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体験発表<平成31年 第41回総会より>過去からの重い罪障を乗り越えて

高杉 美奈さん

突き付けられた重い罪障
生まれた長男に深刻な病

 私は、平成元年に入信し、平成十年に同じ信心をしている主人と結婚し、平成十一年に長男を妊娠しました。
ところが、実家に近い産婦人科病院に通院を始めて一ヵ月が過ぎた頃、その病院側の都合で、他の病院での出産を考えてほしいとの話がありました。
このことは、後で考えてみれば、裕一郎の命に関わる重大なことで、御本尊様の御加護だったと確信しております。私は、御本尊様に祈り、考えた末、救急医療設備の整っている新潟市民病院に転院しました。
その後、普通分娩で、男の子を出産し、先生達からも、「すごく元気なお子さんですね」と言われるほどでした。
ところが、退院予定の日、看護師さんから、至急ナースステーションへ来るよう呼ばれ、そこで医師より、長男の身体の状態についてお話がありました。
それは、まだハッキリと病名は言えないが、一刻も早く治療しないと命の危険がある、というもので、それを聞いた私は、途中から気が動転し、その場で泣き崩れてしまい、ショックで声が出なくなってしまう程でした。
我を失っている私の横で、主人は、直ちに加藤部長に連絡をとり、「しっかり御本尊様に唱題をするように」との指導を受け、主人は必死で唱題を始め、その姿を見て、やっと私も、御本尊様にすがる思いで唱題をして「どうか子供を助けてください」と御祈念することができたのです。
その頃の私の信仰姿勢は、勤行は毎日欠かさず行なっているものの、肝心の折伏は仕事に流され、したりしなかったりという状態で、「日蓮正宗に入信したんだから、それでいい。正しい仏法についていれば、いいことがある」というような感覚で、大聖人様仰せの信心の在り方とは、遠くかけ離れた信仰状態でした。
そのため、いざ、自らに重い罪障があることを現実に突き付けられた時、即座に御本尊様を思い、お題目を唱えることができなかったのだと思います。
その後、主人から連絡を受けた加藤部長は、支部長や講頭に指導を受けてくださり、総本山から御秘符をいただくことができました。

その時の長男は、生まれた時には2520グラムの体重だったものが、みるみる痩せて1800グラム以下となり、肌の色も土色になって、とても赤ちゃんとは思えない程の細い両腕に、たくさんの管をつけられている状態でした。
そして、病院の医師より、子供の病気についてハッキリしたお話がありました。
病名は、副腎皮質過形成で、体内の血圧や血糖値、ミネラルの調整といった、生命を維持するために欠かせない働きをする副腎皮質ホルモンが欠けてしまっている、という病気でした。そのために、もし身体に負荷がかかると、突然死してしまう、二万人に一人という恐ろしい病気だそうです。
医師は、退院の直前に、この病気の兆候に気付き、はっきりとした検査結果を待っていては手遅れになるため、この病気かもしれないと想定して、治療を始めてくれたそうです。 もし、それより治療開始が遅れていたら、子どもの心臓は、いつ止まってもおかしくない状態だったそうで、それまで、生まれてから何の治療も受けずに二週間持ちこたえていたことは、本人の生命力としか思えない、とのことでした。
医師の説明を受けた私は、ハッと目が覚めた思いがしました。
子供が助かったのは御本尊様のおかげだったんだと、心から確信しました。病気の治療のできる病院へ転院できたのも、病名も確定しないうちに治療を開始していただけたのも、 そして、何より、生まれてから二週間もの間、子供が生きていられたのは、御本尊様が助けていてくださったのだと、それまでの出来事が全て繋がって、心から御本尊様に感謝いたしました。
私は、ただ悲観して泣いていた自分が恥ずかしくなり、それまでの信心を深く反省し、とにかくしっかりとお題目を唱え、子供に一遍でも多くお題目を聞かせ、また折伏をして功徳を積んでいこう、と決意しました。
子供の状態は、御秘符を服させていただいた日を境に、病院で処方された薬が劇的に効いて、病状はみるみる安定していきました。
また、主人は、何としても折伏を果たそうと決意して実践し、一名の折伏を成就させたところ、子供は集中治療室から一般の小児病棟へと移動することができました。
し かし、小児病棟へ移ったとは言え、退院については「全く先が読めない」と言われてしまいました。
私は、一日でも早く退院して、子供と御本尊様の御前でお題目を唱えたいと思い、必死の思いで、昼夜を問わず唱題をしながら子供の世話をして、子供が眠ると、すかさず病室を出て電話で学会員を探し出して折伏に行ったり、学生時代の友人や同室の人を折伏していきました。本当に必死でしたので、身体を横にして眠った記憶がありません。
こうして折伏を実践する中、一ヵ月目には退院することができ、家に帰ると、御本尊様に何度も御礼を申し上げました。
そして、すぐに地元の聞正寺様にいき、子どもに御授戒を受けさせていただきました。
その後の生活について、病院から、「とにかく、インフルエンザやケガなど、子供に強いショックやストレスを与えないように。それが元でショック死する場合がある」と注意され、一生涯にわたる薬の投与と、退院後も、二週間に一回は通院して身体の検査をすることを、義務付けられました。

 

その後、私は、子供の病気と、今後どのように向き合い、乗り越えていけばいいのか、育成のため新潟に来られた大草講頭に、指導をいただきました。
講頭は、 「こうした病気を持って生まれる子供の命、そして、病気を持った子供を抱えて苦しまなくてはならない両親の命の中に、過去世において、正しい仏法に背いて作った謗法の罪障があるから、それが原因となって共に苦しんでいくのです。この謗法の罪障を消すには、正しい仏法を実践して、功徳を積んでいく以外に方法はありません。
一日も早く謗法の罪障を消していけるよう、御本尊様に真剣に祈り、身の周りの人たちを精いっぱい折伏して、身を惜しまず仏道修行に励んで、功徳を積んでいけば絶対に治ります。
治ると言っても、医学で治らないと言われている病が、どの様に治るのか、それは、わかりません。しかし、病によって苦しまなくてはならない、という原因が消滅してしまえば、苦しんでいる状態は解決するのです。
本来、身体の中で作られる物質ができない、そのために死んでしまう、というのであれば、その物質を薬で補う形であったとしても、身体を維持できて、生活に支障なく幸福な人生を歩んでいくことができるようになります。
また、強いストレスによって死亡する可能性がある、と言われていることも、どんなストレスに遭遇しても、そんなことに負けない心身を持った人になればいいのですよ。この御本尊様を受持して、しっかり信心に励んでいったら、そのような強い心身をもった人になれるのです。
ですから、絶対に大丈夫です。御本尊様のお力で、この病気を必ず乗り越えていくことができます」
と力強くお話してくださいました。
私は、この指導が本当に有難くて、しっかり親子共々仏道修行に励んでいこう、と心から発心することができました。
それからは、家族で勤行に励み、心から御本尊様に罪障消滅を願い、登山に参詣させていただき、両親、兄弟、親戚、また縁ある人、創価学会員や顕正会員などの邪宗教の人たちを、積極的に折伏していきました。
そのような中で、長男は、何の危険もなく、すくすくと成長していき、また折伏を続けた功徳で、平成十四年には、母を入信に導くことができました。

さらに、そのころ、次男を妊娠しました。
医師からは、長男と同じ病気をもって生まれる可能性が高い、と言われてしまいましたが、どんなことが待ち受けていようと、絶対の御本尊様の御加護があるということを信じて、しっかり仏道修行に励んで乗り越えていこうと決意し、出産に臨みました。
果たして、次男もまた、長男と同じ病気をもって生まれました。
しかし、病院側では、それを予測して準備してくれていましたので、すぐに治療を開始してくれ、長男の時のような命の危険は全くなく、産後もすぐに退院となりました。
私は、次男も同じ病気をもって生まれたことを通じて、日蓮大聖人様が
「功徳は浅軽なり。此等の罪は深重なり」
(御書五七三頁)
と仰せられていることが身に迫り、私たち夫婦には、過去世に強く仏法に背いた謗法の罪障が深く刻まれており、いかに、これまで功徳を積ませていただいたとはいえ、刻まれた罪障に比べたら、まだまだ軽いもので、罪障が消えていないのだ、もっと一生懸命に功徳を積ませていただこうと、決意を改めることができました。
そして、講頭からいただいた指導を常に忘れず、これまで以上に、仏道修行に励んでいくように心がけていきました。
そのような中で、平成十七年、信心にずっと反対していた父の身に、病が次々と起こり、その病をきっかけに、父もようやく入信することができ、小川御住職様に父の当病平癒のご祈念をしていただくと、危篤状態から生還し、総本山にも参詣することができ、その後、三年間の寿命を延ばし、父は成仏の相を現じて臨終を迎えることができました。

私は、それからも二人の子供たちと共に、常に一緒に勤行をし、会合参加や、毎月の登山に、できる限り参詣させていただきました。折伏にも、必ず一緒に連れて歩きました。
そして、自分が感激したことを、ありのまま、子ども達に語りかけて接していきました。 時には、兄弟で勤行中にふざけたときは、「御本尊様に助けてもらった命だよ、勤行中には絶対にふざけちゃいけない」と、厳しく注意して御本尊様の大事を伝えていきました。
そのようにしていく中で、二人とも、毎日欠かさず勤行をし、中学生くらいになると、周囲の友達を折伏するようになりました。
そして、振り返ってみると、二人とも、普通の男の子達と同じように、水泳や、バスケット、野球などのスポーツに励んで、真っ黒になるまで練習したり、友達と遊んでケガをしたり、部活で骨折したり、インフルエンザで高熱を出したりと、医師からは、命に及ぶと言われていた強いストレスを度々経験することもありましたが、二人とも全く異常なく過ごしており、その都度、本当に守られているのだと感じ、御本尊様に御礼申し上げました。
また、子供たち自身も、御本尊様の功徳を実感するようになりました。
長男は、高校受験で志望校合格を真剣にご祈念していたのですが、受験に落ちてしまい、別の高校に入学しました。通ってみると、この学校の方が、自分にあった勉強方法を指導してくれる学校だとわかり、「御本尊様が導いてくれた」と言って、本当に感謝しておりました。
また、大学受験の時には、勉強に取り組みながら、毎日、学校の友達を折伏していく中で、「高杉は変な宗教をやっている」と友達たちから言われるようになり、その友達の中でも、最も強く仏法に反対して悪口を吹聴していた同級生を、逆に徹底的に折伏しました。
すると、これまで以上に悪口を言われましたが、その功徳でしょう、長男は、難しいと思われていた国立の大学に合格することができ、現在、秋田県で一人暮らしをして通っています。
そして、大学の友人を折伏したり、秋田県の顕正会の会館を見つけて折伏に行ったり、新潟に戻った時は、友人や高校の担任の先生を折伏したり、妙観講の夏季合宿にも参加するなど、精いっぱい仏道修行に励んでいます。
振り返ってみると、息子は二人とも、通院は三ヵ月ごとで良いことになり、薬は最低限の量まで落としての服用となり、これまで一度も危険な状態に陥ったことなどありません。
私は、子供たちの姿を通じて、あの時、講頭が指導してくださった通り、子供たちが「ストレスをストレスと感じない、強い心と身体になっているのだ」と実感しています。このことは、親として、何物にも代えがたい喜びであり、心から御本尊様に御礼申し上げております。
私は、これまでの人生を振り返り、私達一人ひとりの命に、過去世から深く刻まれた謗法の罪障があり、この仏法でなければ罪障消滅できないことを、心から確信しております。
これからも、この罪障を消滅しきっていくまで、親子共々に大聖人様仰せの通りの信仰を目指し、命ある限り折伏をして、御奉公できる人材へと成長してまいりたいと決意いたします。 ありがとうございました。(大拍手)