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体験発表<令和5年 第45回総会より>顕正会を脱会し、今、蔵と身と心の財を獲得

森本 芳美さん

皆さん、こんにちは。高知からまいりました森本芳美です。私は、平成三年に異流義団体顕正会に入会し、以後八年間、熱心に活動してしまいました。

当時の顕正会は、すでに日蓮正宗からは追放され、全く関係ない団体になっているにも関わらず、勝手に「日蓮正宗顕正会」と名乗っており、会長の浅井昭衛は、「日蓮正宗の血脈はけっして断絶していない」と主張し、もっぱら創価学会を責めていたため、私は、顕正会は日蓮大聖人の仏法を正しく行じている団体だと信じてしまいました。また、浅井は、やれ「中国が攻めて来る」だの「小田原地震は今年中に必ず起こる」だの、恐怖をあおるような予言を連発するのですが、それらがことごとく外れても、「顕正会の闘いがその不幸をはねのけたのだ」などとまことしやかに言うものですから、私を含め仏法の道理に暗い会員達は、皆、それを信じてしまっていました。

私は、まるでゲームで得点を挙げるような感覚で、当時経営していた喫茶店の客や出入り業者、友人、知人を次々と勧誘して入会させました。成果が上がると組織内の評価が上がっていきますので、私はどんどん活動にのめり込んでいったのです。そして、最終的には婦人部幹事に任命され、二ヶ月に一度くらいの割合で高知から上京して顕正会本部での幹部会に参加し、また、普段は高知会館での日曜勤行に欠かさず参加し、会館で行なわれるビデオ放映には会員を参加させるため必死で送迎をしました。

顕正会では、平成八年十二月に「日蓮正宗顕正会」から「冨士大石寺顕正会」に名前を変え、平成十年になって総本山大石寺の正本堂が解体されると、何を勘違いしたのか、「正本堂が取り壊されたのは顕正会の正義が受け入れられたからだ。これからは登山できるようになるし、幹部は常住御本尊様がいただけるようになる」などと大喜びで言っていましたが、待てど暮らせど、いっこうにそのような気配はありません。だんだんと不信感が募る中、突如、高知会館の本尊が真新しい本尊に入れ替わったのです。さすがに、「これはおかしい。どう見ても最近作ったニセモノではないか」と思った私は、その疑問を先輩に話しました。すると顕正会は、私にいきなり「出入り禁止」を言い渡してきたのです。平成十一年の夏のことでした。

このような経緯で、私は顕正会から離れましたが、間違っている顕正会で八年間にもわたって罪障を積んでしまったため、当時、私が経営していた喫茶店は客が激減して閉店せざるを得なくなり、生活のために始めた生命保険の仕事では、任された任を全うできずに社内の組織をつぶしてしまい、私生活でも金遣いが荒く、カードで次々と買い物をしてはローンの支払いに追われる、という、経済的にも精神的にも余裕のない日々を送るはめになってしまったのです。

こうして十年以上が経過した平成二十二年の初め、たまたま買い物に行ったスーパーで、すでに顕正会を辞めて妙観講員となっていた明神さんにバッタリ会い、折伏を受けました。そして数ヶ月にわたる明神さんの粘り強い折伏によって、平成二十二年六月、日蓮正宗に帰伏することができたのです。

入信後は、毎日正しい勤行唱題に励み、その年の十月に御本尊様を自宅にお迎えすると、八方塞(ふさ)がりだった金銭的な問題が、不思議な形で次々と解決していきました。これが本物の御本尊様の功徳なのだ!すごい!と感激した私は、入信当時は「絶対にしない」と断言していた折伏を、したくてしたくてたまらなくなったのです。そして、顕正会時代の知り合い、仕事関係の人、知人、友人等、機会を見つけては折伏し、これまでに六十名ほどの方が入信し、その中から班長さんも三名輩出いたしました。

総本山大石寺へ登山し、初めて本門戒壇の大御本尊様にお目通りが叶った時には、次から次へと涙があふれ出てきて、身体中の毒が一気に洗い流されたような爽快感(そうかいかん)を味わいました。あの時の、たとえようのない、命が震えるような深い感動は、一生忘れません。

そして、講中の指導に添って仏道修行に励んでくる中、仕事上でも御本尊様の御加護を頂戴しました。保険の営業の仕事において、ずっと一定の成績を出し続け、評価もいただけて、五十五才の時点でマネージャーとして返り咲き、それなりの手当もいただきながら、定年まで第一線で働いてくることができたのです。このようなことは、御本尊様の功徳なくしてはあり得ません。おかげで、一時はローンに追われ、精神的にも余裕がなくなっていた生活からも脱出でき、以前とは比べものにならないくらい、穏やかな毎日を送れるようになりました。

これだけでも本当に有り難いことですが、さらに命も守っていただきました。本年一月十三日のことです。朝起きると、ひどい目眩(めまい)と吐き気があり、コロナに感染したかと思い、病院に行きました。検査の結果、コロナではなかったのですが、その時、ほんのついでに受けたCT検査で、大きな大動脈瘤が見つかったのです。

大動脈は、心臓から体の中心を通っている一番大きな血管ですが、腹部の大動脈に大きなコブができていたのです。じつは私は、数年前の検査で、一センチほどの動脈瘤があることはわかっていたのですが、その時は「このくらいの大きさなら、とくに問題はありません」との診断でしたので、あまり深刻に考えず、検査もせずに過ごしていました。この病気は、自覚症状が全くなく、通常の健康診断では把握できないため、コブが大きくなっていることに気づかずにいると、いきなり血管が破裂して大量出血となり、救急搬送されても亡くなってしまう方が多い、とのことです。通常、コブの大きさが四センチを超えると手術をしなければならないそうですが、私のコブは、すでに直径が四・五センチ×五・五センチもあったため、CT画像を見ていた医師は、「これは大変だ!いつ破裂してもおかしくない大きさになっている。すぐ手術をしなければ命の保証ができません!」と血相を変えて、私への説明もろくにせずに、心臓血管外科医のいる専門病院に連絡を取り始めました。

その時の医師の口調と、紹介状を手配する事務局長の慌ただしい対応の仕方に、私は、もしかしたら大変な事態なのかも?との思いも頭をよぎりましたが、全く自覚症状がなかったため、そこまで命に危険が迫っているなどという実感がなかったのです。

四日後に、紹介された総合病院を受診し、さまざまな検査を受けたのですが、担当医師からは、「すでに手術日を決めてあります」と言われました。医師によると、膨らみ切った私の大動脈は、壁がとても薄い状態になっており、さらに動脈硬化を起こしていて、血管の半分が塞(ふさ)がっている状態である、とのこと。開腹して、痛んだ血管を切り取り、人工血管に入れ換える手術をする、との説明を受けました。また、「普通、大動脈瘤と言われてこの総合病院を紹介されたら、ある程度の覚悟をして家族と一緒に来るのだけれど、あなたは誰も連れずに一人で来たのか」と呆れられました。それほど危険な状態だったのです。

吉尾部長に状況を報告し、御住職様に当病平癒の御祈念をお願いしていただきました。そして、一月二十一日入院、二十三日手術となり、手術前の説明では、私がリウマチの治療薬を複数飲んでいるためリスクが高いこと、手術中に亡くなる方もいること、また、手術は成功してもさまざまな感染症を起こしてそのために死亡するケースもあることなど、かなり厳しい話がありました。しかし私は、全てを御本尊様にお任せしよう、必ず生きて帰るのだ、と思って唱題を重ねてきましたので、不思議と恐怖感はありませんでした。

手術はとても順調で、四時間の予定が二時間半で終わりました。ICUで目が覚めた時、医師から「もう、大丈夫ですよ!早く手術ができて良かったですね!安心してください」と声を掛けられ、「ああ、生きて帰ってこられた!」と、御本尊様に心より御礼申し上げました。術後に心配された感染症もなく、二週間を予定していた入院も十日で退院することができました。御住職様の御祈念と、同志の皆さまの御祈念により、御本尊様のお力をいただけたのだと、有り難く思います。

振り返ればあの日、ひどい目眩と吐き気に襲われなければ、病院に行こうとは思いませんでした。結局、目眩と吐き気の原因はわからず、現在はそういう症状は全くありませんので、まさに御本尊様が破裂寸前の大動脈瘤の存在を教えるために起こしてくださった、という以外、考えられません。この御恩は、一生掛けて御本尊様にお返ししていく決意です。

私は、妙観講で正しい信心ができるようになって、顕正会時代には味わえなかった喜びを感じています。というのは、班員さんの身にも次々と御本尊様の功徳が顕われ、幸せになってきており、それを心から嬉しく思える、そういう自分がいるのです。数を競い、浅井に認めてもらうために活動することが常だった顕正会の時には、こんな喜びを感じたことはありません。

私が、このように御本尊様の功徳を頂戴して生きてこられたのも、正しい師匠がおられ、正しい講中があり、講頭や先輩方の信心に守られ導いていただいたおかげである、と感謝の思いでいっぱいです。今後は、妙観講が掲げる令和十七年までの目標達成を目指して、さらに精進していこう、と決意を新たにしております。

ありがとうございました。(大拍手)