正信会の成り立ちの根源が崩壊!「皆、都合が悪くなって血脈否定した」と
元々は池田創価学会の謗法を糾すための運動だったはずの〝正信覚醒運動〟が、途中から行き過ぎて日蓮正宗の宗団から逸脱、そして今や、池田創価学会と大同の三宝破壊の大謗法集団と化した正信会――。
その正信会も、各寺院毎に教義解釈や意見が異なり、離脱する寺院や日蓮正宗に帰伏する寺院も相次いで、文字どおりの四分五裂に近い末期的状態を迎えているが、さらに新たな激震が発生しつつある。
すなわち、正信会の渡辺広済・元議長と佐々木秀明・元副議長の口から、正信会の存在を揺るがす爆弾発言が出たのである。
そこで、まずは正信会の邪義を破し、その上で、渡辺・佐々木両氏の爆弾発言を紹介することにしよう。
まずはじめに、「正信会」とはいかなる団体かを、簡単に説明しておこう。
いわゆる「五十二年路線」で、池田創価学会の数々の謗法行為が明らかになったとき、これを正そうとする正信覚醒運動が、宗門僧俗の間に沸き起こった。
だが、その運動が暴走し始め、次第に時の御法主・第六十六世日達上人の御意にも背(そむ)くようになったのである。
そして、その行き過ぎを制止しようとした日達上人のお考えを無視し、また、日達上人の御遺志を継がれた現御法主日顕上人猊下の種々の御制戒をも振り切り、真正面から反抗するに至ったため、最終的に擯斥(ひんせき)処分に処された輩(やから)の集まりが、現在の正信会である。
処分を受けた彼らは、それまで認めていた日達上人から日顕上人への血脈相承に疑義をはさみ、挙げ句の果てには、自分たちの地位を保全するため、日顕上人は相承を受けていない(管長の資格がない)から擯斥処分を下すことはできない、と提訴するに至った。
正信会の、日顕上人の血脈相承に対する疑義はやがて、日蓮正宗の信仰の根幹を成す血脈相承そのものへの疑難に変わってゆき、そしてついには、根本中の根本たる宗祖本仏義や本門戒壇の大御本尊を〝否定〟するまでに至り、今や完全なる異流義に成り果ててしまったのである。
教義もバラバラ!四分五裂の正信会 正信会による三宝破壊の大謗法を破す
正信会の仏宝破壊
「鎌倉時代に生まれた〝人間日蓮〟は本仏ではない。〝人間日蓮〟を本仏と立てるから、弘安五年には本仏がお隠れになって、現在は本仏がおられないことになる。これは根本が間違っており、本来の当家法門では、生身の大聖人ではなく、大聖人の魂魄(こんぱく)をもって本仏とするのである。」
これは、法華経の教えすら弁(わきま)えない妄説である。
大聖人は、
「我等が色心の二法を無常と説くは権教なり、常住と説くは法華経なり」 (御書一七四五頁)
「凡夫の血肉の色心を本有と談ずるが故に本門と云ふなり」 (御書一八一一頁)
と、生身の他に永遠の魂魄があるなどと考えることは誤った見解であり、法華経では、生身そのものが生死を繰り返しながら常住する永遠の存在と説くのである、と示されている。
ゆえに、本宗の宗祖本仏義も、こうした法華経の深理を踏まえ、生身のほかに永遠不滅の魂魄なるものを求めるのではなく、生身の日蓮大聖人をそのまま御本仏と仰ぎ奉るのである。
このことは、二十六世日寛上人が、『観心本尊抄』の
「正像に造り画(えが)けども未(いま)だ寿量の仏有(ましま)さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」(御書六五四頁) の文を解釈して、『末法相応抄』に
「『寿量品の仏』とは、即ち是れ文底下種の本仏、久遠元初の自受用身なり。既に是れ自受用身なり。故に亦(また)『仏像』と云うなり。自受用身とは即ち是れ蓮祖聖人なるが故に『出現』と云うなり。(中略)又『仏像』の言未だ必ずしも木絵に限らず、亦生身を以(もっ)て仏像と名づくるなり。(中略)若(も)し必ず木絵と言わば出現の言恐らくは便ならず、前後の文『本化出現』云云、之れを思い合わすべし云云」(六巻抄一四一頁) と明確に示されており、これこそが〝本来の当家法門〟なのである。
正信会の法宝破壊
「ダイナマイト一本で吹っ飛ぶような物が、大聖人の究極の本尊であるわけがない。それは唯物の次元に堕(だ)した本尊観である。我々は、色法の御本尊の奥に、眼には見えない御本仏の心法を拝するのであり、その仏の心法こそが常住不滅の真実の大御本尊である。」
これも、法華経に説かれる法理をまったく弁えない、習い損(そこ)ないの妄説である。
大聖人は、
「文字は是(これ)一切衆生の心法の顕はれたる質(すがた)なり。されば人のかける物を以て其の人の心根を知って相(そう)する事あり。凡(およ)そ心と色法とは不二の法にて有る間、かきたる物を以て其の人の貧福をも相するなり。然(しか)れば文字は是一切衆生の色心不二の質なり」(御書三六頁)
「口決に云はく『草にも木にも成る仏なり』云云。此の意は、草木にも成り給へる寿量品の釈尊なり。(中略)一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこなひの学者ゆめにもしらざる法門なり」 (御書五二二頁)
等、要するに、御本尊の御文字は単なる形(色法)ではなく、御本仏の悟り(心法)を顕わした、色心不二の仏の御姿であり、御板であれ紙幅(しふく)であれ、そこに御本仏の悟りが文字をもって認められれば、仏の色心不二の当体たる御本尊と顕われるのである、と御教示くださっている。
こうした法理も弁えず、大御本尊を唯物呼ばわりする正信会の妄説は、身延派日蓮宗の邪義と何ら変わりがなく、その誤りは、すでに第六十五世日淳上人も、
「彼等(日蓮宗)は、また、〝日蓮正宗では御本尊を板や紙に執(と)らわれているから唯物的思想だ〟といっておるが、事ここに至っては、開いた口が塞(ふさ)がらない。彼等には、草木成仏・非情成仏等、仏法の重大法門が少しもわかっていない。それでは、法華を学んだとは、とうてい、いえないことである」(『日淳上人全集』一四二頁)
と指南されているのである。
かつては本宗の中で法門を学んだはずの正信会が、何故、このような誤った法宝の立て方をしたかといえば、つまるところ、〝眼には見えない仏の心法を信じておれば、あえて大石寺に参詣して大御本尊を拝む必要はない〟と言いたいがためであり、それはまた、正信会が、大石寺から完全に離れた後も異流義宗団として存続していくための、邪(よこしま)な布石であった、といえよう。
正信会の僧宝破壊
「法主から法主へと伝えられる血脈相承は形式的なものであって、真実の血脈というのは、信の一字により、大聖人から正信の僧俗大衆に与えられるものである。今日においては、正信会にのみ血脈が受け継がれている。」
自己保身のために、当初は〝ある〟と認めていた日達上人から日顕上人への血脈相承を〝なかった〟ことにしてしまった正信会はさらに、別しての血脈までを否定するに至った。
だが、これは、血脈に総別の二義があることを弁えない謬論(びゅうろん)である。
そもそも血脈には、総じて信心によって大衆に流れる〝信心の血脈〟と、別して御一人から御一人に伝付される〝唯授一人の血脈相承〟がある。
そして、唯授一人の血脈相承によって御本仏日蓮大聖人の御悟りを余すことなく継承あそばされてきた御法主上人に信をとり、師弟相対するところに、僧俗大衆にも即身成仏の血脈が流れ通ってくるのである。
大聖人は、
「既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁(ここう)の衆生に流れかよはし給ふ。是れ智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻(りんね)生死のもとゐたらん」(御書一〇三九頁)
と仰せられ、この総別の二義を違(たが)えたならば、成仏は思いもよらず、悪道に堕ちる基となる、と戒められている。
正信会の血脈観は、明らかに、別しての血脈相承を等閑(なおざり)にして、総じての信心の血脈を強調したものであり、総別の二義の立て分けを破壊するものである。
されば、正信会の僧俗を待ち受けているのは、堕地獄の運命と知るべきであろう。
さて、このように、仏法僧の三宝の悉くを破った正信会は、次第に迷いを深くして、伊芸益道(故人)のように、「第二十六世日寛上人の説は邪義だ」と言い出したり、「日目上人から第四世日道上人への相承はなかった」(『興風』一三号・坂井法曄論文)などと言い出す者まで出てくるに至った。
こうなってしまえば、誰の目から見ても日蓮正宗とは異質の宗派である。
さらに正信会の内部には、およそ日蓮正宗の教義と異なる邪義が次々と発生し、横行するようになる。 だが、ここまで進んだ異流義化には、さすがに正信会内部からさえ批判の声が上がりだした。そしてそれが一気に噴出したのは、正信会が立宗七百五十年の慶讃(けいさん)事業として行なった「日蓮聖人の世界展」をきっかけとしてであった。
広く一般受けするようにと、「日蓮大聖人」の「大」の字を取り去り、「滅後弟子檀越の立場からおこった本仏信仰」(『継命』平成十二年十一月一日号)などと言って宗祖本仏まで否定するに至った執行部に対して、
「立宗七百五十年を慶讃するならば『日蓮大聖人とその教え』を看板にし、反対者が出ることを承知したり、〝人が来ますか〟とか〝世間に受け入れられるよう〟とかの言を生む『大』を抜く展覧会を企画せず、まともな活動や言動をし、もって慶讃に住すべきです」(猪又法智)
「このたび日蓮聖人の世界なる冊子を手にして驚いた。これは一大事と思い、二、三の先輩にこれを問うてみた。どなたも問題視し、会の行く末を憂慮(ゆうりょ)しておられたが、これは、すでにそのような段階を通り越して、断固抗議をなし、懺悔(さんげ)し改めるのでなければ決別すべき事態に至っているのではないか、と思う。(中略)このような事態に至る兆候は以前よりあった。すなわち戒壇の大御本尊の存在自体を疑問視し、その大石寺継承を不審視する言辞をろうする者のあることも承知していたからである。これは許すべからざる事ではあったけれども、しかし、それは会内にとどまる外邪異見であり、まさか対世間に向かうとは思ってもいなかったから、表だった批判は差し控えていたのである」(山口法興)
といった非難の声が次々と噴き出すに至ったのである。
こうして、今や四分五裂の状況に陥(おちい)り、元々弱かった結束力がさらに落ちた結果、三重の妙徳寺が、また東京の白蓮院が、相次いで日蓮正宗に帰伏、正信会は完全崩壊寸前の状況にある。
「日達上人は日顕上人を選定されていた」 元首脳が日達上人より伺った御意志
このような状況の中で、過日法華講員有志が正信会新旧幹部を訪ねた際、かつて正信会の正・副議長を務めた、渡辺広済・佐々木秀明の両氏から、次のような爆弾発言が飛び出した!
「日達上人が、次はあの人(日顕上人)に譲(ゆず)ろうと思っていたことは間違いない。」
「私も佐々木(秀明)も、日達上人から『次は阿部(日顕上人)でいこうと思っているんだ』ということを聞いている。(日達上人が日顕上人を六十七世として選定されていたことは)間違いない。」
「私は、御相承に関して正信会が起こした裁判の原告には名を連ねていない。私としては、御相承を信じたい気持ちは山ほどある。」
「(住職罷免〈ひめん〉・擯斥処分の直接原因となった)第五回檀徒大会の開催も、私と佐々木は大反対だった。(日顕上人が)『やめろ』と言われているのだから、やめればいいじゃないかと。ところが、丸岡文乗・山口法興らが、『やらなければだめだ』と強硬に主張した。罷免になったあと、『見てみろ、お前らがやれやれと言うのでやったら、クビになったじゃないか』と彼らに言ってやった。」
「正信会の若い連中は、阿部さん(日顕上人)に対してずいぶん失礼なことを言った。『あなたは承(う)けていないじゃないか』と。そんなことを言われれば怒るのは当然で、それでいて、『瞬間湯沸かし器が怒った』の、何のかんのと言う。それがバカらしくなったこともあって、私は議長を辞めた。」(渡辺広済元議長)
「(正信会では日興上人を唯一の僧宝としているが)私はそうは思わない。日興上人と御歴代を区別する考え方はおかしい。」
「私は、日達上人が阿部さん(日顕上人)に『後を頼む』と言ったと思う。だとしたら、相承(があった)ということだろう。」
「お側で聞いたわけではないが、(日達上人が)千葉の在家の前で『この次はこの阿部(日顕上人)にさせるんだ』とおっしゃったことだってあった。」
「『頼むぞ』と言ったのだから相承だと、皆なそう思っていたのに、自分たちの都合が悪くなったら、皆な変わった。創価学会も正信会も。」
「(相承を認めていながら)裁判を起こしたことは自語相違になるだろう。私は最後まで、あれは却下になると思っていた。」
「(管長の地位不存在の裁判は)時の流れだった。私としては、やればやったでしょうがないという考えだった。私自身はする気はなかった。ただ、上に立つ者として、名前を連ねることはしょうがないという考えだった。」
「正信会の上に立つ者として、私は(事態を収束させようとする)日達上人の言われたとおりに行なおうとした。院達に従い、板本尊模刻のことを言うのも止めた。しかし、鬼の首を取ったような気でいる下の者は聞かない。そこのところでずいぶん苦労した。下の者にはその気持ちは分からないだろう。」
「(日達上人が学会攻撃の鉾〈ほこ〉を収めようとされた)それを継いだのは阿部さん(日顕上人)だと思う。(日達上人の)お心のままにやっているのではないか。私は、下の連中との間に立って苦労をした。」
「そもそもこの運動(学会破折運動)は(宗門と正信会が)一つになってやるべきだ。もったいない話だ。ケンカする問題ではない。」
「阿部さん(日顕上人)が『お前たち悪かったな、大石寺に帰ってきてくれ』と言えば、(私は)すぐに帰る。」
「(日達上人から日顕上人への相承があったと認めたことを)他で話してもらっても構(かま)わない。」 (佐々木秀明元副議長)
二人とも、御先師日達上人から御当代日顕上人への相承について「じつはあった」「それは、皆もそう思っていた」と証言したのである。だとすれば、正信会という存在は、いったい何なのか!?
血脈相承を否定して会派を構えていたものが、じつは「血脈はあった。自分たちの都合が悪くなったから、ないことにしてしまった」というのだから、これは正信会という会派そのものの存在が根底から崩れた、というべきだろう。
しかも、事は宗旨の根本に関わる重大問題であり、成仏・不成仏を決する一大事である。正信会の僧俗が、後生の大事を守る信心を一分でも残しているなら、速(すみ)やかに日蓮正宗大石寺に帰伏すべきである。
また、すでに正信会が「座して死を待つ」の末期的状況に陥っていることは疑う余地がないが、我々は、それを傍観していてはいけない。
むしろ積極的に折伏をなして、「保身」に余念のない正信会僧侶の下から、一般信徒を、真の「正信」に導こうではないか。