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体験発表<平成25年 第35回総会より>脳を損傷する大事故から奇跡の生還!

山本法子さん

私は、祖母の代から創価学会員である家に生まれ、幼い頃には、母から言われてお題目も唱えていました。
しかし、信心の大切さもわからなかった私は、いつしか、すっかり退転状態になってしまったのです。
今から三年前、私は女優になることを志して上京し、当面の生計を立てるために、サービス業に就きました。この、私の勤めたお店で、先輩や上司・同僚が次々と妙観講に入って、日蓮正宗の信仰を始めたばかりか、お客様の中にも講中で信仰をしている方が何人かいらっしゃり、私は、再びこの仏法と巡り合ったのです。
しかし、いくら信心するように勧められても、私は、小さい頃から母に、「他の宗教に入ってはいけない」と言われていたので、頑として首をタテに振らず、四ヶ月間くらい、信心することを拒否し続けていました。
話は少し前後しますが、じつは私は、おととしの一月頃から、イライラやストレスを感じると、リストカットをするようになり、やがて、毎日のように繰り返すようになっていました。
何か少しでもイヤなことがあると、「私なんていなくなれば良い」との思いがつのり、リストカットして真っ赤な血が吹き出すのを見ては、スッとして満足し、睡眠薬を飲んで眠りにつく、という、今思うと恐ろしいストレス発散の方法を身につけてしまっており、それが当たり前になっていたのです。
さらに、その年の夏頃からは、睡眠障害がひどくなり、毎日、睡眠薬と精神安定剤を七錠、多い時には一度に1シートもの薬を飲まなければ、眠れなくなってしまいました。また、突然声が出なくなったりするなどの体の異常に苦しむようになっていきました。

そんな私を、日蓮正宗を信仰している先輩やお客様など、周りの方たちが気遣ってくださり、機会あるごとに、仏法によって救われた方たちの素晴らしい体験などを聞かせてくださいました。そして、私が心を開いて話を聞けるようにと、私の郷里に住む御信徒を紹介くださるなど、手を尽くして折伏し続けてくださいました。
こうした多くの皆さんのお力により、ついに私も「そんなに素晴らしいものならやってみよう」と決意することができ、おととしの十二月、勧誡を受け、妙観講に入講させていただいたのです。(拍手)
最初は、完全な勤行はできませんでしたが、お題目の功徳が素晴らしい、ということを聞いていましたので、毎日、お題目だけは朝晩欠かさず唱えていました。
すると、お題目を唱え始めた頃より、不思議なことが起こりました。
まず、こちらから特に営業をしたわけではないのに、お客様が向こうから来てくださったり、新しいお客様や、以前から知り合いだった方が突然お店に来てくれるなどのことが続きました。
そして、入講してちょうど三ヶ月経った頃、気づいたら、習慣のようになっていたリストカットを全くしなくなっており、薬を飲まなくても眠れるようになっていたのです。
初めは「こんな不思議なことってあるのかな?」との思いでしたが、次々と自分自身の身をもって有難い体験をしましたので、私は、次第に御本尊様のお力のすばらしさを確信することができるようになりました。
以来、私は、先輩から五座・三座の勤行を教えていただいて、キチンと正しい勤行をするようになり、また、友人にも仏法の有り難さをお話し、三人の友人を入信に導くことができました。(拍手)

 

そのようなある日、命をなくすような大事故に遭いながら、命を救っていただく、という大功徳を頂戴したのです。
去年の八月十二日、お盆休みで帰省していた時のことです。
徹夜明けで車を運転していた私は、運転中に突然、意識がなくなってしまい、そのままノーブレーキで水銀灯に衝突して、車を全損させる大事故を起こしてしまったのです。
車はグチャグチャに潰れ、運転席にはさまれている私を、レスキュー隊が救出してくれましたが、私は意識不明の重体で、そのまま病院のICUに運ばれました。
不思議なことに私は、前後の記憶は全くないのですが、衝突の瞬間、大きな声で何べんもお題目を唱えたことだけは覚えています。
病院から、実家の母に連絡が入ったのですが、
「お母さん、落ち着いて聞いてください。娘さんは交通事故で今、ICUにいます。脳挫傷が十箇所、くも膜下出血が四箇所も起きており、たいへん危険な状態です。もし命を取り留めても、このまま意識は戻らないかもしれませんし、仮に意識が戻っても、後遺症で半身不随になることを覚悟しておいてください。ともかく、このまま出血が止まらなければ、頭蓋骨を開いて緊急手術をします」
と言われたそうです。
絶望的な状況でした。
しかし私は、御本尊様の御加護で二日後に意識が戻り、事故を知った先輩に励まされてICUの中でお題目を唱え始めました。また、先輩の手配で、御住職に当病平癒のご祈念もしていただきました。
すると、何ということでしょう、四ヶ所から出続けていた脳の中の出血が、手術することなくピタリと止まり、容態が回復しはじめたのです。
その後、医師から病状について説明を受けたのですが、医師は、CTの画像を見ながら、
「くも膜下出血を起こした四箇所のうち、一箇所は、今回の事故によるものではなく、もともとあったもので、他の三箇所より明らかに大きく、また、脳の中心部にあり、それが原因で運転中に意識がなくなったのでしょう」
と言いました。
私は、くも膜下出血で発作を起こした場合、死に至ることが多い、と聞いていましたから、こうして助かったことは、御本尊様の功徳以外の何ものでもないと思いました。
私は、事故から救っていただいたこと、また、元からあって気付かなかった、くも膜下出血からも救っていただいたことを御本尊様に御礼申し上げ、ベッドの上で、できるかぎりお題目を唱えていきました。

そして、事故から十二日目に撮影したMRIの画像では、なんと、四箇所あったくも膜下出血と、十箇所もあった脳挫傷が全て消えており、医師が、事故直後の写真と何度も見比べて、「ありえないことが起きた。全ての傷が消えている」と言って驚いていました。
そして、事故からわずか二週間後の八月二十六日、無事退院することができ、その数日後には職場に復帰することができたのです。(大拍手)
翌月の九月度のお登山には元気で参加させていただき、大御本尊様に、この命を救っていただいたことを心から御礼申し上げました。
そして、有り難いことに、あれほどの大事故であったにもかかわらず、顔や腕にあった傷も、時間の経過と共に全て消えてしまったのです。
母は、事故の直後には、「もしかしたら助からないかもしれない」と、覚悟を決めたそうですが、私がお題目を唱えることによって劇的に回復を遂げるのを目の当たりにし、さらに先輩や大草講頭から折伏を受けて、学会を脱会し日蓮正宗に帰伏してくれました。(大拍手)
今日も一緒に、この総会に参加しています。(大拍手)
また、その後私は、御本尊様より、さらなる大功徳を頂戴いたしました。
それは、私は、三年前、「芸能界で仕事をしたい」という夢を持って上京したのですが、なかなか思うような仕事に巡り会えず、事務所とのトラブルなどもあって、半ば挫折してしまい、昨年いっぱい頑張ってみてダメならあきらめて故郷に帰ろう、と思っていました。
それが、年末ギリギリになって、ある芸能プロダクションから、「一緒にやってみませんか?」とのお声がかかり、その事務所に所属することが決まったのです。
それからは、話がトントン拍子に進み、週二回の演技レッスンを受けながら、テレビ番組に出演することができるようになり、これまでに十回ほどのテレビ出演の収録が終わっています。
思っても見なかったような形で自分自身が長年願ってきたことが叶い、毎日、御本尊様の功徳を身に感じながら、充実した日々を送っております。
私は、御本尊様に命を救っていただいた上に、自分自身が願ってきた道を開いていただき、この仏法に巡り会えたことが有り難くて有り難くてなりません。
また、この仏法に導いてくださった講頭や先輩方に、心から感謝しております。
昨年、この総会において、一年後には隣にもう一人、新たな友を連れて大御本尊様のもとへ参詣することを、皆さんと共に誓いましたが、今日の総会には、母を含め新たに入信した三人の方々の手を引いて参加することができました。(大拍手)
今後も勤行・唱題に励み、この信仰を生涯貫いて、一人でも多くの方に、御本尊様のすばらしさをお伝えしていきたいと思います。
ありがとうございました。(大拍手)