羽生 福恵さん
私は昭和六十年に入信し、これまで信心してくる中で沢山の功徳も頂き、様々な悩みを乗り越えて来る事ができました。
しかし、日蓮大聖人様が、「自分が入信してから積んだ功徳は、いまだ浅軽であり、過去遠々劫から刻んできてしまった謗法の罪業は深重である。この罪業は、消してきたといっても、余残がいまだ尽きていない」と仰せられているとおり、過去世から刻みつけてきてしまった謗法の罪業は、そう簡単に消しきれるものではなく、私自身、自分の罪業の深さを思い知らされる事態が、ちょうど今から三年前の五月に起きてきたのです。
思い起こせば、その半年程前から激しい腹痛を起こしたり、毎日疲労感がとれず、体重も減り、便秘がひどくなる、という症状が続いていたのですが、それまで大した病気もしてこなかった私は、事態を甘く見ていました。
やがて、あまりの体の不調に、不安にかられ、近所の消化器外科で診察を受けたのですが、嫌な予感が的中してしまいました。
医師からは「包み隠さず全部お話します」と前置きした上で、「大腸に腫瘍があり、それが既に肝臓へ転移していると思われます。エコーで診る限り、肝臓の右側に複数の腫瘍が見られ、血液の腫瘍マーカーの値も、通常は三のところ七〇〇もあります」と告げられたのです。
そして、さらに大腸にカメラを入れて検査しようとしたところ、大きくなった腫瘍のために腸が塞がる寸前の状態で、カメラが進むことすらできませんでした。
私はすぐに大学病院へと廻されましたが、大学病院での診察の結果、私の病名は大腸癌、及び転移性多発肝臓癌で、肝臓の腫瘍の数は十個、そのうち、五センチ大の腫瘍が三つ数珠つなぎ、という巨大さになっており、すでにステージ4、つまり末期であり、うまく手術できても五年生存率は一〇~二〇パーセントしかなく、手術できない場合は余命一年足らずという状況だったのです。
主治医からは、「詳しく検査をして、肝臓の左側に腫瘍がなければ、大腸と肝臓右側の切除を一度の手術で行なう」との説明を受けて、二週間後に手術を受けることになりました。
その後、状況を知った副講頭より、次のようなメールをいただきました。
「今回の病気の事と御秘符の申請につき講頭にお話したところ、講頭は癌が肝臓に転移するまで気付かなかった事をとても残念がられ、さらに『折伏はしっかりできていたのか?』と尋ねられました。もちろん、行じていたはずですが、やはり自分の中に刻みつけられている罪障という事を甘く見ていた事は否めないと思います。講頭よりは『たとえ大きな山が崩れ去る程の年月が経ち、また海が干あがって陸になる程の年月が経っても、自分の中に刻まれた謗法の罪は消え難いのだ』との御金言通り、生命に深く刻まれた罪障は、長く信心してきたからといって、それだけで消えるほど簡単なものではない。今後、精いっぱいの唱題と折伏をして必ず乗り越えるように!!』との指導でした。決意を新たにして、死に物狂いの唱題と折伏で必ず克服してほしいと切に願っています。頑張りましょう!」とつづられていました。
講頭、副講頭の指導は本当に目の覚めるような思いでした。そして、決意を新たにした私は、入院前日に受けさせていただいた御開扉で「必ず治してまた登山させてください」と、真剣に御祈念し下山しました。
入院後、十日程で手術の予定となりましたが、手術前の検査の結果、肝臓の右側だけでなく左側にも腫瘍が認められたため、このまま切除した場合、肝不全を起こす危険性が高いので、今回は腫瘍のために腸閉塞を起こしつつある大腸を切除する手術だけ行なう。そして、肝臓については、正常な部分を大きくするための治療を行ない、二週間後に再度、肝臓を切除する手術を行なう、という説明をされました。
こうして、大腸を切り取る手術を受け、その術後の回復も順調でしたので、肝臓を切除する手術の日が決まったのですが、いよいよ明日、という時になって、「手術を中止する」と担当医から話がありました。
なんと、二週間の間に肝臓の腫瘍が四個も増えてしまっている、というのです。そして、このままでは、もはや手術もできないので、まずは強い抗ガン剤を投与してみて、腫瘍が小さくなってきたら、その段階で手術する方向で考えたい、と告げられました。
少なからず不安を感じましたが、心中唱題していると、不安な気持ちが消えていきました。
と、いうのも副講頭より「余命が無いと言われた癌を克服した中林支部長と中嶋達人班長の体験を何回も読むように。その中で、特に、次から次へと困難な状態が起きてきても、あきらめず、疑わないで御本尊様を信じ、克服してきたことを、しっかりと胸に入れてほしい。また、講頭が仕事上で融資先が見つからず、絶望的な状況に陥った時も、なお御本尊様を信じて一気に打開されたことを思って、この先『何故!?』と思うような事が起きてきても絶対に疑ってはならない」と強く言われていたからです。本当にこの指導がなければ、私は失意のどん底に堕ちていたことでしょう。
その時、一緒に担当医の話を聞いていた看護師長さんが「よく、一人で話を聞いたわね、気持ちが落ち着くまで一緒にいますから、ここにいて良いですよ」と声を掛けてくれましたが、私が、「大丈夫です。私は日蓮正宗の信徒なので、必ず信心で乗り越えます。もし、外出許可が取れるなら、本山へお参りに行ってきたいのですが」と話したところ、「それで気分が晴れるなら」と担当医に話してくださり、週末、登山させていただくことができました。
そして、臨床試験中の抗ガン剤の投与が始まったのですが、強い薬だけにその分副作用も多く、体重も四十キロを下回ってしまい、白血球が下がる等の現象が起きてきました。しかし、具合いが悪くて寝込むとか、吐いてしまう、ということは一度としてなく、退院一か月後には仕事も再開することができました。
その頃、大草講頭の個人指導を主人と共に受けることになりました。
講頭は、温かく声をかけてくださり、「今回の癌は、余命宣告までされているわけですから業病、それも定業に当たるものと考えられます」、と話されたうえで「定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す」との御金言をあげ、「大聖人様は、寿命が決まっている程の業であっても、よくよく懺悔すれば延命できる、と仰せられている。この『能く能く』ということが大事です。深い懺悔と真剣な唱題、折伏も一年かけて行なう折伏を、この一ヵ月で行なうくらいの思いで精いっぱい行なってください」とお話してくださいました。 また、「日蓮が小身を日本国に打ち覆ふてののしらば」との御金言をあげ、大聖人様は日本国中の人々を折伏していった事により大変な法難を受けられた、これは、折伏の大功徳によって、地獄に堕ちるべき重い罪業が、法難を受けるという軽い苦しみに転じて、消滅したのである、と示されている、同じようにしていけば私達も必ず罪障消滅ができるのです、と指導してくださいました。
私は定業であろう、との指導にとても驚くと共に、それを消していける方法を大聖人様が教えてくださっているという有り難さに、胸が熱くなりました。そして必ず乗り越えられる、という強い確信を持って帰路につきました。
その後、薬がよく効いて、五センチ大の腫瘍が三センチに縮小し、また、消滅している腫瘍もあり、腫瘍マーカーの値も一二〇〇から一八まで下がっていました。これにより、その年の1十月、ようやく肝臓を切除する手術ができるまでにこぎつけました。
話は前後しますが、私は、癌だとわかってから、真っ先に実家の母を折伏しに行きました。私の入信以来、強く信仰に反対している母は、「信心しているのにどうして癌になるのだ!」と罵り、一緒にお題目を唱えてほしいと話しても「まっぴらごめんだ、自分で治せ!」といきりたつ始末でした。もし、ここで病気を治せなければ、母はますます信仰できなくなると思い、何としても克服しようと、決意を新たにしました。
そして、母を折伏するためにも、まず自分が功徳を積まなくては、と思い、今までなかなか話をできずにきてしまった友人をはじめ、同じ病室に入院している方はもちろん、お見舞いに来てくださった方にも、本を渡しながら折伏し、時間が空けば学会員名簿を手に、病院の公衆電話から電話を掛けては折伏していきました。また、唱題も一日に三~四時間を目安にしていきました。
そうする中で、御本尊様の御加護は厳然と現われ、抗ガン剤の副作用も軽くなり、普段通りに仕事もでき、なんら今までと変わりない生活が送れ、守られているありがたさを日々実感しました。
しかしながら、定業であろうと言われた私の業は、この程度で消せる程、甘くはなかったのです。
肝臓を切除する手術をしてから一ヵ月後の検査の結果を聞きに行った時のことです。私は術後の再発を防ぐための、今後の抗ガン剤治療の話が主になるとばかり思っていました。しかし、診察室に入ると、担当医はいきなり「悪いです」と一言言ったのです。
切り取って三分の一しか残っていない肝臓に、なんと新たに十二個もの腫瘍が現われており、大きいものは一センチ大になっていたのです。
もはや、確実に言えることは、医療の力ではどうしようもない、という現実でした。 すぐに再手術などできませんから、抗ガン剤の投与を続けて少しでも長く生きるための、いわゆる延命治療を施す、という考えが妥当であることは、素人の私にも理解できました。
先輩方に連絡をとると、副講頭はすぐに講頭に伺ってくださいました。
講頭は「一ヵ月で再発した事など聞いたことがない」と絶句されたそうですが、この危機を乗り越えるために、「毎日五時間の唱題をすることと、御本尊様に命をかけて果たしていく折伏の大誓願をたてるように」と指導くださった、とのことです。
当初、私の立てていた誓願は、目先の数だけをこなすような、学会員への折伏の電話掛けを一日二十件、などという薄っぺらなもので、寿命を延ばしていただいたら必ず成し遂げる、という大誓願などでないことを講頭より指摘され、副講頭からも「命を長らえさせていただいたら、自分としてその命を使ってどのような御奉公をさせていただくか、生涯をかけた誓願を立てることが大事です。必ずこのように実行しますので、どうか寿命を長らえさせてください、との大誓願心をもって祈り抜いていきましょう」との指導をいただき、考えぬいた末、松本に理境坊出張所を建立できるよう、出張所を支えていくための陣容三百名を、1十年かけて折伏、育成していく、という誓願を立てさせていただき、固く御本尊様にお誓い申し上げました。
以来、講頭から示された毎日五時間の唱題は、夜中一時、二時になっても欠かすことなく続け、学会員や周りの人への徹底的な折伏、また家庭指導と、精いっぱいできる仏道修行をしていきました。
不思議なことに、いくら夜遅くなる日が続いても全く疲れることなく、逆に生命力がどんどん湧いてきて、毎日、ハツラツと過ごせるのです。本当にお題目の力の偉大さを身に染みて感じました。
そして、一昨年の二月、日興上人の御生誕七百七十年大法要の結集誓願を達成した日を境に、ある変化が起こりました。それは今まで体重が元に戻らない状態が続いていましたが、それが一週間の間に一気に増え、元の体重に戻ったのです。
私はこの時初めて「治る!」との手応えを感じました。
その後、腫瘍マーカーが正常値になり、一昨年三月のMRI検査では、十二個の腫瘍のうち半分の六個が消失、六個が縮小して残っているということが確認されました。
再び大発心し、折伏も更に喜んで進めていったところ、六ヵ月後のMRI検査ではさらに三つの腫瘍が消失しており、残る三つも、よく見ないとわからない程にまで小さくなっていました。
この時、担当医からは「もし全て消えたとしたら、自分が担当した患者さんでは初めてのケースです」と言われました。
そして昨年四月、もうこれで消えていてほしいと思い、臨んだMRI検査でしたが、そこで出たのは、新規腫瘍が増大しているという衝撃的な結果でした。再々発です。
しかし、残念な気持ちはあっても、動揺したり落ち込んだりすることは全くなく、「どこまでも御本尊様にお願いし、折伏して乗り越えていく以外、助かる道はないのだ」と決意を新たにしました。
講頭からは「塩をまかれるくらいまで折伏しぬきなさい」と指導され、私はこれまで以上に、人を選ばず、機会を逃さずとの思いで折伏を行ない、育成にも精いっぱいあたっていきました。
そうした中で、御本尊様から守られている、との実感がさらに増していきました。といいますのは、もう三年も強い抗ガン剤を投与しているので、治療後はかなり白血球が下がってしまいます。
白血球の下限は一二〇〇なのですが、私は五〇〇という数値で、些細な事で細菌に感染してもおかしくないはずですが、ただの一度も風邪を引くことすらなく、毎日ハツラツと過ごせるのです。本当に御本尊様の功徳以外ありません。 今年の一月のMRI検査では、一センチ大の腫瘍が五ミリに、他は一ミリ大になっていました。
そして、先月四日のCT検査の結果、ついに、腫瘍が全て消失していることが確認されたのです。(大拍手)
癌末期と宣告されてからの、この三年間、本当に長く、厳しい日々でしたが、ここまでこられたのは、大御本尊様の偉大な御力と御住職様の当病平癒の御祈念、そして講頭はじめ諸先輩方の、適確で慈悲あふれる指導と励ましがあったからに他なりません。
私は、この延命させていただいた残りの人生を使って、地元に理境坊出張所を建立すべく、三百名の折伏・育成を必ずや果たして、御本尊様への御報恩を果たしてまいります。 ありがとうございました。(大拍手)