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第67世日顯上人猊下御言葉 平成元年まで

若々しい力で邪義破折を(平成元年二月十六日)

(※まず猊下は、「妙観講は幹部からして若い人が中心だ」ということから、将来の発展に御期待くださっている旨、ありがたいお言葉をくださった。その後、『妙観』顕正会糾弾特集号に目を通され、以下のとおり仰せられた。)

大聖人様の仏法は、邪義を破折していくということが大切であるが、それには、やはり若々しいカがなくてはならない。妙観講はよくやっているようだね。
顕正会はひどいことをする連中だが、しっかりやりなさい。

異体同心して妙法を唱えよ(昭和六十二年二月十六日)

妙観講の皆さんが、大草講頭以下、本日の大聖人様の御誕生会に参詣されたということは、まことに深信の姿であると思います。
御承知のごとく、大聖人の仏法は、今後、日本乃至世界に広宣流布する大法でありますが、今日において、かなり広宣流布が進んできているとはいえ、まだまだ、謗法の人が非常に多く存在しておるのであります。

大草講頭をはじめとする妙観講においては、若い人が中心になって、広宣流布達成に向けて折伏を進めているということは、まことに仏祖三宝も嘉みされることであろうと思います。

どうか、これからも、異体同心ということ――僧俗和合して、異体同心するということを忘れないで、前進していってもらいたい。うちにしっかりと妙法を唱え、団結すれば、いかなる恐ろしいものもないのであります。そして、広布に向かって、堂々と今後の折伏に精進していっていただきたいと思います。

将来の妙観講の形を(昭和六十一年二月十六日)

若い人達が多いせいもあろうが、皆、たいへん折伏の方で頑張っているようですね。従来、法華講は折伏がダメなんですが、ここは、めずらしい講中です。なお、いっそう、しっかり頑張ってください。しかし、こういう若い人達だけが多く集まっているところというのは、本当に少ない。独特な感じがある。昔の講中には、やはり、いろいろな姿があったけれども、最近では、いろいろな影響で、法華講も全体にわたって変わってきています。が、とくに、あなた方が、講中としては先端を行っている意義がある。

これは、今ただちにということではないけれども、今後、妙観講が存在して進んでいく意義、将来の宗門の中での御奉公の姿を、深い御仏意の上において、ある何らかの形に作っていくことを、ぜひ考えなくてはいけないと、思っているのです。
なかなか、それも今の時点では、宗門のいろいろな形があるので、具体的には言えませんが――。
ともかく、指導教師のもとに、純真に進んでいってもらいたいと思います。

二千突破と今後の指針(昭和六十年三月十四日)

(※現在の妙観講の講員が、すでに北海道から九州に至るまで、全国各地に分布しつつある状況を聞かれて)

さらに今後は、多くの幹部が大草講頭の分身となって、気持ちをひとつにして指導育成にあたることが大切である。また、そのような、講頭の心をよく知った分身を、各地に作りなさい。その点を間違えずに徹底していけば、いかに大きな講中になっていっても大丈夫です。

(※講頭が、年間の誓願二千二百名に対し、現時点での総数二千六名に止まってしまったことにつき、深く御詫び申し上げたところ)

いや、たとえ二千二百に達せずとも、二千名を越えるところまでの折伏ができたということは、まことに立派なことである。今の世の中の人達は、ほとんど皆、何らかの形でこの仏法のことを聞き、あるいは折伏を受け、それでも入信していない人達であるから、その中で、これだけの折伏をしてくるというのは、じつに大変なことであったと思います。

実際、古い形をとっている他の法華講では、折伏の目標を立てても、その結果が半数にも充たなかったり、ゼロというところもたくさんある。その中で、しかも一千名を越えた後に、それを倍加させるということ自体、じつに至難であるのに、それを、わずか一年間でここまできたのだから、ほとんど完遂したのも同じである。よく頑張りました。

(※昭和六十年度の妙観講の指針を示されて)

講中の実情に即した折伏誓願を立て、その目標を無理なく確実に達成していくこと。また、入信した人達の育成、法統相続をしっかり行なっていくこと。折伏については、身の廻りの縁ある人々を確実に折伏していくことを忘れないように。

一千名を超えて進め(昭和五十七年十二月五日)

本日は、妙観講が一千名を達成されての総会だそうで、まことにおめでたいことと思うのでございます。
今後さらに励んで、一千名を超えて前進していただきたいと思います。

今日、世の中がたいへん乱れておりますが、その原因は、誤った思想が弘まり、正法が乱れるところにあるのでございます。今も宗門のことをいろいろ言っている輩がありますが、ここに、正しい信仰をもち、折伏をして、広宣流布を目指していかねばならない所以があります。
創価学会もあのように発展しましたが、やはり、法華講の各講中も伸びていかねばなりません。

法華講がなかなか伸びていかない中で、この妙観講は、今日、非常に大きく発展をしてきておる。それは、大草講頭を中心とする皆様の強い信心によっているものでありまして、今後も、さら信行学をしっかりと行なっていくことを根本に、頑張っていってください。

あらゆる謗法者を折伏せよ(昭和五十六年八月二十三日)

総会、おめでとうございます。
この講中には、若い人が多いけれども、年輩の方もいるようですね。それに、なかなか法門のことも勉強しているようで、結構なことです。
やはり、大聖人様の仏法で一番大切なことは、一点の濁りもない純粋な信心・師弟相対する信心である。

現在、正信会と称する僧侶達や、それに引きずられる哀れな檀徒の人達がいますが、この者達は”信”というところを外れて、さも信心があるように錯覚しておる。それは、
「謗法と申すは違背の義なり」(御書二二一頁)
とあるように、根本のところに背反する気持ちがあるのです。そして、そこから、自分の立場や言い分を荘厳するために都合のいい御書、あるいは御先師の書き物.宗門関係の資料を切って引いてくるから、次第に訳のわからない法門ができあがってくる。

しかし、いくら巧みに法門をつくりあげても、正しい筋道を弁えている者がみれば、その根本がまやかしであるということをハッキリ見抜くことができるのです。それを見抜くのが信心です。
そこに本宗の法門の根本、”信”の大切さがあるのであって、その信の一字によって誰でも成仏できるのですから、やさしいといえば、これ程やさしい修行はない。

しかしながら、根本に背反という心、背く心があるならば、いかに法門を聴聞しても、また大聖人様のお言葉を引いて理屈をつくりあげても、結局は正しい成仏の道から外れて地獄に堕ちてしまう。ここに、信ずるか、背反するかという、立て分けの大切さがあるのです。
あなた方の指導教師は、しっかりと正しい筋道に立っての勉学に励んでいるので、やはり、この指導教師の指南のもとに誤りのない信仰に励んでください。

また、邪義を立てる者は、それが他宗の者・世間の謗法の者であっても、あるいは本宗の僧侶や信徒であっても、その謗法は破折していかねばなりません。そうした、あらゆる謗法の人達を打ち破り、しっかりと折伏していってください。