平成十年頃より、「妙観講有志」などという名を騙(かた)って作成された「日蓮正宗の害獣・大草一男の野望」という毒々しい題のホームページがインターネット上に現われ、妙観講及び大草講頭に対する誹謗中傷を書き連ねてきた。それも、その内容がもとよりデタラメで違法なものであるため、責任追及の矛先から逃れようと、予め海外(台湾)のプロバイダーを使用し、一切、作成者の身分素性がわからないようにした上で行なっているのだから、その犯罪性とあまりの卑劣さに、反吐すら出そうである。
このような卑劣な文面を信ずる者があるとすれば、それもどうかしていようし、また、これによって紛動されるような講員もほとんどいなかったため、妙観講としては、特に相手にせずに放置しておいた。 その後、この「妙観講有志」を詐称するホームページ(以下「詐称HP」)が“妙観講・大草講頭の犯罪が断罪される”として大宣伝してきた謀略訴訟において、妙観講・大草講頭側が完全勝利したところ、同HPは全く更新されなくなって機能停止状態に陥ってしまった。それでいて、自らの誤りを謝罪するでもなく、そのまま醜い骸(むくろ)を晒しているのだから、まさに無慙無愧(むざんむき)の恥知らずという以外はない。
そこで、この際、この「詐称HP」作成者達が、明らかに「妙観講有志」などではないことを明らかにして、そのどす黒い陰謀に止どめを刺すものである。
一、「妙観講有志」が詐称である証拠
① 妙観講の略称を批判している事について
「詐称HP」は言う、「『日蓮正宗理境坊所属妙観講』という言い方が『公式』ではない。公式な言い方は『日蓮正宗法華講理境坊妙観講支部』のはずではないか。いい加減にいやらしい言い方はやめるべきだ。略称したければせめて『妙観講支部』となのるべきである。理由は一支部だから」 と。
ここで、「日蓮正宗法華講理境坊妙観講支部」の公式な規約・講則の一部を紹介しておこう。
「『妙観講』講則 第一条 本講は(中略)公称を『日蓮正宗法華講理境坊妙観講支部』、略称を『理境坊所属妙観講』という。」 このように、公称を前提として略称が定まっていることは明らかであり、何ら批判される謂われはない。 こう言えば、「略称は妙観講支部となのるべきだ」と言うのだろうが、そもそも「理境坊所属妙観講」という略称がどこから来ているのか、「詐称HP」作成者達は全く知らないのだから、笑えるではないか。
すなわち、妙観講本部広間には、御法主日顕上人猊下より御下賜された常住御本尊が安置されている。その常住御本尊の授与書きには、明らかに、「授与之 理境坊所属妙観講」 と。まさにこの略称は、御法主日顕上人猊下が御自ら付けられたものなのである。 また、過去、総会の折に、幾度か猊下より全講員に賜った御染筆色紙には、 「理境坊妙観講第○回総会記念」 「妙観講第○回総会記念」 とも、おしたためである。要は、略称に違いはあれ、いずれも「日蓮正宗法華講理境坊妙観講支部」すなわち“妙観講”を指して、かく称されているのである。 妙観講の講員であれば、これらのことを知らないはずがなく、このような馬鹿げた疑難を声高に非難する「詐称HP」作成者は、「妙観講有志」などでないことが明らかである。
② 妙観講の講旗に「講章」が刺繍(ししゅう)されているか否かについて
「詐称HP」は言う、「その8〈悪魔の紋章〉 妙観講には独自の紋章がある。『講旗』にはでっかくこれがあしらわれている」 と。 ここで、「紋章」と言っているのは「鶴と鷹をモチーフにした講章」のことであり、「詐称HP」は、この講章が「講旗にでっかくあしらわれている」と言うのだが、これも大間違いである。
そもそも、妙観講の「講章」は、昭和六十一年に初めて作成され、「講旗」は、昭和五十八年に作成されたものである。どうすれば、約三年も前に作成された「講旗」に「講章」をあしらうことができるのか。 このこと一つを取っても、「詐称HP」作成者が、妙観講の歴史の中にいなかった部外者であることが明らかである。部外者がさもそれらしく「妙観講有志」を名乗って、内部告発に見せかけた悪口雑言を並べる。なんと薄汚ない、姑息な陰謀であることか。
ちなみに、「講旗」にあしらわれているのは、日蓮正宗の鶴丸の紋章であり、この「講旗」は、毎年の総会時に役員を先導して入場しており、総会に参加した全講員が目にしているところである。とはいっても、何が刺繍されているか、うっかり見落とす講員もあるかもしれないが、わざわざHP上で批判しようとするほど関心を持っている者ならば、鶴丸を講章と見間違うはずがない。 要は「詐称HP」は、毎年の総会にも参加していない、まったくの部外者が、邪推と妄想をたくましくして、憎い妙観講に何クセを付けるために開設しているものだ、ということである。
③ 「在家同士の師弟関係」とやらの批判について
「詐称HP」は言う、「妙観講員たちが(中略)『在家同士の師弟関係』とやらを強要されている姿を見て、多くの法華講員は気の毒に思っているのです。(中略)やはり謗法でしょう。それもすこぶるつきの大謗法。嗚呼、哀れなる哉、妙観講員」 と。
要するに、“妙観講・大草講頭は宗門の化儀を破って大謗法を犯している”と喧伝し、妙観講の講員を揺さぶりたいのだろうが、これまた、「詐称HP」作成者が、「妙観講有志」を名乗りながら、じつは、妙観講指導教師・小川只道尊師(理境坊御住職、大石寺執事)の指導すら知らない部外者である、という事実を曝(さら)け出してしまっている。
すなわち、妙観講指導教師・小川只道尊師はかねてより、次のように指導・教示されてきたのだ。
「小師である住職の許可を得て組織ができた、そこに講頭以下の役職の方がいて、講中における信心増進のための活動を行なっていく。当然それは、小師である住職も認めて行なっているわけですから、その講中の中心者となっている方々の意見・指導というもの、それにならっていくということが、また師弟の道という意味にあたるわけです。 それを直ちに『師弟』と言ってしまうと、また種々の論議がありますけれども、でも意義的には、そこに『師弟』という意義があるのです。だから、先輩に教わるという意味を、よく考えていくべきです。」(平成四年四月二十八日 日達上人御報恩御講にて)
このように在家の中にも一往の師弟の意義があることを仰せられ、さらに、「在家同士における指導」についても、 「私は、当初より、妙観講を“折伏第一義として前進していく講中”として伸ばしていきたい、と願い、日蓮正宗の教義及び規則によって教化訓育しつつ、それに基づく講の運営・指導等は講中幹部に委ねてきた。この方針が功を奏して、現実に妙観講は大きく発展し、多くの講員を擁(よう)するに至ったのであった」(平成十五年一月発刊 『誠心』の序より) と明らかに述べられているのである。
一方、「詐称HP」が、“在家同士の師弟関係を作った張本人である”として罵っている大草講頭自身はといえば、この御住職の教導を拝しつつも、けっして驕(おご)ることなく、むしろ、「今日において、講中の中で、先輩の人達からいろいろな話を聞いて、仏法のことを学んでいるわけですけれども、私は、誤解のもとだから、その中では師匠という言葉を使ってはいけない、と注意しております。この大聖人の仰せの中では、在家である四条金吾を師匠とする表現を使われておりますし、たしかに意義的においてはそうだけれども、誤解を招かないために、師匠という言葉を使わないことにしております」(平成四年二月九日 新入講員決起大会) と、常々、講員達に指導してきているのである。
以上により、「詐称HP」作成者が、妙観講の部外者であることはもちろんのこと、まったく一を知って二を知らない信解(しんげ)未熟の徒であり、かつ、大草講頭のもとにある妙観講を怨嫉(おんしつ)してやまない輩であることが明らかであろう。
④ 妙観講の組織形態(支部・支区・班)が「在家同士の師弟子の筋目」である等の批判について
「詐称HP」は言う、「在家同士の『師弟子の筋目』は邪義である。 支部長=支区部長=支区幹事=班長 という組織形態は、あくまで方便に過ぎないのである。(中略)しかしこれを金科玉条のように振りかざし、在家の役職を権威付けし、それに異議をはさんだら謗法呼ばわりする、ここまでやったら謗法である」 と。
ここで、「在家同士の『師弟子の筋目』」などという造語を使用しているが、本来そのような語がないのは当然のこととして、妙観講の組織・役職がどのようなものかを知らない愚かな「詐称HP」作成者(すなわち部外者)のために、小川只道尊師の教示を次に掲げておこう。
「講中がどんどん発展していきますと、その講中の中に、さらにまた細かい組織ができるわけです。妙観講においては、支部があって、支区があって、班があり、そこの班には班長さんがいて、班長補佐の方がいて、講員がいるという形になっております。そういう講中の中の組織も、一つひとつ、住職である私のところに申し出があって、これを承諾して、現在の形ができています。ですから、講中というのも、小師である住職と一体となって進んで行く、という意味があるわけですね。そこに、第九世日有上人が言われるところの、小師と信徒という師弟の信仰というものがあるのです。(中略)きちんと、全てを住職の許可を得て、住職と一体となり、協力して進んでいる講中に入って、そこで信心をしていく、そこに住職を小師とする師弟の道があるわけですね。これが大事なのです。」(平成四年四月二十八日 日達上人御報恩御講にて)
すなわち、現在の妙観講の組織・役職は、全て「住職の許可を得て、住職と一体となり」できているものであり、その「講中に入って、そこで信心をしていく」姿が、まさに、本宗の掟である「本師・小師・講中」という師弟子の筋目に則ったものなのである。
こうした実際の妙観講の姿をねじ曲げ、ためにする悪口をHPでタレ流す、それこそ「ここまでやったら謗法」であろう。
ついでに、 “在家信徒は全て横並びの同列であって差別はない”とした『中部月報』(平成五年六月十日号)の記事を、「詐称HP」が妙観講批判の根拠として利用していることについて一言しておく。
まず、この『中部月報』は、誰を対象として書かれたものかを、よく考えるべきである。 近年、創価学会より多くの方が一度に移籍して講を作った、そのような講においては、役員幹部も他の講員も、事実上、横並びの信仰で講をスタートすることになる。そういう講の多いエリアにおいては、『中部月報』のような指導をされるのは当然のことであろう。 それと、すでに長い歴史をもっている講の中での指導とが異なるのは、むしろ当たり前のことである。要は、誰を対象として述べられた指導なのか、対告衆(たいごうしゅう)の違い、所対の違いによるのである。
それを、とにかく妙観講憎しが先にありき、という徒輩が、もっともらしく妙観講批判のために利用するのだから、性質(たち)が悪い。初信・初学の講員は大いに用心すべきであろう。
⑤ 信徒除名処分者『S・W』の身分を飽くまで正当化しようとしていることについて
「詐称HP」は言う、「大草(講頭)・妙観講の件については同講元『最高幹部』のS・W氏が、私たち以上に詳しいと思われますので、興味のある人はそちらにご連絡なさるのがよろしいかと思われます。 (中略) W氏の住所・電話番号 ・・・・」 と。
また、「W氏は飽くまで平成四年二月二十三日、妙観講を『脱講』したのであって、『除名』というのは、あとから大草(講頭)が言い出したことであると本人は主張しております」 と。
では、「Wの妙観講除名処分に至る経緯」について真相はどうなのか、御法主日顕上人猊下より御允可を賜わり平成十五年一月に発刊された『誠心』(大草講頭・著)に詳しいので引用する。 「Wは、昭和六十二年当時に講中の中で悪事を働き、訓告処分になったことがありましたが、深く反省する姿があったので、私共といたしましても一旦(いったん)はこれを許し見守っておりました。
ところが、平成二年末になって、Wの悪事が再犯に及んでいる、という報告が入ってきましたので、本人を呼んで糾(ただ)したのですが、Wは『そのようなことは絶対にありません。大丈夫です』と強く言い切ったのです。そこで、一旦、追求することはやめて御仏意(ごぶっち)にお任せすることにし、報告してきた人達にも、それ以上言及(げんきゅう)することをやめてもらいました。
すると、ものの一、二ヶ月でボロが出て、あちらから、こちらから、Wの犯した不行跡(ふぎょうせき)の証拠が出てきてしまったのです。そこで結局、平成三年二月、講中としてWを戒告(かいこく)処分にしたのですが、その後、Wの悪事の実態が、さらに重大であることが判明したので、処分を活動停止に繰(く)り上げました。それでもWは、さらに蔭(かげ)に回って悪事を繰り返し、それを隠蔽(いんぺい)しようと工作したものの、それが悉(ことごと)く発覚し、平成四年二月、ついに除名処分となってしまったのでした」 と、これが真相なのである。この『誠心』からも、見て取れることと思うが、昭和六十二年の訓告処分から平成四年の除名処分に至るまでの約六年、大草講頭は、常にWを、厳しくも暖かく見守り善導しようとしてきたのであり、その大草講頭を、悉く裏切り、悲しませ続けてきたのは、誰でもなくWなのである。
さらに、Wが、妙観講を除名処分された後も理境坊の信徒として残れたのは、どこまでもWを不憫(ふびん)に思う大草講頭が、理境坊御住職・小川只道尊師に進言されたからではないか。恥を知れ、恥を。
しかるに、この除名処分を逆怨みしたWは、学会怪文書作成班と結託して、妙観講・大草講頭を誹謗する怪文書を作成、全国にバラ撒き続けた。さらに、大草講頭憎しの思いが昂(こう)じて、大草講頭を認める小川尊師や日顕上人猊下にまで瞋恚(しんに)の心を抱き、ついに、大草講頭・小川尊師・日顕上人猊下を陥(おとしい)れるための謀略訴訟まで引き起こし(後に詳述)、平成十二年、日蓮正宗からも信徒除名処分を受けたのである。 この信徒除名処分者たる「W」に組する「詐称HP」作成者は、日蓮正宗の公式決定にも背いて謗法者を曲庇しているのであるから、Wと同じ穴のムジナであり、先々の地獄道は明らかであろう。
以上、「妙観講有志」を名乗る「詐称HP」作成者達が、妙観講講員などでないことは明らかであり、このような薄汚ない策略を巡らす怨嫉の徒が、日蓮正宗信徒であるなどということも、とうてい信じられない。
二、「妙観講有志」を詐称した黒い理由
「詐称HP」作成者達が、自らの身分を詐(いつわ)り「妙観講有志」を名乗った理由は、以下の2点に集約されると思われる。
①名誉毀損で訴えられることを恐れたため 「詐称HP」の内容が、個人攻撃を目的としたデマ中傷に満ちており、もし自らの身分を明らかにすれば、間違いなく名誉毀損で訴えられてしまうからである。「詐称HP」には、犯罪の可能性どころか、まぎれもなく犯罪そのものの記述が満載されている。例を挙げれば、「妙観講相姦図」(あまりのデタラメさに気が引けたのか、すでに削除済み)「19歳の冒険」等がそれである。
これらをHPに掲載するに際し、作成者の身分が不詳では、記述に真実味が持たせられず、かと言って、自らの身分を明らかにすれば、刑事事件になってしまうことは確実なので、どうしても妙観講講員を騙(かた)るしかなかったのである。
およそ、釈尊の受けた九横(くおう)の大難の中に、孫陀利(そんだり)の謗り(※美女・孫陀利が、外道にそそのかされて、自ら「釈尊と関係があった」と言いふらしたこと)と、旃遮女(せんしゃにょ)の謗り(※旃遮女が、腹に鉢を入れて、「釈尊の子を身ごもった」と謗ったこと)という、いわゆる今日でいうスキャンダル攻撃が二つも含まれていることからも判るように、古来、宗教者のイメージを汚すのにはスキャンダル攻撃が効果的とされてきた。 なるほど、万一、それが事実そのとおりだとすれば、その是否については適法に追及すべきであろうが、さにあらずして、脚色した醜聞話やデマを違法に喧伝することは、仏法上はもちろんのこと、社会的にも許されざる犯罪行為である。
「詐称HP」作成者は、自らの所業がそうした悪質な犯罪行為であることを自覚しているが故に、「妙観講有志」を騙り、海外のプロバイダーまで使って、自らの素性をひた隠しに隠しているのであり、逆に言えば、これこそが「詐称HP」の内容がデッチ上げである証拠と言えるのである。
②妙観講除名者に加担し、もって日蓮正宗・妙観講を陥れるため 「詐称HP」には、かの有名な謀略訴訟「U裁判」(※これは、妙観講において多くの女性問題・暴力行為を起こし、除名処分となった元講員Wが、妙観講および大草講頭を逆怨みし、創価学会怪文書作成班と結託して「自分は大草講頭と小川御住職の指示で、宗教ゴロのU宅の電話盗聴を行なった。 その指示を下した最高責任者は御法主日顕上人猊下である」と大宣伝。これを受ける形でUが日蓮正宗・理境坊・大草講頭等を相手取って訴訟を起こしたもの。訴えた当時、Uは「創価学会主任 U」などという名刺を使っており、随処に学会の陰が見え隠れしていた)のことが、第一審(東京地裁)の始まったところから一審判決が出たところまで掲載されており、その中味は、妙観講講員に対する罵詈雑言・誹謗中傷だらけであった。
「詐称HP」作成者は、この「U裁判」が妙観講と日蓮正宗を傷付けるのに、きわめて有効、と判断したらしく、「妙観講有志」を詐称し、あたかも妙観講講員の内部告発のような形を取ることで、UとW側に絶大な援護射撃になると、考えていたようだ。 しかし、この裁判は、すでに最高裁で判決が確定し、Wと結託したU側が完全敗訴してしまっている。そのため、UとW側の敗訴が確定的となりはじめた東京高裁における第二審あたりからは、一切の新しい書き込みがなくなり、ホームページ自体の更新がまったく行なわれなくなってしまったのである。
そもそも、自らの主張が破綻(はたん)した以上は、潔く謝罪して撤回すべきが人の道と思うが、破綻した内容を、そのままタレ流しで放置するという体(てい)たらくは、まさに、無責任な公衆トイレの落書き状態である。作成者の人格を物語って余りあるではないか。
以上が、HP作成者が「妙観講有志」を詐称した黒い理由であるが、このことにより、「詐称HP」の全ての内容が嘘と欺瞞(ぎまん)によって塗り固められていることが、いっそう、お分かりいただけるであろう。 「詐称HP」作成者には、この破綻(はたん)したHPを、どす黒い謗法の骸(むくろ)として、このままの状態で残し続け(今さら、ヘタな加工や修整はせずに)、後世の戒めのために晒(さら)し者になるか、さもなくば、少しは恥というものを知って、跡形もなく消し去るか、いずれかの道を選択するがよい。
しかしながら、妙観講を憎む悪人達は、何としても目障(めざわ)りな妙観講を潰(つぶ)そうと、今後も類似するホームページを開設し、誹謗中傷に努めるものと思われる。 読者諸賢におかれては、こうした愚劣な陰謀に迷わされることなく、妙観講が発する妙観講についての正しい情報は、
公式ホームページ URL: http://www.myokan-ko.net/ によって得られるよう、衷心よりお勧めするものである。