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体験発表<令和5年 第45回総会より>折伏で罪障消滅し、経営する店が大繁盛店に!

原 靖宏さん

私は、北海道でメガネ店を営む両親のもとに生まれました。そして、今から四十年前、十九歳の時に、家業を継ぐ準備として、上京して専門学校に通いながら、東京中野のメガネ店で働きはじめました。ところが、その中で、鬱(うつ)や神経症のような症状と、慢性的な体調不振に苦しむようになり、時には自殺まで考えるほどになったのです。

そんな状態であった昭和六十三年、友人から折伏され、日蓮正宗に入信することができました。そして、毎日、勤行を行なっていったところ、それまで感じたことのない清々しさを覚え、まるで生き返ったかのように、心身ともに健康になったのです。私は、この体験によって、この仏法は本物なのだと確信し、折伏もするようになりました。

しかし

「法華経を信ずる人は冬のごとし」

(御書八三二頁)

と仰せのとおり、折伏に対する反発は大変なものでした。専門学校の同級生達から総スカンを食らい、学校側から厳しく注意を受け、職場の先輩からはイジメられ、実家にまで苦情が殺到して、父が上京して謝罪に回る事態にまでなって、一時は、激怒した両親から勘当を言い渡されてしまいました。しかし、折伏によって受ける苦しみは、全て自分の中の罪障が絞り出され、消えていく途上の姿なのだ、との指導を信じ、信仰が揺らぐことはありませんでした。

そのような最中にあった平成二年暮れ、創価学会問題が勃発しました。日蓮正宗を激しく攻撃する創価学会の謗法行為に対し、大草講頭は

「この命ある限り、たとえ、矢尽き刀折れようとも、三宝厳護の御奉公を貫き通そう」

と言われ、何としても総本山をお守りし、学会員を折伏すべく、私達に決起を促されました。この大方針のもと、私も、当時、住んでいた中野区全域の学会員を探し出して、折伏して回りました。

その反動は凄まじいものでした。学会男子部によって、毎日のように、自宅から職場への行き帰りを尾行され、家に帰れば、そこにも男子部が待ち構えているという状況で、あまりの異常な嫌がらせに身の危険を感じたこともありました。また、営業中の勤務先にも、大勢の学会男子部が押しかけては騒ぐ、ということが続き、職場に対して本当に申し訳なく、居たたまれない思いも味わいました。しかし、このような、折伏に対する嫌がらせが、本当に自分自身の大功徳となっていたことは、その後の人生に歴然と現われました。

日蓮大聖人様は

「仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱(じょくらん)せり。仏法は体(たい)のごとし。世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり」

(御書一四六九頁)

と御教示くださっていますが、この創価学会の大謗法が国中に蔓延したことで、日本はバブル経済が崩壊し、かつてない大不況時代に突入しました。その煽りを受けて、私の勤務する眼鏡店も日を追って売上が激減していき、私は、その状況を何とか打開できないものかと、必死で御本尊様に祈っていきました。そして、素人ながら店のホームページを作って、当時、普及し始めたインターネットを活用して販売促進に取り組んでいきました。

そのホームページで、一般の眼鏡店ではあまり扱わないメガネ、たとえば、強い近視で悩んでいる人のための、度の強いメガネを、なるべく薄く軽くするメガネフレームや、大柄な人でも掛けられる、特注の大きなメガネフレーム、さらに、どんな顔にも合わせられる丸メガネなど、特化した商品と技術をアピールして宣伝していったのです。

その結果、来店するお客様がどんどん減っていく一方、インターネット経由の売上は鰻登りに伸びて、店全体の売上げの五割以上に達するまでになりました。インターネットという性質上、離れた地域からも新規の顧客をつかむことができ、しかも、特殊なメガネを扱うことで、安売りせずに利益を出すことができて、会社に大きく貢献することとなり、職場では私の信仰のことも認めてくれるようになりました。

一方、日本経済が低迷していく中で、私の郷里では、とても商売が成り立つ状況ではなくなってしまい、家業を継ぐことは断念せざるを得なくなりました。また、メガネ業界全体も、不況の煽りを受けて、小売店は次々と廃業に追いやられ、大手メーカーや卸売業者までが倒産するという、先行きの見えない状況になっていました。

こうした中、私は、これからも、品質本意でこの仕事を一生続けていこう、との思いから、独立開業を決意しました。これには、両親、妻、仕事上で付き合いのあった全ての人々から反対されました。経済は完全に冷え込み、顧客もゼロからのスタートという状況に、皆、口を揃えて無謀だと言ってきたのですが、私は、困難であっても、しっかりと仏道修行に励んで成し遂げてみせる、と決意したのです。

そして入信から二十一年が経過した平成二十年二月、東京の西荻窪駅から徒歩三分、妙観講本部から徒歩五分の場所にメガネ店を開業しました。そして、事業の成功を願って、ひたすら唱題し折伏に励んでいきました。すると、周囲の心配をよそに、開店した店は、最初の月から予想を上回る売り上げとなり、二ヶ月を過ぎた頃には、通常のメガネ店の倍以上の客単価で商売が回り出したのです。この結果に、周囲は皆、驚いていましたが、私は、かつての、折伏に対する猛反発、学会員による執拗(しつよう)な嫌がらせによって、一分でも罪障消滅ができた結果であると確信し、御本尊様に心から御礼申し上げました。

その後、令和元年には、突如、インターネット上で私の店が検索されなくなって、これまでに経験したことのない業績悪化に陥り、倒産を危惧したこともありましたが、必死に唱題し折伏をしていったところ、ネット上の不具合が解決して、業績を回復することができました。やはり、仏法を根本にしていくところに、御仏智による御加護が働くのだ、ということを確信した次第です。

また、この頃には、開業時の借り入れも全て返済できて、無借金経営となっていました。そして、いよいよこれから、という時に、新型コロナウイルスの爆発的感染が始まり、外出の自粛によって、客足はぱったりと途絶えてしまったのです。こればかりは自分の力でどうすることもできませんでしたので、私は、仕事の激減によってできた時間を使って、それまで以上に唱題し、それまで以上に折伏に励んで、月々に支区の折伏誓願を果たしていきました。

世間では、新型コロナウィルスの蔓延で恐怖や不安が渦巻いていましたが、私は、安心感をもって、精いっぱい仏道修行に励んでいきました。そうしたところ、不思議なことに、業績は次第に回復し始め、オミクロン株が猛威を振るった昨年三月には、過去最高に迫る売上となったのです。とはいえ、いまだ疫病が収束する気配のない中、今度は、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発し、それに伴って物価が上昇して、私たちの生活にも大きな影響が出始めました。

まさに『立正安国論』に示される三災七難の現出ですが、そのような世の中にあっても、大聖人が

「日蓮が一類こそ歎(なげ)きの中に悦び候へ」

(御書九一〇頁)

と仰せのように、私達の人生は厳然と守られていくことを、事実をもって体験させていただきました。

昨年九月、テレビ東京の『アド街ック天国』という番組から、西荻窪を特集するので私の店を取材をさせて欲しい、との話が舞い込んできたのです。最初は乗り気ではなかったのですが、テレビの影響力を考えると、よい宣伝になって新規の顧客も取り込むことがでできると思い、私は、取材を受けることにしました。

『アド街ック天国』という番組は、対象地域の名物や面白いものを、順位をつけて紹介する番組で、東京では、土曜日の夜九時というゴールデンタイムに放送されている人気番組です。その番組の中で、私の店は、丸メガネの店として紹介されました。私の店では、一般のお店では有り得ないほど多種多様な丸メガネを揃えていることから、その珍しさを強調する形で撮影が行なわれました。その映像は、昨年十一月五日に放送されたのですが、その結果、とんでもない反響が起きたのです。

放送の翌日、店には、開店から閉店まで、途切れることなくお客様が来店し、丸メガネが飛ぶように売れていきました。さらに、その後も、この番組が全国で放送されたことと、インターネットの口コミによって、北海道から沖縄まで日本全国から問い合わせが殺到し、昨年の十一月から連日、すき間なく来店予約が埋まってしまい、放映から八か月が経過した今日なお、その状態が続いています。あまりの忙しさに、帰宅するのが毎日、午前三時、四時という状況で、このような場合、世間では多忙から精神的に病んでしまう人も多いようですが、私は、そのようなこともなく、元気に仕事ができており、唱題の有り難さを痛感しています。

また妻は、私がどんなに遅くなっても、温かい食事を用意して待っていてくれます。一緒になって三十年、共に信仰し、学会員が押しかけてきた時も動じることなく家を守り、留守の多い私に文句も言わずに二人の子供を育てて、私を支えてくれました。本当にありがたく思っています。

現在、日本中が謗法の果報による三災七難に苛まれ、これまで、私の折伏に反対してきた同業者の中には、経営悪化や、心身の健康を害したことから、会社を潰してしまった人が何人もいます。かつて私の折伏を妨害してきた専門学校は、その後、資産運用に失敗して巨額の損失を出し、学校自体が消滅してしまいました。こうして振り返ってみると、本当に、この仏法を信ずるか謗ずるで、人生の幸・不幸が分かれてしまうのです。

この尊い大仏法を堅く信受し、これからも折伏第一で与同罪を免れ、妙観講が誓願した五つの大誓願を果たしてまいります。

ありがとうございました。(大拍手)