんの前で、このように発表できるまでになった体験をお話させていただきます。(拍手)

私は、重度の自閉症という、脳の障害を持って生まれてきました。自閉症とは、見たり聞いたりしたことを、正しく理解することができない、という原因不明の病気で、医学では治すことができないとされています。この病気のため、私は幼いころ、自分がいったい誰なのか、何者なのかまったくわかりませんでした。また、見るもの聞くものすべてが、ただただ恐ろしくて、怖くてなりませんでした。だから、いつも同じことをしていないと不安で、すぐにひどいパニックを起こしてしまっていたのです。また、目はあいていても、いつも真っ暗闇の中にいるようで、怖くて大声をあげたり、わけのわからない憎しみや怒りがいきなり出てきて、どうしていいかわからなくなって、自分の手をかみ続けたり、頭を壁にぶつけたりして、怒りが収まるのをずっと待つしかありませんでした。

さらに、一番大事なお父さん・お母さんのことも、それが誰なのか、全く分からず、突然、怒りの気持ちが出てくるのです。どうしてなのかわからないのですが、いつも怒りが出てきて、そのたびに両親に暴力をふるって苦しませていました。今、そのことを思い出すたびに、両親に対して、何てひどいことをしてきてしまったのだろう、と思うのですが、当時はわけが分からず、暴れる自分を止めることができず、今から思えば本当に地獄のような日々でした。疲れきった両親は、とうとう一家で死んでしまうことまで考えていたそうです。

そのような平成十年七月のことでした。私が幼稚園の時の同級生だった竹井麗夏さんのお母さんである竹井さんから、この正しい仏法の話をお母さんが聞いてきたのです。そして、私の障害が克服できるならと、入信を決意し御授戒を受けたのでした。(拍手)

そして、その後お母さんは、私も入信させたいと思って、私をお寺につれていき、御授戒を受けさせようとしました。でも、私はお寺の門から中に入ることができませんでした。手をひっぱられても背中を押されても、体が固まってしまい、ひどいパニックを起こして、どうしても中に入ることができなかったのです。しかたなく、この日の御授戒は延期となりましたが、お母さんや先輩がたは、その日から私のために毎日御本尊様に祈ってくれて、しばらくしてからようやく私も御授戒を受けることができたのです。(大拍手)その一ヶ月後には、私の病気が治るならと、お父さんも御授戒を受けることができました。

しかし、邪宗の害毒によるものでしょうか。私はその後ず~っと南無妙法蓮華経が唱えられませんでした。でも、お母さんはそんな私を見捨てることなく、横にすわらせて、長い時間をかけて一緒にお題目を唱えてくれました。また、近所の人を折伏する時や、創価学会員を折伏する時も、必ず私をつれていってくれました。時には、創価学会のおばさんから「この子は、私の留守中に家に入り込み勝手にものをあさっていたんだ!頭がおかしい!」などと、うそをつかれ悪口を言われたこともありました。また、毎日のように夜になると、学会の男の人たちが家に嫌がらせをしに来るようになって、怖い思いをしました。でも、それでも両親は折伏をやめませんでした。それは、折伏をしたことでいじめられれば、いじめられるほど、不幸の原因が消えていく、と教わっていたからです。

さらに、お母さんが、私が入れてもらっていた塾の友達のお母さん達を次々に折伏していったところ、そこの先生からよび出され、折伏をやめるように言われました。でもお母さんは「何も悪いことはしてないし、みんなにこの日蓮正宗の正しさを知ってほしいから教えてあげているんですよ」と言ったのですが、それまで、やさしかった先生からは、「この恩知らず!もう塾には二度と来ないでくれ」と言われ、結局、大好きだった塾を追い出されてしまいました。

でも、こうしていじめられたことにより、本当に不幸の原因が消えていったのでしょう。私は、それからしばらくして南無妙法蓮華経とちゃんと言えるようになってきたのです。(拍手)私はうれしくて、家に帰るとすぐに御本尊様の前にすわってお題目を唱えていきました。そして、だんだん勤行ができるようになっていきました。そうやって、朝・夕の五座・三座の勤行をしていくと、少しずつですが自分が穂積佳苗という人間なのだ、ということがわかるようになってきました。そして、入信前のあの真っ暗闇の中にいた時の記憶を思い出したのです。小学校六年生の時でした。そして、自分が生まれつき自閉症という脳の病気にかかっていて、この病気は医学では治らないけれど、御本尊様に南無妙法蓮華経と唱え、折伏をしていけば、御本尊様が治してくださる、ということが少しずつわかってきたのです。

そんなある日、一人で家で留守番をしていた時のことでした。いきなりパニックが起こってきたのです。それまでの私なら、泣き叫んでパニックがおさまるまで家の中で暴れまわっていたのですが、この時は時間がかかりましたが、自分から御本尊様の前にすわりお題目を唱えることができました。すると一時間くらい唱えていたら、パッと我に返ることができ、生まれて初めてパニックを自分一人でのりこえることができたのです。(大拍手)私は嬉しくて嬉しくて、帰って来た妹の志保ちゃんに、「自分でパニックをのりこえることができたよ、御本尊様が治してくれたんだよ!」と叫んでしまいました。本当に嬉しくて、御本尊様が輝いてみえました。

また、六年前のある会合で、講頭から、「折伏すれば願いがかない、どんな悩みでも解決できる」とのお話を聞きました。私の願いは、「みんなと同じようになりたい、ふつうの人になりたい」ということだったので、私も絶対に折伏しようと思いました。そして、御本尊様に「どうしても折伏をさせてください」とお願いして、お友達を折伏したところ、御授戒を受けることになったのですが、当日になってお友達の気が変わり、御授戒は流れてしまいました。お母さんは私に、「かなちゃんがんばったね、また次の機会にがんばろうね」と言ってくれたのですが、私は、あきらめることができず、「今日絶対に折伏したい、御授戒に連れて行くと御本尊様に約束したのだから、今日必ず折伏をやりたい」といって泣き、お母さんを困らせました。

その後、仏法講演会の行なわれる中野サンプラザに行くため、西荻窪駅から電車に乗ったら、そこに職場の林さんが乗ったいたのです。私は思わず、「これからお父さんが仏法講演会で体験発表するから一緒に来てほしい」というと、「うん、わかった」といってくれ、一緒に中野サンプラザに向かうことになりました。そして、仏法講演会のあと、一所懸命に林さんを折伏したところ、林さんは入信を決めてくれ、その日のうちにお寺で御授戒を受けることができたのです。(大拍手)本当に嬉しかったです。

こうして折伏してきた功徳は、思ってもみない形であらわれてきました。私は、だんだんと読み書きもできるようになり、人とのコミュニケーションも少しずつ取れるようになってきたのです。そして、そんな私に、就労支援センターの所長さんが、「本格的に就職活動をしてみないか」と言ってくれました。私はすぐに「お願いします」と言って、ある飲食店チェーンの面接を受けさせてもらいました。すると、たった一回で合格することができたのです。びっくりしました。(大拍手)そして、その会社に就職して今年で五年となりました。初めはなかなか接客ができず、叱られてばかりでしたが、その都度、御本尊様にすがりつく思いで心中に唱題し、仕事にはげんできました。

昨年は、私が小学校一年生の時に大変お世話になった担任の先生が、お母さんと一緒に私の職場を見に来てくださいました。先生は、私が職場で働いている様子を目の当たりにして、びっくりし、私のところへ駆け寄って来られ、私の手をぎゅっと握りしめ、心から喜んでくれたのです。私は、先生が何とか共に信心できるよう、折伏をしています。

また、この先生の他にも、お母さんと一緒に、小学校、中学校の友達やそのお母さん、担任の先生や幼児園の時の友達などを、次々と折伏してきました。すると、生まれつき持っていたひどい喘息が、気がつくと、いつの間にか治っていたのです。以前は吸入器と強い薬を持ち歩き、発作を起こしては入院していたことを思うと、本当に御本尊様のお力の凄さにひれ伏す思いと、折伏の功徳の大きさに心からありがたさが込み上げてきます。

私は、いま、普通の人と同じように働くことができるようになりました。本来なら、一生死ぬまで、自分が誰なのかも全くわからないまま、人としての幸せを感じることもできずに終わっていたはずの人生を、御本尊様にめぐりあって、その御本尊様に南無妙法蓮華経のお題目を唱えることで、別人のように生まれかわることができました。(大拍手)だから、私はこの御本尊様に南無妙法蓮華経のお題目を唱えることが一番好きです。

そして、こんな私を見捨てることなく、ここまで育ててくれたお父さん、お母さん、おじいさん、妹の志保ちゃんに、また妙観講の皆さまに、心からお礼を言いたいです。本当にありがとうございました。(大拍手)これからは、このありがたい御本尊様のことを皆なに教えてあげて、一緒に幸せになっていきたいと思います。

以上です。ありがとうございました。(大拍手)