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誰にでもわかる創価学会のあやまり

創価学会版ニセ本尊の正体

形だけは本物に似ているが!?

日蓮正宗から破門された創価学会では、宗門より御本尊が戴(いただ)けなくなったため、平成五年以降、ついに自前の本尊を発行するにいたりました。 この学会製・本尊は、日蓮正宗第二十六世日寛上人がお認(したた)めになった御本尊を、好き勝手に改ざんした上で、大量にコピーした「ニセ本尊」です。

姿形だけは日蓮正宗の本物の御本尊に似ていますから、これがニセ本尊であることに気付かない学会員が多く、学会幹部の「新しい御本尊と交換しましょう」などというウソに騙(だま)されて、本物の御本尊をニセ本尊と取り替えてしまった人々が多数おられます(学会に回収された本物の御本尊は、まとめて御不敬され、一体として宗門に返納されていません)。

しかし、このような大謗法を犯して、まともで済むはずがありません。
御本尊の右肩に、「悩乱する者は頭(こうべ)破れて七分となる」 とありますように、大切な御本尊を手放して御不敬され、替わって悪鬼魔神のニセ本尊を祀(まつ)っているような人は、頭破七分・堕地獄(だじごく)は疑いないところであります。

また、日本中で、数百万体の本物の御本尊が大量に御不敬され、同時に、数百万体ものニセ本尊が流布したのですから、日本はまさに大謗法の国土となってしまい、その仏罰で、地震・噴火・大不況・凶悪犯罪の多発といった、三災七難が頻発(ひんぱつ)しているのであります。

ここで、もう一度、ニセ本尊のニセ本尊たる所以(ゆえん)を述べておきましょう。 ①日寛上人は、日蓮正宗大石寺の第二十六世であられ、創価学会の歴代でもなければ、宗門を離脱した寺院の歴代でもありません。それを、日蓮正宗大石寺の許しもなく、勝手に日寛上人書写の御本尊を利用する、ということは、まさに法盗人(ぬすっと)の行為であり、学会の本尊は〝泥棒(どろぼう)本尊〟です。

②御本尊は、唯授一人の相伝による開眼(かいげん)の御祈念がなされないかぎり、本門戒壇の大御本尊からの血脈がつながりません。学会は、「開眼など必要ない」と言いますが、それなら、自分達で勝手に御本尊をコピー(複製)して、いくらでも御本尊を作れることになってしまいます。こんな無開眼の〝コピー本尊〟を拝(おが)めますか。

③学会では、日寛上人の御本尊に認(したた)められてあった「下野国小薬邑本如山淨圓寺 大行阿闍梨本證坊日證 授与之」という授与書きを削除(さくじょ)し、さらに中央首題・梵(ぼん)字・四天王などの文字を、太くしたり伸ばしたりして、勝手に加筆しました。これは、まさに〝変造本尊〟です。

およそ、以上のような理由で、学会発行の本尊は大謗法のニセ本尊だというのであります。 もし、知らずにニセ本尊に替えてしまった方は、今後はニセ本尊に手を合わせることなく、即刻、謗法払いしてください。そして、本物の御本尊を御不敬してしまった罪障(ざいしょう)を消滅するために、固い決意をもって日蓮正宗に帰伏すべきであります。

学会はニセ本尊造りの常習犯

お守り御本尊まで拡大して彫刻

現在、創価学会では自前のニセ本尊を発行していますが、その言い訳として、「日蓮正宗宗門から破門されて御本尊が戴(いただ)けなくなってしまったため、やむなく自前でニセ本尊を造(つく)らざるをえなくなったのだ。だから悪いのは宗門だ」等という、手前勝手な主張をしています。

しかし、学会のニセ本尊造りは今に始まったことではなく、今日の調査では、遅くとも昭和四十八年十二月の時点で、すでにニセ本尊(板本尊)が造られて、東京・信濃町の文化会館七階に安置されていたことが判明しています。 その後、昭和五十二年までに、次々とニセ本尊(板本尊)が造られ、各地の学会施設に安置されていきました。 要するに、池田創価学会はニセ本尊造りの常習犯だったのです。

学会では、これらの事実を隠蔽(いんぺい)すべく、「すべて日達上人の許可を得て、痛んできた紙幅(しふく)の常住(じょうじゅう)御本尊を、板御本尊として御謹刻したもの」などと言っていますが、当時、日達上人は
「こちらが許可していない分(の板本尊)は取り上げて、注意をしました」(『大日蓮』昭和五十四年七月号) と仰せられ、七体のニセ本尊(当時、判明しただけでも、七体の板本尊が勝手に模造されていた)を総本山で取り上げたのです。

その時は学会側が陳謝したため、宗門として大慈悲をもって見守ることとなりましたが、それから十五年を経(へ)た平成五年、学会はまたぞろニセ本尊造りに手を染(そ)めました。 かつて、ニセの板本尊を造ったことのある極悪人共ですから、紙幅のニセ本尊を造ることについて、あらためて何のためらいを感じることもなかったでしょう。 もはや、度(ど)し難(がた)い、大謗法団体であります。
さて、ここで、学会が造ったニセ板本尊のうち、無茶苦茶な一例を紹介しておきましょう。

写真は、昭和五十一年十月、池田大作(当時・三代会長)が自ら出向いて、東北総合研修所内の牧口記念館に安置してきたニセ板本尊ですが、なんと、これは、昭和二十六年五月三日、六十四世日昇上人から池田大作個人が賜(たま)わった御守り御本尊(もちろん紙幅)を、勝手に写真に撮(と)って拡大し、板本尊に造り変えたものだったのです。

そもそも御守り御本尊とは、日蓮大聖人が  「先日のまぼ(守)り暫時(ざんじ)も身をはなさずたもち給(たま)へ」 (御書六八五頁) と仰せのように、我が身に携帯して御守護申し上げる御本尊であり、安置して皆に拝(おが)ませるべき御本尊ではありません。ましてや、拡大した上に、板本尊に変造するとは……。

池田大作は、このニセ本尊を安置した理由について、  「東北を厳然と守りたい。なかなか(自分が)おじゃまできないので、この研修所に御安置しておきたい。そういう意味で、小さい御本尊を東北創価学会の続くかぎり、この記念館にご安置申し上げて、皆さん方を守りたい、とお待ちしました」(昭和五十一年十月二十七日) と述べています。要するに、自分の身代わりにこのニセ本尊を安置して、厳然と東北を守る、というのですから、池田は、自分と御本尊とを対等と見なしていた、ということであります。学会員さん、これでも池田センセーに誤りはなかった、などというのですか。

正本堂解体に至った真相

池田本仏論の依り処とされた建物

創価学会では、日蓮正宗が正本堂解体に踏みきったことについて、「日顕(上人)が先師日達上人の偉業に嫉妬(しっと)して、日達上人の代に建てられた正本堂を壊(こわ)したのだ。これは正本堂建立御供養に参加した、民衆の心を踏みにじる暴挙だ」 等と言っています。 そこで、正本堂解体に至った理由を、簡潔(かんけつ)に説明しておきましょう。

日蓮大聖人の御金言(『三大秘法抄』と『一期弘法抄』)には、「広宣流布が達成された暁(あかつき)に、富士山の麓(ふもと)に本門戒壇を建立すべきである」 との仰せがありますが、昭和四十年当時の創価学会が中心となって発願(ほつがん)した正本堂は、まさに、未来に広宣流布が達成された時の戒壇たらんことを願って、着工した堂宇(どうう)でした。 この正本堂に対する池田創価学会の執着、思い入れには、当初より異常なものがありました。

昭和四十二年十月の建立発願式で、池田大作(当時・会長)は「詮(せん)ずる所、正本堂の完成をもって、三大秘法ここに成就(じょうじゅ)し」云々と言っていますが、後からこれを説明するかのような形で、北条浩(当時・理事長兼副会長)も 「すでに大聖人御在世中に、慧(え)たる本門の題目、定(じょう)たる本門の本尊は建立された。そして、ただ戒(かい)たる本門の戒壇のみが『時を待つべきのみ』と後世に残された。(中略)ここに正本堂建立が、三大秘法の完結を意味するという、仏法上重要な意義を考え」云々(『大白蓮華』昭和四十五年五月号) と述べています。

この意味は、「大聖人は、御在世中に本門の本尊と本門の題目は顕(あら)わされたが、本門の戒壇だけは顕わされなかった。それを、七百年後の今日、池田大作率(ひき)いる創価学会が出現して、本門の戒壇を建立する。これによって三大秘法が完結するのだ」 というものであり、このことから、彼らが言わんとしたのは、「大聖人ですら顕わすことのできなかった本門の戒壇を、池田センセーが建立される。したがって、池田センセーは大聖人よりも勝(すぐ)れる仏である」 との〝池田会長本仏論〟でした(事実、当時の学会内には、そうした指導が流されていました)。  要するに池田創価学会にとって、正本堂=本門戒壇の建立は、〝池田大作が大聖人をも凌(しの)ぐ仏である〟という池田本仏論の現証として「重要な意義」をもっていたのであり、これこそ、彼らが正本堂に異常に執着した、その最大の理由だったのです。

しかし、正本堂が完成した昭和四十七年、日達上人は訓諭(くんゆ=日蓮正宗における公式決定)を発せられ、現時にあっては、いまだ謗法の徒(と)多きが故に、広宣流布の達成には至っていない、したがって現時点における正本堂は、未来の広宣流布の暁に本門戒壇たることが期待される堂宇である旨、御示しになりました。

これでは、正本堂がただちに本門戒壇建立とならないため、不満を抱いた池田大作は、正本堂完成後、日達上人及び日蓮正宗に強い圧力をかけましたが、ついに日達上人の決定を覆(くつがえ)すことはできなかったのです。 池田らは、その後も、折あるごとに「正本堂建立をもって広宣流布は明確に終わった」「正本堂は本門戒壇である」等と蔭(かげ)で言い続けていましたが、平成三年、ついに日蓮正宗から破門となりました。

これにより、近い将来に期待された日蓮正宗の広宣流布は、大きく遠のき、その時を期待して建立された正本堂は、存在意義を失ったのです。さらに、呆れたことに池田創価学会では、破門されて日蓮正宗大石寺と無関係になった後も、なお、「正本堂は本門戒壇である。これを建立した池田センセーは、仏法上、未曽有(みぞう)の大偉業を成し遂げたのである」等と言い続けていました。

この現実(すなわち正本堂が池田本仏論の拠り拠として利用され続けていること)に鑑(かんが)み、日蓮正宗では、〝ここで池田本仏論という前代未聞の大謗法の根を断ち切るべきであり、また、そのような建物を、清浄(しょうじょう)であるべき総本山の境内地に残しておくことはできない〟との判断から、正本堂の解体を決断されたのであります。

これには当然、解体費用もかかりますが、〝正しい仏法を清浄に護(まも)る〟という務めは、お金の問題ではありません。 また、民衆の真心からの御供養を、池田本仏論などという大謗法を押し通すことに利用した、池田大作の所業(しょぎょう)こそ「暴挙」として責められるべきでありましょう。

いまだに騒ぐ”禅寺墓”疑難を斬る

『化義抄』に則り戸田会長も「問題なし」と

創価学会では、 「日顕(上人)は、禅宗の寺(福島県・白山寺)の墓地に、自分の実家の墓を建て、コッソリと開眼(かいげん)供養まで行なった。謗法だ」 などと騒いでいますが、見当違いも甚(はなは)だしい言いがかりです。

まず、日顕上人猊下の御実家である阿部家の墓は、まぎれもなく総本山大石寺にあります。

一方、学会のいう福島県の阿部家は、日顕上人のお父上、第六十世日開上人のお出になった家であり、現在の当主は阿部賢蔵氏(法華講員)です。要するに、日顕上人から見れば、この阿部家はご親戚ということになります。 学会は、その福島・阿部家の墓が、登記上、白山寺が所有する墓地の中に建っており、そこに日顕上人がお出ましになって、墓石の開眼法要を執り行なったことが謗法だ、などというのですが、これは謗法でもなんでもありません。

まず、日蓮正宗の信徒が、邪宗の管理する墓地に墓を持つことについて、創価学会第二代会長・戸田城聖氏は、次のように述べています。
「これは謗法にならないと思うんですが、そのひとつは邪宗の寺に、墓をもっているでしょう。そうすると邪宗の坊主のところに金を持っていってはいけないように思っているでしょう。あれは、やっていいと思う。(中略)
私は、瑞正寺という寺から土地を借りているのです。そして地代を払っているのです。そうすると、借りている墓の地代を払ったっていいではないか。」 「正宗の信者が(邪宗の寺に)墓をたくさん持てば、邪宗の寺に金が入る。そして正宗(の墓)が増えれば増えるほど、寺が(信心を)じゃましないのです。
これを摂受(しょうじゅ)という。そして、墓をきれいに掃除に行って、それでお寺へお金を入れるのです。それは謗法にならないと思う。」(『戸田城聖全集』第二巻)

いかなる宗派の墓地であろうと、土地代を払って借りているものは謗法ではない――戸田会長の論旨は明快であります。

また、邪宗の寺の境内地で、本宗の仏事・法要等を行なうことについて、第九世日有(にちう)上人は、『化儀抄』に次のように仰せになっています。
「縦(たと)い禅・念仏の寺、道場の内なりとも、法華宗の檀那施主等が之有らば、仏事を受くべきなり云々。」(聖典九八九頁)
この条文に照らしてみるならば、歴とした法華講員である阿部賢蔵氏の願い出により、墓石の開眼供養を執り行なったわけですから、それが邪宗の寺で管理する墓地内であろうと、何ら問題がないことは明白であります。

学会員さん、これでもまだ、難癖(なんくせ)を付けようというならば、まず、あなたが師匠と仰ぐ池田センセーの実家の墓の在処(ありか)をこそ、徹底的に問題にするべきです。  東京都・大田区に、真言宗・八幡山密厳院という寺がありますが、なんと、池田センセーの実家の墓は、この密厳院の墓地にあるのです!!  もちろん、これは正真正銘、池田センセーの実家の墓ですから、この墓には池田の父・子之吉氏も眠っているはずです。 学会では、これは何の問題でもないけれども、福島・阿部家の墓は大謗法である、というのですか。
だとすれば、学会の異常ぶりも極まった、というべきで、まさに、馬鹿は死ななければ直らない、という他はありません。

何といっても”学会葬”は変 !?

正しい葬儀は大聖人の頃から僧侶が執行

御僧侶不在、在家だけで執行される学会葬――。
読経・唱題の導師を勤めるのも、御僧侶ではなく在家幹部。導師曼荼羅(まんだら)はなく、学会製のニセ形木本尊を斎場に持ち出して使用し、位牌(いはい)には戒名でなく故人の俗名が書かれる――、これが、「学会葬」「友人葬」「同志葬」と称される、現在の創価学会の葬儀です。

どうしても僧侶に来てもらわなければ脱会する、という会員のためには、ニセ僧侶も用意されていますが、これがまた、修行が厳しくて逃げ出した脱落僧や、還俗(げんぞく=僧侶をやめて在家に戻ること)して茶髪にしていた兄(アン)ちゃんが再び衣をつけた、というような者ばかり。そして、とんでもない料金が請求されることすらあるのです。 もともと日蓮正宗においては、御僧侶が日蓮大聖人のお使いとして葬儀を執行され、その際、導師曼荼羅(御本尊)を御安置し、故人に戒名を授けて、懇(ねんご)ろに成仏へと導かれます。

ところが、昨今の学会は、この日蓮正宗の葬儀を、大聖人の教えとはまったく無縁の邪義であると、誹謗(ひぼう)しているのです。
その主な主張は、
①大聖人の時代には、宗門僧侶が葬儀を執行した、という事実はない
②戒名は、江戸時代に既成仏教が金儲けのために始めたことで、それを日蓮正宗が取り入れたのだ
③導師曼荼羅は謗法である 以上、三点のようです。

まず一点目の批判ですが、まるでお話になりません。
そもそも、大聖人の時代から、きちんとした葬儀が行なわれていたことは、『宗祖御遷化(ごせんげ)記録』にも明らかなことですが、さらに、大聖人が富木常忍に送られた御書に、 「御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、(中略)然(しか)る後、随分に仏事を為(な)し、事故無く還(かえ)り給ふ」(御書九五七頁) と。すなわち富木常忍が、母の死去に際して、下総(しもふさ)より身延山まで遺骨を抱持して参詣し、大聖人のもとで葬儀を営んだことが記されています。

さらに、日興上人御筆の『曾禰殿御返事』に
「なによりハ市王殿の御乳母他界御事申はかり候ハす、明日こそ人をもまいらせて御とふらい申候ハめ。又聖霊御具足法花聖人の御寶前ニ申上まいらせ候」 とあります。つまり、日興上人が「明日こそ人をもまいらせて」お弟子の御僧侶を遣わして、「御とふらひ申候ハめ」お葬式をいたしましょう、と言っておられるのです。

日興上人の文書にも、御僧侶を導師として遣わして葬儀を営むことが記されている(歴代法主全集1巻153頁)

次に、戒名が江戸時代に始まったという批判。これもでまかせの大嘘で、戒名は大聖人の時代からあったのです。その最初の事例は、大聖人が御父に「妙日」、御母に「妙蓮」という御名を授けられていますが、まさしく、これが戒名なのです。
学会では、「それは法名だ」などとすり替えていますが、戒名とは本来、仏門に帰依したときに授けられるもので、法名と同義であり、そのことは学会で出している『仏教哲学大辞典』にも出ております。

最後に、導師曼荼羅について。学会では、「邪宗日蓮宗が葬儀専用に開発したニセ本尊を形木にしたもので、御書にもない『五道冥官』等の文が書かれ、大聖人の御本尊と明らかに異なっている」と主張していますが、大謗法というのは、このように、資格もない者が、御本尊の相貌(そうみょう)にクチバシを差し挟むことをいうのです。 学会で大聖人直結の方とする二十六世日寛上人の顕わされた御本尊の中にも、やはり「五道冥官」等と書かれた導師御本尊が存しますし、そもそも、この「五道冥官」の語は御書の中(御書一二頁)にも示されています。あまり、いい加減なことを言うものではありません。

ともあれ、御金言に 「よき師と・よき檀那と・よき法と、この三つ寄り合ひて祈りを成就し」(御書一三一四頁) と仰せのとおり、御本尊(よき法)と、御本尊への信心(よき檀那)、そして御僧侶のお導師(よき師)、このすべてが揃(そろ)って、初めて成仏を叶えていただくことができるのです。
この三つを揃えて執行されてきた正宗の葬儀を、詭弁(きべん)を弄して誹謗し、勝手に作り上げた学会葬――、そのようなものを、大聖人がお認めになるはずがありません。学会葬こそ堕地獄(だじごく)の最直道といえましょう。

戸田城聖氏夫人、日蓮正宗で葬儀

逝去後一週間経ても立派な成仏の相 !!

平成十二年三月六日、創価学会二代会長・戸田城聖氏の夫人・戸田幾(いく)さんが逝去されました。享年八十九歳。
お通夜ならびに告別式は、三月十二日、十三日と、東京都品川区の桐ケ谷斎場において、日蓮正宗常在寺住職・細井珪道尊師の導師で、厳粛(げんしゅく)に執(と)り行なわれました。  戒名は「照寿院妙護日操大姉」、御法主日顕上人猊下より賜わった日号であります。

幾さん逝去の報をキャッチした創価学会では、最高幹部二名を戸田家に送り込んで、日蓮正宗で葬儀を行なわないよう懇願。しかし、この企(くわだ)ては、子息・喬久氏(城聖氏長男)によって退(しりぞ)けられ、正宗での葬儀執行となったのでした。
戸田家に近しい人の話によれば、喬久氏は常日頃から、
「戸田家は日蓮正宗の信徒である。日蓮正宗で葬儀を行なうのは当然だ」 と語っており、さらに、
「おやじ(城聖氏)が猊下にお目通りする時は、伏せ拝のまま、一度も顔を上げることはなかった。そういう姿を見ているから、猊下様はこんなに尊い方なんだと思っていた」
「そんなおやじを見て育っているから、いかなることがあっても、お山(総本山大石寺)に弓を引くような真似はできない」 と話していました。

すなわち、城聖氏の信心を引き継いだ戸田家においては、常在寺に所属する日蓮正宗の信徒である、との自覚を鮮明に持ち、昭和三十三年四月の戸田会長の葬儀も、常在寺に願い出て執行。それ以来、四月二日の祥月命日には、毎年、東京・目黒の戸田家へ同寺の御僧侶が訪問、追善供養の読経・唱題が行なわれてきたのです。

また、今回、正宗での葬儀が実現したのは、何といっても、幾夫人ご本人の生前からの強い希望によるものでした。
幾さんの逝去後、週刊誌に幾さんと、ある男性との会話のテープが紹介されました。そこに、池田創価学会に対する幾さんの率直な気持ちが語られています。

男性 池田さんて、悪いやつです。すごい悪い悪人です。金だけ集めている。
幾さん ほったらかしておいた方がいいのよ。(あなたも)あまり真剣にならないで、今に分かるから。必ず分かるから。
男性 罰が出ますよ。御本尊様に背いた罰がね。
幾さん もう罰があたっているのよ。お子さまを一人亡くしているでしょ。
男性 私は、池田大作という人物は大悪党だと思っています。
幾さん みんなそう思っているかも知れませんよ。

告別式において、最後のお別れに臨んだ参列者達が目にしたのは、逝去より一週間を経(へ)てもなお、生前と変わることなく、安らかに眠る、幾夫人の素晴らしい成仏の相でした。
なお、創価学会二代会長夫人の葬儀に、池田大作は欠礼。秋谷栄之助、和泉覚、粕原ヤスら、学会最高幹部三十名が参列し、細井尊師の唱導のもと、共々に日蓮正宗の導師曼荼羅(まんだら)に手を合わせていました。

日達上人も学会の誤り破折!

池田本仏論・血脈否定-等々を指摘

平成三年に日蓮正宗から破門された創価学会では、あたかも日顕上人猊下が池田大作に嫉妬(しっと)し、それ故に破門に処したかのごとく喧伝(けんでん)し、「日顕(上人)は悪い猊下、日達猊下は良い猊下だった」などと言ってきました。

しかし、学会の誤りは御先師日達上人の御代においてすでに存在し、日達上人からも厳しく叱(しか)られていたのです。以下、学会の誤りを破(は)した日達上人のお言葉を紹介します。

◇  ◇  ◇

最近あるところでは、新しい本仏ができたようなことを宣伝しておる、ということをうすうす聞きました。たいへんに間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません。正宗の信徒とはいえません。そういう間違った教義を説く人があるならば、法華講の人は身をもってくい止めていただきたい。これが法華講の使命と心得ていただきたい。 (法華講連合会春季総登山お目通り・昭和四十九年四月二十五日)

◇  ◇  ◇

だれそれが仏であるという言葉も、この近所で聞かれるのであって、私は非常に憂慮しています。
なるほど、もし、だれそれが仏であるというならば、それは、我々は皆な全部、仏であります。
それは理の上からそういうことになります。しかし、我々の宗教として信心するところの仏ではない。
たしかに、凡夫が体(たい)の仏であるということは、御書にはっきり書いてあります。その体の仏をもって、どこまでも仏だと言いふらしていくならば、たいへん間違ったことになります。やはり末法の仏は、宗祖大聖人以外にはないのであります。 (富士学林研究科開講式・昭和四十九年六月十八日)

◇  ◇  ◇

(九州の創価学会が出している『火の国』という新聞に)「人への帰命」ということを書いている。それに、「現在における人への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる。また池田会長が大聖人の御書を寸分たがわず身に移し実践されていることから、必然的に考えてもそうなるのである」ということが書かれています。ちょっと今信心してない人が考えたならば、なるほど、と感心するかもわかりません。しかし、これは本宗の教義とは大変間違っている。 (富士学林研究科開講式・昭和五十年六月二十七日)

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和歌山県のある地方では「御本尊さえあればよいんだ。血脈(けちみゃく)なんかいらないんだ」と言って、一生懸命に説明して歩いている人がいるそうです。これはどういう考えでしょう。「御本尊さえ」という御本尊様は誰が認(したた)めるんです。当宗では、血脈なくして御本尊様を書写し奉ることはできない。
もし、血脈などいらないというのならば、身延の人が書いた本尊でもよい、誰が書いてもよいではないか。
思い起こせば、小樽問答の時に身延のある僧侶が「御本尊なんか誰が書いたっていいんだ」と平然として口走っておった。私はびっくりしました。この人は何ということを言うのだと。それでは、東本願寺や西本願寺の管長に御本尊を書いてもらって、ありがたく拝めるのか。御本尊様とはそんなものではないです。 (第十七回妙観会・昭和五十三年三月三十一日)

◇  ◇  ◇

『曾谷殿御返事』に、
「是には惣別(そうべつ)の二義あり。惣別の二義少しも相背(あいそむ)けば成仏思いもよらず。」
これは誰でもよく引用する御文であります。その解釈に、「惣とは一往血脈相承なり。再往は池田会長で、信心の大師匠である」と、こういう解釈をしておる。
(中略) 惣・別二義の意義ということは、そんなところに持っていくもんじゃない。「一往」だとか「再往」だとかという言葉を使って、我々のいう仏教用語をうまく利用して、とにかく「一往は血脈相承」だという。なんで「惣が血脈相承」か、おかしくてしようがない。
また「再往は池田会長で、信心の大師匠」だという。そういうところから「池田会長が血脈相承を承(う)けている。学会に血脈が在(あ)る」などと言い出してしまう。 (第十八回妙観会・昭和五十四年三月三十一日)

◇  ◇  ◇

在家が、自分らが勉強し、自分らが折伏することをもって「和合僧である」と宣伝し説かれております。大いに我々は考えなければなりません。(中略) そして「僧侶はいらない」ということは、「自分らが僧侶である」ということで、結局、同じことになる。今、我々出家しておる僧侶はいらない、と廃止すれば、次の和合僧団の僧侶ができることになってしまう。何も変わりはない。ただ現実を破壊せんがために、これを言うのである。 (第十六回寺族同心会大会・昭和四十九年五月三十一日)

◇  ◇  ◇

戸田(城聖=二代会長)さんも亡くなり、大化城もでき大客殿もでき、昭和四十七年に正本堂が建立せられた。その直後から非常に学会の態度がおかしくなってきた。
たいへん僧侶も馬鹿にするし、また教義上においても非常に変化が多いように思う。そのつど、私も種々な時にそれを指摘して、「そういうことはいけない、日蓮正宗の教義に違う」と、指摘してきたつもりでございます。 (第一回時事懇談会・昭和五十三年二月九日)

◇  ◇  ◇

日蓮正宗の教義が、一閻浮提(えんぶだい)に敷衍(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。
皆さまの今の時に、もし日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、けっして我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。むしろ、日蓮正宗の精神がなくなってしまった、消滅してしまったということになるのであります。 (富士学林研究科開講式・昭和四十九年六月十八日)

◇  ◇  ◇

けっして我々宗門としては、学会をつぶそうとか学会をどうこうしようという、そういう心でやっておるのではなくして、長い間において学会が、宗門の法義の上において間違ってきてしまった。それを指摘して、なんとか直して、昔の純粋なる信心のもとに立ち直ってもらいたい、と思うが故でございます。
なるほど、長い間、学会はよく宗門のために尽くしてくださいました。その功績は大きいのであります。しかし、功績が大きいからといって、教義を間違えて宗門から逸脱してしまえば、これは何も役に立ちません。 (第十八回妙観会・昭和五十四年三月三十一日)

桜花爛漫、清涼なる総本山

学会が登山していた頃より立派に

創価学会員が、かつては「魂のふるさと」とまで言って恋い慕(した)っていた総本山から離れて、はや十年の月日が流れました。
平成三年に日蓮正宗に反逆した創価学会は、会員の心を総本山から引き離すために、「総本山は荒れ放題で、ペンペン草がはえている」とか、「お山の桜の木を全部、伐採(ばっさい)した」などというウソの情報を、まことしやかに、しかも大々的に流したのです。

本紙では、幾度も、清浄な総本山の様子を写真で紹介し、学会の情報がウソであることを学会員に知らせてきましたが、驚いたことに、いまだに「お山の桜は全部なくなった」「建物は修理もされず、ボロボロの荒れ放題になってしまった」などと思い込み、嘆き悲しんでいる学会員が、全国に大勢いるようです。 つい最近も、初めて法華講員から、真実を聞かされ見せられた学会員達が、「お山は荒れ放題じゃなかったんですね」と喜び、相次いで日蓮正宗に戻ってきた、ということがありました。

学会員の皆さん!大御本尊のおわします総本山が荒れ放題になるなどということが、現実にあるわけがないではありませんか。
総本山は、今も、春になれば、見事な桜に包まれています。地元では桜の名所として親しまれ、近隣から大勢の人が花見に訪れているのです。
そして、五月になれば若葉とツツジが、秋になれば紅葉が――というように、境内地は四季折々の美しい色に包まれて、清々しさをかもしだしています。

また、建物も、頭でっかちで耐震(たいしん)性に著(いちじる)しく問題があった「大客殿」は解体されましたが、同じ所に新たに、和風建築の荘厳な「客殿」が建立されました。 この客殿は、外観の素晴らしさはもちろんのこと、将来の東海大地震にも耐えうる、建築技術の粋(すい)を集めた建物です 。
そして、客殿が建ったことで、総本山はよりいっそう、荘厳かつ清涼(しょうりょう)の雰囲気を増し、参詣者の心を安堵(あんど)感で満たしているのであります。
ちなみに、大御本尊に対し奉る信心を失うことなく、日蓮正宗に戻ってきた学会員の多くが、「今の総本山の方が、以前よりも立派で、美しくなった!」 と語っておられます。
全国にまだまだいるはずの、大御本尊に対する信心を失っていない学会員さんには、この現実に気付いて、一日も早く正しい信仰に戻っていただきたいものです。

宣伝とは裏腹!凋落したSGI

数十万人がSGIを離れて宗門に

「私達は、創価学会を信仰していたのではありません。日蓮大聖人の仏法を信仰してきたのです。」
創価学会が日蓮正宗に反逆した平成三年以降、そう言って、大勢のSGI会員(海外の学会員)が、学会を離れ、日蓮正宗につきました。
かつてSGI(創価学会インターナショナル)は、「世界の指導者」として君臨(くんりん)することを夢見ていた池田大作にとって、自己の支配欲・征服欲を満足させる上で、重要な存在でした。
それゆえ、海外における布教・育成に関しては、完全に創価学会が主導権を握り、国情の問題などを口実に挙げて、言葉巧みに宗門の干渉を排斥(はいせき)してきたのです。

ところが、〝創価学会〟というフィルターが取れてみれば、海外には、日蓮正宗の純粋な信仰と総本山大石寺を恋慕渇仰(れんぼかつごう)している人達が大勢いました。 その人達は、なだれを打ったようにSGIを抜け、日蓮正宗についたのです。

中には、スペインのように、理事長を筆頭に活動メンバーのほとんどが日蓮正宗についたという国や、インドネシアやガーナのように、組織ごと日蓮正宗に帰属したという国もあります。
その他にも、アメリカ・ブラジル・アルゼンチン・フランス・台湾・韓国・シンガポール・タイ・マレーシア等々、四十数ヵ国にも及ぶ国々の大勢の人達が、SGIを脱会し、日蓮正宗につきました。

現在、日蓮正宗海外部が掌握(しょうあく)している海外の日蓮正宗の信徒数は、ずいぶん整理してきて、六十数万人(※ただし、インドネシアに関しては、二十万世帯と数えていますが、実際の世帯数はそれをはるかに上回ると思われます)――。
そして、どの国の信徒も寺院の建立を熱望し、異体同心の信心で学会からの妨害を跳(は)ねのけながら、現在までに、十二ヵ国に二十の寺院および布教所を作ってきました。

学会によって海外布教が完全掌握されていた平成三年以前には、アメリカに六ヵ寺、ブラジルに一ヵ寺の寺院しかなかったのですから、それから考えると、じつに驚異的な進展といえましょう。
一方、現在のSGIに残っているのは、最初から池田大作を信奉することを植(う)え付けられてきた池田教の人達か、もしくは、いまだ創価学会の真実の姿を知るチャンスに恵まれないまま、今日まで来てしまった、というような人達ばかり。当然、ひところの活気など、どこにもありません。 かくて、池田大作がおおいに自慢してきたSGIは、いまや、組織力も著しく低下し、ガタガタ状態に陥(おちい)っているのであります。

宣伝とは裏腹!凋落したSGI

数十万人がSGIを離れて宗門に

「私達は、創価学会を信仰していたのではありません。日蓮大聖人の仏法を信仰してきたのです。」
創価学会が日蓮正宗に反逆した平成三年以降、そう言って、大勢のSGI会員(海外の学会員)が、学会を離れ、日蓮正宗につきました。
かつてSGI(創価学会インターナショナル)は、「世界の指導者」として君臨することを夢見ていた池田大作にとって、自己の支配欲・征服欲を満足させる上で、重要な存在でした。
それゆえ、海外における布教・育成に関しては、完全に創価学会が主導権を握り、国情の問題などを口実に挙げて、言葉巧みに宗門の干渉を排斥してきたのです。

ところが、〝創価学会〟というフィルターが取れてみれば、海外には、日蓮正宗の純粋な信仰と総本山大石寺を恋慕渇仰している人達が大勢いました。 その人達は、なだれを打ったようにSGIを抜け、日蓮正宗についたのです。

中には、スペインのように、理事長を筆頭に活動メンバーのほとんどが日蓮正宗についたという国や、インドネシアやガーナのように、組織ごと日蓮正宗に帰属したという国もあります。
その他にも、アメリカ・ブラジル・アルゼンチン・フランス・台湾・韓国・シンガポール・タイ・マレーシア等々、四十数ヵ国にも及ぶ国々の大勢の人達が、SGIを脱会し、日蓮正宗につきました。

現在、日蓮正宗海外部が掌握している海外の日蓮正宗の信徒数は、ずいぶん整理してきて、六十数万人(※ただし、インドネシアに関しては、二十万世帯と数えていますが、実際の世帯数はそれをはるかに上回ると思われます)――。
そして、どの国の信徒も寺院の建立を熱望し、異体同心の信心で学会からの妨害を跳ねのけながら、現在までに、十二ヵ国に二十の寺院および布教所を作ってきました。

学会によって海外布教が完全掌握されていた平成三年以前には、アメリカに六ヵ寺、ブラジルに一ヵ寺の寺院しかなかったのですから、それから考えると、じつに驚異的な進展といえましょう。
一方、現在のSGIに残っているのは、最初から池田大作を信奉することを植え付けられてきた池田教の人達か、もしくは、いまだ創価学会の真実の姿を知るチャンスに恵まれないまま、今日まで来てしまった、というような人達ばかり。当然、ひところの活気など、どこにもありません。 かくて、池田大作がおおいに自慢してきたSGIは、いまや、組織力も著しく低下し、ガタガタ状態に陥っているのであります。

狂った !? 宗教者失格の池田発言

無修正のスピーチをテープから紹介

創価学会では、「世界中の指導者が池田先生の指導を求めている」などと宣伝していますが、生(なま)の池田スピーチのひどさは、あまりに有名です。ここでは無修整の池田スピーチを録音テープから紹介します。

◇  ◇  ◇

池田大作の生スピーチをビデオで見た海外要人は絶句したという 心から、全世界の創価学会を代表して、中部の壮年部にご苦労さまと申し上げます。アリガト。(※参加者、拍手して手を振る)もォ、手の振り方もやっとだしね。それから、今、手を振った人、中風になりません!! 顔色がいい。ね。もう少し景気よく振ればねェ、福運つくんだけど…… (平成四年四月二十六日・第八回中部総会)

◇  ◇  ◇

ねェ、朝勤行してない人、ずいぶんいるかも知れないけどさァ、いいですよ、お題目一ぺんでいいんです。 (平成四年四月二十六日・第八回中部総会)

◇  ◇  ◇

法華経第四の巻には法師品、仏様を一中劫という永い間、罵り続ける罪よりも、末法の法華経の行者――別しては私だ! 総じては学会員――を、たとえ、わずかにも憎み、敵対する罪の方がより以上に深い、と説かれております。これ大聖人の仰せです。 (平成四年四月二十六日・第八回中部総会)

◇  ◇  ◇

信心の二字の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇・板御本尊、なんだ! 寛尊は「信心の中にしか本尊はない」と。ただの物です! (平成五年九月七日・本部幹部会)

◇  ◇  ◇

サンフランシスコの皆さん、今回は関西の交流団がお世話になりました、と、お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れることを、私は声を小さくして申し上げておきます。 (平成五年一月二十七日・アメリカSGI&関西合同総会)

◇  ◇  ◇

すごい時代に入りました、ね! そのうちデェジン(大臣)も、何人か出るでしょう。もうじきです、明日あたり出るから。みんな、皆さん方の部下だから、そのつもりで。日本一の創価学会ですよ。 (平成五年八月八日・第六十九回本部幹部会)

◇  ◇  ◇

あのー、まぁ日顕(上人)なんか、その(イヤな奴の)代表だっていうんだ。ほんな、針金で結(ゆ)わえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね(笑い)。 (平成四年十二月十三日・全国青年部幹部会)

◇  ◇  ◇

「糸満平和会館て、これ名前変えた方がいいんじゃないかな。……ウーマンっぽい、ウーマンっぽい。糸満なんてウーマンっぽい(※会場はあまりウケない)……駄目か。もっといいね、いいのは、キンマン、いや、イトマン、キン○○コだよ!(会場爆笑)」 (平成五年七月七日・第六十六回本部幹部会)

◇  ◇  ◇

私の話が高尚(こうしょう)で、そしてわかりやすく、そいで哲学的で、そいで文学調で、詩的で、そいで会話的である。頭がそうとう聡明でないと追っついていけないんです。そいで、行き詰まったところでコーラスやって、皆なでウップン晴らしをすると。それが、芸術的、SGIの本当の仏法の行き方なんです。その反対が日顕(上人)の行き方なんです。 (平成五年一月二十七日・アメリカSGI&関西合同総会)

◇  ◇  ◇

ニューヨーク! ニューヨークの人は、毎日身体を洗っているからきれいです。(※外人には全くウケない) (平成五年一月二十七日・アメリカSGI&関西合同総会)

◇  ◇  ◇

ハワイ!(中略)マハロー! マハロー! バカヤロー! バッハロー! (平成五年一月二十七日・アメリカSGI&関西合同総会)

◇  ◇  ◇

このあいだ、オバサン、オバサンジョだ。二つ字を加えなきゃオバサンだったが、男だったんですよ(※ナイジェリアのオバサンジョ元国家元首のこと)。アフリカ全体の中心的人物だ。じつを言えば頭がいいんです、なかなかねェ。アフリカっていうと、少しねェ、黒くてねェ。そう、そんなもんじゃない、先入観がよくない。一番バカなのは日顕(上人)!」 (平成四年四月二十六日・第八回中部総会)

◇  ◇  ◇

皆さん方もねェ、もうションベンしたいから早く(※会合を)終わりたいな、って思っているよねェ。 (平成四年四月二十六日・第八回中部総会)