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体験発表<令和4年 第44回総会より>学会を折伏しぬいた父の功徳、その果報が一家の上に顕現

杉山 貴美子さん

私は創価学会員である両親のもとに生まれましたが、七歳の時に両親が離婚し、私は父に引き取られて育ちました。そして、両親が離婚した翌年の平成三年、創価学会が日蓮正宗に反逆して大謗法団体となった時、父は意を決して創価学会を脱会し、妙観講に入講させていただきました。以来、私たち親子は妙観講の一員として御本尊様の御照覧のもとに、今日まで生きてきました。本日は、その父・近藤晋と私の体験を発表させていただきます。

創価学会を脱会した当時、父は町田でレストランを経営しており、お客さんの大半が学会員でした。父にとっては全てをかけて経営してきた大切なお店であり、もし学会を脱会したらどうなるかは、容易に想像がつきましたが、それでも父は、お客さんを失うことをも覚悟して、創価学会を脱会したのです。その結果、学会員のお客さんは一人も来店しなくなり、そこに追い打ちをかけるかのように、当時のバブル経済が崩壊して、お店の売上は激減してしまいました。

この時、窮地に陥った父の大きな支えとなったのが、大草講頭の指導でした。講頭は大聖人様の御書を引いて、「近藤さんは、正しい信心を貫くために脱会し、そのために今、冬のような厳しい状態になっているわけです。それは、自分の過去遠々劫からの謗法の罪障が絞り出されているのです。ここで屈することなく信念を貫くなら、必ず春が来て、安楽な生活となります。どうか、それまで、しっかり頑張ってください」と励ましてくださったそうです。学会時代には聞いたこともない、御金言に基づく、理に適った指導に、父はただただ感激し、心から納得して、屈することなく信心を貫く覚悟を固めました。

そして、お店の周囲に住む学会員達を折伏していったのですが、その結果、ひどい嫌がらせを受けて、営業中のお店に、学会の幹部達が徒党を組んで押しかけてくることも度々で、お店の営業は苦境に陥りました。しかし父は、怯むことなく折伏を続けていったのです。

その当時の経済状態は本当に厳しいもので、父は、健康保険料すら納めることができず、かねてから患っていたC型肝炎の治療のための病院に行くこともできませんでした。しかし父は、そんな状況を嘆くこともなく、お店の営業を終えた後に、他の飲食店で夜中までアルバイトをして家計を支えてくれました。そこまでして正しい信心を貫く父を、御本尊様が守ってくださったのでしょう。父のC型肝炎は完治し、生活もギリギリのところで守られて、私も大学まで行かせてもらうことができました。

私は大学卒業後、中堅の不動産会社に就職したのですが、奨学金の返済や、父のお店への補てんもあって、まだまだ我が家は不自由な経済状態でした。私が、心がけて折伏するようになったのは、この頃からだったと思います。講中の会合で折伏の大功徳を聞いた私は、勧められるまま、必死になって上司や同僚達を折伏していきました。すると、どうでしょう!まだ駆け出しだった私の営業で、七千万円もする高額なマンションが次々と売れていったのです。これには会社でも驚かれ、私には「七千万円の女」などというニックネームが付いたほどでした。

しかし、その後、会社自体は経営不振となり、とうとう倒産寸前となっていきました。会社が倒産となれば、私も職を失うこととなりますが、この時、急転直下、会社が業界最大手の不動産会社に吸収合併され、私は、その大手不動産会社の社員となって、失職を免れることができたのです。それは、まさに折伏の功徳によるもので、御本尊様に心からお礼申し上げました。

しかし、このように有り難い功徳をいただいたにも拘わらず、その後の私は、すっかり信心が弛んでいきました。もともと、父が毅然として信念を貫く人だったのに対し、私はといえば、周囲の人から悪く思われたくないという臆病な心が人一倍強く、折伏をした相手が怒って席を立とうものなら、いつも狼狽して顔面蒼白になっていました。それが罪障消滅になる、という折伏の功徳を心から信じることができなかったのです。また、仏法の道理が全く心に染まらず、本部講習会では「信心しているのに、何故、苦しいことや辛いことが起きてくるのでしょうか?辛いことは起きない方がいいのではないか、と思ってしまうのですが」などと質問して、講頭から「入信して何年も経つのに、まだ、それがわかりませんか?」と叱られ、そのやり取りが『質問会集』に載ることもあったほどでした。

その上、家の経済苦を嘆いて愚痴っては、中林支部長から注意されていたのですが、その挙げ句、「学会の副会長の娘が高級マンションに住んでいるのがうらやましい」などと、謗法の人の一時の豊かさをうらやむ発言までしてしまったのです。そのような浮薄な信心で、幸せになれるはずがありません。

今から三年前のこと、私の人生上に、大きな行き詰まりが生じてしまったのです。その時、人生が終わってしまったかのように悲観し、どうしたら良いのか分からなくなった私は、支部長のところに行って、起きたことの全てを泣きながら報告しました。支部長は、驚き呆れながらも、親身になって話を聞き、諭してくださいました。本当に有り難く、その一言一言が心に突き刺さりました。

この時、私は、自分の愚かさを、嫌というほど思い知りました。私は、その日を境に、臆病だった信心を心から恥じて、「本当の折伏ができますように」「罪障消滅のできる折伏ができますように」と祈っては、会社の上司・同僚、子供のママ友、マンションの人達を端から折伏していくようになりました。臆病な本質はなかなか変わらず、直属の上司を折伏しようと決意した時には、口から心臓が飛び出しそうなほど緊張しましたが、それでも、与同罪の方が怖いのだと自分に言い聞かせて、仏法講演会にお連れし折伏しました。毎回、毎回、御本尊様に縋りついて唱題し、勇気をいただいて折伏をしてきました。

こうして、気がつけば、職場の上司や同僚を五十人、さらに、ママ友や学生時代の同級生、同じマンションに住む人達を五十人ほど折伏してくることができました。折伏した人達からは嫌な顔をされ、社内でも噂になりましたが、そんな中でも四十人の人達を入信に導くことができました。(大拍手)

その結果、解決できるはずがないと思っていた人生上の行き詰りを乗り越えることができたばかりか、仕事上にも大きな功徳をいただくこととなったのです。というのも、私は、平成二十七年に本社で立ち上げた新規事業に異動となったのですが、そこで御本尊様の御加護により、目標を大きく上回る営業成績を出し続けることができ、三年後にはリーダーに抜擢され、さらに昨年四月、これまでの実績が評価されて、グループマネージャーという管理職に昇格することができたのです。これは社内でも異例な速さでの昇進でした。

そして、これに伴なって、一千万円もの年収が得られるようになり、かつての経済苦からは考えられないような恵まれた生活ができるようになったのです。こうして、経済的にすっかり安定したことに伴い、先輩方の勧めもあって、私は、父と同居することにしました。主人に相談したところ、快く同意してくれ、昨年秋、西荻窪の妙観講本部からバスで五分ほどの我が家に父を迎える運びとなりました。父は、私が結婚して家を出てからも、学会員の嫌がらせの中、たった一人でお店を守り、町田に住む班員さん達を守ってきましたが、高齢になって、心身ともに衰え、本部に足を運ぶことも少なくなってきていましたので、この同居は何よりのことでした。

同居後は、小学五年になる息子が、毎日のように、父を連れて本部に行っては夕の勤行をし、共に会合にも参加できています。こうして父は、毎日、本部の常住御本尊様を拝して勤行をして、居合わせた皆さんから声をかけていただき、家では主人や息子から大切にされて、元気を取り戻してきました。そして、町田に住んでいた頃の友人を本部に連れ出して、折伏をするまでになったのです。

顧みれば三十年前、学会を脱会してからというもの、父の人生は苦労の連続でした。しかし父は「冬は必ず春となる」という大聖人様の御金言を信じて信心を貫いてきました。その大功徳が、ここに来て結実したように思えてなりません。そう考えると、信心惰弱で、何の力もない私が、どうして仕事上で成功できたのか、不思議でならなかったのですが、それは、まさに、父の功徳によってもたらされた現証だったのだと思います。

また、そんな父の影響もあったのでしょう。息子は、自ら志して毎日五十分の唱題に励むようになり、会合にも積極的に参加して、今年は教学試験にも合格することができました。春に学校行事の合宿に参加した時には、他の多くの児童がいる中でもしっかりと勤行をすることができ、「お坊さんになるの?」と聞かれたそうです。最近は、成績も目覚ましく上がって、塾のテストでも算数で満点を取って二千人中、一位になり、全教科総合得点でも十八位になってしまいました。この結果には、本人もとても驚き、「テストの最中にわからない問題が三つあったんだけど、心の中で唱題したら、不思議と答えがわかったんだ!」と嬉しそうに話す姿に、父の信心が息子の中に受け継がれてきていることを感じて、有り難く思いました。

また、父との離婚によって別れて暮らすことになった母も、その後、創価学会を脱会して日蓮正宗に帰伏し、親しく会える関係となりました。

こうして、大聖人様が

「妙とは蘇生の義なり」(御書三〇六㌻)

と仰せのとおり、今では、父・主人・息子、皆が御本尊様への信心を根本に、蘇生し、心を通わせ、支え合う家族となることができました。これも、ひとえに父が信念をもって創価学会を脱会し正しい信心の道筋を付けてくれたからだと思い、今は、父への感謝の思いでいっぱいです。

また私は、これまで、辛かった時、つまずいた時、いつも講中の先輩方から励まし支えていただいてきました。仕事上の問題、家族との問題、信心上での行き詰まりなどについて、いつも先輩方から適切な指導をいただいたおかげで、対処を誤ることなく、問題を乗り越えてくることができました。本当に稀有な、有り難い講中であり、信心は、けっして一人ではできないと実感しています。

今後も、示される指導・方針に基づいて素直に信仰し、日々の真剣な唱題を根本に、与同罪を免れ罪障消滅のできる折伏を実践してまいります。

ありがとうございました。(大拍手)