書籍の購入はこちら 暁鐘 オンラインSHOP

体験発表<平成24年 第34回総会より>厳然と現われた折伏の功徳! 理想どおりの会社に転職

石岡佑介 さん

私は14年前の平成10年、アルバイト先で知り合った小林孝二班長から折伏され、日蓮正宗に入信しました。宗教が大嫌いだった私は、「地獄に堕(お)ちるのは怖い」という思いだけでイヤイヤ信仰を始めた、という状態でしたが、先輩に手を引かれながら、少しずつ信仰を深めてきました。
大学卒業後は、最初に勤めた会社を三年で退職し、地元静岡県の派遣会社に登録して、ある大手輸送機器メーカーの派遣社員になったのですが、そこでの私は、自分でもイヤになるくらい仕事ができず、給料も前にも増して少ないものでした。
そのようになった理由は明白でした。その頃の私は、先輩の指導を無視した上に、臆病な気持ちから、まったく折伏をしていなかったのです。
「これは、罰であり、与同罪を被(こうむ)っているせいだ」と気づいた私は、心から反省懺悔し、それからは同僚や上司を折伏しました。
すると、その功徳で仕事も順調にこなせるようになり、ひょんな事から同じ派遣会社の他の部署の課長から気に入られて、不安定な立場の派遣社員から、固定給かつボーナスも有るという好待遇の契約社員になることができたのです。

それによって、ある程度生活は安定したものの、その後も契約先の会社で折伏を続けたところ、その話が派遣会社のほうに伝わり、派遣会社から「宗教活動を続けるなら、解雇する」と言われ、三年目にして解雇されてしまいました。
残念な気持ちもありましたが、しかし、この解雇は折伏による法難なのだから、悪い結果になることは絶対にない、と思い、次の就職活動に励みました。
すると、その二ヶ月後の平成19年7月、外資系の自動車関係の会社に、念願の正社員として就職することができたのです。待遇も、その前の派遣会社よりもずっと良いものでした。
私は、「御本尊様の功徳でいただいた仕事なのだから、絶対に折伏を進めさせていただこう」と決意し、この会社でも、同僚、上司と折伏を進めていきました。すると、私が信仰を勧めているという噂がまたたく間に社内に広まり、会社から信仰に対する凄(すさ)まじい圧力が始まりました。課長、次長、工場長と、それぞれ、私を呼び出しては折伏のことを咎(とが)め、全社一千人から白い目で見られ、時には宗教をネタにからかわれる、という状態でした。ある時などは、折伏している最中に氷の入った水を思いっきり掛けられ、氷で顔が切れ、顔から血が出たこともありました。
それでも、先輩から励ましていただきながら、めげずに折伏を続けていったところ、同僚の中から入信する人も現われました。

そんな中、入社一年少々で、アメリカへ赴任(ふにん)することになりました。アメリカ赴任は入社の際の条件だったのですが、当初の話では三年間は日本で研修してそれから赴任、ということでした。ところが私の場合は、二年も早めての赴任ということになったのです。その背景としては、「石岡は宗教でうるさいから、早く海外に飛ばしてしまえ」ということだったようです。
実家の都合もあって、妻と二人の子供は実家に残し、私は単身でアメリカへ赴任しました。赴任中も、講中の指導に従って、毎日二時間の唱題を実践するとともに、アメリカ人であろうと日本人であろうと、会社の同僚や上司、そして他の会社の駐在員、現地で知り合った人と、片っ端から折伏していきました。
また、時差を見計らって日本へ学会員探しの電話かけを行ない、一時帰国の際に訪問しては折伏する、という形で学会員への折伏も進めました。また、半年に一回の一時帰国は、必ず総会や御会式の時に合わせるようにしました。

しかしながら、海外での信仰は大変に厳しいものでした。私の赴任地から最も近い正宗寺院までは、450キロメートルあり、車で片道五時間かかります。日本との連絡も、14時間の時差があるため、会合の内容や指導を伺うにもひと苦労でした。
そんな厳しい状況下での信仰でしたが、全社員の給与カットが実施されても、なぜか、私だけは特別手当が支給されて、実質的に給与が下がらなかったり、やたらアメリカ人の上司・同僚が私の味方をしてくれるなど、御本尊様からさまざまな御加護をいただきました。
そして、ひたすら日本への帰任を願って功徳を積ませていただいていたところ、なんと、5年の滞在予定が一気に3年早まり、アメリカへ赴任してから2年後の平成22年7月、念願の帰国となりました。

しかし、帰国はしたものの、まだまだ苦難の日々が待っていました。
帰国後、本社に呼び出された私は、人事部長から「帰国したら、君の希望どおりの工場に戻そうと思ったが、石岡は宗教をやっているということで、国内九拠点のどこも引き取りたがらない。そこで、再びアメリカの別工場に赴任してもらう」と言われたのです。
また、海外の事業所や子会社に赴任する場合は「出向契約書」という契約を結ぶのですが、そこで示された出向契約書というのがとんでもないもので、「宗教の話をして、相手が不快だと言ったら石岡を解雇できる」という内容でした。
このことについて講頭に個人指導をいただき、講頭の指導どおりに、会社側には「その条件は受け入れられない。どうしてもと言うのなら、法廷での闘いも辞さない」と伝えました。すると、人事部長は顔を真っ赤にして怒り、「法律上どうかなんて関係ない! 君の宗教活動が会社の利益にならないのが問題なんだ!」と言ってきました。
しかし、会社側も考えたのでしょう、結局、海外への再赴任は見送りとなり、私は、自宅から遠く離れた本社の勤務となりました。人事部長の監視下に置くつもりだったのだと思います。
高齢の祖父母や病気の母のこともあったので、妻子を実家に残しての単身赴任でした。配属になった本社の品質保証部でも私の噂は広まっており、最初は「とんでもない悪人が来た」「変なやつが来た」と思われていたようです。

その半年後の昨年三月からは、家庭の事情もあり、地元に帰るために転職活動をスタートしました。東日本大地震の影響や、三十代半ばという年齢、さらには派遣社員であった時期を含め、九回も勤務会社が変わっていること等から、大変厳しい転職活動が続きました。
しかし、昨年七月の本部幹部会で講頭から、
「折伏誓願に対して本気になれない人は、御本尊様を生きておられる仏様と思えない人である。本当に仏様と思えるかどうかが試されている」
という指導があり、ハッとしました。私は、いつの間にか転職活動にとらわれ、御本尊様への信を失っていたのです。それを心から恥じ、再び、誓願達成に向けて学会員への訪問折伏や、現在の同僚・上司、かつての会社の同僚、その辺で声をかけた人と、片っ端から折伏していきました。

そうしたところ、突然、予期していなかった形で、願ってもない求人が舞い込みました。
その会社は、本社がアメリカで、ニューヨーク証券取引場に上場する世界的企業でした。しかも、勤務地は、自宅から車で30分ほどの所だったのです。
書類選考を通過し、一次選考は筆記試験に加え、面接三回、述べ六人の面接官と面接を行ないました。選考結果を待つ間も、連日、折伏を行なっていきました。
その後、選考通過の連絡があり、最終選考を受けることとなりました。
最終選考の当日も、面接は午後でしたので、午前中は学会員宅への訪問折伏を行ないました。すると、面接へ向かう道中、「こう聞かれたら、こう答えよう」という対策が頭の中でスッキリとまとまり、実際の面接もとてもうまく進んだのです。
後日、その会社に無事合格となり、その待遇に妻と共に目を丸くしました。土日祝日はもちろん休みですが、基本給は当時勤務してきた会社のほぼ倍でした。
しかも、ポジションは課長補佐で、将来的には百名からの部下をもって仕事をしてもらう、ということで、非常にやりがいのあるものだったのです。入社支度金として40万円もいただきました。
急に開けた境遇に驚くと共に、折伏実践の功徳の絶大さに感激するばかりでした。

さて、転職先が決まった段階で、さっそく勤務中の会社に退職の意思を伝えました。私がいなくなればさぞかし喜ばれるだろう、と思っていたのですが、なんと、課長・部長はじめ上司からは引き止められ、課の皆からは惜しまれ、さんざん嫌がらせをしてきた人事部長でさえ、「どうして退職するのか?」と言い出す始末でした。課長からは「君は人気者だったのに、残念だ」との言葉までいただきました。
この状況に困惑した私は、講中の先輩に報告したところ、「折伏の功徳で状況が変わった証(あかし)だよ」と喜んでいただきました。
昨年の十月より現在の会社に勤務しておりますが、職場環境も前の会社とは比べ物にならないくらい良く、アメリカ駐在の経験や英語力といった、今までのスキルが全て活(い)かせる状況で、毎日楽しく過ごしております。また、憧(あこが)れだった「世界の舞台で活躍するエンジニアになる」という夢も叶いました。
さらに、この御時世、国内企業ですと海外勤務が当たり前のようにありますが、この会社はアメリカの会社なので、アメリカ人がこちらへ駐在することはあっても、我々日本人が海外へ赴任することはほとんどない、という点も、地元に多くの班員を抱える私にとっては好都合です。
現在は上司からも期待され、この三月からは昇進して、100名近い部下を持つ課の課長となり、給与もさらに上がりました。

思えば、社会人になって以来、行く職場行く職場で折伏をさせていただき、それによって、上司から呼び出されての叱責(しっせき)はもちろんのこと、給与面でも冷遇され、自宅から離れた勤務地へ飛ばされ、時には解雇され、時にはいじめにあい、首を絞められたり物を投げつけられたりしたこともありました。
しかし、全て自らの功徳善根になると信じて、喜んで折伏をさせていただいたところ、結果的には、皆から愛される存在になり、良い収入も得られるようになり、職場環境もとても良くなったのです。
折伏による難によって罪障が消滅されて幸せになると教えられてきましたが、今、本当にそのとおりだと実感しております(大拍手)。
初めて社会人になった11年前は、重労働で、給与も安く、休みも少なく、「なぜ、こんな人生なんだろう」といつも思っていたことが夢のようです。
この御恩を忘れず、今後もしっかり御恩返しさせていただくべく精進(しょうじん)してまいります。
ありがとうございました(大拍手)。